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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「硬訳」と「文学の階級性」その5

5.       
 ここまで書いたら、さあ今度は私の「硬訳」の話をしよう。推察するに、これに関連して起こる問題で、無産文学が宣伝を大切に考えるなら、宣伝は大勢の人が分かるものでなければならず、それならお前はなぜこんな「硬くて」分かりにくい理論ばかりの「天上の本」を訳したのか?そんなものは訳さないのと同じではないか?と詰問することだろう。
 私の答えは、はい:自分の為です。となる。数人の無産文学の評論家を自任している人たち、そして「爽快」を求めようとしていない人、艱難を恐れず、なんとかこうした理論を勉強しようとしている読者の為です、と。
 一昨年来、私個人への攻撃が極めて多くなり、どの雑誌にも大抵「魯迅」の
名が出ており、彼らの口吻は一見したところ、大抵は革命文学家のようだ。だが何篇か見ると、だんだんクダラヌ話ばかりが多いと感じた。
 メスも肌目をスパッと割けぬし、弾も致命傷にはならぬ。例えば、私の属する階級は、今も判定されていないが、突然プチブルとかブルジョアだと言いだしたり、時には封建の遺物に昇格されたり、ひどいのは「ヒヒ」と同じだという。(「創造月刊」の「東京通信」に郭沫若の言として;出版者注)ある時には、
歯の色まで文句を付けられた。このような社会では封建遺物が頭をもたげるのは十分ありうることだ。だが、封建遺物がヒヒであるとは、いかなる「唯物史観」にも説明は無いし、黄色い歯が無産階級革命に有害だという論拠も探しだせぬ。それで、参考としてこのような理論はとても少ないから、ひとはだいぶ
いいかげんだと思う。敵に対するには、相手を解剖し、かみくだき咀嚼することが大事である。一冊の解剖学と調理法の本があれば、その手順通りやれば、体の構造やその中身もさらにはっきりし、味もでてくる。人は往往、神話のプロメテウスを革命者に比し、火を盗んで人類に与えた者とし、天帝の虐待にも悔いることなく、その偉大で堅固な忍耐力はまさに同じだと考える。だが私が外国から火を盗んできた本意は、自分の肉を煮ることにあり、もし味が良くて、食べる人がメリットを感じられれば、肉体を無駄にしなかったことになる。
 初めは全くの個人主義で、且つまた小市民的な奢侈で、おもむろにメスを取り出し、逆に解剖者の心臓に切り込んで「報復する」にある。梁氏のいう「彼らは報復せんとしている!」というのは単に「彼ら」だけでなく、この様な人間も「封建遺物」の中に結構いるのだ。然るに、私もこの社会で役に立ちたいと願い、観客の目に入るものはやはり火と光である。かくしてまず手始めに
「文芸政策」を取り上げたのは、そこに各派の議論が含まれていたからだ。
 鄭伯奇氏は今本屋を開き、ハウプトマンとグレゴリー夫人の劇本を出した。当時彼はまだ革命文学家で、編集した「文芸生活」誌上で、私の翻訳を笑い、
没落したことに甘んじずにやっているが、残念ながら他の人に先鞭をつけられてしまった。一冊の本を訳したくらいで浮上できるものなら、革命文学家になるのはいとも容易だが、私はそうは思わぬ。ある小新聞に私が「芸術論」を訳したのは「投降」したことを意味すると言われた。(魯迅が「創造社」から批判されたのち、これを訳したことは投降を意味した、ということ:出版社注)
その通りだ。投降はこの世にはよくあることだ。但しその時、成仿吾元帥は
とっくに日本の温泉から出て、パリのホテル住まいを始めてしまったから、それでは誰に対して投降するのか。今年は言い方が変わり「拓荒者」と「現代小説」では私が「方向転換」したということになった。私が読む日本の雑誌にこの4文字が以前の新感覚派、片岡鉄兵に加えられ、いい名詞とみなされた。
 しかしこうしたもつれた名前は、ただ上辺だけの名目で、考えをめぐらすことすらしようとしない旧弊である。無産文学の本を一冊訳したくらいで、方向を証明することはできぬし、もし曲訳なら有害になってしまう。私の訳本は、そうした速断をする無産文学評論家にも献上しようと思う。彼らは「爽快」を貪ろうとはしないで、苦労しながらこうした理論を研究する義務があるからだ。
 しかし私は自ら信じるが、故意の曲訳はないが、私の尊敬せぬ評論家の傷口に打撃を与えられれば、うれしいと思う。私の傷口を撃たれた時は、その痛さを耐え忍ぶ。私はけっして勝手に足したり引いたりすることは肯んじないのも、
「硬訳」が多くなった原因の一つだ。世間には良い訳者もいて、曲がることも無く、硬訳も死訳もない文章に訳せる人も勿論いるから、その時は私の訳は、
自然淘汰される。私はこの「無有」の状態をうめる「まあまあ良い」空間に至ればよいとするものだ。
 世間には同人雑誌は大変多いが、各社の人員は少なく、志は大きいが力不足で、全ページをうめきらぬから、各社の責任者は敵を攻め、味方を助け、異分子を掃討する評論家は、他の人が雑誌に寄稿するのを見て、嘆息し、首をふりながら、切歯扼腕して悔しがる。上海の「申報」に、社会科学の本訳者は「犬猫なみ」と蔑視したのは、それほど憤慨した証拠だ。
「中国の新興文学での地位は、とうに読者諸氏の御存じ」の蒋光Z(慈だったが
大革命のとき、‘赤’を慈に改称した由)氏はかつて東京に病気療養に行き、
蔵原惟人に会い、話が日本には翻訳はたくさんあるが、とても程度が低いということに及び、全く原文より理解が難しい… 彼はそれで笑いだし「それじゃあ、中国の翻訳界はさらにでたらめなわけだ。近頃中国の書籍の多くは、日本語からの重訳で、日本人が欧州人のある国の作品を、誤訳や改削していたら、
それを中国語に訳したら、それは半分くらい違ったものになってしまうじゃないか…」(「拓荒者」参照)。というのも翻訳にたいへん不満で、特に重訳に不満を示したもの。梁氏は書名と欠点を挙げているだけだが、蒋氏はにこっと笑って、余すところなく一掃し、まったくとんでもない所にまで広がったものだ。
蔵原惟人はロシア語から多くの文芸理論と小説を直接翻訳しており、私個人としては、極めて有益である。中国にも一二名このような誠実なロシア語翻訳者が、次々に良書を訳してくれるといいのだが。ただ単に「でたらめだ」と罵るだけで、それでもう革命文学家の責任を果たしたなどと思わないで欲しい。
 しかし今ではこうしたものは、梁氏は訳さぬし、「犬や猫なみ」と人を蔑んだ偉人たちも訳さない。ロシア語を学んだ蒋氏は最適任だが、養病後、「一週間」
一冊出したきりである。日本ではもう2種の訳がでているのに。中国はかつて大いにダーウィンやニーチェを取り上げたが、第一次大戦時、彼らをひとまとめにして、大いに罵った。ただダーウィンの著作の翻訳は一種類のみだし、ニーチェは半分しかない状態で、英語独語を学んだ学者及び文豪は顧みることもしないし、価値を認めることもうっちゃっている。だから暫時多分人に笑われ
罵しられながらも、日本語から重訳し、或いは原文と日本語訳を照らし合わせながら、直訳するしかない。私もやはりそうしようと思う。また多くの人が、
こうやって空理空論だけの空虚さを徹底的にうめていって欲しいと思う。我々には蒋氏のように「面白がったり」梁氏にように「待ってみよう……」では
いられないから。
 
