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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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56 来るぞ!

 近頃「過激主義が来るぞ!」というのをしばしば耳にする。新聞にも「過激主義が来るぞ!」と何回も書いている。それでお金が少しある人は心配そうだ。
役人も忙しくなり、欧洲から帰国した労働者の運動を防止し、ロシア人に注意し、警察庁まで「過激党が機関を設立していないかどうか、厳重に調査すべし」と命令を出した。
 慌てふためいて、厳重調査するのも分からんでもないが、まず最初に何が過激主義かを聞きたい。
 これに就いては何も説明は無いので、知りようがない。私も知らないのだが、敢えて言えば「過激主義」が来ることは無い。それは心配無用だ。ただ「来るぞ」は来るから、心配せねばならぬ。
 我々中国人は、決して輸入された何やら主義に引き回されることは無い。そんなものは抹殺し撲滅する力はある。軍国主義といっても、我々はこれまで他人と戦争してこなかったし、無抵抗主義といっても我々は(欧洲大戦に)参戦したし、自由主義といっても、我々には思想の表現すら犯罪とされ、二言三言話すのさえ困難だ。人道主義などとんでもないことで、我々はまだ人身売買もできるのだ。
 だからいかなる主義であれ、いずれも中国を擾乱できない。古くから今日までの擾乱は、何らかの主義に依ったなどと聞いたことも無い。目下の例を挙げると、陝西学会の布告(軍閥の惨殺)、湖南災民の布告などは何と恐ろしいことか。ベルギーの発表したドイツ軍の苛酷な状況、ロシアの別の党の出したレーニン政府の残虐な状況などを比べると、彼らはまったく天下太平で、ドイツはやはり軍国主義を説くし、レーニンは過激主義を説いているのに、である。
 これが即ち「来るぞ!」が来たのだ。来たのがもし主義なら、主義が達成されたら、それで了とされる。もし単に「来るぞ」だと、それは来ても尽きることは無いし、来てからどうなるかも分からない。
 民国ができたころ、私は小さな県城(県庁所在地)にいて早々と白旗を掲げた。ある日忽然おおぜいの男女が紛々と乱入、乱逃した。城内からは田舎へ、
田舎から城内に、と。何事かと訊くと口々に答えて曰く:「やつらが来るぞ、と
言った」と。                                                 
 これで分かるのは、みんな単に「来るぞ!」をこわがっており、私と同じだ。
あの時はまだ単なる「多数主義」があったきりで、「過激主義」は無かった。
     2010/09/27
訳者雑感:
 「阿Q正伝」のなかで、阿Qも革命党に入党したくて、いろいろ試みるのだが、夢をみているだけで、革命党からの誘いは何の音沙汰も無い。阿Qの入党したいという動機からして、金持ちの家に押し入って、金銀財宝、女性をかっさらってくることにあったのだから、空いた口が塞がらない。
 しかし、民国革命前後の革命党というか、作品中にもあるように自由党とか何とか党など、沢山の党ができたわけだが、それらは何か具体的な主義主張を
明確に打ち出すことより、まずなにはさておき、それまでの政府の倉庫にあった「財貨」や金持ちの家の「家財一切」をかすめ取ることを専らとする手合いが多かった。これが、ここでいう「来るぞ!」ということが皆から恐れられた理由背景である。
 魯迅の指摘する「輸入された主義」なぞ何の恐くも無い。そんなものは自分で抹殺撲滅する力はある、というのは、今日「輸入された社会主義」はソ連崩壊の前に、早々と自力で撲滅したかの観がある。
 
 

