忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

「連環画」を擁護する

 かつてこんな経験がある。ある日、さる宴席で気ままに:映画を使って学生に授業をしたらきっと教師の授業より良いから、将来はそうなるだろう、と。だがこれは話し終わらぬ内にどっと笑いの渦にかき消されてしまった。
 勿論この話には多くの問題があり、例えばまずどんな映画を使うか。アメリカ式の大金をもうけて結婚する式の映画は当然ダメだ。しかし私自身は確かに映像を使った細菌学の講義を受けたし、全て写真で数句の説明があるだけの植物学の本を見た。だから生物学だけでなく歴史地理も可能だと深く信じている。
 だが多くの人はすぐどっと笑いだし、白いチョークで相手の鼻を塗り、ピエロがふざけあっているようにしてしまった。
 数日前、「現代」で蘇汶氏の文を見たら、彼が中立的文芸論者の立場で「連環画」を抹殺していた。勿論それは気ままな発言に過ぎず、絵画の専門的な言葉で討論した物でもないが、青年美術学生の心にとっては多分重要な問題ゆえ、再び少し書いてみよう。
 絵画史で見慣れている挿絵に「連環画」は無い。名人の作品展には「ローマの夕照」や「西湖晩涼」でなければ、下等なものとみなされ、「大雅の殿堂」に飾るものではない。
だがイタリ―のヴァチカンへ行けば――私はまだその福に浴しておらず、紙上のヴァチカンだが――偉大な壁画が見られ、殆ど「旧約」「耶蘇伝」「聖者伝」の連環画で、美術史家はその一段を取り出し印刷して「アダムの創造」「最後の晩餐」と題し、みる者はそれを下等とは思わない。その原因は宣伝の妙にあり、その原画は明らかに宣伝的連環画である。
 東方でも同様。インドのアジャンター石窟はイギリス人が模写印刷して美術史上で光を増した:中国の「孔子聖跡図」も明版すらとうに収蔵家の宝となった。この二つは、一つは仏陀の本生(ジャータカ)で、もう一つは孔子の事跡で、明らかに連環画の宣伝である。
 本の挿絵は、もとは書籍を装飾して読者の興趣を増すためだったが、その力は文字の及ばぬ所を補助するものだったから、一種の宣伝画であった。この画の枚数が極めて多くなると、図像を見ただけで内容が分かり、文字と離れて独立した連環画となった。最も顕著な例がフランスのG.Doreで彼は挿絵版画名人で、最も有名な「神曲」と「失楽園」「キホーテ先生」「十字軍記」の挿絵で、ドイツでは全て単行本になっていて(前の二つは日本にもある)概略を見れば本の梗概が分かる。然るにDoreのことを美術家でないと誰がいうだろうか?
 宋の人の「唐風図」と「耕織図」は今も印本と石刻が入手可能で:仇英の「飛燕外伝図」
と「会真記図」に至っては、翻印本が文明書局から発売された。凡そこれらは、当時も
現在も美術品である。
 19世紀後半以来、版画が復興し多くの作家が数枚の「連作」刻印を好んだ。この連作は、
決して単なる事件ではない。今青年美術学生のために幾つかの版画史上での地位を固めた
作家と一連の実際の作品を下記する。
 最初に挙げねばならぬのはドイツのKollwitz夫人。彼女はハウプトマンの「織匠」の
為に、6枚の版画を彫ったほか、三種の題はあるが説明文のない――
1.「農民の闘争」金属版 7枚
2.「戦争」 木刻 7枚
3.「無産者」木刻 3枚
中国では「セメント」の版画で知られているC.Meffertは新進の青年作家で、かつて
ドイツ語訳のFignerの「狩りをするロシア皇帝」の為に5枚の木版画を彫り、また2種
の連作――
1.「貴方の姉妹」木刻 3枚 題詩一幅:
2.「擁護する門徒」(原作未詳)木刻 13枚
 ベルギーのMasereelは欧州大戦時、ロマンロラン同様、非戦のために国外に逃れた。彼の作品が一番多く、すべて一冊の本になり、書名のみで小さな題目すらない。今ドイツで印刷された普及版は一冊3.5マルクで入手は容易だ。私が見たのは
1.「理想」木刻 83枚
2.「我が祈り」 木刻 165枚
3.「字の無い物語」 木刻 60枚
4.「太陽」  木刻 63枚
5.「仕事」木刻 枚数失記。
6.「一人の受難」木刻 25枚
 米国作家はSiegelの木刻「パリコミューン」を見たことがあるが、NYのJ.Reed Club
の出版。また石版のW.Cropperの描いた本で、趙景深教授説では「サーカスの物語」(正しくはサーカス団の)で、別の訳にするときっと「信だが不順」となりそうだから、原名のまま下記引用する――
 「Alay-Oop」(Life and Love Among the Acrobats)
 英国の作家は作品の値段が高いので余り知らない。
しかし一冊の小冊子に15枚の木刻と200字未満の説明だけで、作者は有名なGibings
の500部限定があり、英国紳士は死んでも重版を肯んじないから、今は絶版になり、一冊
数十元するだろう。それは
「第七の男」
 以上、私の考えは全て事実を挙げて連環画が美術となれるだけでなく、すでに「美術の宮殿」に座っているということだ。これも他の文芸同様、良い内容と技術が求められているのは言うまでも無い。
 私は青年美術学生に、大判の油絵や水彩画を棄てろと勧めるのではない。それと同様に
連環画と本や雑誌の挿絵を重視し、努力するのを望み:勿論欧州の名家の作品は研究すべきだが、中国の古書の挿絵や画本や新しい一枚一枚の花紙(年画の絵)にも注意すべきだ。
こうした研究とここから出てくる創作は、勿論今の所謂大作家が一部の人たちから受けている例のような感嘆や称賛は得られないが、私は信じている:連環画は、大衆が見たいと
思っており、大衆はきっと感激する、と!
           7月25日
 
訳者雑感:
 魯迅の冒頭の話しは、テレビ講座とか放送大学とかを予見していたようだ。仙台で医学の授業に見た細菌学のスライドと「日露戦争の戦争報道」のスライドが強烈な印象として
彼の脳裏に残されていたのだ。それを30年後にこう書いているわけだ。
 彼は子供のころから中国の古小説や物語の挿絵を書き写すのが大好きだったし、それを
一冊の本に仕上げてもおり、金持ちの子弟の級友が欲しいというので小遣い稼ぎに売ったりもしたと自ら書いている。
 ヴァチカンの絵は宗教宣伝の連環画の一部だと喝破しているのはさすがだ。「二十四孝図」などの挿絵や仏教の教えを広めるための地獄絵図や「死無常」などの挿絵が彼の小さい頃に抜けることのないイメージを育てたのだろう。
講釈師の傍らに架けられた絵、紙芝居、文字の助けとして挿絵、連環画は今のアニメの原点だろう。連環画は文革中にたくさん出回った。手のひらにすっぽり入るほどの小型の物が、中国中に広まり、毛語録しか書棚になかった本屋にもこれだけは買うことができた。
それは、内容としてはやはり中国共産党の宣伝臭のあるものではあったが、毛語録では伝えきれないものを大衆と子供に伝えようとしていた。大衆はこれを見たがったし、感激もしただろう。だが、文革の終了後は、その数がめっきり減り、テレビでアニメが放映されると、姿を消した。
 魯迅が冒頭で指摘した通り、先生の授業より面白いことになり、連環画すらもテレビという映像にその主役の座を明け渡したかもしれぬが、やはり紙に印刷した漫画は依然として大きな人気を博している。原作は原点だから。
     2011/12/19訳
 

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R