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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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八尾風の盆







                  八尾風の盆



八尾と城端へ



1.

9月1日朝、新幹線・ほくほく線で直江津から富山に向かった。

目指すは3時から始まる八尾(やつお)風の盆。

富山には黒部・立山をいろんな乗り物で巡る旅とか、城端にも来ている。

しかし9月1日から3日までの八尾の風の盆は、日程的な制約があり、

今まで念願を果たすことができなかった。

今回行くと決めてはみたが、八尾町には旅館は少なく、富山もすべて満室。

泊まる所がなければどうしようもない。

多くの観光客はバスで来て、数時間踊りを見た後、深夜に帰るそうだ。

この前の惨事もあり、深夜のツアーバスは乗りたくない。

いろいろ試した結果、富山から少し離れた高岡駅前のホテルを何とか予約できた。

2時過ぎの電車で富山から八尾に向かい、10分ほどで井田川の十三石橋を渡る。

そこから地図を片手に、11ある支部の踊りを歩きながら見ることにした。

 3時になると、八幡社から胡弓のむせぶような音と三味線にのせた越中おわらの、

これまた喉を絞るような声が聞こえてくる。快晴の炎天だが川風は涼しい。

 紺の法被に笠で顔を隠した男衆の列と、淡い橙色の着物に笠の女衆の間に、

小学生たちが着物に笠無しで、元気な顔を見せて大人の踊りをまねて進む。

 京都の祇園祭では、中高生も鉦や太鼓を鳴らすが、小学生はお稚児さんだけ。

女性はもっぱら裏方で、行列には参加しないが、八尾では町内全員参加で、

就学前の子供から小学生が踊りに参加し、踊らなくなった中年以上の衆が、

三味線胡弓に太鼓を鳴らし、喉に自信のある者が2-3名交代でおわらを唄い、

囃しとかけ合いをする。その間合いが息があって面白い。

それぞれの町内に会館があり、そこで練習し、当日の5時~7時まで夕食をとりながら、

休憩し、7時~深夜まで踊り続ける。なだらかな坂を下りながらの踊りは圧巻である。

 高知から来た2人の80才近い婦人の話しでは、阿波踊りも素晴らしいけど、

八尾のはまたなんとも言えない良さがあり、聞けばなんでも1万円余の交通費で、

明石大橋を渡るツアーバスに揺られて今日、富山に着き、5時間ほど踊りを見て、

深夜のバスで、高知に戻るという。元気なものだ。

ナデシコの応援に往復機中泊で駆けつけるサッカーファンと同じ。

それだけ魅力があるということ。

2.

井田川と山の間の斜面にできた坂の多い町は、昔ながらの町家を保ってきた。

街には農家は少なく、商店が多いが、シャッターは殆ど見かけない。

銀行や信用金庫も町家風で、近在の農家や住民がここまで来るのだろう。

イタリアの古い丘の上の街のような石畳を敷いている通りもある。

この豊かさはどこからくるのだろうか。不思議だ。

 帰宅後、調べてみたら、1500年代に聞名寺がここに移された頃から、

門前町として賑わうようになったとある。

産業としては蚕糸と和紙が有名で、その集散地として栄えたとのことだが、

今、そうした産業は衰退した。だがこの人たちが豊かな暮らしを保っているのは、

昔の蓄積があるにしても、近くの電子企業などで働いているからだろうか。

沿岸地帯の比較的大きな商店街が、郊外のショッピングセンターに客を奪われて、

何とか銀座といわれた街がシャッター通りに変じているのと大きな違いだ。

富山市までは電車で30分の距離があり、合併後もやはり近在の人たちが、

この町を支えているのであろう。

町の支援を得て街の家並みも町家風で、この15年位で建て替えられたという。

土地の人に聞いたら、そりゃ2x4で建てた方がよほど経済的だが、

風の盆のためにこうした街並みを保存しているのだと言う。

 歩いていて気になったのは、通りに面した間口が殆ど2間で、

たまにそれをふたつ合わせた4間の家があるくらいで、昔はこうした家で生活必需品や、

農具などを作りながら、町民の暮らしを支えて来たのだろう。

京都の下京区の一角の本願寺と島原の間のような雰囲気もある。

3.