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54 二重構造

中国の社会構造は、数十世紀を一瞬に圧縮したような状態で、松明から電灯、
一輪車から飛行機、投げ槍から機関銃、「法理論の妄談」禁止から法律擁護、
「食肉寝皮」(人肉を食いその皮の上で寝る)という人食い発想から人道主義、
屍を迎え、蛇を拝むことから美術教育で宗教を代替することまで、全てがいっしょくたになって、ひしめき合っている。
 こうしたもろもろの事物がごっちゃに一か所にひしめいているのは、あたかも吾輩が火を使い始める前の古人と共同で、レストランを始めたような状況で、
どんなにうまく協調しようと努力しても、料理は半熟のままで、ボーイたちも
気持ちはてんでんばらばらで、商売的にも成りたたず、倒産してしまう事は目に見えている。
 黄郛氏は「欧洲大戦の教訓と中国の将来」と題した文章の中で、この点に関して、大変明確な分析を行っている。
 「7年来朝野の有識者は政教の改良に腐心するに当たって、習俗の転移に注意を払って来なかった。古い悪習を取り除こうとせずに、新しい機運は生まれてこないことを認識してこなかった。物事はこのように無理やりやっても、何もうまく運ばない。外国人の我々を評すに、中国人は一種先天的保守性があり、時勢に迫られ、各種の制度改革が必要な時、かの所謂改革者は、決して旧制度を完全には廃せずに、旧制度の上に新制度を加える形をとる。前清の兵制の変遷史をみれば、我が言の無謬なのを知られる。最初は八旗に命じて各地に駐屯防御の兵として補充守備に当たらせたが、年月を経て、旗兵が腐敗して使い物にならなくなり、洪秀全(太平天国)が起こり、やむなく湘淮の両軍を募り、応急措置とし、それから旗兵と緑営(後の軍閥)が併存という二重構造ができた。日清戦争後、緑営の兵力も当てにはならぬので、新式軍隊を作り前二者と併せ三重兵制となった。今では旗兵は消滅したが、すがた形を変えた緑営は依然として存在し、やはり二重兵制だ。これから我が国人は徹底した改革を実行する能力が無いことは覆い隠せぬ事実だ。新暦で新年を祝いながら、旧暦でもまた祝う。民国の正朔を奉じながら、宣統の年号も存し、社会の各方面の、あらゆる所で二重制でないものは無い。今日の政局がかくも不安定で、ものごとの正邪の定めの無い所以は、一言でいえば、実に一種の「二重構造」が祟っているに過ぎないのだ」と。
 この他にも、信仰の自由を認めながら、孔子を特別に尊敬し、自ら「前朝の遺老」としながら、民国(政府)から俸給を取る。革新せねばと言いながら、却って復古を主張する。周囲を見渡すと、全く二三重から多重の事物ばかりで、
それぞれが相重なり、矛盾している。全ての人がこの矛盾の中で互いに怨みを抱きながら生きている。誰にとっても良いことは無い。
 進歩しようとするなら、安寧な世を作ろうとするなら、この二重構造を根元から抜き取らなければならない。世界は小さくないとはいえ、彷徨ばかりしている人種には、自分の立位置すら無くなってしまうのだから。
      2010/09/27
訳者雑感:
 二重構造というのは、金、元、清などの征服王朝が漢族を支配するために採ってきた歴史的なものがあると思う。数十万人という圧倒的少数の異民族が、広大な土地に広がる漢族を抑えるために不可欠なものであったに違いない。
 そのダブルスタンダードも、征服王朝の実力が圧倒的な時は機能したが、衰退するとともに、魯迅の引用する通り「正邪の定め無きもの」として祟ってしまうのである。この構造を根元から引っ繰り返したのは1949年の革命政府樹立であったが、つい最近まで「松明から電灯、一輪車から飛行機」の混在は続いたし、法律論を妄りに談ずることの禁止は、いまだにそのままであるようでもあり、法律擁護などは掛け声にすぎない、理不尽な人治国家の構造は不変である。
 日本は京都の天皇と鎌倉江戸の将軍の二重構造が、国土の狭さとか少数民族の支配とかという複雑な問題に直面することから免れたため、比較的成功裏に
運営されてきたとも言える。明治維新から第二次大戦終了まで、大仏次郎の言う「天皇の世紀」は将軍統治という二重構造を暫しの間はずしてみて、天皇親政という形を取ったのだが、軍部の暴走によって、それを止める力をなくし、
亡国寸前に至った。そして米国に押し付けられる形で、象徴天皇と責任内閣制の二重構造に戻ったという形かな。
 二重構造の方が地震国日本では、耐震性にすぐれているのかも知れない。

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  随感録 49 (種族の発展)


