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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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 理想家と経験論者 随感録 39 (1919年1月)

 「新青年」第5巻4号は、演劇改良特集の趣で、門外漢の私は何も言えない。が「演劇改良を再び論ず」と題して、「中国人が理想という時は、軽薄のニュアンスがあり、理想すなわち妄想で、理想家は妄人だ」というくだりが、私にあることを思い起させ、これには、ひとこと言わざるを得ない、とあいなった。
 私の経験では、理想の価値低下は、この五年来のことで、民国になる前は、まだこれほどではなく、多くの国民も、理想家とは我々の進路を示してくれる人だと認めていた。民国元年前後に、理論的なことがはっきり現実となり、そこで理想家も、その深浅真偽のほどは暫し置くとして、一斉に台頭してきた。一方では旧官僚の政権窃取があり、遺老らが冷遇に業を煮やし、下山準備をし、みなこれら理想派に痛恨の怨みを抱いた。
聞いたことのないような学説法理を持ち出して、目の前を塞ぎ、かってに揺さぶりをかけることができなくなった。そこで三日三晩沈思し、ついにある兵器を考え出した。それで「理」の字の悪の元凶を一律に粛清した。これを「経験」と呼び、更に雅号を添え、高雅の極みは「事実」と称した。
 経験はどこから来たかと言えば、清朝以来のもので、経験が彼の口からでまかせを言う技力を高め「犬には犬の道理、鬼には鬼の道理がある。中国には外国とは違う中国独自の道理がある。道理はそれぞれ違うから、理想は同じとするのは痛恨に耐えない」このとき、まさに上下一心となり、財政を整え、民族を強化せねばならぬ時なのに、「理」の字を帯びたものの大半は「洋貨(舶来品)」だから、愛国の士は義として断固排斥すべし、と言いだした。だから一瞬のうちに価値が下がり、またたくまに嘲罵され、一瞬のうちにその影響すらも、義和団の時のキリスト教民と同様、群衆とともに棄市(晒し首)するという大罪を犯した。
 人格の平等というのも、もともと外来の古い理想であることを我々は知っておかねばならない。現在「経験」がはびこり、これを巻き添えにして、妄想だとされ、首謀と追従者も区別なく、すべて権力者の靴に踏みにじられ、祖伝の規則に従わされた。それからあっという間に、4-5年が過ぎ、経験論者も5歳年をとり、彼らも経験したことの無い生物学的な学理である「死」にだんだん接近している。
しかし外国とは違うというこの国は、依然として理想的な住み家ではない。権力者の靴に踏みにじられてひどい目に遭った諸公が、もうすでに大声で叫び出し、自分たちも経験を積んだと言い始めた。
 だが我々は知っておかねばならない。従来の経験は皇帝の足の下で踏みにじられて学んだものだが、現在の経験は皇帝の奴隷に踏みつけられて学んだものであることを。
奴隷の数はとても多い。心伝(不立文字、の禅宗用語)の経験論者も更に多い。
経験論者の二代目の全盛時代になると、理想は単に軽薄と疎んじられるだけでなく、理想家は単なる妄人にみなされているが、それでもまだ僥倖と言える。
 今は、理想と妄想の区別がはっきりしないが、もう少しすると、「できない」と「しようとしない」の区別もあいまいになり、庭の掃除と地球開拓を同列に論じるだろう。理想家はこの庭は汚れているので掃除しなければならない、と言う。――そのとき、こういう話をする人は、理想党の中にもいるだろうが―
彼はなんと、こんなことを言い出すのだ。彼らは従来からここで小便をしてきたのだから、どうして掃除をするのか?そんなことはできない。断固できない。
 その時、従来からこうしてきた、と言うのは困ったものだ。
無名のできものでも、中国人の体に出てきたら、「紅く腫れた処は桃花の如く、艶かで、潰爛(かいらん)せるときは、その美、ヨーグルトのごとし」となる。
国粋のあるところ、妙なること曰く言い難し。あの理想家の言う学理や法理は
みな外来のものだから、全くこの国では生きてゆけないことになる。
 しかしとても奇怪なことは民国710月下旬(1918年第一次世界大戦終了)
突然多くの経験論者と、理想家経験論者双方や、いずれとも未定の人も、こぞって公理が強権に勝ったと言い:公理を称賛し持ち上げだした。このことは、
経験論者の範疇を超えているのみならず、「理」のつく文字のうるさいものが、
増えたのだ。これは今後どのように収斂されるか。私は経験がないので妄断は
控える。経験豊富な諸公におかれても、考えても未経験なことに口出しはできまい。
 他に方法も無いから、ここにこれを提出して、人から軽薄と言われている理想家の教えを請うこととしよう。
                            2010/09/18
訳者あとがき:
 本品は19178年というロシア革命、第一次世界大戦終了という時代背景と、
中国のいわゆる王政復古という「馬鹿げた茶番劇」が繰り返されてきたことを
念頭に置かないと、何を訴えたいのか理解困難である。
 共和革命として(外来思想、理想)を形だけは実現したが、やはり中国人には、
理想を掲げて霞を食うような生き方はできない。もとの皇帝を戴く王政に戻せという動きが、袁世凱、張勲の復辟として起こった。中国はもともとの経験に裏打ちされた「保守穏健」な「進歩成長」などを目指さぬ、旧態依然とした政体が、一番適しているという主張が、上記の経験論者の声だ。
 その一方で、ロシア革命が起こり、第一次大戦が「公理の強権に対する勝利」
として現実の世界で起こった。世界の進歩成長に取り残されたままで良いか!
その問題を理想家たちに問いかけたのだと理解する。

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随感録 38  (自大)


