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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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生麦へ

生麦へ
 4月6日朝、O先輩から電話があり、午後2時半に生麦の例の生麦事件参考館の予約が取れたので、出てこないかとの誘いを受け、さっそく出かけることにした。
1.大倉山―鶴見間のバス停は寺社前が多い
 京浜急行の生麦駅で待ち合わせとなった。久しぶりの快晴で、桜はもう殆ど散ってしまっていたが、2年ほど前に鶴見川を河口まで歩いた時の事を思い出しながら、途中でメモを取らなかった「水神宮」の前の漁業組合の廃業にならざるを得なかった経緯を、再確認のために尋ねることとした。
 今回は大倉山から鶴見駅西口行きの41系統の市バスに乗ることにした。数年前も尾根伝いのバス通りをくねくね回るこの路線のバス停に寺社の名前が多いのが気になっていて、今回それをメモしたら次のようになった。
 大倉山駅の少し西側に①太尾神社前②観音前があり綱島街道に出て③蓮勝寺④法隆寺前⑤建功寺⑥宝蔵寺前⑦安養寺前⑧東福寺前⑨総持寺前、と何とこの30分前後の区間に9つの寺社の前にバス停がある。その名も京都奈良の名刹の名を冠していたりする。総持寺は明治以降に石川の寺を移設したのだそうだが、それ以外は江戸時代以前、鎌倉時代以前のものとの縁起が残る。
 この辺りは別に広い平野が開けているわけでもなく、鶴見川沿いの丘陵地帯で、勿論農民が多かったには違いないが、鶴見川の舟運と旧鎌倉街道、旧東海道との交差するところで、生麦の魚は勿論だが、武蔵平野の農産物と海岸の港から陸揚げされた関西方面からを主とする日本各地の物資が交易され、ここに商工業者が多く集まり、彼らの財力がこのような多くの寺社を建てさせたものと思われる。バス停からも山側に建てられた財力を示す大きな墓も見える。
 20代のころ大船から新橋まで国鉄で通勤していた。その時何気なく不思議だなと感じたのは横浜から川崎の間の国鉄と京浜急行の線路に挟まれた狭い土地にお墓がいくつかあることだった。どこかへ引っ越すということは考えられないことだったのだろう。これと似た光景は京都駅のすぐ東の東海道線と奈良線の間の線路の狭い土地にお寺と墓が今もあることだ。寺にとっても檀家が墓をどこか郊外に移転してしまったら、縁が切れてしまうので、死活問題なのであろう。
 ここ3―40年位の間に、このバス通りにも多くのマンション・戸建が立ち、人口も増え通勤通学の利用者が主体となったが、以前この通りはこうしたお寺にお参りする人の便をはかったものかもしれない。
2.水神宮と神楽殿
 鶴見駅前で昼を食べ、さっそく旧東海道を西に歩いた。鶴見線の古いガードを抜け、鶴見川と平行する道をてくてく行くと、魚河岸の卸店がちらほらと見える。以前は繁盛していたが、時代の流れで少しずつ減っているようだ。
 しばらく歩くと左側に鶴見川の堤防が見えるほどになる。さっそく左折して、鶴見川の堤防を歩く。昔の魚河岸の船着き場は今もいくつか残っていて、釣り船も繋留されている。その河口側には人工の干潟を造ろうとして、柵が伸び出て白い貝殻が川辺に蒔かれている。貝殻浜と呼ばれていたのを復活させるのだ。
 そこを眺めながら、淀川の大型の「わんど」という人工干潟を思い出していた。海水と真水の交わるところにこうした所を作って、植物が増え、昆虫やそれを餌にする魚類が増えるようにとの現代人の願望だ。コンクリートの護岸ばかり造ってきた20世紀の人間としての我々は反省せねばならない。夏にはトンボやチョウチョウが飛びかい、子供たちがタモでそれを追うという光景を再現したい。
 さてやっとお目当ての「水神宮」に着いた。前回尋ねてこの漁協が昭和24年には268名の組合員がいて、活発な活動をしていたことが記されていた。その後、江戸前の魚の名産地ともいうべきこの辺りも、扇島・大黒町が京浜工業地帯の建設のために埋め立てられ、さらには根岸以南も埋め立てられ、羽田空港埋め立て、本牧埠頭、金沢区までも埋め立てられ、留めは日本鋼管の扇島に新工場が建設されることになり、昭和48年に廃業することになり、357名の組合員が補償金をもらって、云々とある。その無念さの証がこの大きな石碑だ。
 鳥居の向こうの川側に建物があり、その姿が少し変わっていたので銘版を見ると、「神楽殿」とあり、この規模のささやかな神社には珍しいと感じた。神社自体はさほど大きくないが、それを支えてきた漁業組合員たちの水難を避けるための切なる願いが、こうした神楽殿を建てさせ、そこで神楽を奉納して、水の神様のごきげんを伺い、ご加護を祈ったものだろう。
 魯迅の小説の「奉納劇」(「宮芝居」という名の方が通用しているが)というのを思い出した。紹興の海岸近くの川の土手の上に、祠が建てられ、その対面に神楽殿のような舞台がしつらえられていて、お祭りの時にはそこで24時間、漁民や農民たちの持ち寄ったお金で、都会から「劇団」を招いて、越劇という紹興や杭州などで盛んな古典劇を催す。それを彼等は銘々が船を仕立てて、その船から観劇する。これも水難を逃れるための農漁民たちの切なる願いからのものであろうから、こうした「神」さま、「水神宮」への奉納劇というのは、中国の江南地方から九州や関西を経て、武蔵の国まで東上してきたものだろう。


