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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「文学の階級性」その6

6.
 私は冒頭で「硬を以て自居するが実際は綿のような軟弱が新月社の特色だ」と言ったが、ここで簡単に補足して本編を終える。
「新月」刊行後、「厳正な態度」を主張したが、人を罵る相手には反撃して罵り返し、謗るものには謗り返した。このやり方は間違ってはいないし、まさしく
「其の人の道で以て其の人の身を治す」である。一種の「報復」だが自分の為ではない。第二巻67号合冊の広告に「我々は皆‘容認’の態度を保持し
(‘不容認’の態度は我々が容認しかねる相手を除き)我々は穏健で理性にかなう学説を良しとする」という。この2句もその通りだ。「目には目を、歯には歯」
で最初から一貫している。しかしこの大道を歩んで行くときっと「暴力を以て
暴力に抗す」という問題にぶつかり、これと新月社諸君の好む「穏健」とは、
相いれない。
 今回、新月社の「言論の自由」が圧迫され、旧例なら圧迫者には、圧迫で
返すのだが、「新月」に顕れた反応は「言論の自由を圧迫する者に告ぐ」一篇
のみで、まず相手の党義を引用し、次に外国の法律を持ち出し、最後に東西の
史例を引いて、凡そ自由を圧迫する者は、往往にして滅亡に至るとして、相手の立場になって、これを相手への警告としている。
 従って、新月社の「厳正な態度」「目には目を」の方針は、つまるところ、力関係が拮抗または弱い相手に対して通用するのみで、もし力の強いものに目が腫れるほど殴られたら、例外を作って、両手で顔を抑えながら「自分の目に気を付けなよ」と遠吠えするのみである。    
 
訳者雑感:
 魯迅は「新月社」の諸君に阿Qの精神を見た。それは即ち殆どの中国人が持つものである。自分より力の強い相手には、目が腫れるほど殴られても、反撃できない。そのくせに厳正な態度で、目には目をでもの事ごとに対処する、と口では言う。自分の掲げる「言論の自由」を圧迫するお上に対しては、その党の綱領にうたわれている「党義」を引用し、外国の例とか古今東西の歴史に照らし、「言論の自由を圧迫」するものは滅びると警告するのみで済ます。
 今日、言論の自由を唱えられるのは、ブログとツイッターのみ。活字メディアなどは、すぐ編集長などが更迭されたり追放されてしまう。日本ではまだ、
鉄道事故の報道がされるが、中国では殆ど報道すらされなくなった。
       2011/08/07

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