随感録38
 中国人は自大、尊大なところがある。残念なのは、「個人としての自大」ではなく、すべて「群れとしての愛国的自大」である。これが文化競争で敗けた後、
再び奮い立って前に進みだせない原因だ。
「個人の自大」は人と異なることで、凡庸な群衆への宣戦で、精神病的な誇大妄想狂以外、この種の自大な人は、大抵何かの天才で、Nordau説では、何分かの狂気である。彼らは自分を思想見識上、凡庸な大衆より抜きんでていると思っており、凡庸な大衆に認められないと世俗を憤り、だんだん厭世家に変じ、
「国民の敵」になってしまう。しかし新しい思想の多くは、彼らから出ている。政治的 宗教的 道徳的改革も彼らが発端となっている。だからこのような
「個人的自大」の人が多い国民は、本当の福があり、幸運である!
「群れ的自大」「愛国的自大」は同じ意見の者同士が党を組み、異端を排除することで、少数の天才に宣戦することだ;――他国の文明に宣戦するのは、その次の段階。自分には大した才能も無く、人に誇れるものも無い。だから自分の国をバックとするのだ。自国の習慣制度を高く持ち上げ、大仰に賛美する。
彼らの国粋はかくも栄光に輝き、彼らもまたその栄光に浴すのだ。もし攻撃に遭ったら、彼らは必ずしも自分で応戦するとは限らない。黒幕の裏に隠れて、目と舌だけを使う人間はとても多く、Mob(烏合の衆)を使うのが得意で、
一斉にわいわい騒ぎを起し、勝ちを制することができる。勝てば自分はその中にいたわけだから、自分も勝ち組だ。もし負けたら群れの中には大勢の人がいたのだから、自分ひとりだけが損したことにはならない。凡そ群衆として事を起す時は、多くはこんな心理で、彼らの心理は正しくそれだ。彼らの挙動は猛烈なように見えるが、実はその逆で、卑怯である。結果は、尊王復古、扶清滅洋などが関の山で、すでに多くの教訓を得てきた。だからこの「群れとして愛国自大」な国民はほんとうに哀れで、不幸である。
 不幸にして中国はただこのような自大に偏っていて:古人のしてきたこと、説いてきたことは、一つとして悪いものはなく、それを遵守してきていないのではないかと、くよくよしているだけだから、どうして改革しようなど畏れ多くてそんなことができるわけがない。
 このような国を愛する自大な人の意見は、各派すこしずつ異なるが、根底は同じで、数えると下記の五種である。
 
甲説:「中国は地大物博で開化も最も早く、道徳水準も天下一」これ全くの自大。
乙説:「外国の物質文明は高いが、中国の精神文明は彼らより良い」
丙説:「外国の物は中国に昔からあり、科学は即ち某子すでに説くところ」
 この二種は「古今中外派」の支流で、張之洞の、「中学為体西学為用」的な人物。
丁説:「外国にも乞食はいる――草ぶき小屋――娼婦――虱もいる」
これは消極的抵抗派。
戊説:「中国は野蛮な所が良い」「中国の思想は乱れていてでたらめだというが、それはとりもなおさず、我が民族の築いてきたものの結晶である。先祖以来乱れて来て子孫にまで引き継がれ、過去から乱れ始め、未来もそのまま続く。我々は4億人いる。誰か我々を絶滅できるか? これは丁より更にひどい。人を貶めるのではなく、自分の醜さを人に自慢し:論調の強硬な点は、「水滸伝」の牛二のようだ。
 五種の内、甲乙丙丁は荒唐無稽だが、戊と比べると、情としてまだましかと、
感じる。彼らにはまだいい意味の勝ち気が残っている。例えば落ちぶれた家の
子は、人の家が隆盛なのをみると、大抵は大きな話を始め、金持ちの格好を
したがる:或いは、他人の小さな欠点をあげつらってしばし自らを慰める。
これもおかしな話だが、鼻を失っても、祖先伝来の病と言い張って、大衆に見せ
びらかすのよりはましだ。
 戊の憂国論は、最近出てきたのだが、一番寒気を催すもので:腐れ根性は
とんでもないだけでなく、実のところ、彼の言い分が現実なのだから、
よけい恐ろしい。でたらめな先祖がでたらめな子孫を育てる、というのはまさに
遺伝だ。民族根性ができてしまった後、好悪いずれにせよそれを変革するのは
容易ではない。フランスのG.LeBon著「民族進化の心理」にこの事に触れて、
(原文は忘れたので大意を書く)「我々の一挙一動は自主的なものに見えるが、多
くは、死者の牽制を受けている。我々の代の人間はそれまでの数百代の死者と
比較すると、数の上では全く敵しない」我々の数百代の先祖の中にはでたらめな
人も少なくないし、道学を講じた儒者もおり、陰陽五行を説いた道士もおり、
静坐して練丹した仙人も、化粧してチャンバラをした芸人もいよう。だから我々
は今、「いい人間」になろうとしても、血管中のでたらめな分子が悪さをするのを
防げない。我々も何の自主性もなく、ほんの一変するだけで、丹田や隈どりを
研究する人間になってしまう。これは本当に心寒させるものだ。私はこのよう
なでたらめな思想の遺伝的災いも、梅毒のような猛烈なものにならぬことを望む。
百人中一人も助からないなどとなっては大変だ。たとえ梅毒と同じくらい激しく
ても、今や606が発明され、肉体的病は治せる:私は707ができて思想上の病を
治せることを望む。この薬はすでに発明されている。即ち「科学」というものだ。
あの精神的に鼻をなくした友に、「祖伝の老病」だなどと訳のわからない旗印で、
この薬の服用に反対しないで欲しい。中国のでたらめ病は、きっとある日、全快
する。先祖の勢力は大きかったが、今から改革を決意すれば:でたらめな考えを
一掃し、でたらめを助ける事物(儒教道教両者の文書)を一掃し、そして対症薬
を飲めば、即効は無理としても、それらの病毒は混じり合って薄くなり消える。こうして何代か後に我々が先祖になる頃には、でたらめな祖先の勢力を若干
減らすことができるだろう。その時が転機で、LeBonの説は畏れることはない。
 以上が私の「成長進歩しない民族」の治療方法で:「絶滅」のくだりは全く話
にもならないから、触れる必要もなかろう。「絶滅」の恐ろしい二字は我々人類の
言うことだろうか。ただ張献忠(明末の農民起義の首領)らが、これを言い出し
ただけで、今に至るもそれは人類から唾棄嘲罵されている。そして実際問題とし
て、何の効果があるというのか?
 ここで一言、戊派の諸公に勧めたい。「絶滅」という言葉はただ人を脅かすだけ
で、自然を脅すことはできない。自然は情け容赦なく、自ら絶滅への道を歩む
民族は、どうぞご勝手にとして、遠慮はしない。我々は自ら生きようとし、他の
人々も生きるのを望み、他の人々が絶滅するのも忍びず、彼らが自ら絶滅への
道を歩むのを恐れる。我々を巻き添えにしえ絶滅しようとしかねないので、これ
は大変なことになる。もし現状を改めずとも、興隆できて本当に自由で幸福な
生活が得られるなら、野蛮でも良いだろう。しかし誰が「それで結構」と答え
ることができるだろう?
       2910.9.16.
 
