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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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清明時節

清明時節

孟弧

清明節は墓参りの時節で、ある人(溥儀)は(山海)関の内に入って来て、先祖の墓にお参りしようとし、ある人(国民党要人)は陝西省の(周文王)の墓を詣でた。それで激論が天を沸かせ、歓声が地を動かした。お墓参りで国を亡ぼすこともできるし、国を救う事もできるようである。

墓がかくも重要なら、墓の発掘はもう大変なことだ。

元代の国師パスパは発掘の威力を強く信じた。彼は宋陵を発掘し、人骨に豚とイヌの骨をまぜて埋め、宋室を奈落の底に落とそうとした。幸いにも義士がそれを盗み持ち出したので、彼の目的は達せられなかったが、結局、(南)宋は滅んだ。

曹操は「摸金校尉」(金を探す役人)の職位を設け、盗墓を専門に行わせたが、彼の子が皇帝になり、彼に「武帝」と謚(送り名)させ、大そうな威勢を示した。これを見ると、死んだ人の安危と生きている人の禍福の間にはどうやら何も関係なさそうだ。

曹操は死後の盗掘を怖れ、72個の疑塚を造り、手出しできぬようにした。後に詩人曰く:「片端から72の疑塚を掘れば、きっとどこかに君の屍(しかばね)あり」そして後の論者は又曰く:「曹操は狸で、安(いずくんぞ)知らん、その屍は72塚には無いことを」これではまことにどうしようもない。

 曹操は狸ではあるが、必ずしも疑塚を造ったとは限らぬと思う。だが古来、塚墓の盗掘はとても多く、塚の中の主(ぬし)の名は確かな者は少ない。洛陽の邙山(ぼうざん)は清末に盗掘された墓が極めて多い。有名な巨卿の墓には大抵一片の墓誌銘と陶器の破片しかない。大抵は、もともと貴重な殉葬品が無かったのではなく、とうの昔に盗掘され、持ち出されたが、それが何時のことかは知るすべもない。要するに葬られてから清末に盗掘されるまでの間のことに違いない。

 墓の中は誰なのか、掘ってみないと分からない。たとえ主(ぬし)の名が伝えられていても、大抵あてにはならぬ。中国人は古来、大人物にちなんだ名勝を造るのが大好きで、(山東省の)石門に「子路止宿処」が有り、泰山に「孔子、天下を小とした処」が有り:一つの小さな山洞には、大禹が埋められており、幾つかの大きな土饅頭には、文王武王と周公が葬られている。

 墓参で本当に救国できるなら、それは正しい墓にお参りすることが大切で、文王武王の陵にお参りするなら、他の人の土饅頭にお参りしてはいけない。そして更に言うなら、自分が周の子孫かどうかを調べねばならない。そのためには考古の仕事が必要で、塚を掘って、文王武王周公旦が葬られたか否かの証拠を調べ、遺骨があれば「洗冤録」の方法に従って、血を滴らせればよい。だが、これは又墓参で救国という説とは相反し、孝行な子孫を傷つけることになる。止むを得ぬから、目をつぶって、何も気にせずに、やみくもに拝むしかない。

「その鬼(自家の先祖の霊)に非ずしてこれを祭る、諂(へつらう)也!」(論語)

墓参救国の術はただ単に霊験あらたかでないばかりか、つまらぬ笑い話に過ぎない。

   426

 

訳者雑感:2009年頃、河南省で曹操の墓というのが発見され、新聞が大騒ぎした。これは72個の塚の一つかどうか知らないが、河南省以外の新聞はこれを整備して「曹操の陵」として観光開発しようと企んでいると非難している論調もあった。古来中国人は歴史上の大人物にゆかりのある名所旧跡を「こしらえる」のが大好きとは、魯迅の指摘する通りだ。

 天皇家の歴代の古墳は、陵の閑静さを壊すということから、発掘を禁じてきている。

明日香や平城京周辺の伝某天皇陵というのは、本当にその天皇のものかどうか疑わしい。

それを発掘調査で別の物と言う事が証明されたら、全体の信憑性が一気に崩れる。

伝えられた物を「そのまま次世代に」伝えていくのが安全安心なのを1300年間守ってきた。

易姓革命が無かったから前朝の墳墓を暴くことはしなかったし、中にたいした財宝は無いのではということが関係したかもしれない。

 文中の「洗冤録」は宋代の宋慈の書いたもので、屍体を検験する法を述べており、「血を滴してそれが骨の中に入れば血のつながりが証明され、でなければ繋がりは無い」という非科学的なものの由。(出版社注)

 それで思いだしたのだが、シンガポールで世話になった張さんが亡くなって、立派なお墓ができたので、親族一同とお参りした。その時長男が話してくれた言葉によると、10年後には屍を洗って骨だけを再葬するとのこと。洗骨というのは、かつて横浜で死んだ華人たちは、屍を郷里に運べないので、横浜の墓地に埋葬し、屍が腐蝕した後、これを洗骨して、それを郷里に運んだそうだ。

 最後の論語の言葉は、当時の国民党の要人たちが、周の文王たちの陵墓にお参りして、何とか救国に手を差し伸べて欲しいという「儀式」を痛烈に「打ちのめしている」。

周の子孫という証明もない連中が、周の文王たちが葬られているという何の証拠も無い土饅頭にお参りするという「滑稽さ」つまらぬ笑い話しに過ぎぬ、と。

 一方で、天皇すらA級戦犯を合祀後は、一切参じることを止めた靖国神社に「尊崇の念」を表する為に「首相」という立場でどうしても参じたいというのは、なにかおかしさを感じる。西郷や乃木などが合祀されていないのに、戦後の裁判で処刑されたか自殺した人を合祀するのはおかしいと思う。(西郷は別社で祀られているとの説もるが)

      2013/04/11

 

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