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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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想定外

 有恒氏の「北進週報」での、なぜ私が近頃発言しないのかとの質問に対しては、すでにお答えしたが、もう一つのことにはお答えしていない。
答えないということ、これも新しい「世故」だろうか。
 私の雑感は「罵り」にあふれている。だが今年発見したのは、私の罵りは、罵られた人にとっては、どうやらとても有利になるということだ。
 罵られたと宣伝すると、よりはっきりと分かりやすい事は言うまでも無い。それに
1.世の中には私を憎いと思っている人が多いので、罵られた人は、私を憎んでいる人と連合し、私の雑感を見せれば、彼らの義兄弟の契りとなり、「相見て笑い、心に逆らうことなし」となる。「おお!我々は仲間だ」と。
2.ある人がある事業をやって、うまくゆかぬとする。それに私が何か言えば、私に罪をかぶせられる。例えば、学校を作ったが、教師が集まらぬ時;魯迅が悪口を言ったせいだ:学生が騒ぎを起したら、魯迅が悪口を言ったせいだ。
と云う具合である。彼は清廉潔白で責任は無い。
 私はキリスト教を学んだこともないから、誰がすき好んで彼に替わって十字架を背負うことなどしてやるものか。
 しかし「江山は改めやすいが、人の本性は改め難い」というから多分そのうち、何か発言するだろう。しかし「新法」を定めた。かつて名を出した「主将」たち以外の新しい人に対しては、本名は伏せ「ある人」「某学者」「某教授」「某君」とする。こうすれば彼は私を(逆)宣伝に使う時、何か説明をしなければ使えないだろう。
一般的には「罵る」というのは良いことではないと思う人が多いが、ある人にとっては有利に働く。人間は究極的には非常に恐ろしい生き物である。
例えば人を咬み殺す毒蛇でも、商人はそれを酒に漬けて「三蛇酒」「五蛇酒」という名を付けて金儲けをする。(魯迅を毒蛇として利用する意)
 実際彼らのやり方は、(文章で)「交戦」するよりずっと厳しいものだから、雑感を書こうという気を喪失させる。
 しかし、気を取り直して、書く気になれないという雑感を書いてみるか。

訳者雑感:
 論敵は魯迅に罵られたことを逆手にとって、彼ら同士で手を握り、魯迅を
毒蛇に仕立て上げ、さらには思いもよらぬことだが、それを彼らの雑誌や本の中で宣伝して酒に漬けた文章にして売って儲ける。
 それで魯迅は本名を出して罵ることをやめた。相手が利用できないように。
河川や山は土木工事で姿を変えるのは容易いが、人の本性は改め難い。彼は
死ぬまで本性を改めることはなかった。
想定外だった敵のやり方も「世故に長けて」敵の本名を伏せて魯迅の名を使えないようにした。
  2011/03/09訳

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