この小さな町にも昔は「花街」があって、今も鏡町と称している。

そこのおわらの踊りは、芸妓踊りの名残もあり、艶と華やかさがある、という。

それでその会場である「おたや階段下」の広場に出向いた。

 そこには30段ほどの階段一杯に、ちょうど4月の花見の時のように、

名前を書いたビニールシートが両側に敷かれている。予約席だ。

その間の50センチほどの狭い所を下りてゆくと、石畳の広場がある。

今まだ6時になっていないのに大ぜいの人がもう坐り込んで待っている。

 私も暫くそこにいて、その雰囲気を味わっていたが、聞くと9時開演だそうだ。

皆それまで弁当を食べながら待つという。

 とてもそれまで待てないと思い、他の町内を回ることにした。

そうこうしているうちに、雲行きが怪しくなり、ぽつぽつと雨が降り出したので、

今日は一旦宿に戻り、明日、暗くなってから出直そうということにした。

 電車に乗り、暫くしたら雷が鳴り、バケツをひっくり返したような土砂降りとなった。

芭蕉の奥の細道の「名月や北国日和定めなき」を思い出した。

10分ほどしたら、電車が止まってしまった。大雨警報で電車は緊急停止。

1時間ほどしてやっと動き出した。車中泊を覚悟するほどであった。

風の盆は210日に田んぼを荒らす「大風」が吹かぬよう祈ることから始まった由。

近在の米の収穫がダメになれば、この町に与える影響は甚大である。

近在の農民の参拝客が、収穫の後の骨やすめにここに来た。

ここで生活必需品を買い求め、年に何回かお寺参りも兼ね、遊びに来た。

この山と川に挟まれた狭い斜面に寺が移され、門前町になって今日まで栄えたのも、

この斜面が大雨や大風による被害を受けにくい土地だったからと言えるかもしれない。

川の左岸から海側には扇状地が広がり、立山連峰から流れ出す大雨が氾濫しただろう。

しかしそこは農地が多かったから、エジプトがナイルの賜物と言われるように、

この八尾の周辺の農地を潤したのだろう。

今でこそ、コンクリート護岸で洪水を防ぐようにしているが、

江戸時代には一旦洪水が発生したら、それは低地に浸水させるほか術がなかったろう。

それで人々は、こうした山の斜面に間口2間の狭い家を建てて町立てをしたのだろう。

その町立ての許可を得て、町民がそのお祝として踊り始めたのが、

「風の盆」の由来とも言われている。

4.

翌日、暗くなるまでの間、城端(じょうはな)に出かけた。高岡から電車で40分。

地理的な関係は富山市と八尾の関係に似ている。

7年ほど前に訪れたことがある。私の遠い先祖がこの辺りから来た由縁だ。

山田川が町全体をヘアピン状に取り囲む高台に善徳寺という寺がある。

蓮如ゆかりの寺で、やはり門前町として栄えて来た。

八尾の町を歩いたとき、川と山に囲まれた狭い高台に町家がびっしり並ぶ雰囲気が、

この城端にとても似ているのを思い出して、それを確かめるため再訪したくなった。

炎天下、誰も歩いていない。

今回駅から善徳寺を目指してゆっくりと街を観察しながら歩いた。

城端も昔の街並みは、間口2間の家が殆どである。たまに4間のもあるが。

丁度そこから出て来た婦人に聞いてみた。

「この辺りは皆2間の家が多いですが、これは門前町として昔からですか」と。

「そうねえ、最近は引っ越す人のを買って4間にする家も出て来ましたが」との答え。

硝子戸4枚の家で、シャッターはほとんど無い。強盗はいないのだろう。

 善徳寺に着き、本堂に入る前の庫裏の塀に4メートルくらいの板看板が建てられ、

人名がびっしりと並んでいる。

本堂修繕のための奉納金を出した人たちの名である。

何十人かの地名を書いた人名の板札の後に、以上20万円とあり、

これが今後更に増えてゆくのだろう。

その次の立派な門は閉まっているが、中央に皇室の菊の御紋があり、

皇室関係の建物を拝受したものか、皇室との関係の深さを示すことで、

近在の信者たちから崇められているのであろう。

本堂を参拝した後、会館の方に向かうと、おびただしい数の名前が連なっている。

それらの名前を1枚ずつ見てゆくと、ほとんどが女性名であることに気がついた。

最後のところに、以上1,500円とある。

この会館に集まって来る信者たちのほとんどが、年配の女性であること、

そうした女性たちの貧者の一灯の集積がこの寺と門前町を支えていることが分かる。

旦那衆は大金を奉納するが、毎月の例会にはなかなか来られないだろう。

5.

 6時過ぎに八尾に向かい、諏訪町の風情ある坂を下って来る風の盆を堪能した。

7時から再開した風の盆を見ながら、8時過ぎに鏡町に向かい1時間待った。

階段はすでに占領されているので、その左の屋根越しのスペースを見つけた。

数組の男女がそれぞれおわらを舞いながら石畳に登場してくる。

11の支部すべてを見た訳ではないが、踊り手はすべて痩身で法被と着物が

よくにあっている。この町にはメタボの人はいないのかと思うほどだ。

メタボにならないようにこの日の為に節食し、踊りの稽古で体重管理をしているのだろう。

 両の手を斜にピンと伸ばし、左足を挙げて鶴のような格好の男。

両ひじを曲げ、白魚のような指を帯の前にあわせ、足を少し曲げる姿勢がなまめかしい。

これらは芸妓から厳しく仕込まれたしぐさだろうか。

 彼ら彼女らの踊りを眺めながら、その品の良さがどこからくるのか考えた。

踊りを見せてお金をとる訳ではない。210日の風の盆のために、自分たちの町の為に、

一年の間稽古を重ねてきたものを、この3日間、踊り続ける。

自分の為に踊るのだから、媚びたりする必要などさらさら無い。

大阪や京都の花街でみた芸妓や舞妓の踊りよりも品があるほどだ。

この山間ともいえるような坂の多い街の路上で踊る彼女等に気品を感じる。

けがれというものから遠いところにあるように感じる。

 これまでの女子サッカーが、男のより純に感じるのとどこか似ている。

男のサッカーは年収の多寡でその選手の価値が決められるから、ハンドをしたり、

審判の見えないところで汚い手を使うようなことも偶にみる。突き飛ばしすらする。

女子の方は、プロといいながら、低い年収に耐え、スーパーのレジで働いたりしながら

試合に臨む。自分の為にサッカ―をしているからだろう。

 そんなことを感じながら、ほれぼれするほどの風の盆を味わった。

深夜11時過ぎても踊り続け、踊り手と客は意気投合し夜の更けるのも忘れる。

来年も来てみたくなった。八尾の風の盆は天下一品だと思う。眼福、耳福である。

      2012/09/09 日夜浮かぶ記

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