訳者雑感:
 魯迅は晩年にも翻訳を熱心に行い、55歳のときゴーゴリの「死せる魂」の
翻訳を出版し、翌年死ぬまでチェーホフの作品なども訳した。この文章からみると、彼は原文と日本語訳を照らし合わせながら訳したのだろうか。ロシア語でなくドイツ語訳との照らし合わせかもしれない。
 中国の書店には今、世界各国の所謂「名作集」の翻訳がたくさん並んでいる。
しかしその傾向をみると、子供向けの所謂教養的なものが圧倒的である。もっと端的に言えば、古典名作であって、同時代のものは比較的少ない。それは
子供向けのみならず、一般成人向けでも同じような傾向にある。
 30年前まで、書店には「毛沢東選集」などの思想的な本ばかりが並び、外国の翻訳本など探しても見つからなかったことからすれば、大きな変化ではある。
しかし、いずれにせよ日本との比較においては、欧米各国をはじめとする現代の作品の翻訳紹介はいまだしの感がある。
 中国には中国式の独自の文化文芸があって、それが自分たちには一番適してして、「爽快」なのである。閑があったら、古典の「章回小説」(講談師が語るような一回、一章ごとに分かれた物語)の挿絵を見ながら、縦書きの漢字の文章を首を揺らしながら読むのが、有産者になった中国人のもっとも幸せなひと時だといわんばかりだ。
 外国のもの、文芸、ましてや文芸の理論とか無産文学の理論など、なにが
悲しくて読まねばならんのだ。2010年の今、そうであるように、1930年頃の
中国は、政治的にはとんでもなくでたらめな状態であったが、文芸を鑑賞する
階級の人たちは、大半が古典的享楽、爽快を求めていたに違いない。面白くなければ、読む価値も無い。それが世界の仲間に伍してゆくことから脱落して
しまった背景だろう。その間約50年。今それを一気に追いつこう、追い越そうと、「スピード」を追求しているが、度が過ぎて脱線して、反省しなければならぬ時に、雷だとか自然災害だとか、言い逃れが先にでてくる悪弊から免れていない。
      2011/08/06
 
 
 

