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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「別字」について

(つづく)
 最初の数句ははっきり言わせてもらえば、おかしな話である。まず我々が無理やり人に改正を強いる法があるかないか問わぬなら、自分で先ずは一部の古書の改正を試してみれば良い。第一の問題は何を以て「正字」とするかで、「説文」金文、甲骨文、或いは陳氏の所謂「生きている字」を使うのか?みながそれに依拠しようと希望しても、主張者自身がまず改める方法が無いなら「父の誤りを蔽い隠す」ことはできぬ。従って、陳氏の代表する次の主張はすでに誤っており、彼に一任すると誤ってしまうが、これ以上誤りを増やさなければ、将来の文字統一の破壊から免れる。是非はさておき、専ら利害だけで論じるなら、悪いとは言えぬが、正直言えば、現状維持に過ぎない。
 現状維持説はいつの時代にもあり、賛成者も少なくないが、実際には他にやれることがないからだ。もし古い時代からこれを用いていれば、今日のような現状にはなっておらず、今この方法を用いても、将来の現状は無く、遠い将来になっても、一切は太古と変わらぬ文字を以て論じるなら、文字の無かった時は象形で以て「文」を造ることもできず、更にそれを増殖して「字」を成す事もできず、篆(書)も決して解散(ばらけ)て隷書にならず、隷書も簡単にされて現在のような所謂「真書」(楷書)にはならなかった。文化の改革は長江大河の流れと同じで、堰き止めることはできず、もし堰き止められるなら、それは死んだ水になり、涸れてしまわなければ腐敗するのは必至だ。無論流れゆくとき、弊害がないなら大変良いことではないか?だが実際には必ず変遷移動があり:現状維持もありえないし、必ず改変がある。百利あって一害も無いという事は無く、その大小を比較するだけだ。況や、我々の四角い字は古人も別字を書き、今の人も別字を書くし、別字を書く病根は四角い字自体にあり、別字病は四角い字本体と併存し、この四角い字を改革せぬ限り、それを救う十全な方法は実際無い。
 復古が難しいのは何氏も認めている。だが現状維持もできないのは、我々現在の一般読書人の使っている所謂「正字」も実は前の清朝の役人採用時の規定に過ぎず、一切の指示はすべて薄い三部の所謂「翰苑分書」の「字学挙隅」の中にあるが、20年来、知らないうちに少し改変された。古代から今日まで、いろんな事が改変されたが、それは知らないうちにでなければならず、もし何か言いだすと必ず障害にぶつかり、現状維持が叫ばれる。復古説も出て来る。こういう話しは無論効力は無い。だがそれがいっとき障碍となる力を失わないのも真実で、それは一部の有志の改革の志を遅疑させ、潮を招こうとする者をして、潮に乗るものに変えさせる。
 私が今言いたいのは、現状維持は穏健なように聞こえるが、実際には通用せず、史実は不断に「そんなことは決して無い」ことを証明している事だ:只僅かにこんな位だ。
      3月21日

訳者雑感:
 父を病で失うまで、魯迅は科挙の試験の為に清朝の規定した「正字」を十数年勉強してきた。1日一字覚えて3-4千字程だろうか。それを覚える為の時間と労力は大変なものであったろう。それに別字というのが沢山あり、彼の小説「孔乙己」に登場する科挙の試験に合格できない孔さんから、酒の肴の「茴香豆」(ういきょうまめ)の茴の字に4通りの書き方があるのを知っているか、帳面付けから番頭になるのに必要だから教えてやろう、とからまれ、少年は面倒くさそうな態度を見せる場面がある。回という簡単な字にすら4通りもの書き方があるというのでは、字画の多い一般の文字の書き方の多さは気が遠くなるほどだ。だが、読書人は皇帝の「いみな」とか目上の人の号とか「あざな」をしっかり記憶して、礼を失することの無いようにせねばならない。
 こんなことばかりで、四角い字の奴隷にされ、化学元素も知らぬ読書人が世の中を牛耳ってきた。だが人間の頭脳の能力には限界がある。その大半を四角い字で占領されては、他のことを取り込む余力が無い。これを打開するためにはどうすればよいのか?
 魯迅はまだ今日のような「簡体字」の普及を想像できていなかった。但、ローマ字表記で、まずは全国各地からの人が集まってきている上海などの都会でそれぞれの方言しか分からぬ人が相互理解できるように北方語を主体にローマ字で発音記号を付けることによって、まずは話し言葉を統一しようと考えていたようである。
 中国で改革を提唱すると必ずそれに反対する人達の大合唱で、とりつぶされてしまうことが多々あった。従って、知らないうちに「改変」するのが次善の策であった。
「簡体字」に切り替える時も、そうすると古代からの伝統の文章が読めなくなる。歴史の断絶が起こる、と猛反対にあった。今でも日本や台湾の一部の人は、中国の簡体字は全くていをなしていない、として猛反対しているが、一方自分でノートする時などは自分なりの略字や草書を使って平気でいるのだが。
 古代から清朝までの歴史的な文書が読めなくなると言っている人は、宋や明代の古文書も清朝になって「四庫全書」に収められた時に、清朝の定めた「正字」で書かれた事を忘れてしまっている。漢代の司馬遷の頃にはまだ木片や竹に篆(書)や隷書で刻まれていたのであって、その字と「正字」はまったく別の字である。(多少は面影が似ているが)
 閑話休題。北京や上海の大きな商店やレストランには清朝時代の「正字」で金箔を塗った大きな看板が掲げられるようになった。隣がやるとすぐうちもというので伝染している。
簡体字しかしらない子供には読めないだろう。だが頭の良い子ならすぐ推測できると言う読書人がいるのも過去と同じだ。
 オランダで開催された「核問題」の会議で欧州側の出席者が欧州の「礼服」を着用しているのに対し、習氏は「改良型の中山服」を身にまとった。孫文が日本滞在時に「制服」からヒントを得て造ったもので、これで清朝の礼服を追放した。この中山服はその後毛沢東が着用するようになって、欧米からは「毛服」と呼ばれた由。それでそのままの中山服では、毛服と言われるので、それを嫌って新しい「襟の直立した」礼服を着用していた。
 現状維持ではなく、復古でもなく、「改変」である。西洋の背広にネクタイでは礼服とは言えぬし、まさか彼らと同じ「タキシード」を着るつもりはさらさらない。ローマ字化は中国には似つかない。四角い字の簡略化とこの「新しい中山服」は似た点がある。
     2014/03/26記

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