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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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上海の児童

上海の租界外に伸びた北四川路一帯は、戦争で去年半年以上さびれたが、
今年はまたにぎやかになり、店もフランス租界から戻り、映画館も再開し、
公園周辺にも去年はいなかったアベックが、手をつないで歩く姿が見られるようになった。
 居住区の小路に入るとオマルが置かれ、天秤の食べ物売り、ハエが群がり飛び、子供が、
隊を成してにぎやかに激しく騒ぎ罵りあう。真にさんざめく小世界だ。だが一旦大通りへ
出ると、目にするのは元気に活発に遊び回るのは外国の子で、中国の子は見当たらない。
だがいないのではなく、着ている者もだらしなくしょんぼりとし、他の子に気おされて、
影のようになって目立たないだけだ。
 中国の中流家庭の子供の教育は2種類しかない。
其の1、自由放任で何のしつけもせず、人を罵るのはもとより可。殴るのも不可ではなく、
家の中と門前では暴君、覇王の内弁慶だが、外に出ると網を失ったクモの如く無能になる。
其の2、一日中厳しく教えられ、叱られ叩かれさえして、委縮してしまい、奴隷の如く、
傀儡の様になる。だが父母はそれに美名を与え、「聞き分けのよい子」とし、うまく教育
できたと考えている。だが外に出すと、鳥籠をでた小鳥のようにすぐには飛んだり、
鳴いたりできず、跳躍もできない。
 今中国もやっと児童向けの絵本が出、主人公は勿論児童だが、そこに登場するのは、
大抵横暴で頑迷なのが多く、ゴロツキの様なのまでおり、ひどい悪態をつく頑固なの、
そうでなければ、首を垂れ猫背で見た目は従順だが生気のない所謂「よい子」だ。
 画家の技両の欠落もあるが、やはり現実の児童をモデルにしているせいで、
それを児童もまねる。試みに他国の児童画をみると、英国は沈着、ドイツは豪放、
ロシアは重厚、フランスはおしゃれ、日本は聡明で、いずれも中国のように元気なく、
だらしない気配は無い。国民性は詩文によってだけでなく、絵画によってもよく理解
できるが、余り重視されていない児童画によってよく分かる。
 頑迷、愚鈍は人を没落させ滅亡させる。童年の状況は将来の命運である。
我々の新人たちは恋を語り、小家庭(大家庭へのアンチテーゼとして:訳者注)、
自立、享楽を講じているが、子女のために家庭教育、学校教育、社会改革問題を提起
する人は少ない。昔の人は「子孫のために只牛馬となる」を知るのみで、
これは固より誤りだが、今現在だけを顧みて、将来を思わず、「子孫が牛馬になるに任せ」
ているのはより大きな誤りだと言わざるを得ない。    8月12日
 
訳者雑感:
魯迅は前段の上海の娘たちが危険な境域にいることに警鐘を鳴らしているが、その前に、
児童たちへの教育が旧態依然としていることを取り上げている。
 以前の親たちは子供のために牛馬となってきたのは誤りだが、子供が牛馬のようになる、
というのはより大きな間違いだと説く。
 魯迅は児童画をとても大切なものと考えていたのだろう。牛馬のように成らぬよう、
英独露仏日の五カ国の児童画の評価は何冊かの本を見比べたものだろう。
米国の児童画は手に入らなかったものか。
   2012/03/16訳
 
 
 

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