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「文学の階級性」4


 梁氏は先に無産者文学理論の誤りは「階級と言う言葉で文学を束縛している
から」で、――資本家と労働者は違いもあるが、同じような面もあり、「彼らの
人間性に(この字に原文は圏点を付す)差は無い」共に喜怒哀楽を持ち、恋もし、(但しここでいう意味は、恋そのもので、恋の形式ではない)「文学はこうした最も基本的な人間性を表現する芸術だ」からと言う。これは矛盾しており、空虚な言葉である。文明が資産を基礎とし、貧乏人が懸命になって「金持ち」に這い上がろうとするなら、「這い上がる」ことが人生の要諦で、富翁になるのが人間としての至尊なら、文学も資産階級を表現しておればそれで十分で、それをなぜ「同情心を以て」「劣敗」の無産者と一緒にする必要があろうか?
 況や「人間性」「そのもの」はどのように表現するのか?たとえて言うなら、
元素と化合物は化学的性質として化合力があり、物理的性質は硬度があるが、
その化合力と硬度を表すには2種類の物質で表さねばならない。物質を使わずに、化合力と硬度をただ単に「そのもの」で表すという妙法は無い:しかし
一旦物質を使うということになると、その現象は、それぞれの物質により違ってくる。
 文学も人間を借りてこなければ、その「性」を表せない。もし人間を使うなら、それは階級社会においては、どうしても所属する階級性から逃れられない。
「束縛」で規制せずとも、実際は必然的にそうなる。勿論「喜怒哀楽は人の情
也」で、貧乏人は、商売で大損する悩みは無いし、石油王は北京の石炭ガラ拾いの老婆の辛酸を知るわけもなく、飢饉の罹災者は金持ちの旦那衆のように蘭の花を愛でようなど思いもしない。(紅楼夢の)賈府の(召使いの)焦大は、林家の令嬢を愛そうなど滅相も無いことである。
 「汽笛だ」「レーニン!」などは無産文学ではないし「あらゆるものよ!」「全人民よ!」「喜ぶべきことが起こった!人々は喜びにあふれた!」も、「人間性」の「本質」を表した文学ではない。もし最も普通の人間性を表した文学を至高とするなら、もっとも普遍的な動物性――栄養、呼吸、運動、生殖――の文学、或いは「運動」を除いた生物性を表現した文学が、きっとその上に有るだろう。もし我々は人間だから、人間性を表現する権限があるというなら、無産者は無産階級であるから、無産階級を書こうとするのだ。
 次に梁氏は作者の階級と作品は無関係という。トルストイは貴族出身で、貧民に同情したが階級闘争は主張せず:マルクスは無産階級の人間でもなく:生涯貧苦にあえいだジョンソン博士の志行言動は貴族以上のものだった。従って
文学評価は作品そのものを見るべきで、作者の階級や身分をからめるべきではない。これらの例も文学に階級性がないことを証明するには足りぬ。
 トルストイは貴族出身ではあるがゆえに、古い垢を洗いきれずに、ただ貧民に同情するのみで、階級闘争を主張しなかっただけである。マルクスは元々
無産階級の人間ではないし、文学作品も無いが、もし彼が何か書いたとしても、
それが型通りの恋愛ものでないとは言えぬ。ジョンソン博士については、生涯
貧苦にあえいだが、志行言動は王侯以上のものだったという点は、私は英国文学と彼の伝記を知らないので、その理由は分からない。多分彼は元々「苦労して勤勉に一生働けば、かならず相当の財産を築ける」と思い、再び貴族階級に這い上がろうとしたが、はからずも「劣敗」してしまい、相応の財産も築けず、見かけ倒しの「爽快」さに浸っているほか無かったのかもしれぬ。
 その次に梁氏は:「良い作品は永遠に少数者の独占物で、大多数は永遠に愚かで、文学とは永遠に無縁だ」と言い、観賞力の有無は階級とは関係ないという。
「文学観賞力も天生のある種の福」であるから、無産階級にも「天生のある種の福」を備えた人がいる。私の推論ではこの「福」さえあるなら、貧しくて教育を受けられず、目に一丁字も無かった人も、「新月」月刊を鑑賞できるから、
「人間性」と文芸「そのもの」には階級性が無い証拠にできる、と言う。
 但し梁氏も、天生この福のある無産者は多くないと知っているから、別途あるものを彼らに見させ「例えば、なにか通俗的戯劇、映画、探偵小説の類」を「一般の農民、労働者は娯楽に飢えているから、多分少しは芸術的な娯楽も
必要」だからだ。こう見て来ると、文学は確かに階級により違ってくるが、それは観賞力の高さが影響してくるので、この力の修養は経済とは関係なく、上帝の賜物「福」による。従って文学家は自由に創造し皇室や貴族の御雇になるべきではなく、無産階級の威嚇も受けるべきではなく、提灯持ちの文章を書くべきではない。これはその通りだ。我々の目にする無産文学の理論にもまだ、
誰か、或いはある階級の文学家が皇室貴族の御用文学を書くべきでなく、また、
無産階級の威嚇を受けて提灯持ちをすべきだなどと言う文章を見たことは無い。
ただ、文学には階級性があり、階級社会では文学家は自分では「自由」と考え、
階級を超越していると思っていても、無意識に当階級の階級意識に支配されており、そうした創作は決して別の階級の文化ではないというだけのことだ。
 例えば、梁氏の文章は元々文学上は階級性を打ち消して、真理を広めんとしたものだが、資産を文明の宗祖と考え、貧民を劣敗者のカスとみなしており、