 高等動物は意外な事故に遭わなければ、大抵は幼から壮、壮から老、老から死に至る。我々は幼から壮へ、なんら奇もなく過し、そしてこれからも当然のように何の奇もなく過すことだろう。
 残念なことだが、ある種の人々は、幼から壮へは何の奇もなく過すが、壮から老へとなると些か古怪となり、老から死に至るや、奇想天外で、青年の進路を占領し、青年の空気を吸いつくす。
 青年はそれで委縮してしまい、自分が老年になるまで耐えて待ち、神経血管がすべて変質してしまってから、再び活動しようとする。だから社会の状態は
「青年の老成」が先となり、腰と背が曲がってから、やっと世俗から離れて、軽やかに飛び立つ、という具合で、この時以降はじめて人としての道を歩み出す。
 しかし自分としては老いを忘れることができず、神仙になろうとする。他人は老いてもかまわない。ただ、自分は老いるのを受け入れたくない人間になり、
自分は中国の老人のなかの第一人者として推してゆく。
 もし本当に神仙になったのなら、永遠にこの世を仕切ってもらえば良いし、もはや後進は要らないから、それは極めてすばらしいに違いない。だが、やはりそうは問屋が卸さない。しまいには死んでしまって、元のままの天地が残り、
青年たちに苦労をかけるのだ。
 これは本当に生物界の怪現象である!
 種族の発展は生命の連続で、生物界の事業の大部分は確かにこれである。どのように発展するか。言うまでも無いことだが、進化することである。進化の途中ではすべからく新陳代謝が必要。それゆえ、新しい生命は喜びにあふれて前進し、これが壮である。旧い生命も喜んで進む。これが死。それぞれがかく歩み続けるのが進化の道。
 老が道を譲り、催促し奨励して壮たちを進ませる。道には深い淵もあり、その死でもってその淵を平らにし、彼らに歩ませる。
 青年は彼らが淵を埋めて自分たちの為に道を開いてくれたことに感謝し、老人も彼らが自分の埋めた淵を通って、遥か遠くへ進むのを喜ぶ。これが分かれば、幼から壮、老、死へとみなが喜んで過し、一歩一歩進み、多くは先祖を超える。これが生物界のまっとうな道だ!人類の祖先はみなこうしてきた。
       2010/09/25

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随感録 48 (禽獣か聖上)

 中国人はこれまで異民族を二つの呼称で呼んできた。一つは禽獣。もう一つは聖上(天子の尊称、清朝は異民族)。友人とか自分たちと同じように呼んだことはなかった。
古書にある「弱水」(伝説の中国の周囲は弱水という羽毛すらも浮かべない水に囲まれ、外国人の侵入を防ぐという:出版社注)は我々を欺いた。
 聞いたことも無い外国人がやって来て、何回か衝突して、ようやく「子曰く、
詩に云う」は役に立たないことを知り、維新を行った。
 維新後、中国は富強になった。学んだ新しい事物で、今度は外来の新しい物を追い出し、門を閉じて再び守旧に戻った。
 惜しいかな、維新は皮相だけで、門を閉じるのも一場の夢に過ぎなかった。
外国の新事物は時を経るごとにますます増え、優勢になり、「子曰く、詩に云う」も、ますます厳しい立場に追い込まれ、役に立たなくなった。それで上述の古い二つの呼称に新たに「西哲」とか「西儒」を編みだした。彼らの称号は新しくなったが、我々の考え方は旧のままであった。「西哲」の本領は学ばねばならぬが、「子曰く、詩に云う」も盛りたててゆかねばならない。言いかえると、外国の本領は学びつつ、中国の旧習は保持する。本領は新しいが、思想は旧い。
新本領と旧思想を持った新人物は、旧本領と旧思想のままの旧人物を背に乗せて、多年にわたる彼の積み重ねてきた古い本領を発揮してもらうということで、
ひと言でいえば、数年前に説かれた「中学為体、西学為用」は、ここ数年で、
「時宜にかなったものを適切に折衷する」と言われるようになった。
 しかし世の中、そんな都合のよい話はない。一頭の牛は、生贄にされたら、
孔子廟に祀られたら、農耕用には使えないし、肉を食べてしまえば、乳は絞れない。況や、一人の人間が、まず自分が生きなければならないのに、先輩を背に乗せて、生きてゆくと、先輩たちの折衷案の方法も恭しく拝聴し、朝には中国式の旧儀礼であいさつし、夜には(西洋式)握手で、午前中は「声光化電」
(新しい事物?)で午後は「子曰く、詩に云う」などと使いこなせようか?
 今の社会で、鬼神を信じる迷信深い人は、迎神祭の時、その日だけは神輿を担ぐことはできるだろう。しかし「声光化電」を学んで「新進気鋭な英賢」と
なった人間が、山野に隠れ、海浜にさすらう遺老となった人たちを背負って、
一生折衷してゆけるだろうか。
「西哲」イプセンは蓋し、不可能とみなすことは不可とした。それでBrandの口を借りて、「All or Nothing」と言わせた。
          2010/09/24
 

