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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「唐三蔵取経詩話」

1931年  「唐三蔵取経詩話」の版本について
  ――開明書店中学生雑誌社へ――
編集者殿:
 本信を「中学生」誌に載せてもらえませんか?
事情は下記の通り――
「中学生」新年号に、鄭振鐸氏の大作「宋人話本」の中の「唐三蔵取経詩話」
について次のような話が載っており:
『この話本の時代は分からないが、王国維氏が巻末に:‘中瓦子張家印’という
数文字に依って、宋版と断定していて、頗る信頼に足る。ゆえにこの話本はきっと宋代のものだが、ある人は疑っている。しかし我々が元代の呉昌齢の「西遊記」雑劇を読むと、これはもともと、取経の故事誕生はきっと遥か昔で、呉氏の「西遊記」雑劇の前に違いない。言い換えれば、きっと元代の前の宋代に違いない。そして‘中瓦子’の数文字はそれが南宋臨安城中で生まれたものと証明しており、なんの疑いも無い』
 
 私は以前「中国小説史略」を書いた時、この本を元版だと疑い、収蔵者の
徳富蘇峰氏のご不満を頂戴した。だが誤りを退けるべく答弁し、後に雑感集に載せた。だから鄭振鐸氏の大作に「ある人」というのは「魯迅」を指し、唾棄しながら、相も変わらず何とかして恥をかかせまいとする好意に対し、私はきわめて恐れ入る次第だ。
 しかし私は、考証は固より荒唐ではならず、墨守も良くないと思う。世の中の多くのことは、常識を引き合いにだして結果を了然とする。蔵書家は所蔵する本の古いのを欲するが、史家はそうではない。ゆえに古書は欠筆で時代を決めてはダメだ。それは遺老がいまだに儀の字の末筆を欠いている例で分かる。
現在は確かにもう中華民国なのだから。
 また専ら地名で時代を判断してもダメだ。私は紹興に生まれたが、南宋人ではない。多くの地名は朝代ごとに改名されてはいないのだから。そして文章の
華やかさ、素朴さ、巧拙などで時代を判断してもいけない。作者が文人か市井人か、また作品に依って大きな違いがあるのだから。
 従って、積極的な確証が無ければ「唐三蔵取経詩話」はどうやら元版だという疑いがある。即ち鄭氏が根拠とする同じもう一人の「王国維氏」の例でも、
彼は他にも「両浙古刊本考」二巻を出しており、民国11年の序が遺書第二集にある。その上巻に「杭州府刊版」の「辛、元雑本」の項に次の二種があり――
 「京本通俗小説」
 「唐三蔵取経詩話」三巻
 ただ単に「取経詩話」を元版と断定しているのみならず、「通俗小説」も、
元版としているからだ。
 「両浙古刊本考」は決して稀覯本ではないが、中学生諸君は文学史を専攻しているわけでもないから、それを渉猟する暇もないだろう。それで貴刊に投稿し、載せてもらい、一つにはいろいろな意見を聞くこと、二つには一方だけでは証拠が薄弱で、ある種の史実を「その通りだ」と断定するのは難しく、「何らかの疑義」は常にあることを知ってもらいたい為である。
 取敢えず、用件のみ申し上げ、御健勝を祈ります。
     魯迅啓上。1月19日夜。
 
訳者雑感:
 「唐三蔵」といえば、日本では女性が扮するケースが多く、なおやかな印象が強いが、本場中国ではごつい感じの大丈夫である。それが西遊記になるとどうして女性的なイメージになったのだろうか。菩薩のイメージから来るものか。
 魯迅は世に出る前のうっ屈した暮らしの中で、毎日「古書」を書き写して過ごしたと自ら書いている。古書を手書きすることが、幼いころからの習い性となっていて、何の苦痛にも感じず、ここにもあるように元版や宋版の古書を、
せっせと書き写して夜を過ごしたのだろう。
 フェイクというのは何も中国の専門特許ではないが、元代になってもあたかも宋代に造られたものだ、ということにするために、宋の時代にしかなかった
書店の印をわざわざこしらえて押しておく。それが高く売れるのは、いつの世も同じだろう。それを疑って、否定したことに対して、名指しはしないが良く読めば、魯迅がそれに疑義をはさんでいると、非難している鄭氏への反論として、鄭氏の拠り所とする王国維すら元版だと断定している、と反駁している。
 このあたりは魯迅の潔癖過ぎるともいえるほどの頑固さである。
徳富蘇峰ならずとも、自分が大枚をはたいて購った宋版のお宝が、元版とされると、心穏やかではない、というのが文人所蔵家の本音だろう。
 司馬遼太郎は、そうした品を購うことをしないできたが、あるとき洛中洛外図の本物を見せられて、つい手が出てしまった由。持ち帰って仔細に眺めている内に、安土桃山時代には無かった遊郭をひやかす男たちが描かれているのを
発見して、すごく落胆し、それ以後骨董には手を出さなくなった、という。
 三角縁の銅鏡なども、その製作年が本当かどうか、疑わしい点が多い。
   2011/09/03訳
 

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