一瞥しただけで、資産家の闘争の為の「武器」――いや「文章」だと分かる。
無産文学の理論家は「全人類」のための「階級を超越」した文学理論を主張することは、有産階級を助けるものと考えており、ここに極めて明確な例証を与えている。成仿吾の如く「彼らは必ず勝利するから、彼らを指導し慰めに行こう」と言い、「行こう」と言った後で、味方以外の「他の連中」を「追い払おう」というような無産文学家は、言うまでも無いが、梁氏と同様、無産文学理論に対して「自分の都合のいいように解釈する」という間違いを犯している。
 次に梁氏が最も痛恨するのは、無産文学の理論家が、文芸を闘争の武器、即
宣伝道具にすること。彼は「誰かが文学を別の目的を達成するために使うことに反対しない」が「宣伝の文言を文学と称するのは、認めない」という。
私はこの意見は、自分に寛容な話だと思う。私の見る限りのそれらの理論は、
凡そ文芸たるもの、すべからく宣伝であり、誰もただ単に宣伝的な文言を、即
文学だとは主張していない。一昨年来、中国にはまことに多くの詩歌小説に、
明らかにスローガンや標語をはめ込んで、無産文学だと考えてきたものがいる。
だが、ただそれは内容と形式のせいであり、無産の気配は微塵も無く、スローガンと標語を使わないと、それが「新興」なものだと示すことができなかったためで、実際は無産文学ではなかった。今年有名な「無産文学の評論家」である銭杏邨氏は「拓荒者」に、ルナチャルスキーの言葉を引用して、彼は大衆が
分かる文学を推進することが大切で、スローガン標語を使うのをむやみに咎めてはいないし、それでそうした「革命文学」を弁護していることが分かる。が、
それも梁氏同様、悪気なしに曲解していると思う。ルナチャルスキーの所謂
大衆が分かる言葉というのは、トルストイが農民の為に書いた小冊子のような
文体で、農民や労働者が、一度読めばすぐ分かる語法、歌調、諧謔を指しているのだ。Demian Bedniiがかつてその詩歌で赤旗賞をもらったが、彼の詩には、標語もスローガンも無かったということを見れば明らかだ。
 最後に梁氏は作品の出来を見ようとする。これは正しいし確かな方法だ:が、
たった2首の詩を引用して血祭りに上げるのは間違っている。「新月」に、「翻訳の難しさを論ず」を載せたことがあるが、なんと対象の翻訳は詩であった。
私の見た限りでいえば、ルナチャルスキーの「解放されたドン・キホーテ」
ファジェーエフの「潰滅」グラトコフの「セメント」は過去11年間、中国で
これに匹敵するような作品は無い。これは「新月社」流の資産文明のせいであり、且つまた衷心よりそれを擁護する作家を指して言っているのだ。無産作家と称する者の作品中に、相当の成績を上げた人を挙げることもできない。銭杏
邨氏も弁護し、新興階級は文学の領域でもまだ幼稚で単純だから、彼らに即刻良い作品を求めるのは「ブルジョア」の悪意だという。この言葉は農民と労働者にとっては確かにその通りだ。そんな無理な要求をするのは、永い間寒さに震え飢えさせておきながら、なぜ金持ちの旦那衆のように太れないのだ、と責めるようなものだ。しかし中国の作者は今、つい先ほど鋤や斧の柄から手を放した人でなく、大多数は学校でのインテリで、何人かは既に有名な人で、自分のプチブル階級意識を克服した後、それまでの文学の本領を失ってしまったのか。そんなことはない。ロシアの老作家アレクセ―・トルストイやベレサーエス、プリシ―ビンは、今も良い作品を書いている。中国ではスローガンはあるが、随同して実証する者のいないのは、その病根は「文芸を階級闘争の武器にする」ということには無く、「階級闘争を借りて文芸の武器にする」ことにあり、
「無産者文学」という旗の下に、突如とんぼ返りをする人たちを大勢集めたためで、去年の新本の広告には殆ど革命文学でないものは無いありさまで、評論家もただ弁護するのが「清算」だと考え、文学を「階級闘争」の援護の下に座らせ、文学自体には必ずしも注力せず、その結果文学と闘争の双方とも関係が薄らいでしまった。
 しかし中国の目下の一時的現象は、無産文学の新興の反証とするには足りない。梁氏もそれは御承知のようで、彼も最後に譲歩して、「無産階級革命家が、
彼の宣伝文学を無産文学と称すなら、それは一種の新興文学とみなし、文学の新しい収穫とみなすほかないが、資産的文学を打倒せよと声高に叫ぶことは無かろう。文学の領域はとても広いから、新しい物もその位置はどこかにあるから」と。但しこれはあたかも「中日親善、共存共栄」の説の如しで、まだ羽も
生えそろっていない無産者からすると、一種の欺瞞である。それを望む「無産文学者」は現在実際にいるだろうが、それは梁氏のいう「出世の見込みのある」
資産階級に這い上がろうとする「無産者」の類で、彼の作品は貧乏書生の(科挙試験の最優等生の)状元に合格できないとこぼす時のグチや不平であって、
初めっから這い上がるまで、およびそれ以後も決して無産文学ではない。無産者文学は、自分たちの力で自分たちの階級を解放すること、及び一切の階級闘争の一翼となることで、求めているのは全面的な地位で、単なる一角一隅の地位ではない。文芸評論界に比すなら「人間性」の「芸術の殿堂」(これは成仿
吾氏から暫時借用する)に、2脚の虎皮張りの豪華な椅子に、梁実秋・銭杏邨両氏に並んで(王様然と)南面して坐ってもらい、一人は右手に「新月」もう一人は左手に「太陽」を持ってもらえば、本当に「労資」競艶の壮観だろう。
 
