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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「公理」の在りか

 広州の某“学者”が“魯迅の文章はもう終わりだ、「語絲」も読む必要無い”と言った。その通りだ。私の文章はすでに終わっており、去年書いたものは今年もそのまま使えるし、多分来年も使えるだろう。だが私はそれが10年20年後もそのまま使われることがないよう心から望む。もしそうなら、中国もおしまいだ。私にとって、それは自慢できることかもしれないが。
 公理と正義はみな“正人君子”に持って行かれたので、私の手元には何も無い。これは去年書いたことだが、今年もそのままである。だが手元に何も無いとはいえ、それをなんとか探し出そうと一生懸命やっている。ちょうど無一文のひとりもんが、いつも銭のことばかり考えているのと同じだ。
 私の話は終わってはいない。今年、公理の在りかを発見したのだ。発見とは言えないとしても、それが実際はどこに在るかを証明した、と言える。北京の中央公園に白い石碑があり大きな字で“公理戦勝”と彫ってある。――Yes. 
それだ。(第一次大戦で中国も公理を持つ側として参戦して勝ったの意)
 この四字の意味するところは“公理を持つ者が勝った”即“勝ったのは公理”だというわけ。
 段(祺瑞)執政は衛兵を持ち、“孤桐先生”は教育相として、請願に来た学生に発砲して勝った。それで(支持者の)東吉祥胡同に住む“正人君子”たちの“公理”がふつふつと興隆してきた。ところが段執政が隠退し“孤桐先生”も下野した。嗚呼、それで公理もそこから霊落した。どこに行ったのか?
(国民党)の銃砲が(古典的武芸の)投壺をしていた(旧政権)に勝った。
阿! (公理が)あった。南方にあったのだ。彼らはぞくぞく南下した。
 正人君子たちも久しぶりに“公理”に会えた。
私は「現代評論」の一千元補助金にこれまで口出ししてこなかったが、“主将”が私を引きずり込んで乱罵した――多分私を“首領”とみなしてだろう。何を言っても罵られ、言わなくても罵られる。それで返盃して自称“現代派”の君たちに問いたい。
今年突然計画を変更し、別の運動を起して、新しい勝利者から補助金を受け取ったのではありませんか?と。 
そしてもう一つ、“公理”の値段は一斤何元?と。
(1927年10月22日の「語絲」に掲載)

訳者雑感:
26年夏からアモイ広州にいた間、魯迅はそれまでのような切り口の文章を書かなかった。それで読者からはなぜ書かないかと問われるし、論敵からは魯迅の文章はもう終わった、と罵られた。魯迅のこの時期に書いた文章が、1年経っても2年経っても、そのまま通用してしまうほど、社会は何も変わっていない。よけい混乱するばかり。魯迅は自分の書いたものが、20年30年経ってもそのまま使えるようでは中国もおしまいだと慨嘆している。
「公理」はその時の執政府に存しており、学者風を吹かす正人君子たちは、
その公理を持っている政権にすり寄って、ポストと権力を得ようとする。
それは21世紀の今日も変わっていない。
それから100年経ってもなお使える文章を、使わせないようにしている点も似ている。
 「勝てば官軍」中国の学者文人は政治と関わって生きてこそ、その実用性が認められたと考える「俗物臭」の強いのと、そこに嫌気がさして隠居するものと大きく二分される。朱前首相は学者であり大学の行政にも携わっていたが、
首相になり、10年全力を尽くして経済改革に貢献したが、任期終了と同時に
政治の世界からあっさりと身を引いた。上記の二分の中に入らない例外である。
2011/03/05訳

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