訳者雑感:魯迅はこの数篇で、先祖伝来のでたらめな考えかたを「科学」という
薬で、徐々に薄めて消しさることを訴えている。1920年前後の中国を支配して
いた軍閥政府は、中華3千年の伝統に裏打ちされた、儒道両派の頑強、頑迷な
考え方こそが、中華民族の統治に最適と考えていた。これを打破しないかぎり、
成長進歩して世界の諸民族と対等な水準にまで追い付かない限り、中国の未来は
無いと何度も何度も読者に語りかけている。
 2010年の万博開催を一つの区切りとして見ると、確かに魯迅の切望した世界の
諸民族と同等以上の水準に達したような印象を与える。それは沿岸地区の限定
された人々だけかも知れないが、90年前には甲乙などの五種の説を唱えた人たち
には、想像すらできなかったものに違いない。これは「科学」という薬もさるこ
とながら、「経済的豊かさ=金銭」をもたらした「開発独裁」に負うところ大で
あると、認めざるを得ない。その根底にある国民統治の思想的背骨は「儒道両派」
であることは認めたくなくとも、完全には否定できない。
 
 
              

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遺体の昇格

先週、奈良の飛鳥で発掘された牽牛子塚(けんごし)から巨大な石室が発見され、多くの考古学者たちがこれは斉明天皇の陵に違いないと断定的なコメントを発表している。
 一方宮内庁は、高取にある従来からの斉明天皇陵の見直しは不必要と発表し、被葬者を示す墓誌が出てこない限り、これを斉明天皇陵とは認めない由。
 皇極天皇として皇位に就き、大化の改新の後、弟に譲位し、弟の死後、斉明天皇として重祚。朝鮮への出兵などに関与し、福岡まで出向いてそこで死去したという。遺体はどうやって奈良まで運ばれたのだろうか。秦の始皇帝も旅先で死に、遺体は死を隠すため匂いで露見しないように、魚の腐ったのを荷車に載せて、今の始皇帝陵の近くまで運ばれたという話を読んだ。
 斉明天皇は天智天皇、天武天皇の母であり、彼女の死後、残った者たちが、彼女の徳を称え、高取の陵から牽牛子陵に改葬したことも十分考えられる。
欧州でも、聖者に祭り上げたい殉教者の遺体を墓地から掘り出して、聖堂内の墓地に埋葬しなおす。これによって後の人々によって、聖人として崇められ、
遺体の一部が各地に分けられ、遺体の昇格が行われてきた。
 お釈迦様の白骨は中国でも近隣のアジア諸国にも塔に納められ、各所で崇められている。
 朝日新聞の特派員として晩年ロシアに渡った二葉亭四迷は、病を得てペテルスブルグから日本に帰る途中、インド洋上で客死し、シンガポールの日本人墓地に埋葬された。私は彼の墓を二度ほど尋ねたことがある。唐ゆきさんたちの
苔むした墓石の近くにあった。その後、東京にも彼の墓があると知って、お参りにでかけた。染井墓地にあった古いものを、彼の卒業した学校の後輩たちが最近、立派な墓石に改めた。これも遺体の昇格と言えようか。
 1936年に上海で死去した魯迅は、約六千人の上海市民の葬送で「民族魂」という旗の文字に包まれるようにして、上海郊外の「万国公墓」に顔写真入りの墓石の下に葬られた。葬儀委員には蔡元培などに並んで内山完造の名も見える。   死後20年、新中国建国7年目の1956年に、虹口公園に新しい墓が完成し、そこに改葬された。その棺を許広平夫人や茅盾らを先頭に葬送する写真が今も印象に残っている。死者はそれを喜んだかどうか、担ぎあげられることを潔しとしなかったと思うが、残された人々がそうしたいと思うなら、いたしかたないかと苦笑いしながら、許容しているかもしれない。
これも遺体の昇格である。
 故人はもう何も言わない。預かり知らぬことだが、残された人々の故人への追慕と感謝の心が、遺体を昇格させたいという気持ちにさせるのだろう。死者の復活は、生き残ったものたちの心の選択である。
 山東省の曲阜に孔子一族の墓群がある。当然のことながら孔子の墓石が一番立派で大きい。だが、儒教に対しては歴代の王朝にもいろいろ濃淡があり、
旺盛な勢力を誇った王朝時代に建てられた墓石はいずれも巨大なものが多いが、
弱小な王朝時代のものは、いずれも小さくて、それなりのものであった。
墓石とか皇帝の陵というのは、残されたひとびとの心が形に現れたものだと
言われるが、北京の西北に広がる明の十三陵は、皇帝が即位したらすぐ造陵を始めたという。これは歴代の皇帝が、自作自演のものだから有難みに欠けるのは,むべなるかなと思う。
 最近は生きているうちに墓を造れという広告をよく見かけるようになった。
京都にいると天皇陵とか偉い坊さんだった人の墓がたくさんあるが、明の皇帝のように生前に造ったと記されたものは管見にして知らない。それほど日本人はずうずうしくないということか、あるいはそんなことに投ずる資財も無かったとも言える。木造の小さな家に住み、せいぜい庭園に贅を尽くすのみであった。
 2010.9.12.
 