訳者雑感:
 無産文学という言葉は、戦前の日本語ではプロレタリア文学と呼ばれていたものだろう。小林多喜二の「蟹工船」などがそれだが、戦後それらは主流になることは無かった。ところが最近はまた別の観点から読まれ始めている。背景は何だろうか。非正規派遣という言葉が暗示するのは無産者だからか。
 「無産」とか「無産者」「無産階級」というのは有産者(階級)に対する言葉で、それまでは有産者の物であった「文学」を無産者にも、というのが無産文学を主唱した人たちの考えであった。しかし、無産者たちの中には、一生懸命
勤勉に働いて、資産を持てるようになって、資産階級に這い上がろうとする人が結構いた、と魯迅も梁氏以上に認識している。
 1949年に共産党政権が成立したが、上海や天津などの租界のあった大都会は
もちろん、山西省などの田舎でも、戦前の「大金持ち」「民族資本家」などは、
一定の財産所有を許されていたし、彼らの協力無しには新中国の建設もなにも
はかどらなかったから、やむを得ぬ措置であった。
 それが20年経って、1960年代の後半になっても一向に改善されるどころか、
無産者の生活は飢饉などで悲惨な一方、有産者たちは裕福に暮らしていた。これを自己の復権を図る毛沢東とその取り巻きたちが、なんとかせねばならぬ、と考えた結果、発動したのが、「プロレタリア文化大革命」であった。
 当時はほんの「一握り」の実権派、すなわち有産者、を「資本主義の道」を
歩む「走資派」と呼んで、「ソ連の修正主義」と同様に、批判否定して叩き潰そうとしたのが、このプロレタリア文化大革命であった。
 私の知っている「資産」を戦前から受け継いで暮らしていた人々は、家を追い出され、牢に繋がれた。有産者はすべて無産者になった。これが、この文化大革命の最大の目的であり、成果だとも言えよう。
 しかし、10年ほど、そうした運動が続いたが、結局は政権を我がものにしようと企む人たちの間の、権力闘争に堕してしまったから、人々の暮らしは益々
困窮し、世界的にも最貧の状態、無産と化した。
 これではならじと「改革開放」に立ち上がったのが30数年前。人民公社は
廃止。農民にそれぞれの土地を分けて、請負制にした。地方政府に土地の使用権を分譲できるようにして、香港をはじめとする日欧米の外資を呼び込み、産業を復興させた。それによる雇用創出と税収増大で、豊かになり始めた。
 「無産階級」の為に発動したプロレタリア文化大革命の結果、まずは、沿岸の開発区をはじめとする大都市の「無産者」を「有産者」に変え、農村から
出稼ぎに都市に出てきた「無産者」をも「有産者」に変えつつあった。
 今、大都市に昔から住んでいた人々は、高層の豪華マンションを所有し、立派な家具付きの家で暮らす。大都市の半分以上は中流以上の「有産者」となって、マイカーが北京の路上を常時渋滞にするほどになった。
 ロッキード事件で退陣させられた田中角栄の受け取った賄賂は3億円であった。温州の大事故を起こした鉄道建設で前任の鉄道相たちが取った賄賂はなんと2千億円という。大変な資産階級を生みだしたものだ。
 21世紀の中国で「蟹工船」のような「無産文学」を読む人はいるだろうか。
            2011/07/27

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「文学の階級性」3

3.今回の「天上の本より難しい」無産文学理論の翻訳は、梁氏に少なからぬ影響を与えた。内容は理解できぬが、影響は受けたというのは滑稽なようだが、ほんとのようだ。この評論家は「文学に階級性はあるか?」で:「私は今、所謂無産文学理論を批評しているが、ただ私の理解できる少しばかりの材料によるのみ」と言う。これはとりもなおさず、この理論に関する知識は極めて不完全だと言っているに等しい。 但し、この罪に対しては、我々(「天上の本」より難しい本の訳者すべてを含むので「我々」と称す)も責任の一端しか負えない。残りは作者自身の無知と怠慢によるものだ。「ルナチャルスキーとかプレハーノフ」の本は私も知らない。「ボゴダーノフの類」の三つの論文とトロツキーの「文学と革命」の部分訳なら英訳が出ている。英国には「魯迅氏」はいないから、訳もきっと非常に分かりやすいだろう。梁氏は偉大な無産文学の誕生を待ってみよう。待とう、と彼の忍耐と勇気を示しておきながら、今回理論に対しては、いささかも待てないのか?他の本を探してからというわけにはゆかぬのか。有るのを知らないで求めぬのを無知といい、知っていながら求めぬのを怠慢と言う。単に黙坐してるなら、それも「爽快」かもしれぬが、一旦口を開いたら冷気は喉にすぐ入ってくる。 例えばあの「文学に階級性はあるか?」という高名な文章の結論は階級性は無いというもの。階級性を抹殺しようとする点、もっとも徹底しているのは、呉稚暉氏の「何がマ(馬)ルクスや牛クスだ!」と、某氏の「世の中に階級というものは無い」という学説だと思う。本当にそうなら全ての議論は収まり、天下太平となる。しかし梁氏は、その「何がマルクスか」の毒にあたってしまい、まず多くのところで、資本制度が行われていて、その制度の下で無産者がいるということを認めている。しかしこの「無産者はもともと階級の自覚は無い。数名の同情心にあふれた、過激なリーダーたちがこの階級観念を彼らに授けたのだ」彼らに聯合をうながし、闘争の願望を抱かせた。その通りだが、伝授者は同情心からなどではなく、世界を改造しようと考えたからだと思う。況や「もともとそんな意識も無い」ものは自覚のしようもないし、激発のしようもない。自覚し激発できるのは、もともと有ったからである。 もともと有るものは、暫くは隠せても、ガリレーの地動説、ダ―ウィンの生物進化論のように、当初は宗教家に焼殺されたり、保守派から攻撃されたが、今の人々はこの両説を奇としなくなった。それは地球が自転しており、生物が確かに進化しているからだ。存在を認めておきながら、存在せぬと粉飾することは、神技でなければできぬことだ。 しかし、梁氏は自ら闘争をしなくてすむ方法を持っていて、ルソーの言うように:「資産は文明の基礎」で「資産制度を攻撃するのは文明に歯向かうもの」で、「一無産者が将来見込みがあるとすれば、一生苦労をいとわず、勤勉につとめれば、何名かは相当の資産を得ることができる。これこそ正当な生活闘争の手段である」ということを正しいと考えている点だ。 私が思うに、ルソーは150年前に亡くなっているが、過去と未来の文明が、全て資産を基礎としているとは考えていなかったろう。(但し、経済関係を基礎とするというなら、それは正しいが)ギリシャ・インドには文明があり、繁栄した時はどちらも資産社会ではなかったということは、彼も知っていたろう。知らないとしたら、それは彼の間違いだ。 無産者は苦労して有産階級に這い上がる「正当」な方法は、中国なら金持ちの旦那衆が気分の良い時、貧しい労働者に訓示を垂れるという例がある。実際今も「苦労して勤勉に」上級に這い上がろうとする「無産者」も大変多い。しかしそれはこの「階級観念を伝授する」人がいない場合である。伝授されたら、一人ひとりが這い上がろうとするのではなく、正に梁氏の言うように、「彼らは一つの階級であり、組織しようとし、集団となって常軌に従わず、一躍して、政権・財産権を奪取し、一躍支配階級になる。しかしそれでもなお「苦労して勤勉に働き、将来きっと相当な資産を持てる」と思う「無産者」も勿論いる。それはやはり、まだ金もうけできていない有産者である。梁氏の忠告は、無産者には嘔吐すべきものであって、ただ単に旦那衆と互いに御世辞をいいあっているに過ぎない。 それなら将来はどうなるのか?梁氏は心配無用という。「この種の革命の現象は長続きせず、自然進化を経て、優勝劣敗の法則が証明するし、利口で才能のある人が優越な地位を占め、無産者は相も変わらず無産者のままだ」という。 しかし無産者も多分わかっているように、「反文明の勢力は早晩文明勢力に征服される」から所謂「無産階級文化――そこには文芸・学術も含む――をうち立てようとするだろう。 さあこれから、やっと文芸批評の本題に入るとしよう。     訳者雑感: 魯迅自身、自分はどちらの階級に属していたかは明白に意識している。中国には、裸一貫で天秤棒を担いで1年365日休まず働いて、資産を蓄え、それを元手(資本)に商売を始め、店を構え、それを拡充して、旦那衆の仲間入りを果たす、という中国の夢が、かつてのアメリカンドリームと同じように、3千年以上続いてきた。東南アジアに渡って成功した移民たちは、殆どこの例に属す。魯迅の先祖も中国の内陸から紹興に移ってきて、成功した移民であった。 本文では、そうした中国夢の伝統に根ざした梁氏の「文学に階級性は無い」という説に対して、猛烈に反論を展開している。彼自身も文芸・文学は閑と銭のある人間しか書けないし、鑑賞もできないという考え方で育ってきたし、事実それを認めてもいる。しかしロシアでの「無産階級の文芸」論など懸命になって読み、理解しようとして、自分の影でもある梁氏に反論している。それはつい数年前までの自分が考え、感じていたことだからよく分かるのだ。 これまでの文芸は、中国の夢を叶えるために現状肯定派たち、既得権を手放したくない人々によって守られ育てられてきたものだ。それを一度こわして、無産者が集団となって、一躍支配者になるような仕組みを作ることが必要だ。そのための文芸は どういう方向を目指すのか。 さあ これから本題に入ろう。 というまえがきだと思う。  ここまで訳してきて、22日の日経新聞に「中国の都市化」が改革開放の結果 20数パーセントから40数パーセントに上昇したと報じていた。13億人の内、 2-3億人が農村から都市に移ってきた計算だ。しかし新聞に依ると、中国の都市にインドやインドネシアなどの様な農村から来た人たちのスラム街が無いのは、農村戸籍を都市戸籍に移させない政策に拠っているとしている。 現実には外国人記者には見えない所、見えない形での貧民屈はあるのだが、ボンベイやジャカルタのようなスラム街を形作っていないだけである。都市に流れ込んでくる(農)民工たちは、農村で小麦を植えているだけでは、生活してゆけないから出てきたのであって、政府は小麦の買い上げ価格を引き上げて、農民が都市に出稼ぎに来なくても生活できるように努力はしている。 しかし、全ての民工がそうだとは言えないが、その中には、梁氏の指摘したように、「苦労して勤勉に働いて」元手をためて上級に這い上がろうとする農民も多いのは確かだ。大連の街中でも、四川省や雲南省から来た人々が、リヤカー一台でチリンチリンと故物回収に回り、集めてきた瓶やペットボトルをなどを、4-5人の家族みんなでひとつひとつより分け、それぞれの買い手の所へ持ちこんで、生計を立てている。携帯電話を持ち、商売になりそうな物件の情報交換もしているが、日に焼けた顔には暗さは微塵もない。いつか元手をためて、三輪自動車を買い、更にはトラックを買おうと彼らの中国の夢は膨らむ。    2011/07/22訳

