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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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なぜキャンプ・シュワブの沖なのか?

なぜキャンプ・シュワブの沖なのか?
 名護市の選挙がもうじき行われる。15日付の神奈川新聞が同じ基地を多く抱える自治体の新聞として名護市に取材に行った。賛成派の市民の下記のコメントが印象に残った。
1.基地と歓楽街とそこの住民の生活
 「1960年代ベトナム戦争の頃、100軒位のレストラン、バー、ビリヤードがあって、そこを『社交街』と呼んでいた。母が店をやっていて、…とても賑わっていた。今は数軒しかない…。また基地ができて活気がもどるのを望んでいる」という趣旨であった。
 社交街とは赤い灯青い灯のネオン街・歓楽街である。横須賀や横浜のそうした地域も今では過去に比べようも無いほどさびれている。横須賀は市内の人口が減り続け、空き家ばかりで困っているという。
2.元自衛隊幹部の話
 私の友人に防衛大学校を出て外国公館にも武官として勤務した人がいる。
 東日本大震災の時に、自衛隊が米軍とともに救援に大きな力を発揮して、感謝されたことなどの話しをしている中で、松島の航空基地が被害を受けた件などで、彼はこう話してくれた。戦前、軍が基地や司令部を置く場所の選定については、建立後何百年もの間、そうした被害に会っていない神社仏閣がある所では、移転してもらってそこに基地を作ったという。 そして今でもそうだが、基地から徒歩数分で緊急時に対応できるような「宿舎」を十分建設確保できることが大切で、その住居は殆ど無料に近い家賃で提供しているのだが、最近は騒音とか隣りづきあいなどが煩わしいとして、基地から離れた場所に引っ越したいという隊員が居て問題になっている、と。もうそんな貧しくないのだし、車もあるから郊外でも十分だというが、災害とか緊急時には車では対応できないのだ。
3.大連空港の状況
 大連に長くいて、いつも市内からも開発区からも30分でゆけるという好条件の空港に満足していた。だが欠点は、軍民共用の空港で、成田行きの便を待つ間、戦闘機が次々に離着陸の訓練を行い、着陸時は後部のパラシュートのような白い傘を広げて、短距離での着陸訓練するのをみていて、事故が起こったら大変だなとひやひやしていたことだ。
 というのも、空港の周囲は普天間と同じくらいの密度で、5-10階建てのアパートが林立していたからだ。それは主に滑走路の周辺に広がっていたのだが、空港ビルから市内へ向かう大通りの周辺には、空軍の司令部と広大な敷地に軍人用宿舎が何棟も続いていた。その上空に飛行機は飛ばないようになっていた。
 大連市はこの状態を何とか改善しようとして、市内から高速で1時間以上北に新しい空港を作るという計画を何年も前から打ち出しているが、一向に進まない。わけが判らなかった。
しかし、今回の普天間基地の名護市辺野古への移転がこんなに長引いたのと、まったく状況は違うが、その底辺に人間のさがが覗かれるようだ。それはこうではないかと思う。
4.墜落事故の危険と隣り合わせだが、生活の便利さを手放したくない軍
 大連の場合、もし空軍が今の空港から1時間以上も北の新空港に移動すれば、訓練機の時間が民用に供されるし、広大な敷地を持つ軍の司令部と宿舎を撤去してそこに新たな滑走路を作れば、問題は一気に解決しそうなものだと思う。だがそうはいかないようだ。
 軍の言い分は、上記自衛隊の友人の話の中にあるように、緊急時に徒歩でもすぐ駆けつけられるような宿舎とその近くに軍人と軍属の家族が生活してゆけるだけの環境がなければならない。それには「社交街」がすぐ近くにあることも含まれるだろう。それは市内から2-30分でないと、高速で1時間も離れては不便極まりないという。
5.普天間基地を別の島や長崎・鹿児島などの過疎の半島の先端に移せぬ理由
 東アジアの国際情勢の危さに対処するには、沖縄地区が一番ふさわしいというのは、これまでも誰もが認めるところだ。ところが、これをどこか人口過疎な島とか長崎鹿児島の半島の先端に移すということが現実的かどうか?という点からすると、上記の大連の例でみれば、そこに居住する何千人もの軍人とその軍属関係及び家族が便利に生活できる条件がなければ難しいということになる。基地ができれば、自然にそういう施設ができて、また多くの人がそこに集って来て、以前の様なにぎわいのある町が形成されるという説もあろうが、上述のように、現代の若い軍人は、何の娯楽もない基地のすぐ近くの軍の宿舎で、
たとえ無料でも住み続けるのは嫌だと感じるだろう。買い物や子供の学校、独身軍人向けの歓楽街もセットとしてなければ、だれも駐留したくないということになろう。

 以上だが、余談ながら、60年代のベトナム帰還兵の話を下記する。
 私の大学時代の話だが、邦楽部で尺八を吹いていた。京都のお寺で琴の人達と夏合宿で、秋の発表会に向けて練習をしていたら、背の高い20数歳のアメリカ人が稽古場にやって来て、琴と尺八を聞かせてくれという。部員の誰かがどこかで知り合って、案内したものだ。彼は気にいってくれ、それで私がプロの演奏をラジカセに録音して、彼に送る役となった。練習が終わって、夕食をするので、何名か付き合うことになった。夕食後彼が京都のそういう方面の場所を教えてくれないかと、訊ねてきた。当時20歳前だった私は、耳学問では聞いていたが、知らない、と答えた。彼は残念がった。その後、彼の言葉に「Air conditioned」という単語が含まれていて、最初意味が判らなかった。クーラーのことだと推測したが、当時の日本ではエアコンという言葉は普及しておらず、クーラーというのが一般的だったと思う。彼はクーラーのついた部屋でということのようだったが、当時日本でクーラーはまだ高嶺の花であった。自動車にも装備されていないし、普通の家にはクーラーはなかった。だが暑いベトナムの戦場から帰還してアメリカに戻る彼は日本の夏の暑さがこたえていたようで、エアコンがあるところを第一に探していた。
 酷熱の地獄のような戦場から、半年数カ月ぶりに娑婆にもどってきた兵士の休息には、夏の京都は同じくらいこたえただろう。2020年のオリンピックは前回同様10月に開かないと、8月では世界第一級のアスリートたちには過酷な暑さとなるだろう。
       2014/01/17記 

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