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 随感録 37

 近来、多くの人が拳法を普及させようと強力に提唱している。以前にもあったと思うが、あの頃(義和団の拳)提唱していたのは満州人の清政府の王公大臣だったが、今は民国の教育家で地位も身分も違う。彼らの宗旨が同じか否かは部外者には、知る由も無い。
 今教育家たちは「九天玄女が軒轅黄帝に伝授し、軒轅黄帝が尼姑に伝えた」という古来からの法を「新武術」と改称し、また「中国式体操」と称して、青年に練習させている。長所は沢山あるが二つ挙げると:
一.       体育面:
中国人は外国の体操をしてもあまり効果が上がらないそうだ。だから中国式体操(拳法)を習うようにすべきだ。私は外国式に両手でアレイや棍棒を持ち、手足を左右に伸ばすのは筋肉強化に「効験」があると思うのだが、それが効験が無いとは!それなら(水滸伝の)武松の枷抜けのような芸当を練習するしかない。これは中国人が生理的に外国人と違うからなのか。
二.       軍事面:
中国人は拳法ができるが、外国人はできない:互いが殴り合うような場面では、中国人が勝つのは言うまでも無い。たとえ外国人を「油をまいて滑らせて取り押さえる」式の法を取らなくても、「地を掃くように一網打尽」にできなくても、一斉に倒せるから、もう二度と立ち上がって来られない。というが、現在の戦争は銃砲を使うから、とても歯が立たない。銃砲は中国には「古来すでに有した」が今この時には無いのである。藤牌の操法(武術の法)があるといえども、練習しないなら銃砲をどうやって防ぐことができようか。私は思うに
(彼らは説明してくれないから、これは私の管見だが)拳法で戦ってみても、せいぜい銃弾が当たらないくらいのものである。(即ち内功?)このことはすでに試したことがあり、1900年の時にそれをしたが、残念ながら誠に名誉の完敗だった。さて、このたびはいかが相成りますことやら。
                       20109.11.訳
訳者雑感:中国の朝は早い。夜明けを待たずに家々から三々五々近くの公園に集まり、カセットからの伝統的な音曲にあわせて、太極拳や剣舞などを踊っている。ゆうゆうたる調べにのせて、ゆるゆると手足を揺らぐように舞わす。これは日本人が朝のラジオ体操でやるような、軍隊的な集団的規律の伝統的なものとは、基本から違うようだ。魯迅は揶揄しているのだが、中国の伝統は、ゆっくりと体を動かすことの方に重きを置いているようだ。好漢は兵にならない、
というように、集団的規律に基づき、きびきびとした軍隊的体操をすることは、
兵になるための、準備運動のように感じて、忌避してきたのかも知れない。
しかし軍事面で拳法が効験あるとは、時代錯誤も甚だしいが、竹やりと同じ発想かと思うと、負け戦の時の軍人の言い出すことはいずこも似ていると言える。
 魯迅自身も紹興の町から南京の学堂に進学したのだが、そこは軍の関係する学校で、それに見切りをつけて日本に留学したのだが、かれが学校で日本のような体操をしたのかどうかは、今後調べてみなければわからない。
 拳法にもブルース リーやジャッキー チェンの演じるような目にもとまらぬハヤワザをするのもあるし、京劇のチャンバラの場面では息も止まらぬ動きを見せるが、99%の大衆が演じるのはスローモーションのものである。
 

