忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

林克多著「ソ連見聞記」序

十年ほど前、病気で外人経営の病院に行き、待合室にドイツの「Die Woche」という
週刊誌があったので、それを見たらロシアの十月革命の漫画に法務官や教師が描かれてい、
医者、看護婦すらも眉を斜めに目を怒らせ、皆ピストルを手にしていた。私が見た最初の
十月革命の風刺画だったか、心中こんな凶暴なものなのかとおかしく感じた。後に西洋人の書いた旅行記を何冊か読み、ある者はいかにすばらしいか、またある者はどれ程ひどいか、まちまちで訳が分からなくなった。結局自分でこう断定した:この革命は多分貧乏人にとっては良く、金持ちにとってはきっとひどいことだろうし、旅行者の一部の人は、貧乏な人のことを思うから良いと感じ、金持ちのことを考える人は、きっとすべてひどいと
考えたのだろう。                                                                     
 後に、また別の風刺画を見、英語のだが、ボール紙を切って工場学校育児書等を描き、道の両側に建て、参観者をバイクに乗せてその間を走らせる。これは旅行記にソ連の良い所を書いた人に対するもので、参観時に彼らのペテンに引っかかったという意。政治経済は素人だが、去年、ソ連の石油と小麦の輸出が資本主義文明国の人をあれほど驚かせたのは、私の長年の疑問を解いてくれた。思うに:仮面をかぶった国と殺人ばかりする人民には、決してあのような巨大な生産力を持てぬから、あれらの風刺画は恥知らずの欺瞞だ。
 だが我々中国人は実に小さな欠点があり、即ち、他国の良いことを聞いて学ぼうとしないのだ。特に清党(国民党の共産党粛清)以後は、建設めざましいソ連に触れたがらない。
もし触れると意図する所があって言うのでなければ、きっとルーブルを貰っているとなる。
さらには宣伝と言う二字は中国ではまったくぼろぼろの状態になっている。人々は金持ちの電文や会議の宣言、有名人の談話など飽き飽きしており、発表後すぐ消えてしまうのは、
屁の臭さの長さに及ばぬ。それでだんだん遠くの話しや将来の素晴らしい点を挙げる文章は、すべてペテンとみなし、所謂宣伝もただ自分の利のためにするとんでもない嘘の雅号だと思っている。
 目下の中国にはこの類が常にあふれ、欽定や官許の後押しで、何阻まれることなく至る所へばらまかれるが、読む人は少ない。宣伝は今、或いは後に事実でもって証明すべきで、
それで初めて宣伝と言える。だが中国の今の所謂宣伝は単に後にその「宣伝」がまぎれもなく嘘だという事実を証明するのみならず、更に悪い結果として、凡そ書かれている文章は、おかしいと人々を疑心暗鬼にさせ、ついには、むしろそんなものは見ない方がまし、ということになる。即ち、私自身もこの影響を受け、新聞で新旧三都(南京、洛陽、西安)
の偉観とか、南北二京(南京北京)の新気運とかはやすが、固よりただ表題を見ただけで、
身の毛がよだつし、外国の旅行記すら見る気にならぬ。
 ただこの一年、そんな構える必要なしに一気に読み終えたのが二冊ある。一冊は胡愈之
氏の「モスコー印象記」でもう一冊がこの「ソ連見聞記」だ。細かい文字を読む力が弱いので、読み続けるのに苦労したが、この自分で「メシの為に働かざるを得ない」という
労働者作家の見聞を、終いまで読んでしまった。途中で統計表を解説するような箇所もあり、私もやや無味乾燥に感じたが、それもそう多くはないので終わりまで読み続けた。
その理由は作者が友達に話しているようで、美しい言葉や巧妙な書き方もせず、平坦で
直叙しているし、作者は普通の人で文章も普通で、見聞したソ連も普通の所で、人民も
普通の人で、設定も人情にかない、生活も普通一般の人間らしく、何ら奇異をてらうことはない。つやっぽいことや奇を探し求めると、当然失望は免れぬし、真相を覆い隠すことのない状態で知るためには大変良い。
 またこの本から、世界の資本主義文明国がきっとソ連に進攻しようとする理由が少し
理解できる。労働者農民がみな人間らしくなるのは、資本家と地主にとって極めて不利だから、必ずこの労農大衆の模範を殲滅しようとする。ソ連が普通尋常になればなるほど、
彼らはより恐れる。5-6年前北京で(共産党の影響の強い)広東で裸のデモが起こったことが盛んに伝えられ、後に南京上海でも(共産党の)漢口の裸デモが盛んに宣伝された。
それは敵が尋常ではないことを願った証拠だ。この本に依れば、ソ連は彼らを失望させた。
なぜか?ただ単に妻を共有(共妻)するとか父殺し、裸デモなどの「尋常ならざること」
が無いだけでなく、多くの通常の事実があり、それは即ち「宗教・家庭・財産・祖国・礼教…一切の神聖不可侵」なものが糞土の如く放擲され、ひとつの斬新な真に空前の社会制度が、地獄の底から湧きだしてきて、数億人の群衆自身が自分たちの命運を支配できるようになった。この種の極めて通常な事情は、ただ「匪賊(国民党が革命軍をこう称した)」
がいて初めて成し遂げられた。殺すべきは「匪賊」也だ。
 ただ作者がソ連に行ったのは十月革命の十年後だから、彼らの「我慢、辛抱、勇敢及び
犠牲」で如何に苦闘し、やっとのことで今の結果を勝ち得たかを語ってくれるが、その
故事はたいへん少ない。これは他の著作の任務で、それらをすべて作者に求めるのはできぬ。だが読者はこの点を軽視してはならず、さもないとインドの「譬喩経」の言うように、
高楼を造ろうとして、地上から柱を立てるのに反対するようなもので、さもないと彼が造ろうしているのは、空中の楼閣に過ぎなくなってしまう。
 私が何の警戒もせずに読み終えたのは、上のような理由の為だ。本書に書かれたソ連の良いところを信じるもう一つの理由は、十年ほど前ソ連がいかにひどくて見込みが無いか
と悪口を並べた所謂文明国人が、去年石油と小麦を前にして、ガタガタ震えたことだ。
 更に確かなことは:彼らは中国の膏血を吸い、中国の土地を奪い、中国人を殺すのを見たことで、彼らは大ペテン師で、彼らがソ連の悪口を言い、ソ連に攻め入ろうとすることで、ソ連が良いところだと分かる。本書は実にいっそう私の意見を実証してくれる。
     1932年4月20日、魯迅 上海閘北寓楼にて記す。
 
