忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

随感録 47 (象牙細工)

ある人が半寸四方の象牙を見せて呉れた。なんの変哲もないのだが、顕微鏡で見ると行書の「蘭亭序」が彫られている。それで思ったのだが、顕微鏡は本来、ごく微細な自然のものを見るために作られたのだが、今では人工のものに使っている。どうして半尺四方の象牙に彫らないのだろう。一目瞭然、顕微鏡など使わずに済む。
 張三と李四(普通の中国人を指す)は我々の同時代人だ。張三は古典をよく知っていて、古文を書く。李四も同じく古典に明るく、張三の書いた古文を読む。それで思うのだが、古典は古人の時代のことがらを記したもので、その頃の事を知ろうとすれば古典をひもとかねばならない。だが、二人は同時代人なのだから、あるがままに説けば、一目瞭然で、君も古典を覚えるのを省けるし、私も古典を記憶する手間が省けるではないか?
 その方面の専門家は言う。たわけたことを言うでない!これこそが本領であり、学問なのだ!と。
 私は、中国人の中には、この本領を会得した人はそれほど多くないと思う。
もし誰かが、このあやしげな芸当を弄して:農夫が持ってきた一粒の粉を、顕微鏡で、茶碗一杯のご飯にし、水夫が担いできた水で湿らせた土から、茶を飲みたい時に、その湿った土から水を絞り出さねばならないとしたら、もう、
どうにもならない。          2010/09/23
 
訳者雑感:中国の工芸品店に行くと、かつては象牙や玉にさまざまな細工を施したものが、あきれるほど沢山並んでいた。根付などの骨董を西洋人が競うようにして買い漁ってゆくのを不思議な気持ちで眺めたことがある。訊けば、欧州から団体で中国各地の根付を見て回って、気に入ったものはその場で買い求めるのだという。
その後日本に帰国して調べたら、その昔は中国からの絹貿易の受領印として造られた「糸印」が根付に変じたということだから、中国にも似たようなものがあって、それを江戸時代に日本人が改良を加えて開花したものだという。日本の骨董品はとても高価で手がでないので、中国の練物で造った根付が、値段も手ごろでこうした一般愛好家に受け入れられているのだろう。
中国は世界の工場と言われるが、こうしたフェイクの根付など、庶民の手の届くものを大量生産している。それを承知で買い求める分にはそれで何も無いわけだが。陶磁器にしろ、七宝焼きにしろ、こうしたフェイクが庶民の間でそれなりに収集されて、玩具的な役目を果たしている。本物の絵は買えないから、写真版やレプリカを飾るようなものか。江戸時代の本歌ものは、どう逆立ちしたって、二度とは造れない古典なのだから。
 魯迅は「口語」で初めて小説を書いた。しかし彼の作品にはおびただしい量の古文が引用されてもいる。「車曳き」のしゃべる言葉ではなく、れっきとした古典の文章に裏打ちされたものである、ということを宣言しないと、当時の
文芸関係者から、見下げられたものかと推察する。
 この小品の中で、彼は古典を勉強する手間を、新しいことを学ぶ時間に使うことを提唱している。中国人で古典を勉強して会得している人の数はたいして多くないから、もう古典を読むのは止めようと言っている。
 今私が翻訳しているのは百年弱前のことがらで、これすらもう古典に近くなっていて、中国の教科書から魯迅の作品は消えてしまった。その代わりとして、
大量生産された練物の根付のような「武侠小説」の著者の作品などが入った由。
 百年以上前の骨董は、国外持ち出し禁止とかで、庶民の手の届かぬところに
祭り上げられたのだから、練物のフェイクで済ますほか、どうしようもないとでも言うのか。
 
 

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R