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 随感録 36


 随感録 36
 今多くの人がとても畏れていること;そういう私もそうなのだが、多くの人は「中国人」という名が消滅するのではないか、ということで:私が畏れているのは中国人が「世界人」から押し出されるのではないか、ということである。
 中国人と言う名は決して消滅しないと思う。少なくとも人種が残る限り中国人に違いない。例えばエジプトのユダヤ人のように、彼らが今なお「国粋」を保持しているかどうかに拘わらず、今でも(出)エジプトのユダヤ人と呼ぶし、この呼称を改めてはいない。これからすると、名を保存するのは、必ずしも労力や心を費やさなくてもいいようだ。
 だが私は今日の世界で、共に成長し、一定の地位を求めようとするなら、相当の進歩的知識、道徳、品格、思想を持たないと、しっかりした地歩を築けないと思う:これには極めて大変な労力と心を費やさねばできない。しかし「国粋」の多い国民は、更に一層大きな労力と心が必要だ。なぜなら彼の「粋」が大変多いからだ。粋が多すぎて特別なものになっている。とても大変特別なものだと、さまざまな人々と共に成長して地位を保つことが難しい。
 ある人は言う:「我々は別個に成長してゆこう:さもなくば、何を以て中国人とするか!」
 そんなことをしていては「世界人」の中から押し出されてしまう。
 そして中国人は世界を失うことになる。暫くはこの世界に住まねばならぬのに!
 これが私の大きな心配だ。
                      2010/09/10訳
訳者雑感:
 先の大戦後、イスラエルができるまで、ユダヤ人は(出)エジプトのユダヤ人と呼ばれていたそうだ。たしかに今の土地はもともと彼らがエジプトから脱出してきたところだ。
かといってエジプトである一定の場所で一定の地位を保持して生きていたとかどうかは、
知らない。今フランスを追われたロマ人は、もといたルーマニアに戻ろうとしても、ルーマニア政府からも拒否反応に遭っている。と言って今更出身地と言われるインド北部にも
もはや何の手ずるもないことだろうからEUという「世界」から押し出されたロマ人はどうすればよいのだろうか?
 1920年頃の中国大陸に住んでいた中国人は、帝国主義列強に浸食され、瓜のように切り分けられて、それぞれが外国と手を結んだ軍閥に支配されていた。魯迅の畏れていたのは、
民族呼称としてはユダヤ人のように残っても、世界地図の中から、中国という名前が押し出されて、消滅してしまう危機感であったろう。
 中華民族の伝統として世界で一定の地歩を築く。そのために大変な労力と心を費やすこと、それが自分の務めだと任じて書き続けたことと思う。
 今日の電子版の「一語驚壇」(9月8日付)に教科書から阿Qが削除されることに関して
10個くらいの投稿を掲載している。印象的なのを挙げると、
1.教科書から阿Qはいなくなったが、現実生活に阿Qがやって来た!
2.魯迅は今教科書から退場した。もう時代遅れとなったためだ。それでは、孔孟も退出すべきではないか? 警醒を失った民族は、将来、自分の進むべき道をうまく歩みだせないだろう。
3.魯迅を超えられないから、魯迅を追い出すことができないというわけでもなかろう!
魯迅の才がなくても、魯迅の文章を扼殺する権利は有しているから。
4.今欠けているのは魯迅のような鋭利な筆峰の文人、余計なのは:功徳を称賛するだけ
の提灯持ち。
 

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本日秋風が吹いたから 「熱風」

「熱風」 随感録三十五  1918年 
 清末から今日まで、多くの人々が「国粋保存」と口にするのをしばしば聞いてきた。
 清末にこれを説く人は二グループで、一つは愛国志士、もう一つは外遊から帰国した大官。彼らの唱えるお題目の背後にはそれぞれ別の意味合いがあった。志士のいう国粋保存は、明朝の古い時代を光復せよ、との意味で、大官は、留学生に辮髪を切るなと言う意。
 今、民国が誕生したから、上述の二つの問題は完全に消滅した。だから今これを言う人の背後にどういう意味があるのか知り得べくもない。そして国粋保存の表向きの意味すらわからない。何を「国粋」と呼ぶのか?字面からすると、一国独自の他国は無い事物だろう。言いかえれば、特別なものだ。しかし特別なものが良いとは限らないから、なぜ保存せねばならないのか?
 例えば、ある人の顔にこぶができたり、額におできができたとする。たしかに他人とは違い、彼の独自なものだから彼の「粋」と言えよう。だが私は、この「粋」は取ってしまう方が良く、他人と同じになる方が良いと思う。
 もし中国の国粋は特別なもので、良いものだというのなら、なんで今これほどまでに無茶苦茶になってしまったのか。新派も首を振り、旧派も嘆息する。
 もし、それは国粋保存ができなくなったのは「海禁」をやめたせいだからというのなら、
「海禁」をやめる前までは、国中はすべて「国粋」だったのだから、当然良かったというのなら:なぜ春秋戦国、五胡十六国時代には戦乱が止まなかったのか?古人も嘆息する。
 もし、それは成湯や文王武王周公を学ばなかったせいだと言うのなら:なぜ成湯や文王武王周公の時代の前に、桀紂の暴虐があり、その後に殷の後裔たちが乱を起し、しまいには、相も変わらず春秋戦国、五胡十六国のような戦乱の止まぬ状態になってしまったのか。
古人もみな嘆息する。
 吾友人がいいことを言った:「我々に国粋を保存せよと言うなら、国粋も我々を保存してくれなきゃ困る」
我々を保存する。たしかにこれが第一だ。それが我々を保存する力があるかどうかが、大事なことで、国粋かどうかは構わない。
                     2010/09/09 訳
 
訳者雑感:
国学と国粋、最近の中国の書店には、国学関係の本がたくさん並んでいる。百年前に書かれたような本が、いろいろな古典作品の絵入り、写真入りで手に取って見るだけでも、確かに美しい装丁で、「国粋」を保存してきた伝統が蘇ったような気がする。
国学とは国の伝統的なものを学び究めること。国粋とは自国文化に対する保守的、或いは極端に言えば、盲目的崇拝。国粋を保存すれば、国粋は自国民を保護、保存してくれるか?魯迅の時代は、国粋が国民を保護してくれるどころか、その逆で、国粋の保存を主唱する手合いが、国をめちゃめちゃにしてしまった時代であった。それが80年経った今、
民族を保護保存してくれるものは何か、いろいろ探してみて、やはり国粋に行きついたようだ。だが、それもまだ少数派で、多数派にはなっていない。
デモクラシーを守ったら、デモクラシーは国民を守ってくれるか?
答えはイエス、と大きな声ではまだ言い切れないのが現実。中華人民共和国には、他の国のように名ばかりとは言え、民主主義という名を冠した国とは違う成りたちがある。
国粋を守っても、国粋は国民を守ってくれるかどうか。国粋は博物館や標本室に保存しておいて、時折見に出かけるのは良い。生活の中にまで国粋があふれかえると、息苦しくなることだろう。しかし、このところの国学の復興は、何を物語っているのだろう。
 