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随感録 47 (象牙細工)

ある人が半寸四方の象牙を見せて呉れた。なんの変哲もないのだが、顕微鏡で見ると行書の「蘭亭序」が彫られている。それで思ったのだが、顕微鏡は本来、ごく微細な自然のものを見るために作られたのだが、今では人工のものに使っている。どうして半尺四方の象牙に彫らないのだろう。一目瞭然、顕微鏡など使わずに済む。
 張三と李四(普通の中国人を指す)は我々の同時代人だ。張三は古典をよく知っていて、古文を書く。李四も同じく古典に明るく、張三の書いた古文を読む。それで思うのだが、古典は古人の時代のことがらを記したもので、その頃の事を知ろうとすれば古典をひもとかねばならない。だが、二人は同時代人なのだから、あるがままに説けば、一目瞭然で、君も古典を覚えるのを省けるし、私も古典を記憶する手間が省けるではないか?
 その方面の専門家は言う。たわけたことを言うでない!これこそが本領であり、学問なのだ!と。
 私は、中国人の中には、この本領を会得した人はそれほど多くないと思う。
もし誰かが、このあやしげな芸当を弄して:農夫が持ってきた一粒の粉を、顕微鏡で、茶碗一杯のご飯にし、水夫が担いできた水で湿らせた土から、茶を飲みたい時に、その湿った土から水を絞り出さねばならないとしたら、もう、
どうにもならない。          2010/09/23
 
訳者雑感:中国の工芸品店に行くと、かつては象牙や玉にさまざまな細工を施したものが、あきれるほど沢山並んでいた。根付などの骨董を西洋人が競うようにして買い漁ってゆくのを不思議な気持ちで眺めたことがある。訊けば、欧州から団体で中国各地の根付を見て回って、気に入ったものはその場で買い求めるのだという。
その後日本に帰国して調べたら、その昔は中国からの絹貿易の受領印として造られた「糸印」が根付に変じたということだから、中国にも似たようなものがあって、それを江戸時代に日本人が改良を加えて開花したものだという。日本の骨董品はとても高価で手がでないので、中国の練物で造った根付が、値段も手ごろでこうした一般愛好家に受け入れられているのだろう。
中国は世界の工場と言われるが、こうしたフェイクの根付など、庶民の手の届くものを大量生産している。それを承知で買い求める分にはそれで何も無いわけだが。陶磁器にしろ、七宝焼きにしろ、こうしたフェイクが庶民の間でそれなりに収集されて、玩具的な役目を果たしている。本物の絵は買えないから、写真版やレプリカを飾るようなものか。江戸時代の本歌ものは、どう逆立ちしたって、二度とは造れない古典なのだから。
 魯迅は「口語」で初めて小説を書いた。しかし彼の作品にはおびただしい量の古文が引用されてもいる。「車曳き」のしゃべる言葉ではなく、れっきとした古典の文章に裏打ちされたものである、ということを宣言しないと、当時の
文芸関係者から、見下げられたものかと推察する。
 この小品の中で、彼は古典を勉強する手間を、新しいことを学ぶ時間に使うことを提唱している。中国人で古典を勉強して会得している人の数はたいして多くないから、もう古典を読むのは止めようと言っている。
 今私が翻訳しているのは百年弱前のことがらで、これすらもう古典に近くなっていて、中国の教科書から魯迅の作品は消えてしまった。その代わりとして、
大量生産された練物の根付のような「武侠小説」の著者の作品などが入った由。
 百年以上前の骨董は、国外持ち出し禁止とかで、庶民の手の届かぬところに
祭り上げられたのだから、練物のフェイクで済ますほか、どうしようもないとでも言うのか。
 
 

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 随感録 46 (Puck)