訳者雑感:1930年頃のソ連に対する魯迅の思い入れは大変なものがある。その思い入れを
促したものは何かといえば、中国人の膏血を吸い、中国の土地をかっさらう日本を含む所謂資本主義文明国が、ソ連の悪口をさんざんまき散らし、ソ連に攻め込んでソ連政府を倒そうとしているからだ。即ち中国を食い荒らす資本主義文明国がにっくき敵と考えている
ソ連は資本主義の敵であり、その資本主義文明国にいいようにされている中国にとっては、
敵の敵は味方だ、という図式である。
 ソ連の建設が石油と小麦を大量に生産し、輸出市場に出てきたため、石油が暴落し、小麦などの食糧価格も下がり、これらを輸出してきたアメリカに大きな打撃を与えたから、
資本主義文明国はガタガタ震えだしたのだった。
 そのソ連は崩壊し、今日の世界は中国という共産党という名の一党独裁の社会主義を標榜しながら資本集積による大量安価生産品の輸出により、米欧諸国の生産体系が混乱を
呈して、失業者が街にあふれて、政府ががらがら崩れそうな状態である。
 ソ連死して中国が資本主義文明国をひっくりかえそうとしている。魯迅がまだ生きていたら、どんな雑文を書いてくれただろうか。
 虎は死んで皮を残す。さらあと10-20年後にこの虎はどうなるのだろうか。
      2011/12/01訳
 

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R