    中国の奉納劇(山西省五台山のお寺で、朝8時に撮影したもの)
 

3.生麦事件参考館
 水神宮を後にして、生麦駅改札に向かった。しばらくしてOさんが出てこられ、駅からすぐ近くの「生麦事件参考館」を尋ねた。館長の浅海武夫さんが、迎えてくださった。さっそく1時間弱のDVDの講演を拝聴拝見した。元は生麦で酒の販売会社の社長をしていた浅海さんは、鹿児島から彼のところに生麦事件のことを調べに来た人との出会いが、彼がこの参考館を建てることになったきっかけだった由。社長を辞して、大学に通って、あの当時の歴史を丹念に学び、千件以上の関連資料を集めて、その中から選りすぐったものが展示してある。
 その展示品を眺めながら、氏が全国各地で何回も行ってきた講演会のDVDを聞くうち、すっかり彼の語りの面白さ、ウイットに富んだ語り口に吸い込まれていった。汗をふきふき熱心に語りかける。今80数歳とは思えないほどの熱気を感じた。鹿児島の女子大の講師を引き受けていて、授業が終わると、薩摩おごじょたちはとても熱心で、ついついおいしい焼酎を飲みすごしてしまうほど、会話が弾むと、顔をほころばせて話してくれた。
 氏がライフワークにした「根源」は生麦事件が日本の近代化の「引き金」となったことを、まず生麦の多くの人に知ってもらい、日本の多くの人に知ってもらおうというところにあったと思う。彼も鹿児島の人に問われるまで、よく知らなかったという。
 生麦以前にも日本各地で攘夷の人たちに多くの外国人が殺されたのだが、いくつかの偶然が重なって、この生麦事件が薩英戦争を呼び起こし、その時の薩摩の砲弾は「砲丸投げの丸いボール」でこれが帆柱に当たれば良いが、という程度であるのに対して、イギリス軍のは所謂アームストロングの長い炸裂弾で、この歴然たる差を薩摩人が悟ったことが、攘夷から開国へと方向転換させた、という辺りの語りはとても分かりやすい比喩であった。
 薩英戦争で英国に惨敗した後、すぐ英国の産業を導入し、非常に友好的になって、留学生も出し、英国の技術者も鹿児島に招いて、薩摩が日本の中でも先駆者となったのは、先の戦争で広島長崎への原爆投下や東京や各地への大空襲で悲惨な目にされたアメリカに対して、薩摩が英国に対したと同じように、友好的になり同盟まで結んだという点は、なにか不思議な縁を感じる。
 殺されたリチャードゾンのことを「ごろつき」と形容されたので、なぜかと尋ねたら、彼は上海で中国人を蹴ったりしていたからだとの由。彼が帰国を前に、ちょっと日本を見てみようと思い立ってやってきたのだが、さて英国に戻る段になって、予定の船が機関の故障で帰れなくなってしょげているのを見た友人が彼の知人が丁度遠乗りに出かけるという話を聞き、一緒に連れて行って欲しいと頼んできた。当時外国人の行動限度があって、その範囲は多摩川までだったので、ちょうど21日は川崎大師の例祭で店が沢山でるのでそれを見に出かけることにしたのだが、運悪く島津の殿様の行列に突っ込んでしまったわけだ。
 クレオパトラの鼻が云々ではないが、上海で稼いだ彼がそのまま帰国していたら、横浜で船が故障しなかったら、川崎大師の21日の弘法さんの例祭がなかったら、などなど歴史に「もし」は禁物だが、この一連の偶然が重ならなかったら、薩摩の攘夷は変わらず、開国はもっと先になったことだろうと思うと、歴史の偶然に驚く他ない。
 展示品はとても見ごたえあり、中でも、リチャードソンの包帯でぐるぐる巻きにされた遺体の写真が2種、オランダの博物館から送ってもらって展示されているのは、浅海さんの情熱の結果で、外人墓地にあるリチャードソンのお墓も数年前に自費で改修されたそうだ。「ごろつき」と形容する一方で、彼が偶然とはいえ攘夷に凝り固まっていた日本を、結果として開国させ、浅海さんたちの生麦、ひいては横浜・日本に繁栄をもたらしてくれたという念からだろう。
    2016/04/24記

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