 
 
 

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導師

 導師
 近来、よく青年と言う言葉が使われる:口を開けば青年、閉じても青年と。
だが、青年 青年と一概に論ずることが可能か?醒めたもの、眠っているもの、
ボーっとしているもの、寝転んでいるもの、遊んでいるの、このほか沢山ある。
しかしもちろん前進しようとしている者もいる。
 前進せんとする青年は、大抵導師を探し求めようとする。しかし私は敢えて言う。彼らは永遠に探し当てることはできない。探し求められないのも幸運だ、と。自らを知る者は辞すし、自らそれに任じるものは、本当に道を知っているだろうか?凡そ道を知るとする者は「而立」の年を過ぎ、灰色も掬い、旧態も掬い、円満で穏和というだけで、自ら錯覚して道を知ると任じるものだ。もし本当に道を知っているなら、自らの目標に向かってとっくに歩を進めており、なにゆえに、導師になろうなどと思うものか。仏法を説く和尚、仙薬を売る道士の将来はいずれも白骨となり、同じ穴の狢である。人々は今彼らに成仏の大法を聞こうとし、昇天の真伝を求めるが、何ともおかしなことだ。
 だが私はこれらの人の一切を抹殺しようとするのではない。彼らと気ままに話しあうのは問題ない。話を聞くのも、話が上手いというだけで、ものを書くのも筆が立つというにすぎない。他の人が彼に拳法を教えて呉れというのは、自ら過つというものだ。彼らがもし拳法が上手いなら、とっくの昔から拳法をやっておるだろう。だがその時、別の人は彼にトンボ返りを教えてくれと頼むことだろう。
 青年の一部の人は、覚悟ができているようで「京報副刊」が青年必読書のアンケートをした時、ある人が色々不平不満を並べたあとで、最後に「やはり自分だけが頼りだ!」と言った。今遠慮なく言わせてもらうなら、冷水をかけるようだが、自分も頼りになるとは限らない、と。
 我々はみな記憶力が弱い。これも怪しむに足りない。人生は苦痛が多すぎ、特に中国はそうだ。記憶力が強いと多分その苦痛の重みに押しつぶされるだろう。ただ、記憶力の弱いものが生存に適し、欣然と生きて行ける。だが我々は、
少しばかりの記憶力があり、回想してはどうして「今は是で昨日は非」なのか、
「口では是で心は非」なのか、どうして「今日の自分は昨日の自分と戦うのか」など、くよくよ悩む。我々は今まさに飢え死にしそうな時に、誰もいない所で他人の飯を見つけたことは無いし、貧乏きわまって死にそうな時、誰もいない所で、他人の金を見つけたことも無い。性欲が旺盛な時に異性に出会い、しかも大変な美人に遭う事もなかった。私は思うに、大きな法螺はあまり早く言わない方がいい。さもなければ、もし記憶力があるなら、将来きっと思いだして、赤面することになるから。
 或いはやはり自分がたいして頼りにならぬということを知れば、そこそこは頼りになるかもしれない。
 青年はまたどうして金看板を掲げた導師を探し求めようとするのか?友達を探すほうがよほどましだ。友達と一緒に生きて行ける方向に歩むが良い。諸君が多く持ち合わせているのは、生気に満ちた力で、深林に入っても切り開いて平地にできるし、荒野にでたら樹木を植えられる。砂漠に入ったら井戸をほることもできる。イバラに閉された古い道を尋ねて、まやかし専門の黒い導師を尋ね求めるのはまったく意味の無いことだ!
      五月十一日 2010.9.8.
 

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議論する言霊(ことだま)