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「硬訳」 文学の階級性 2


2.
だが私が最も面白いと感じたのは、引用した梁氏の文中に「我々」という
字が2か所あることで、「多数」や「集団」という気配が濃厚なことだ。勿論
作者は、一人で執筆しているのだが、気分は一人ではなく「我々」というのも
間違ってはいないし、読者に力強さを感じさせ、一人だけの双肩で責任を負っているのではない。しかし「思想が統一できぬ時」「言論が自由であるべき時」
正に梁氏が資本制度を批評するのと同様、ある種の「弊害」もある。例えば、
「我々」には我々以外の「彼ら」があり、新月社の「我々」は私の「死訳の
風潮を放置してはいけない」と考えるが、それとは別に、読んでも「何も得る所は無い」とは思わない読者もおり、私の「硬訳」はまだ「彼ら」の中に生存していて、「死訳」とは一定の区別があるのだ。
 私も新月社にとっては「彼ら」の一人で、私の訳と梁氏の求める条件とは、
全てが異なるからだ。
 あの「硬訳を論ず」の冒頭に、誤訳は死訳に勝るとして:「一冊の本に断じて
全てが曲訳というものはありえない…部分的に曲訳、或いはそれが間違いであり、読者を誤解させたとしても、またその間違いが大きな害を及ぼすかもしれぬが、結局は読者が爽快に感じるのだ」という。最後の2句は、圏点をつけても良いくらいだ。私はこれまでそんなことはしたことも無い。私の訳は元来、読者の「爽快」を博すためではない。往々にして不愉快にさせ、甚だしきは、憂鬱にさせ、憎悪させ、憤慨させるものが多い。読んで「爽快」になるというのは、新月社の面々の訳で:徐志摩氏の詩、沈従文凌叔華氏の小説、陳源氏の閑話、梁実秋氏の評論、潘光旦氏の優生学、それにバビット氏の人文主義がある。
 だから梁氏が後文にいうように:「こういう本は地図で探すように、指で語法の脈絡関係を探りながら」云々というのは、とてもおかしなことに思える、
言わずもがなではないかと思う。私に言わせれば、「こういう本」を読むのは、
地図で探すように指で「語法の脈略関係」を探るように読むものなのだから。
地図で探すのは「楊貴妃出浴図」や「寒季の三友(松竹梅)図」を眺めるような「爽快」さ、は無い。甚だしきは、指で探る(というのは多分梁氏自身がそうしているからで、地図を見慣れている人は、目だけで簡単に探せる)ことも
せねばならぬこともあろう。但し、地図は死図ではない:だから「硬訳」は
同じ労を費やすけれど「死訳」とは「一定の差」がある。ABCDを習ったから、
自分は新学派だと任じていたとしても、化学方程式とは関係なく何も分からないとか、ソロバンができるから、算術家だと自任していても、やはり筆算での
演算を重視するなら、やくたいもない。
 今の世の中、一人の学者が全てのことに関わりあうことはできない。
しかるに、梁氏はその例外で、「前後の文章が無いから、意味は判然としないが」と言いながら、私の訳を三段引用しているのだ。また「文学に階級性はあるか」という文でも似た手口で2首の訳詩を引用して「きっと偉大な無産文学はまだ出現していないから、私は待つことにしよう。待ってみよう。待とう」と。
 この方法は誠に「爽快」だ。しかし私はこの月刊「新月」の創作――そう、
創作なのだ!――「引っ越し」の第8ページから一段を引用しよう。
「ヒヨコに耳はあるの?」
「ヒヨコに耳が有るのを見たことはないわ」
「それなら、どうやって私の声が聞こえるの」
彼女は一昨日、四(よん)おばさんが教えてくれた、耳は音を聞くため、目は
ものを見るためにある、ということを思い出していた。
「この卵は白い鶏のなの、黒い鶏のなの?」枝児は四おばさんの答える前に、立ち上がって、卵を触りながら訊いた。
「今はまだ分からない。ヒヨコに孵ったらわかるよ」
「婉児ねえさんは、ヒヨコは鶏になるのよと言ったわ。このヒヨコたちも鶏に
なるの?」
「餌をあげて、大事に育てれば、大きくなるよ。この鶏だって買って来た時は
こんなに大きくなかったでしょ」
 もう十分だろう。「文」は分かるし、指で脈絡を探すまでもない。しかし私は
「待って」もいられない。この一段は「爽快」でもないし、ほとんど創作とは
縁遠いしろものだ。
 梁氏は最後に詰問して曰く:「中国語と外国語は違うから…翻訳の難しさはここにある。もし二つの言葉の文法や句法が全く同じなら、翻訳という仕事は成り立たつだろうか?…句法を変換してみて読者が分かるようにするのが第一義で「辛抱強く」というのは楽しいことではないから、更に「硬訳」も「元来の
精悍な語気」を保てるとは限らぬから。
 もし「硬訳」が「元来の精悍な語気」を保てるなら、正に奇跡だろうし、それでも中国語に「欠点」があるなどと言えようか?
 私もそれほど愚かではないから、中国語と同じ外国語を探そうとか、「文法、
句法の全く同じ外国語を望んだりはしない。が、文法が複雑な言葉は、外国語に翻訳し易いし、語系として近いのは訳し易いと思う。だがやはり一つのれっきとした仕事である。オランダ語のドイツ語訳、ロシア語のポーランド語訳は
仕事ではないといえようか?日本語と欧米語はたいへんな「違い」があるが、
彼らは徐々に新しい句法を増やしていて、古文に比べて、翻訳にも便利で、しかも元来の精悍な語気を失っていない。最初はもちろん「句法の脈絡関係」を手探りしなければならず、一部の人には「不愉快」な気持ちにさせたが、
それらの過程を経て、今では同化し、自分のものとなった。中国の文法は日本の古文よりさらに不完備な点が多いが、変遷はしてきており、「史記」「漢書」ではもう「詩経」と違っている。今の口語文も「史記」「漢書」とは違っており、
いろいろ増やし、造語してきている。
 唐の仏典漢訳や、元の(モンゴル語の)詔勅の漢訳は、当時としては「文法句法詞法」など新たに作ったものだが、習慣的に使われるようになり、指でなぞらなくても分かるようになった。今また「外国語」の多くの句が入ってきて、
新造せねばならなくなり、悪く言えば硬造となった。
 私の体験ではこうして訳した方が、何句かに分けるより、元来の精悍な語気が保てるが、新造の漢訳を待たねばならぬから、そこに元々の中国語の欠点が有るわけである。何も大仰に奇跡とか、なんとかせねばと言うほどの事も無い。
 ただ「指で探りながら」とか「辛抱して」などに依存するのは不要で、そんなことは、有る人たちには「不愉快」だろう。だが私は元来「爽快」とか「愉快」をそういう諸公に献じようなどとは思ってもいないし、若干の諸君が何か
得る所が有れば、梁氏「たち」の苦楽や「何も得る所なし」などは、「私には
浮雲の如し(論語)」である。
 但し、梁氏はもとより無産文学理論に助けを求める必要も無く、依然として
御わかりになっていないのは、例を挙げると、「魯迅氏が数年前に翻訳した文学、
例えば厨川白村の『苦悶の象徴』は分からないではないが、最近訳したものは、
風格が変わったようである」と言う点だ。
 常識が少しでも有る人ならご存知だろうが「中国語と外国語は違う」が、同じ外国語でも作者各人の書き方「風格」と「句法の脈略」も大いに違うし、文章も長いのや、簡潔なの、名詞も一般的なものと専門的なものなど、同じ外国語でも難易度に差がある。私の「苦悶の象徴」の訳は今と同じで、規則に従い、句をおって、甚だしきは一字ごとに訳したが、梁氏にはおわかり戴けたようで、
やはり原文がもともと分かりやすかった故か、或いは梁氏が中国の新進の評論家の故だろう。文中に硬訳した句は比較的見慣れたものだったためだろう。
寒村で「古文観止(古典文集)」しか読んでない学者たちにとってはきっと
「天上の本」よりずっと難しいことだろう。
      2011/07/14
 
訳者雑感:
 中国語の欠点は、外国語を日本の様に音をそのままカタカナ表記で済ませ、
その意味を原義どおりに認識するということが難しいということが言われる。
アメリカを日本ではアメリカとか米国というが、中国語では美国といい、イギリスは英国でこれは多分日本が輸入したのだろうが、英明な気分が伝わる。
フランスは仏と訳していたこともあったそうだが、仏教とは無関係だとして
法律の国だから、法国。ドイツは独ではなくて徳のあるというイメージの徳国。
これは欠点であると同時に、一字一字が意味を持っているという特長でもある。
漢字の裏に秘められた意義から離れてその音だけを使うことは難しい。
日本語のカタカナ語も外来語の原義を正確に認識して使うことは非常に難しいことではある。テレビと電視、パソコンと電脳、ラジオと無線電(収音機)などの具象的な物なら認識は容易だが、デモクラシーとかコミュニズム等は李大釗の頃は、徳(デモクラシ―の頭文字)、亢(コミュニズムの頭文字)などを充てていた由。右からの縦書き、または横書きではローマ字を挿入するのは難しかっただろうから、漢字に変換せねば読みづらいこと甚だしかったろう。
今は左からの横書きが主流となり、縦書きの本は古文を除けば、殆ど見書かなくなった。しかし、左からの横書きでも日本の本のように、ローマ字のまま引用されているケースは科学書を除くと大変少ないと思う。
 外国の人名、地名はぜひともローマ字でそのまま記載して欲しいと思う。
日本で中国の人名、地名に中国音でルビを付けるようになったが、中国で東京や山田を日本音のローマ字でルビをふった文章は殆ど、見かけない。
 