 民国8年正月、友人の家で上海某紙の日曜増刊の風刺画を見たのが、そもそもの始まりだった。幾つかのコマに画かれていて、大意は漢文廃止を主張する人間を罵って、外国の医者に犬の心臓と入れ替えてもらったもので、ローマ字を読む時は、すべて外国の犬が鳴いているのだという。だが、コマの上部に、二つの枠付きの大きな字で「溌克」(Puck、英国の伝説のいたずらする小妖精)とあり、これがこの増刊号の名前らしい。いずれにせよ、中国語のようには見られぬ。それでこの美術家が哀れに思え、彼は (個人的な人身攻撃はさておき)、
外国画を学び、外国語を罵りながら、それを載せる新聞増刊の名前は、やはり外国語である。風刺画は本来、社会の久しく治らない病をチクリと刺すもので、今この針を刺す人の目は、一尺四方の紙に明確なものが見受けられず、どうやって正確な方向を指して社会をリードして行けようか。
 ここのところ、また「溌克」を見たら、新文芸の提唱者を罵っている。大旨は凡そ崇拝するのは全て外国の偶像だ、とけなしている。それでいよいよこの美術家が哀れになった。
彼は画を学び「溌克」を画いているのに、外国の画も文芸の一つということを分かっていない。彼は自分の本業の方は、暫く黒い壺に覆いをしたままで、はっきりとした認識を持たずに、果たしてどのようにして優美な創作をし、社会に貢献できようか。
 だが、「外国の偶像」については彼のおかげで、いろいろ考えることがあった。
 偶像は内外を問わず確かにどこにもいる。ただ、外国には偶像を破壊する人間が多い。
その結果、宗教改革、フランス革命に成功した。古い像を破壊すればする程、
人類は進歩する。それゆえ、今日(中立宣言をしていた)ベルギーの(対独)義戦ということが実現し、
人類に光明を与えた。
 ダーウイン、イプセン、トルストイ、ニーチェ等は近来の偶像破壊の大人物である。
これら一流の偶像破壊者たちには「溌克」はまったく無用である。彼らにはみな確固たる
不抜な自信があり、偶像保護者の嘲罵には一切動じない。
 イプセンは言う。
 「私は君たちに告げよう。この世で最も強壮な人間は、孤立している人だ」(「国民の敵」)
 但し、偶像保護者の追従に対しても意に介せず、ニーチェは言う。
 「彼らは称賛の言辞で君らを取り囲んで、ぶんぶん叫ぶ。彼らの称賛はじつに厚かましい。彼らは君の皮膚と君の血に接近せんとする」(「ツアラストラはこう語った第2巻市場の蝿」)
 かくしてこそ創作者だ。吾輩はたとえ才力及ばず創作できぬとしても、学ぶべきである。
たとえ崇拝するものが新しい偶像だとしても、中国の陳腐で古びたものよりずっと良い。
 孔丘(孔子の名)や関羽を崇拝するより、ダーウイン、イプセンを崇拝した方がずっとましだ。
瘟将軍五道神(疫病災害をもたらす神)の犠牲になるのは、Apolloの犠牲になるには如かず。
                 2010/09/21訳
 

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随感録 43 (秋の取り入れ)


 進歩的美術家、これが私の中国美術界への要望である。美術家は当然ながら、精熟した技巧を身に付けなければならないが、その上に進歩的な思想と高尚な人格をもたねばならない。彼の作品は、表面上は一枚の絵、一個の彫像だが、その実、彼の思想と人格の表れである。我々が喜んで観賞するだけでなく、感動し、精神的影響を与えることができる。
 我々の要求する美術家は、道を示せる先覚者であって、(御用団体的)「公民団」の首領のようであってはこまる。我々の求める美術作品は中国民族の知能の最高峰の標本を示すもので、水平線以下の平均点的なものではない。
 最近、上海某紙の増刊号「溌克」(Puck英国の伝説中のいたずら好きの小妖精の名)の
数枚の風刺画を見た。画法は西洋の模倣で、私はなんかおかしいと感じた。なぜものの考え方までこんなに頑固で、人格もこんなに卑劣で、まだ学校に上がる前のこどもが、白壁に「あいつはおいらのせがれ(相手を見下すことば)」としか描けないのと同レベルだ。
 外国の物は中国に来ると、みな黒い染料壺に入れられ、元の色を消されてしまうようだ。
美術もその一つで、骨格を学んでも、均整のとれていない裸体画は猥褻画になり、明暗をはっきりできない静物画は、看板にしかならない。毛と皮は新調しても、心は旧のままだと、結果はこうなる。風刺画が人身攻撃の道具となるに至っては、もう怪しむまでもない。
 風刺画と言えば、米国の画家L.D.Bradly(1853-1917)を思い出さずにはいられない。彼は風刺画を専らとし、欧洲大戦について特に有名で、惜しくも一昨年亡くなった。私は彼の
「秋 収穫(とりいれ)の月」(The harvest moon)を見た。上部には髑髏のような月が
荒れた畑を照らす。畑には一列一列と兵隊の屍が並ぶ。おお、これこそ真に進歩的美術家の風刺画だ。中国にもきっと将来このような風刺画家が現れることを望む。
           2010/09/21訳
訳者雑感:中国語は罵っているように響くとは、いろんな人が言っている。これは単に口からだけでなく、落書きにもあるようだ。学校に上がる前のこどもすら、字を書き間違えながらも罵るのを覚える。白壁に描いた字の「せがれ」は「而子」と間違えている。
簡略字の無かった魯迅の時代の「児子Erzi」という漢字は就学前の子には難しくて、同じ発音の而子で代用しているのか、間違って覚えているのかもしれない。日本でも「誰誰
ちゃんのバカとか、口で面と向かって言えないときに、落書きするのを見かける。
 中国の壁にある落書き的警告で、直訳すると「ラバはここで小便する」とあり、中国の友人に
訊いたら、ラバは子のできない動物だろう。それが中国人にとっての最大の罵りさ、と。
英米の風刺と、中国の風刺は出発点からいささか異なるようだ。発想の違いだろうか。
 

