魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
「ソ連版画集」序
――前半は「ソ連版画展覧会記」で、「付記」を削除。再度下文を加えた:
右の一篇は今年2月ソ連版画展覧会が上海で開催された時、「申報」に載せた物。この展覧会は中国に多くの有益な点をもたらした:このため、幻想から写実主義の実地に踏み入った人が多くいると思う。良友図書公司は画集にしようとの趣旨で、非常にうれしいと思ったから、趙家壁さんが私に選択と序文を依頼されたので、何も考えず承諾した:私のやりたいことだったし、やるべきだと思っていたから。
絵画の選択、とりわけ版画は前からの約束を果たす事だったが、病気になり、1か月余何もできなかった。序を書く段になっても紙一枚を持つ力さえ無かった。
印刷を中断し、私の文を待ったが、どうしようもなく、以前の物を取り出して、前面に付けて責めを塞いだ。だが私がそこで言っている事も些か参考になると自信はあったので、読者にはあいにくこんな時に病気になって新たな物が書けぬのを赦してほしい。
この1カ月、毎日熱が出たが、そんな時も版画の事を考えていた。これらの作者は、一人として洒脱・飄逸・怜悧・精巧さは無いと思う。彼等一人ひとりは広大な黒土の化身のように、時に全く不器用さで以て、十月革命以後、山を開いた大師は飢えを忍び、寒さと戦い、拡大鏡と刀を持って、不撓不屈の精神でこの部門の芸術を開拓した。今回復製されたとはいえ、大半はなお存在し見ることができる。どれをとっても堅実で無く懇切でなく、又巧妙に格好よくやろうとする意図は感じられない。
この画集が世に出、単にソ連の芸術の成果を見ることができるだけでなく、
中国の読者に良い影響を与えることができるのを希望する。
1936年6月23日 魯迅述、許広平 記
訳者雑感:版画に対する魯迅の愛情は、病気で紙一枚も持つ力が無い時でもそれまでに見た黒土の化身たちの「不器用」だが堅実で懇切な版画を思い浮かべていた。それで印刷を中断していては読者に申し訳ないと、妻に筆記させて、画集を世に出そうとした。きっと広告の段階で、魯迅の序が付くという触れ込みがあり、魯迅の序が無いと売れ行きに影響がでるのを心配したのであろう。
いつの世も、信頼され尊敬される大家の序があるかないかで、読者の購読のきっかけに大きな影響があるのはやむを得ないことだが、魯迅はこの画集を中国の読者に届けるために、病をおして序を口述したのだろう。
2014/12/19記
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