 閑話休題。魯迅が本文で唐代の仏典とか元代の詔勅のモンゴル語から中国語への転換を通じて、中国語も外国語の翻訳に対応するため、変化してきたと指摘している。三蔵法師は、サンスクリット語を解したわけではないが、サンスクリット語を解する人たちにその原義を口頭で中国語の口語文に転換してもらい、それを彼の言語中枢を駆使して、文章語としての漢語に転換したものだと
言われている。音も近く意味もそれなりに正確に近い訳と感心するが、般若心経の最後のギャーティ ギャーティは音そのままにしてある。これが原義を損ねず、その意味は「かくかくしかじか」と諭すことの方が受け入れる人に力強い印象を与えるに違いないと確信したからであろう。
 魯迅がもう一つ挙げている、元代の詔勅の漢語訳のことだが、現代中国語の
文章は、ウラルアルタイ語系の言い回しに大きく影響を受けていると言われていることと関係すると思う。魯迅自身も彼の中国語は日本語の影響を受けていると認識していたと思う節がある。訳者もシンガポール、北京、上海、天津、
大連などで、日本語を解する中国人と話していて感じることは、彼らは私が日本人であることを頭のどこかに感じながら、私に向かって日本人が理解しやすいような中国語で話してくれることを、しばしば感じたものだ。彼ら同志が、
夢中になってケンカ腰で罵りあっている時のネイティブな漢語とは違うようだ。
 それは、元代のモンゴル人がモンゴル語で公布する詔勅を漢語に訳すときから、始まったのではないかと思う。元が明に追われて、又純化がなされたかも
しれぬが、次にやってきた満州族も同じようなウラルアルタイ語系の文法句法でものごとを考えしゃべるから、彼らはモンゴル人のようにモンゴル語を押し付けたりするのではなく、彼ら自身が漢語を習得する段階で、満州語の言い回しで漢語をしゃべりだしたので、満州人の役人がしゃべる漢語に合わせて、被支配者の立場であった多くの漢族官吏や商人、町民たちが彼らに理解しやすい
文法、句法で漢語を変化させていったものではないか、と思う。
古文ではS V O、我写信了、と簡潔明瞭であったが、S O Vという形も、時には便利だと感じて、 我把信写完了という口語を文章化して定着させたのではないか、と思う。本訳文体が古めかしい従来の文体より新鮮に感じたとき、
翻訳口調が定着していったのだろう。(上記の漢語は「手紙を書いた」の意)
 それにつけても、昨今の流行歌(?)、もはやこの言葉も手垢がついてしまって、殆ど使われなくなったが、歌詞の半分以上がカタカナ語、或いはローマ字
そのままの歌がなんと増えたことよ。題名そのものも英語のままで、これで
本当に日本人同志の意思疎通が図れているのか、疑わしくなるほどだ。だが、
これも、満州人に支配された漢族が漢語を変化させざるを得なかったように、
米国に占領されて映画や音楽などのアメリカ文化を浴びるほどに施されて来た影響によるものなのだろうか。戦後の20年ほどは確かに英語の氾濫が到るところで起こったが、古い日本映画や音楽も大切にされてきたし、我々世代の心に残っているものは、アメリカのものと日本のもの両方が入り混じっていると思う。それが2000年前後から、逆に殆どがカタカナ、ローマ字表記の文化に変換してきたのは、どうしてだろうか。脱漢字文化には違いない。
    2011/07/14記す。
 
 
 

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1930年 「硬訳」と「文学の階級性」

1.
 「新月」月刊集団は近頃好調らしい。噂通りのようで、私のような交際範囲の狭い男でも2人の若い友人が第267合併号を手にしていた。中身は「言論の自由」と小説が多かった。終わりの方に、梁実秋氏の「魯迅氏の『硬訳』を論ず」があり、「死訳に近い」と考えている由。そして「死訳の風潮を放置しては成らぬ」と私の3段の訳文を引用し、又「文芸と批評」の後記に私が書いた:「しかし、訳者の能力不足と中国文の欠点から、訳し終えて一読してみても、晦渋でとても難解なところが多い。複合句をばらしてしまっては、元の語気を失うし、私にはやはりこのような硬訳以外にいい方法は無い。唯一の希望は、読者が辛抱強く読み進めてくれることを願うのみ」、という文章に御丁寧に圏点をつけ、さらに「硬訳」には二重丸をつけ、「厳正」に「批評」を下して:『我々は辛抱強く読み進めたが、得る所は何もなかった。「硬訳」と「死訳」にどんな差があるというのか?』
 新月社の声明では、なんの組織もないというが、論文には無産階級式「組織」
を痛く憎んでいるようで、「集団」という言葉は、実は組織であるということで、
少なくとも政治論文については、この一冊中にもすべてが互いに「照応」して
いて:文芸についてもこの文章は、上述の同じ評論家の「文学に階級性ありや?」
という文章の余波である。その中で:「…だが大変不幸なことに、この種の本は
私に理解できるものは一冊もない。
…とても難しいと感じさせるのは、……
まったく天上の本よりずっと難しい。…現在中国人はまだだれも自分たちが分かる言葉で、我々に無産文学の理論とは一体いかなるものかを教えてくれる文章を書いた人はいない」文字の横に圏点が付けてあるのだが、印刷の手間を考え、ここでは付けなかった。要するに、梁氏は自分を全ての中国人を代表していると任じているようだが、これらの本は自分が分からぬから、全ての中国人も分からぬと考ええいて、中国ではそうしたものの命を絶つべきだとし、「この風潮を放置しておいてはならぬ」という。
 他の「天上の本」の訳著者の意見を私は代表できぬが、私個人の問題としても、事はそう簡単ではない。第一、梁氏が自ら「辛抱強く読んだ」と思っているそうだが、本当に辛抱強く読んだかどうか、できたかどうか、やはり疑わしい。辛抱強くといっても、実は綿のごとくふわふわと読んだのではないか。それは正しく新月社の特色なのではあるが。
第二、梁氏は自ら全中国人を代表しているそうだが、本当に全国の最優秀者かどうか?も問題だ。この問題は「文学に階級性があるか?」という文章から
解釈できる。Proletaryは音訳するまでもない。意訳で十分説明ができる。だが、
この評論家(梁氏)は却って言う:『辞典にはこの言葉の涵義は体裁がよくない、
「ウエブスター大辞典」には:
A  citizen of the lowest class who served the state not with property, but only having children. ……プロレタリアは国家でただ子供を産むことができるだけの階級!(少なくともローマ時代はそうだった)』この体裁をどうこう言うこともない。少しでも常識のある人なら、現在をローマ時代と同じとは考えないし、現在の無産者をすべてローマ人とは考えはしまい。それは丁度Chemieを「舎密学」(化学)と訳しても読者はエジプトの「錬金術」と混同はしないし、「梁」氏の文章もけっしてその語源まで考証して、「梁という一本の丸太橋」がペンを執っているなどと誤解はしないのと同じ。「辞典をひいて(ウエブスター大辞典を!)も、やはり「得る所は無い」と、
おっしゃるが、全ての中国人がそうだとは言えまい。
 
訳者雑感:
 本文は6部あり、扇風機だけの部屋であまり長く翻訳をすると「硬訳」どこ
ろか「死訳」になりかねないので、少しずつ雑感を交えて休憩することにした。
 魯迅は「新月社」の梁実秋氏からの攻撃に、猛然と反撃する。ウエブスター
大辞典のProletaryの英英辞典としての訳を引用することにより、ローマ時代
のプロレタリアとは「ただ子供を産むことで国にserveする」階級だという点
を強調する梁氏の「時代錯誤」を咎めるに、まさか「梁」という一本の丸太橋
或いは丸太棒が文章を書いているなどと、誰も考証はしないように、現在の
プロレタリアはローマ時代の「ただ子供を産むだけで国に奉仕している階級」
という定義とは違って来ていると反論している。
 手元の研究社の英和辞典には:
L. Proletarius furnishing the State with Children 無産階級、労働社会などとの訳が付いている。
資産を持つブルジョア
階級とその資産に勘定されていた奴隷との間の階級と言えようか。
 いずれにせよ、ウエブスターも研究社も、おおもとの英語辞典編者のプロレ
タリアという語源が「国家に子供を提供するだけの階級」という、支配者側の
作った「範疇」から説明しているのは、辞典が「支配者」「知識階級」中国で
いうところの「士大夫」「読書階級」の手になるものだということが分かる。
 中国人は人を罵るのに、相手の姓名や字を「考証」して分解、語呂合わせで
巧みに罵る。「梁」という姓も天井の梁だし、丸太橋がそもそもの意味だが、
まさか丸太橋が「高尚」な文章を物にするなどと誤解はしないよ、との皮肉。
     2011/07/10
 