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 随感録 42 (土人)


 友人の話では、杭州の英国教会の医者が、医書の序に中国人を土人と呼んでいるそうだ。これを聞いたとき、私はとても気分を害したが、つらつら考えてみるに、今は忍受するほかないと思い始めた。土人という言葉は、本来その地に生まれた人を指し、なんら悪意はなかった。後になってその意味が多くは、野蛮民族を指すことになり、新たな意味を持ち出して野蛮人の代名詞になった。
 彼らがこれで中国人を指すのは侮辱の意味を免れない。だが私は今、この名を受け入れざる以外に方法は無い。この是非は事実に基づくことで、口頭での争いで決着しない。中国社会に食人、略奪、惨殺、人身売買、生殖器崇拝、心霊学、一夫多妻など凡そ所謂国粋なるものは、一つとして蛮人文化に合致せぬものは無い。辮髪をたらし、アヘンを吸うのは、まさしく土人の奇怪な編髪と、
インド麻(麻酔にも使用される)を食うのと同じだ。纏足に至っては、土人の装飾法の中でも第一等の新発明だ。彼らは肉体に種々の装飾を施し、耳朶に穴を開け、栓を嵌める。下唇に大きな孔をあけ、獣骨を差し、鳥のくちばしのようだ。顔には蘭の花を彫り、背に燕の刺青。女の胸にはたくさんの丸くて長いこぶをつける。しかし彼(女)らは歩けるし、仕事もできる。彼らは今一歩の寸前で、纏足ということにまでは、思い到らなかった。……世の中にこんなに
肉体を痛めつける女性を知らないし、こんな残酷なことを美とする男はいない。
まことに奇事、怪事也。
 自大と好古も土人の一特性である。英国人George Grey(1812-1898)はニュージーランド総督の頃、「多島海神話(ポリネシア)」を書き、序に著書の目的を記し、まったくの学術目的ではなく、大半は政治的手段だが、彼はNZの土人には、理を説くことは不可能だと書いている。彼らの神話の歴史の中から類似の事例を示して、酋長祭司たちに聞かせれば、うまくゆくという。
 例えば鉄道を敷く時、これがどれほど有益か口をすっぱく説明しても、決して聞く耳を持たない。もし神話に基づいて、某大仙人がかつて一輪車を推して虹の上を歩いた。いま彼にならって一本の道を造るといえば、ダメだとは言わなくなる。(原文は忘れたが、大意は以上の通り)
 中国の十三経二十五史は、まさに酋長祭司らが一心に崇奉する治国平天下の
譜で、向後、土人と交渉する「西哲」が、もしも一篇手作りすれば、我々の
「東学西漸(東方の学が、西方に漸進する)」の手助けになり、土人を喜ばせることになろう。
 しかし、その訳の序には何と書くべきかは、知らない。
        2010/09/20
訳者の読後感:英国人の土人という指摘を捕えて、纏足に象徴される中国の所謂国粋がいかに出鱈目か、を痛烈に指摘し一刻も早い纏足禁止を訴えている。
 

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随感録 41 (類猿人)