 議論する言霊(ことだま)
 二十年前、夜店で一枚の「鬼画符」(お札の様なもの)を買った。いい加減なことが描いてあるのだが、壁に貼って見ると、いろんな文字が表れて来て、処世訓や立身出世の金言が書いてある。今年、夜店で「鬼画符」を買った。貼って見ると、以前と同じで何の増補も改訂もしていない。今夜表れたのは「議論することだま」で小さな字で注があり「祖先伝来の老中青年が行う“コロリさん”のロジックで、毛唐を必滅する妙法は、太上老君の教えによってむにゃむにゃ」とある。今ここに摘録して同好の士に供す。
 「毛唐の奴隷は毛唐の言葉を話す。お前は洋書を読めというから、毛唐の奴隷で、人格は破滅している!人格の破滅した毛唐の奴隷が崇拝する洋書など、価値はしれたもの!だが私が読む洋書は学校の教科書で政府の法令に基づいており、反対することは政府に反対するものだ。父も君も無い無政府主義党は、誅せねばならぬ」
「お前は、中国はダメだという。お前は外国人か?なぜ外国に行かぬ?と言っても外国人はお前を軽蔑しているだろうが…」
「お前は、甲はカサカキという。甲は中国人だ。お前は、中国人はカサカキだと言うことになる。中国人がカサカキなら、お前は中国人だから、お前もカサカキだ。お前もカサカキならお前は甲と同じだ。しかしお前は甲はカサカキだというだけだ。だから、お前は自分のことを知らない人間であり、そんなお前の言うことに何の価値があるというのか。もしお前がカサカキでないというなら、でまかせを言っているのだ。売国奴はでまかせを言う。だからお前は売国奴だ。私は売国奴を罵るから、私は愛国者だ。愛国者の言う事は最も価値がある。私の話はまちがっていない。私の話が間違っていないから、お前が売国奴なのは疑いない」
「自由結婚は余りに過激だ。私は実際には、決して頑迷ではなく中国で女学校設立を提唱したのは私が最初だ。ただし、彼らは余りにも極端に走り、そんなに極端では亡国の禍をもたらすから、私としては“男女は手渡しでものを授受しては良くない”と主張しているのだ。ましてや、凡そ物事は過激なのは良くない。過激派はそろって共妻主義を唱える。乙は自由結婚を提唱するが、それは即ち共妻主義ではないか?共妻主義というからには、まず手始めに彼の妻を我々の“共有”にしなければだめだ」
 「丙は革命とは利を謀るものだという:利を謀るためでなければ、どうして革命をしようとするのか?私はこの目で、三千七百九十一箱半の現金を門の中に担ぎこんだのを見た。お前はそうじゃないと私に反論するのか?それならお前は彼と同党だ。ああ、同じ目的を持ったものと党派を組み、異端を征伐する気風は、今では以前より激しくなった。欧化を提唱する者たちは、その罪から逃れることはできないのだ!」
「丁は命を犠牲にした。やはりそれはいい加減なことをやらかして、結局は生きてゆけなくなったためだ。今志士気取りでいる諸君、くれぐれも同じ愚を犯さぬように。況や、中国はその結果さらに悪くなったではないか?」
「戊はなんで英雄なのか?爆竹の音にびくびく恐がる男。爆竹が怖いんじゃ、銃砲の音に耐えられるわけがない。銃砲の音が怖いようじゃ、戦争になったら逃げだすんじゃないか?戦争ですぐ逃げ出す男を英雄というから中国はだめだ」
「お前は人間と思っているが、俺はそうは思わない。俺は畜生だが、今俺は、お前を父親と呼ぶ。お前は畜生の父親だから、当然畜生である」
「感嘆符を使うな。それは亡国への道だ。ただし私の使った幾つかは例外だ」
「中庸夫人が筆を取って精神文明の精髄を取り、明哲保身の大吉大利の格言
二句をしたためた。
 中学為体西学用
 (中国の学問は心身を治めるのに用い、西洋の学、技術で世事を処すように)
 不薄今人愛古人(今の人も古人も一視同仁に)
                  2010/09/07
 
訳者あとがき:
 文字の国では、夜店にいろんなものが並ぶ。いろいろな文字の変態を使って、
呪文のようにも見えるし、絵のようにも見える。それがおまじないの護符として売られている。
 魯迅はこれを借りてきて、論敵たちが所謂「三段論法」ででたらめな議論を吹っ掛けてくるのを、撃退しているのが目に見えるようだ。
 辛亥革命で多くの烈士は命を落とした。そのどさくさに「革命党」と名乗る党が有象無象現れた。それらのほとんどは「利を謀る」ためで、阿Qは仲間に入りそこなって、濡れ衣を着せられて処刑されたが、彼らの目的は趙旦那とか金持ちの家に強盗に押し入り、金品財宝を持ち出すためであった。それ以上に不届きなのは、本当の「革命政府」の看板を掲げて、「三千七百九十一半箱の現金を門の中に担ぎこむ」連中だ。
 21世紀の今日、革命党たる共産党に入党しているのが七千万人以上と言う。
十三億の20人に一人が党員である。
数名の党員に訊ねたことがある。彼らは大抵、個人で大きな会社を経営していたり、地方政府と共同で事業を展開していたりする。いずれも正直に言う。「利を謀るためさ」と。またも言う「党員にならなければ会社などいつ何時つぶされても文句も言えない」明哲保身は三千年のDNAであると痛感した。
 

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夏三虫


  夏三虫
 夏が近づき、三種の虫が出てくる:蚤、蚊、蝿。
 もしこの三つから何が好きか、どれも好きではないとは言わせない、どうしても言えといわれたら、そして「青年必読書」のような白紙回答は許さぬというのなら、あのぴょんと跳ねる蚤と答えるほかない。
 蚤は血を吸い憎むべき虫だが、音も立てず吸うのは、さっぱりしたものだ。蚊はこうは行かない。皮膚に一刺しし、中まで針を刺し込む。刺す前にブーンブーンとひとくさり議論をぶつ音がうるさい。もしブーンブーンという音が血を与えて彼らの飢えをしのがせるべきだ、との理由を説明しようとしているのなら、余計うるさく感じるだろうが、私には何を言っているか分からない。
 雀や鹿は、人に捕まると、必死に人の手から逃れようとする。だが、山林の中にいる鷹やハヤブサ或いは虎や狼に比べたら、人に捕らわれているのが安全
ではなかろうか。なぜ、最初から人間のところに逃げてこないで、鷹やハヤブサ、或いは虎や狼のいる方へ逃げようとするのか?
 或いは、鷹やハヤブサ、虎狼は彼らにとって、ちょうど蚤にとっての人間のようなものかも知れない。腹が減ったら、捕まえて一口に食べるが、道理を説くことなど決してしないし、詭弁も弄さない。食われるものは、食われる前に、
自分が食われる理由を承認することもない。悦んで心服しますとか、二心なく死を誓いますとか言う必要もない。
 人類はしかし、ぶつぶつ理屈をこねまわすことに頗る長じていて、できるだけ穏便に運ぼうとするが、雀や鹿がこれを避けて、一刻も早く逃げようとするのは、聡明そのものだからである。
 蝿はぶんぶん長い間さわいでから、止まって脂汗をひとなめするだけだが、もし傷やできものがあると、彼らにとって好都合:どんなに良い物でも美しいものでも、そして清潔なものでも全てにたかって糞をする。だが脂汗をひとなめするだけなので、ちょっと汚いものを付けるだけだから、人々は皮膚を切られる痛みも感じず、それを放っておく。中国人はまだ蝿が病原菌を伝播することを知らないし、蝿取り運動もまだあまり活発ではない。蝿たちの命運は長久で:今後更に繁殖してゆくことだろう。
 ただ、蝿はいい物、美しいもの、清潔なものに糞を付けた後、糞をつけたものに向かって、欣然とした態度で、嘲笑ったりはしない:それなりの道徳感は持ち合わせていると言えよう。
 古今の君子は、禽獣に譬えて他人を排斥してきたが、昆虫には見習うべき点の多いことを余り知らない。
  四月四日       201096
 
