魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
「これを記録として残す」
暁角
1.上海の「大公報」の「大公園地」に「非庵漫話」の8月25日付に「太学生受験」と題して云う:
「今回、太学生の受験で、国文の題は文科では:「士は第一に人物識見で、その後に文芸」で、理科は「南粤王に擬して、漢文帝への復書」並びに漢文帝より南粤王趙佗に遣した書の原文も題の後に付すであった。この試験問題は現在の異動に対して、目の前の情景に感慨を催すに違いない。だが太学生はこの2つの策論式命題に対して、多くの人が頭をなでずにはいられなかった。ある太学生は、答案用紙に大書し:「漢文帝の三文字は故事の常識のようだが、漢高祖の何代目か知らぬ。南粤王趙他については素より知らず、何も書けぬ。且つ帰って勉強して来年また会いましょう」と。某試験官はこの学生が佗を他と誤記しているのを取り上げ、批判して云う:「漢高文帝爸、趙佗は他ではない:今年は不合格だが来年また来なさい」またある受験生は「士は第一に人物識見で、その後に文芸」の題の後に答案を書かず、只「もし美人を見れば甘んじて拝し、凡そそれを聞けば頭を回らすを失せず」の聯を書いて筆を放り出して去った。某試験官はこれを批して云う:「鼓鼙(小鼓)を聞いて将師を思う、臣は試験に臨んで、美を愛する興を動もし、幸いなるかなこの受験生は崖に懸かり馬を勅す、さもなくば竹打ち40回で場外に追放すべし」
わずか300余字だが、学生は旧学問の空疎さと試験官の態度の浮薄さを表し、
読む人に「歇後の鄭五は宰相となり、天下の事を知る」者也、とは誠に古の人の及ぶべからざるもの也。
だが国文も亦難しい所あり:漢に趙他が無ければ、中華民国も亦あに「太学生」がいるだろうか。
訳者雑感:
太学と言う言葉は旧時の最高学府と辞書にあるが、太学生は無い。そこで学んだ者を指すのか?いずれにせよ、20世紀の試験問題で、漢代の故事に関して答案を書けという試験官の空疎さと、受験生の対応、それを大公報という新聞に載せるという「やくたいもない」ことを日中戦争が始まろうとしている時に、新聞ネタにするというのは、中国が如何に広大で、日本軍が攻めてきている事に無関心な層がどれほどいたかが分かろうと言う物だ。
今の反日、日本の侵略に備えよというか、攻められる前に攻めよ云々と声高に呼びかけているのは、古くから異民族に攻め入られても我関せずとしてきた、民族への警鐘を鳴らすのだろう。一般の人はそれも気にしないのだが。
2014/12/31記
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