 

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「二心集」 序言

 1930年から31年の2年間の雑文をまとめた。30年ごろから刊行物が段々少なくなり、予定通りに出版できぬ物もでた。日増しに厳しくなる圧迫の為、「語絲」と「奔流」は郵便局で拘留され、地方では発禁とされ、ついにたちゆかなくなった。当時投稿できたのは、「萌芽」だけだったが、それも第5期で禁止され、次に「新地」がでた。それゆえ、この1年で本集に収めたのは十篇に満たぬ。 この外、学校で2-3回講演したが、記録されず何を話したかもう定かでない。ある大学で話したテーマは「象牙の塔と蝸牛の家」で大意は象牙の塔のような(現実乖離の)文芸は今後とも中国には現れない。環境が全く違うからで、ここでは「象牙の塔」を建てる場所さえない:その代わりにまもなく現れるのは、せいぜい数戸の「蝸牛の家」のみ。それは三国時代の所謂「隠逸」の焦先が、住んでいた草庵で、多分今の(上海)北部の貧乏人の手で作られた草ぶき小屋の如きもの。それより小さく、中にはなにも無く、身をひそめて暮らすのみ。外にも出ず、動きもせず、無衣、無食、無言の生活。 当時は軍閥混戦で、いつ何時殺掠されるかもしれず、そんなことにあってたまるものかと思っていた人は、命長らえるために、そうする外なかった。但し、蝸牛の世界に文芸があろうか?だからこんな風にしていたら、中国の文芸が無くなるのは必定だ。こんな話をすること自体、蝸牛じみているが、ほどなく勇敢な青年が政府機関系の上海「民国日報」で、私を批判し、私のしたそんな話を大変軽蔑して、私には共産党の話をする勇気もないからだ、とした。
 謹んで「清党」以後の党と国のことを考えるに、共産主義の話しをするのは大罪とされるし、補殺の網は全中国に張り巡らされている。だが話さないと逆に党と国のために(働いている)青年に軽蔑される。これでは実際もう本物の蝸牛に成るの外は無い。それでやっと「罪を免れますように」との福を得る。 その頃、左翼作家がソ連からルーブルをもらっているとの説が、所謂「大新聞」とタブロイドに出、他にも紛々と宣伝し始めた。新月社の批評家も傍らから、力を込め出した。新聞数紙は先の創造社派の数名がタブロイドに載った記事を拾いあげ、私をそしって「投降」したと攻撃した。 ある種の新聞は「文壇弐臣伝」を載せ、その一人は私だとした――その後は、もう載せ無くなったようだが。 
 ルーブルのデマは何回も聞いた。6-7年前、「語絲」が北京で陳源教授と他の「正人君子」たちの話に及んだ時、上海の「晶報」に「現代評論社」の主筆、唐有壬氏の手紙を載せ、我々の言動は全てモスコーの命令に従っているとした。これ叉まさに祖伝の手法で、宋末の所謂「虜(北方の敵)に内通」:清初の所謂「(台湾で抵抗した鄭成功のいる)海外に内通」の伝で、こういう口実で多くの人を害してきた。根も葉もないことで人を陥れるのは、中国の士君子の常道で、単に彼らの識見ではなく、世の中すべてが金で動いているということが、ここから見てとれる。「弐臣」の説はとても面白いと感じた。私も反省するに、時事問題について、たとえペンを執って書いてはいなくとも、時に腹誹は免れず、「臣の罪は当に誅すべし、天皇(の仰せ)は聖明です」と言いながら、腹誹していては、けっして忠臣とは言えまい。ただ御用文学家が私に与えた(弐臣という)徽号から推察するに、彼らの「文壇」には皇帝がいるのがわかる。 
 去年偶々、F.Mehringの論文をいくつか読んだ。大意は崩壊する旧社会で、少しでも意見を異にする人、二心をもつ人は、きっと大変な苦しみに遭う、という。そしてそれを最も凶暴に攻撃陥害しようとする者は、その人と同じ階級の人だ。彼らはそれを最も憎むべき叛逆とみなし、他の階級の奴隷の叛乱より憎むべき対象ゆえ、必ず彼を除かねばならぬと考える。 古今内外、ものごとはこうでないことは無い、ということを初めて知った。正に読書は気を養うことができる。それで、それまで抱いていた「現状不満」は無くなり、「三閑集」の例に倣い、その意を換えて、本集の名とした。しかしこれは私が無産者だという証明ではない。一つの階級の中でも末期には、常に仲間同志でもめごとを起こし、騒ぎ出すのは「詩経」にもあるように「兄弟墻に鬩(せめぐ)」で――しかし最後には逆に「外に其の侮りをふせぐ」とは限らぬが。たとえば軍閥間でも年中、互いに相戦うとしても、まさかある一方が無産階級だということもあるまい。 しかも私は時に自分の事情を話しだし、どんな具合に「壁にぶつかった」か、どんな具合に蝸牛になっているのか、あたかも全世界の苦悩を一身に背負っているごとく、大衆に替って罪を引き受けている如く:当に中産知識階級分子の悪い性癖だ。ただ元々この熟知した階級を憎み、その潰滅を毫も惜しまないが、後にまた事実の教訓を受け、ただ新興の無産者のみに将来があるのは確かなことだと思うようになった。 
 31年2月から前年より量が増えたが、刊行物も異なり、文章もそれらとのバランス上、「熱風」のような簡単なものは少なく:私に対する批評を見て、ある種の経験を積み、評論もとても簡括になったようで、意図せぬ誤解を受けやすくなり、また意図的に曲解され易くなったようだ。 また、その後はもう「墳」のような論文集を出そうとか、「壁下訳叢」の如き訳文集も出さず、今回多少長い物も収め、訳文は「現代映画と有産階級」を、末尾に添えた。中国の映画は早くから流行してきたが、このように要扼した論文は少ないから、世事に関心ある人は一読の要あり、と思う。また手紙は片方だけでは読者も往往判然とせぬであろうから、必要に応じ独断で来信も載せた。 
                                       1932年4月30日之夜、編集終えて記す。

訳者雑感: 
 題名「二心集」の由来を説く序言。自らを「中産知識階級分子」と自覚しつつ、将来は「無産階級」のみにある、と記す。自分の属する階級の潰滅を毫も惜しまぬが、自分は「無産階級」ではない。そこに二つの心が生じる。 彼が今生きている社会の支配者たちを支えているのは、こうした「中産階級」であって、それを覆そうとしているのは「無産階級」であるから、彼は覆される対象の階級にいる。それでも一心にどちらかの階級のために身をさし出そうとはしきれていない。
 二つの心の中で揺れ動くが、Mehringの言うように、崩壊しつつある旧社会で、少しでも違う意見を持つ人、二心のある人はきっと大変苦しむという。彼がこの雑文集で論を戦わすのは、彼を最も憎いと思う、陳源等、彼と同じ階級に属している人間たちが相手である。違う階級の奴隷の叛乱より、同じ階級の意見を異にする相手を除かねばならぬと考えるから。  昨今の中国の同じ共産党という階級の中での「孔子像派」と「紅歌派」との争いは、江沢民氏の健康問題からどのような影響を受け、どう展開してゆくのだろうか。     2011/07/08訳

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