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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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通訊

通訊(鄭孝観氏へ)
孝観様:
 私の無聊な小文が、一篇の大作を引き出し、記者氏を退け、それに先んじて「案を提示し」その後「お詫び」までさせたこと、誠に感じ入り、敬服に堪えません。
 私の子供の頃には「涌幢小品」を見ていませんし:回想するに、見たのはどうやら「西湖遊覧志」と「志餘」だったようで、明嘉靖年間に田漢成の作だと思います。残念ながら今手元にないので見ることができません。思うにその中に或いは雷峰塔に関する材料があるかもしれません。
     魯迅  24日(1924年)

 案:「雷峰塔の倒壊」について私が保俶塔だと言ったことを、伏園はそうではないと思った。鄭孝観さんがそれで「雷峰塔と保俶塔」という一文を書き、「涌幢小品」などの書に基づいて、これを蓋し保俶塔のほうが近いと証明した。文は24日の副刊に掲載されたが、とても長いのでここでは引用できない。
     1935年2月13日補記

訳者雑感:これは1924年に「雷峰塔の倒壊」が起こり、それについて魯迅が書いた文章について、伏園が異議をはさんだことについての通信文を1935年に補記を付して再登場させたもの。
 今パソコンで見てみると、西湖名所案内には雷峰という山の上に875年に建てられたのが雷峰塔で、保俶塔というのは断橋の後ろに立つ細長くて高い塔で、例の「白蛇伝」がらみの塔はこちらだという方が近いと証明された云々という文章だ。白蛇伝そのものが「戯曲」でありその主人公が埋められていた塔というのがどちらか、ということが「戯曲」好きの中国人の関心の的だということを示している。その戯曲も時代の変遷とともに、民衆の好みにもより、場所や名前が変わるのも面白いことだと思う。これは日本の忠臣蔵などの登場人物のエピソードがより見る者を引きつけるように変わってゆくのとそう違わない。
      2015/12/27記      

 

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