忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

 アモイ通信2 小峰兄:

小峰兄:
「語絲」101102号本日拝受。ここでは多くの郵便物が同時に届くのは、しょっちゅうです。大体週2回です。
2冊の「語絲」を見て、感慨ひとしおです。百号を超えたからでしょう。中国では、数人で始めた刊行物が百号まで続くのは並大抵じゃありません。
 ここからも「語絲」に投稿したいが一行も書けません。「野草」も一本の茎、半分の葉すら出ない。今は講義原稿を編集しています。何のため?お分かりでしょう。飯のためです。飯を食うのは何のため?この論法でいうなら、講義原稿のためです。飯を食うのは高尚なこととはいえませんが、そうとも思いません。だが、講義原稿を書いて飯を食い、飯を食って講義を書くのは無聊に近いことを免れません。学者たち教授たちは別の考えがあるのでしょうか。私ども平常人からすると、教えることと物を書くことは両立しません。或いは黙々と教えるか、或いは発狂して変死するが如くに物を書くか、一人の人間が方向のまったく違った二本の道は歩めません。
 ふとあることを思い出しました。やはり夏に「現代評論」に正人君子が書いたように:人を罵る小新聞の流行で、まっとうな文章は誰も読まなくなり、出版できなくなった、と。こういう学者たちの才能に敬服します。私に代わって調べて欲しいのですが、彼らはどれほどまっとうな原稿を「家に蔵している」か、目録を作って下さい。だけどもし講義用ノートや民法第八万七千六百五十条の類なら要りません。見たくもありません。
 今日また漱園兄の手紙がきて、北京は結氷の由。こちらは袷一枚で、寒い時は綿のチョッキを着ます。(戦国時代の楚の詩人)宋玉先生の「皇天平分四時…」
(中略:楚辞の一節)のようなしゃれた詩文をここで引用しようものなら、それはまったく「無病なのに呻吟する」如きものです。白露は百草に降りたか、
梧楸の葉は枝を離れたか否かも知りません。景象は多分晩夏の如しで、我住まいの門前に名も知らぬ植物が秋葵(アオイの一種)に似た黄色い花を咲かせている。ここに来た時にもう咲いており、いつ頃から咲きだしたのか知らないが、今も咲いています。蕾もあり何時になったら咲き止むのやら分かりません。
「古くより之あり、今なお盛ん」で、近頃はそれを見るのがこわい位です。
鶏頭の花もとても小さく、江蘇浙江のとは違います。紅と黄の花が長い間、
一本一本立っています。私は元来地獄に落ちるのは嫌いですが、目にするのが
只、剣山と剣の林ばかりで、見ていても単調だし、その苦痛に耐えないのです。
しかし今は天国に行くのも恐いです。四季常春で、一年中桃の花を眺めていたら、どれほど味気ないことでしょう。たとえその桃の花が車輪のように大きくても、ただ最初に行った時は暫く驚くだけで、毎日「桃之夭夭(詩経)」のようなのを作れはしないのです。
 しかし荷の葉はとうに枯れ、雑草は黄ばみだした。こうした現象は以前は所謂「厳霜」のせいと思っていました。時にはあの「凛とした秋」に対して怨みごとを言って責めたりしましたが、こちらでは霜も降りない、雪も無くおよそ
黄ばみ、萎えるのは「寿命が終わり、寝る」のであって、他でもありません。
嗚呼、不平不満の種になる材料も減ったから、言うべきこともありません。
 今や不平不満をぶちまける方途さえないという不満も言いつくしてしまいました。また次の機会に。これから講義ノートを作ります。
    魯迅  117
 
訳者雑感:
 常春のアモイに耐えかねて、不平不満すら訴えるすべもないと嘆く魯迅。
地獄に落ちるのも針のむしろは恐ろしくて怖いが、車輪のように大きな桃の花咲く天国も、やはり怖いと思い始めた。この間、雑文すらも書けなくなってしまったほど。魯迅の灰色の脳細胞は、大都会の刺激が無いと活動を停止するようだ。
 教えることと、狂ったように物を書くことは両立しないようで、漱石も大学教授の職を棄てて、(収入の面もなんらかの影響があったか)小説書き専門として朝日に入社した。魯迅も北京では文部省の役人を解任され、経済的にも困難となると同時に、軍閥政府からの弾圧もあり、北京を逃げ出す格好で、アモイ大学で教えて四百元前後の月給を得て文学(史)を教えていたが、アモイ大学の教授たちの追い出し作戦、村八分に会い、4か月でアモイを去った。
彼には漱石のような大新聞のスポンサーは付かなかった。このあと広東の大学でも教えることになるが、そこも間もなく辞し、上海で晩年の10年を過ごすことになる。晩年の子規の新聞「日本」とか漱石の「朝日」のような後ろ盾無しに。日本の作家たちは恵まれていたと思う。といっても魯迅は大新聞のお抱えになる気はさらさら無かったろうが。
   2011/01/12
 
 

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R