これは十年来訳者が翻訳した百篇近い文章から、余り専門的ではない物を選び、読みやすく一冊にまとめ、広範な読者に伝わるようにしたものである。
1.これを読めば最近の進化学説の状況と 2.中国人の将来の運命が分かる。
進化論が中国に入って来たのは頗る早く、遠くは厳復がハックスレーの「天演論」を訳述したが、空しい名詞をただよわせただけだった。第一次大戦時代、論客たちにたいへん誤解され、今や名目すら気息奄々の状態。その間学説は数次の変遷をへて、De Vriesの突然変異説が興り、またすたれ、ラマルクの
環境説は廃されて叉復興し、我々は自然に生息しているが、自然の大法則の研究は、大抵がまだ意を尽くし切れていない。本書の首尾は、各2編で、新ラマルク主義の立論で概略を窺い知ることができ、欠けたところをほぼ補う。
但し、最も大切なのは巻末の2編で、砂漠が南進しつつあることや、栄養を保持することが難しくなっていることは、中国人にとって特に重要で、極めて切実な問題であり、解決できぬと結果は滅亡を意味する。中国古史の探索の難しさを解くことができるし、中国人が(世界で)一番耐久力がある、という
謬説を打破できるのは、副次的な収穫に過ぎぬ。森林を伐採し尽くし、水沢は
枯渇し、将来一滴の水が血液と等価となる。これを現在と将来の青年に記憶してもらえるならこの本の収穫は非常に大きい。
然し、自然科学の範疇はここまでで、与えられた解答も只只治水造林だ。これは一見とても簡単容易なようだが、事はけっしてそれだけでは済まない。私はスメドレー女史の「中国の農村生活断片」の二つの話を引用してその証としよう。―――
『彼女は明日(北京の昔からの皇帝の狩場)南苑に行き、獄吏に頼んで、彼女の親属を釈放してもらう、と言った。其の人は60人のそれぞれ個別の村人で、男も女もいて、3か月前に捕えられ収監された。そこでは、食べるものがすべて無くなってしまったから、木の枝を切り、樹皮を剥いだ。彼らがこうするしかないのは、反乱の為ではなく、只木材を売って食糧を手に入れるためだ。』
『… 南苑の人々は収穫が無く食料も無く仕事も無い。この2畝(ム―)の田んぼも何の役に立つものか。… ちいさな擾乱でも、千人もの人が災民となってしまう。…南苑は当時(北京を軍閥が戦場としていた結果)樹木のほか、何も無くなり、農民が樹木に手をつけた時、警察は彼らを捕えて収監した』
(「萌芽月刊」5期177頁)
こうした樹木保護法の結果、樹皮を剥ぐことが増え、草の根を掘る人が増え、砂漠化を速めてしまった。但し本書は自然科学を範疇とするため、こうした点には触れていない。
この自然科学を論じることに次いで、更に一歩進め、解決を見いだせれば、
社会科学が生まれる。
1930年5月5日
訳者雑感:
食べるもの(中国語の原文は「生活手段」)が本当に何も無くなったとき、
戦前の中国人はどうやってしのいだか。我が子を他人の子と換え、食らった、という話を何回か読んだ。それほどになる前は、木の皮、草の根を食べたという展示を何か所かで見た。その結果、その地域一帯は禿げ山になり砂漠化した。
改革開放が進む中国では、もうこういうことを展示する所は無くなってしまったようだ。30年前までは、各地で戦前の農民が地主の搾取と自然の災害で、
食べるものが全くなくなってしまい、樹皮や草の根を食べたという実物大の
農民たちの像がたくさん展示されていた。いずれも昔の、食うや食わずの苦しい生活から今日のように何とか食べられるようになったのは、共産党の御蔭だ、
だから共産党に感謝して、農業生産を高めて、豊かになろう! であった。
だが現実は人民公社の仕組みでは、だれも懸命になって働こうとせず、生産高も増えず、農民の生活は豊かになることはなかった。
改革開放政策下、請負制を導入して、各戸に配分したら途端に生産意欲が向上し、農村に活気が生まれ、郷鎮企業なる村営企業が生活手段を広げて行き、
天災も比較的少なかったから、一気に右肩上がりに成長を始めた。
しかし、長年小麦などの買い上げ価格を(都市住民の生活防御のため)引き上げなかった咎めが出て、膨大な数の農民が農作だけでは食べてゆけず、都市への出稼ぎ工(農民工)となって、小麦畑は放置される所が出てきた。
耕作されない農地が増え、農村が荒廃したので、数年前から小麦の買い上げ価格を引き上げ、農民に生産意欲を持たせるようにしたが、出稼ぎの状態は
改善されず、都市には多くの農民工とその子供たちが何の保護もなく暮らしている。日本でも冬季の出稼ぎが状態であった時代があった。今の中国はあの頃の日本なのだろうか。あと何年或いは何十年すれば農民工が無くなるだろうか。
そのときが来たら、中国の成長も緩やかになり、成熟した社会になるだろうか。
2011/08/22訳