 匿名の手紙に「石ころでも数えていろ」(江蘇方言)という句があった。
才能が無いのなら、改革提唱あきらめて、石ころでも数えておるほうがましだ、と勧告するもの。
 それで本誌の通信欄に四川方言の「石炭を洗う」というのが載っていたのを思い出した。他省の方言にも似たのがたくさんあるだろう。このように人を自暴自棄にさせる格言を守る人が少なからずいることを危ぶむ。
 凡そ中国人が話す時、事を為す時、もし伝来の積習に少しでも抵触するなら、一度とんぼ返りをやって見せねばならない。そうすれば上手く行く。
そこでやっと立場を確保でき、更には丁重で熱くもてはやされる。
 そうしないと、異を唱えたという罪名を着せられ、もはや話をするのも許されず、或いは大逆を犯したとして、この世からはじき出される。こうした人は、以前は九族皆殺しにされ、隣家にも累が及んだものだ。だが、今日では、何通かの匿名の手紙(罵られる)だけで済むようになった。しかし意志の弱い人は、それだけで委縮して、知らぬまに「石ころを数える」方に入党してしまう。
 だから今の中国では社会的改革は一向に進まず、学術的にも何も発明されず、芸術的にも何の創作も無い。多くの人が継続して行う研究や、前人の後を受け継ぐ探検に至っては言うまでも無い。国人の事業は大抵、当世風にうまく経営するのに専念し、それ以外は全て冷笑に付している。
 が、冷笑する人は、改革に反対するが保守の能力は無い。即ち文字の面で言うと、口語はもとより歯牙にもかけないが、古文を書くこともできない。彼の学説に依れば、本来的には「石ころを数える」組に行くべきである。だが彼はそうしないで、たがおかしなことに冷笑するのみ。
 中国の人はたいていこんな風にして成功し、又こんな風に委縮腐敗し、老いて死んできた。
 私は人と猿は同類という学説に、大筋では何の疑義もない。が、太古の猿が何の努力もしないで人に変じ、今に至るも子孫を残し、猿回しを人に見せているのか理解できない。そのとき、一匹でも立ちあがって、人間の言葉を学ぼうとしなかったのか?それとも何匹かは学ぼうとしたが、猿の社会から新しい異見を出したとして攻撃され咬み殺されたのか。それでついに進化しなかったのだろうか?
 ニーチェのような超人は、余りにも渺茫としてつかみどころが無いが、世界に現有の人種だという事実からすると、将来はきっと更に高尚で円満な人類の出現を確信できる。その時には、類人猿の上に、「類猿人」という名が添えられるのではなかろうかと心配になる。
 だから我々がいつも畏れるのは、中国の青年がこの寒気のする状態から抜け出し、ひたすら向上にまい進し、自暴自棄者の話に耳を貸さぬことを願う。
仕事ができる人はそれをし、声を出せる人は声を出す。一分の熱で一分の光を発し、蛍の光と同様、真っ暗な中でも、わずかな光を出せば良い。松明を待つ必要はない。
 その後、もし松明が来ない時は、自分が只一つの光である。もし松明が来たり、太陽が出れば、我々は喜んでこれに心服し消え去ろう。何の不平も無い。そして更にはこの松明と太陽を賛美する。なぜならそれは私を含む人類を照らしてくれるから。
 私は中国の青年が、ただ上を向いて歩み、この冷笑する闇の矢に取りあわぬ
ことを願う。                                                          
 ニーチェは言う。「人間はまさに一筋の濁流だ。海はこの濁流を容れ、浄化す
ることができる」
 「おお、私は君たち超人に言う。これが正しく海だ。こここそが、君たちの
大きな侮蔑を容れられる」(「ツアラストラはこう語った」序言第3節)
 
 たとえ浅い池水に過ぎぬとも、大海に学ぶことはできる。
周りはみな水だから、相通ずる。
何粒かの石ころを暗がりから投げつけられても、何滴かの汚水を背後から
はねかけられても、気にするな!
 これは大きな侮蔑にもならない――大きな侮蔑は胆力がいるものだから。
        2010/09/20
 
訳者雑感:
魯迅の畏れている進化、改革を拒む中国人は、「類猿人」になりさがってしまう
ということが、読後に強く印象に残った。
 
 

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随感録 40 (愛情)


 終日家にいて、窓外の四角い黄色の空が見えるだけで、何の感慨も起きない。
手紙も数通来るが、「永らく御無沙汰…尊顔を拝したく存じ」の類。来客も数名あるが「今日は良い天気で」など祖伝の決まり文句のみ。手紙の文章も、話も口先だけで心はこもっておらず、見聞きすることも、なんら感じる処もない。
 その中で、知らない青年からの詩が私の興を呼び起こした。
 
