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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「ユダヤ人とは」

「ユダヤ人とは」
 Kさんから送ってもらった英字紙エコノミスト記事への雑感

世界のユダヤ人は1300万人前後。彼らが今後通婚で融け合う方向に行くのか、イスラエルに帰還して、純潔を保持し続けて、周辺諸国との軋轢を増すのか?JIBsを支援するアメリカはJIBsと緊張関係とかうまくいっていない、中国・中東諸国・大陸欧州とも微妙な立場に自らを追い込んでいる。味方の敵は敵というのは困ったものである。

1.
 日本などでは父親が日本人なら日本人とみなす考えが強いのに対し、ユダヤでは母親がユダヤ人の子をユダヤ人とみなすというのは、最近DNA検査で世間を騒がせているタレントの父子の関係と類似した問題である。聖母マリアの子は父が誰であろうとユダヤ人だと言う訳だ。多くの民族が入り混じっていたパレスチナではそれが種の永続性を保つ一番確かな方法だったであろう。そのユダヤ人の母から生まれた人(神)がキリスト教を広めたのだから、そして英国首相のデズレーリらがキリスト教に改宗できたのだから、イスラエル以外に住む人達は、徐々に通婚によって混在してゆくと思われるが、どうだろうか
 6-7世紀に戦乱によって沢山の高句麗人や百済人が半島から渡来してきたが、一旦数か所の集落に集められた後、各地の邦人と通婚し徐々に日本化してきた。だが、この百年程の日韓併合後に渡来してきた韓国朝鮮人は、大都会の一角に集って生活し、あまり通婚せず、却ってゲットー化してきた。これは6世紀前後の人達がすぐれた文明・教養を持っていたために尊敬され、通婚が進んだことと比べて、植民地から労働者として移住させられたことなどと何らかの関係があるかもしれない。
 ディアスポラ以降のユダヤ人は記事にもあるように英仏などでは融け込んでいるのに対し、ホロコーストとソ連崩壊後の移住は、百年前の韓国朝鮮人のように、或いは、第二次大戦後の朝鮮戦争での戦乱を逃れてアメリカに渡った韓国人のように、都会の一角に集って暮らしてきて、いまだにアルファベットよりハングルが強い力を保持しているということに象徴されているのと似た点があると思われる。流暢な英語を話すのに、ハングルを捨てることはしないし、他の種族のようにアメリカ的な姓を名乗るのを潔しとしない。
2.
 ユダヤ人のみならず、多くのアラビア人ペルシャ人ソグド人などが中国に色々な事情で移住してきた。最初は交易の為だとはいうが、夫々の祖国で戦乱が起こり、そこに住めなくなって追われるように中国に移住してきた人達が多い。彼らは、最初同民族で居住区を形成していたが、長い年月を経て通婚が進み、顔立ちは殆ど区別がつかなくなってきている。但し宗教はやはりユダヤ教やゾロアスター、イスラムで、寺院を持ち、食事も異なるが、大抵は漢民族の言語である中国語で生活し、姓も安(ペルシャ・ソグド)馬や蒲(アラブイスラム)など漢字の姓を名乗っている人が多い。当人も私はイスラム教徒だとして、白い帽子を誇りにしている。しかし中国では、ユダヤ人の居住区として開封も有名である。
彼らは皇帝から漢字の姓を与えられ、石とか金とか欧州でのStein, Goldなどと共通点があるのも面白い。ちなみに満州族の愛新覚羅(あいしんぎょろ)は金という漢字姓を使っている。金さんは日本に来て、近藤さんや、今野さんとか今さんと名乗っている。朝鮮族との混同を避けるためだという。
 日韓併合で日本姓に強制的に変えさせたのが問題となっているが、1895年から統治してきた台湾では原住民の多くは日本姓にさせた(した)が中華系はそのままの方が多かったのはどういう背景だったろうか。
 日本人は自分の姓を漢字で表記するが、読みはあくまで和語が基本で、名前を漢音で発音する時は、例えば伊藤博文を「はくぶん」とかいうのは多少揶揄の気味があるとか歴史的な読みだと言う説がある。
韓国では今日自分の名前をハングルでは書けるが漢字でどう表記するか分からないという世代が増えているという。日本のような複雑な和訓読みが少なくて、大半が漢字の音からの一つの音だというのに、である。
3.
 話をユダヤ人に戻すと、記事の中でも触れられているが、今時限爆弾を抱えている1200万人のアメリカとイスラエルに居住するユダヤ人は、これからどうするのが一番良いのだろう。
アメリカに住むユダヤ人の多くが、他の民族と通婚して宗教的にも言語的にもユダヤの絆というか「しばり」からどんどん離散してゆけば、それが無宗教かキリスト教か何教かは別として、丁度中国に移住したユダヤ人やペルシャ人のようになるのが、一番可能性が高いだろう。
 さてそれでは、イスラエルに居住するユダヤ人はこれからどうすれば良いのであろうか?
 建国以来60年で人口は600万人になった。だがやはりこれといった産業の無い小国である。アメリカとアメリカに居住するユダヤ人の支援がなければ成り立って行かない国である。そのアメリカなどに住むユダヤ人が、ユダヤ人としてのアイデンテティを減衰してゆく過程で、どうなってゆくのだろうか?アメリカに住むユダヤ人の大半がユダヤに対する忠誠というか絆「しばり」を放擲しようとし始めたら、イスラエルは近隣の国と一緒になって通婚してゆくのが望ましいでのはないかと思うがどうだろう。

4.
 参考までに、中国の客家の通婚のことに触れると:
 中国にも中国のユダヤ人といわれる客家という人達が沢山いる。3千万の海外中国人の多くが、客家といわれるし、トウ小平、リーククアンユ―など有名な政治家を輩出している。
私が下宿していたシンガポールの張さん一家も客家で、9人の子供がいて、出版書店を稼業としていた。大陸から女中さんを呼び寄せたり、同族の人達の移住を支援していた。私が勤めるようになって、広東省出身の人から、なぜ客家の人の家に住んでいるのか、と聞かれた。多分学生の紹介してくれた友人がそうだったからだろう。当時200万人程のシンガポール華人の数パーセントに過ぎなかったが、8つの方言で放送されるラジオニュースにも客家語があって、これが北京語に一番近い響きを持っていたから、彼らが北方から戦乱を逃れて、揚子江の南の山間部に居住区を作り、平家の落人のように暮らしていて、明末から清初にかけての大混乱で、逃げるようにして南洋やアフリカまで移住・離散したのだ。
張さんの祖先はセーシェルに住んでいて、当時60歳くらいの張さんはシンガポールに留学にきて住みついたという。戦後、日本人と親しくなり、印刷用の紙を安定的に供給してもらって、教科書の印刷・出版を始めて経済的に成功したと語ってくれた。
 彼らは多くの南方から来た華人から差別されてきて、やはり法律や医学や出版などの方面で頭角を表すほか、生計を建てるすべが無かったのだ。9人の子供も成長してそれぞれ客家の人と結婚した。それは30年前の話で、最近は孫の世代となり多くの人が通婚し始めているとの由。それは高層マンションが林立し、それぞれが「集団で居住していた地区」から跳び出て、自由な交際が始まったことにあるだろう。日本でも西日本の墳墓の周辺に住んでいた人達が、都会に移住して、戸籍も移して自由に通婚し始めたことで、差別が減少してきているという。京都や奈良ではかつて、どこそこ地区の土地は買うなとか、交際するなとか、土地の人からよく言われたし、今でもそのあたりの土地は駅に近くても他より安いのが現実だが。
     2014/01/12記
 

 

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