これは十年来訳者が翻訳した百篇近い文章から、余り専門的ではない物を選び、読みやすく一冊にまとめ、広範な読者に伝わるようにしたものである。
1.これを読めば最近の進化学説の状況と 2.中国人の将来の運命が分かる。
進化論が中国に入って来たのは頗る早く、遠くは厳復がハックスレーの「天演論」を訳述したが、空しい名詞をただよわせただけだった。第一次大戦時代、論客たちにたいへん誤解され、今や名目すら気息奄々の状態。その間学説は数次の変遷をへて、De Vriesの突然変異説が興り、またすたれ、ラマルクの
環境説は廃されて叉復興し、我々は自然に生息しているが、自然の大法則の研究は、大抵がまだ意を尽くし切れていない。本書の首尾は、各2編で、新ラマルク主義の立論で概略を窺い知ることができ、欠けたところをほぼ補う。
但し、最も大切なのは巻末の2編で、砂漠が南進しつつあることや、栄養を保持することが難しくなっていることは、中国人にとって特に重要で、極めて切実な問題であり、解決できぬと結果は滅亡を意味する。中国古史の探索の難しさを解くことができるし、中国人が(世界で)一番耐久力がある、という
謬説を打破できるのは、副次的な収穫に過ぎぬ。森林を伐採し尽くし、水沢は
枯渇し、将来一滴の水が血液と等価となる。これを現在と将来の青年に記憶してもらえるならこの本の収穫は非常に大きい。
然し、自然科学の範疇はここまでで、与えられた解答も只只治水造林だ。これは一見とても簡単容易なようだが、事はけっしてそれだけでは済まない。私はスメドレー女史の「中国の農村生活断片」の二つの話を引用してその証としよう。―――
『彼女は明日(北京の昔からの皇帝の狩場)南苑に行き、獄吏に頼んで、彼女の親属を釈放してもらう、と言った。其の人は60人のそれぞれ個別の村人で、男も女もいて、3か月前に捕えられ収監された。そこでは、食べるものがすべて無くなってしまったから、木の枝を切り、樹皮を剥いだ。彼らがこうするしかないのは、反乱の為ではなく、只木材を売って食糧を手に入れるためだ。』
『… 南苑の人々は収穫が無く食料も無く仕事も無い。この2畝(ム―)の田んぼも何の役に立つものか。… ちいさな擾乱でも、千人もの人が災民となってしまう。…南苑は当時(北京を軍閥が戦場としていた結果)樹木のほか、何も無くなり、農民が樹木に手をつけた時、警察は彼らを捕えて収監した』
(「萌芽月刊」5期177頁)
こうした樹木保護法の結果、樹皮を剥ぐことが増え、草の根を掘る人が増え、砂漠化を速めてしまった。但し本書は自然科学を範疇とするため、こうした点には触れていない。
この自然科学を論じることに次いで、更に一歩進め、解決を見いだせれば、
社会科学が生まれる。
1930年5月5日
訳者雑感:
食べるもの(中国語の原文は「生活手段」)が本当に何も無くなったとき、
戦前の中国人はどうやってしのいだか。我が子を他人の子と換え、食らった、という話を何回か読んだ。それほどになる前は、木の皮、草の根を食べたという展示を何か所かで見た。その結果、その地域一帯は禿げ山になり砂漠化した。
改革開放が進む中国では、もうこういうことを展示する所は無くなってしまったようだ。30年前までは、各地で戦前の農民が地主の搾取と自然の災害で、
食べるものが全くなくなってしまい、樹皮や草の根を食べたという実物大の
農民たちの像がたくさん展示されていた。いずれも昔の、食うや食わずの苦しい生活から今日のように何とか食べられるようになったのは、共産党の御蔭だ、
だから共産党に感謝して、農業生産を高めて、豊かになろう! であった。
だが現実は人民公社の仕組みでは、だれも懸命になって働こうとせず、生産高も増えず、農民の生活は豊かになることはなかった。
改革開放政策下、請負制を導入して、各戸に配分したら途端に生産意欲が向上し、農村に活気が生まれ、郷鎮企業なる村営企業が生活手段を広げて行き、
天災も比較的少なかったから、一気に右肩上がりに成長を始めた。
しかし、長年小麦などの買い上げ価格を(都市住民の生活防御のため)引き上げなかった咎めが出て、膨大な数の農民が農作だけでは食べてゆけず、都市への出稼ぎ工(農民工)となって、小麦畑は放置される所が出てきた。
耕作されない農地が増え、農村が荒廃したので、数年前から小麦の買い上げ価格を引き上げ、農民に生産意欲を持たせるようにしたが、出稼ぎの状態は
改善されず、都市には多くの農民工とその子供たちが何の保護もなく暮らしている。日本でも冬季の出稼ぎが状態であった時代があった。今の中国はあの頃の日本なのだろうか。あと何年或いは何十年すれば農民工が無くなるだろうか。
そのときが来たら、中国の成長も緩やかになり、成熟した社会になるだろうか。
2011/08/22訳
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