    「愛情」
 私は哀れな中国人。愛情! 私はそれがなにかを知らない。
 私には父母がいる。私を教育し私にとても良くしてくれる。私も二人にとてもよくする。私には兄弟姉妹がいて、幼いころともによく遊び、大きくなってからも互いに切磋し、私にとてもよくしてくれ、私も彼らによくした。だが誰も愛してくれなかった。私も誰も愛したことは無かった。
 私は19歳。父母は私に妻を娶った。それから数年経ち、我々二人は仲睦まじくしている。しかしこの婚姻はすべてひとの勧めで、人が結びつけたもの。彼らのある日の戯言が、我々の百年の盟約となった。二匹の家畜が主人の命令を聞くように。「さあお前たち、仲好く一緒に暮せ!」と。
 愛情、ああ可哀そうに、私はそれが何か知らない!
 
 詩の良し悪し、意味の深浅はしばらくおき、私は、これは血の蒸気、醒め来たった人の心の声だと思う。
 愛情とは何か?私も知らない。中国の一対のまたは一群の男女がともに暮らす中で、誰か知っているだろうか? 私は知らない。
 しかし従前は苦悶の叫びを聞くことも無かった。
たとえ苦悶しても、叫び出すと、間違っていると非難され、老いも若きも一斉に首を振り、こぞって痛罵した。
 しかるに愛情の無い結婚の悪しき連鎖は、連綿としてとだえることなく続いた。形式的な夫婦は全くあい関せずで、若いものは別に情婦を持つなり、娼館に行くなどし、老いては妾を買う。良心は麻痺し、夫々に妙法を編みだした。
だから今でも問題にすらならない。だが「嫉妬」の字を生みだしたのは、彼らの苦心して生きてきた痕跡である。
 しかし東の空は白み、人類が各民族に求めるのは「人」だという方向に向かっている。それは当然「人の子」でもあるが、我々が今、持っているのは単なる「人の子」であり、また息子の嫁であり、娘の夫であって、人類の前に差し出すことができないしろものである。
 だが、悪魔の手からも光の漏れるところがあり、光明をすべて遮ることは、
不可能である。人の子は目覚めた。彼は人類には愛情があるべきと悟り、従前通りの若者、老いた者が犯した罪を知り、苦悶を感じ、叫び声をあげ始めた。
 女性の方は本来なんら罪も無いのに、今も古い習慣の犠牲になっている。我々はすでに人類の道徳を自覚し、良心に従い、青年老人の罪を犯すのを肯んじないし、また異性を責めることもできない。自分一代を犠牲にして、4千年の古帳簿を閉じるのだ。
 一代を犠牲にするのは、とても恐ろしい。だが血はきれいになり、音声も醒めて真実の声となる。我々は大きく叫ぶことができる。ウグイスがウグイスらしく鳴くように、フクロウはフクロウらしく鳴くようにしようではないか。
 我々は娼館から出てきたその足で、「中国は道徳第一」などと偉そうなことを平気でいう連中から学ぶ必要は金輪際ない。
 我々は愛の無い悲哀を叫び、愛すべきものの無い悲哀を叫ぶ。… 
古い帳簿が消えてなくなるまで叫ぶのだ。
古い帳簿はいつ消えるのか?
 私は言う。
「我々のこどもを完全に解放したときに」と。
                       2010/09/19
 訳者雑感;
 北京の有名な夜遊びの場「天上人間」が大掛かりな手入れを受けたというニュースが在留邦人の間で取りざたされた。日本語的な音感では天上にいる人間と誤解しやすいが、これは人間という漢字の持つ意味が、異なるせいだ。ここでは天上世界、即ち天国というニュアンスで、男性天国とでも呼ぶべきか。
重慶とか内陸の交通の要衝でも、大掛かりな手入れで、多くの「娼館」が閉鎖されたと報じているが、数か月後には、名を換え、手を換えて蘇生する。
 さすがに蓄妾とか、大きな屋敷に何名もの妾を囲って上述の一群の男女(と言っても1対複数が多いが、複数の方にも愛人がいたりしたが)がともに暮らすということは表面上無くなったが、場所を分散して存続している。
 魯迅の最後の言葉は、まだ実現していない。
 

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