訳者雑感:
 この小文は難解である。
 古来中国の隠者、隠遁者は山中に入って、栄養も不足しがちなのに大きな腹を抱え、着物に住みつく蚤の数を調整するかのごとく、日なたで蚤取りをする絵が残されている。阿Qの仇も、阿Qより良い音を立てて次から次へと蚤を潰すのに、阿Qは腹をたてて、ケンカを始めさせている。この辺は現代日本人とは、感覚的にも大きな差がある。まともに蚤さえ養えない阿Qの悲劇。
 雀や鹿は、人に捕まると必死に逃げようとする。この挿話はどう解釈すれば良いのだろうか。人の檻のなかで囚われて生きるより、虎や狼はいるけど、自由に生きられる場所に逃れるのが動物の本能。一方、当時の中国人は奴隷のように自由を奪われて、囚われの生活をしそれに不平不満も言わない。
 蝿は何にでも糞をつけて飛び去るが、戻って来て糞を付けた対象を嘲笑はしない、とは何を言うのであろうか。1925年ごろの中国の状況をよく知らないと何も分からない。論敵の顔に泥をかぶせたり、罪を着せたりして嘲ることが、しばしばなされたのだろうか。古今の君子は、そのようにして相手を罵り、排斥して自分の地位を保ってきたと言うのか。
 

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往復書簡二

二.
 旭生様
 貴信拝誦。瑣事にかまけて今日やっと返事が書けるようになりました。
 文学思想の専門月刊誌ができれば確かに大変素晴らしいことです。字数の多寡は何ら問題ないでしょう。第一に難しいのは執筆者で、数名でやれば結果は某週刊誌の拡大版か、
各週刊誌の合併版の類になるでしょう。筆者が増えると、内容を統一させようとの狙いから、互いに折り合う事を余儀なくされ、穏健中正で奥歯に物が挟まったようなものになり、何も取り柄の無いものになってしまうでしょう。今の各種の週刊誌は量も少なく、微力ですが、小集団で単騎白兵戦で、暗闇に時に匕口がきらりと光り、同類者が自分の他にも、誰かがこの固陋堅固な砦を襲撃していることを知らしめることができ、これに比べてバカでかい灰色の軍容を目にして、或いは逆に会心の笑みを浮かべることでしょう。
 今私はこうした小刊行物が増えるのを希望します。目指す方向が大同小異ならば、将来自然に聯合戦線を組めば、効力は大きくなるでしょう。しかし今もし私の知らない新しい作家が出てくれば、それは当然別の話です。
 通俗的な小新聞はもちろん緊急に必要ですが、これは簡単に見えてやり始めると大変難しい。我々は「第一小報」と「群強報」の類を比べるだけで、実際は民意とかけ離れていることが分かります。これで収穫を得ようとするときっと失敗するでしょう。民衆は皇帝がどこにいるのか?太妃の安否はどうかを知りたがっており、「第一小報」が彼らに「常識」
を説くのは、理にかなっていません。教師を長らくやると、一般社会からかけ離れ、いかに熱心でも、何かやりだすとどうしたわけか失敗する。もし必ずやるというのなら、学者の良心を持ちながら、商売できる人でないと、但しこのような人材は教員中にはいないでしょう。私はいまどうしようもないから、知識階級――といっても中国にはロシアの所謂それはいないのですが、これを言い出すと長くなるのでまずは一般論に従ってこう言っておきますが――から始めて、民衆の方は将来また話しましょう。そして且つ彼らも何行かの文字だけで改革できるわけでもありません。歴史が我々に教えてくれるのは、清軍の兵隊が、山海関から侵入してきたとき、纏足を禁じ、辮髪を強制したが、前者に関しては、文字だけの告示だったため、現在に至るもなお、まだそれを止められずにいます。後者は、
別の方法(辮髪の無い人間は首が無くなる:訳者注)を用いたので今も続いています。
 単に在学の青年向けにも読むべき本や新聞はとても欠乏しています。少なくとも通俗の科学雑誌の、分かりやすくて面白いのがあると良いです。中国の今の科学者は文章が余り上手でなく、書けても高級すぎて、専門的すぎ、無味乾燥なものしかないのは残念です。
今はブレーヘンの動物の生活やファーブルの昆虫記のように面白く、そしてたくさん挿し絵の入った物が必要です:但しこれは大書店でないと請け負えません。文章については科学者がレベルを少し下げることに同意し、そして文芸関係の本を読んでくれれば、それでゆけます。
 三四年前、ある派の思潮がこのあたりのことを大変無茶苦茶に壊してしまいました。学者は研究室に身を引きこむように勧め、文人は芸術の宮殿に入るのが一番いいとし、そのため今に至るも、そこから出て来ません。彼らはそこでどうなっているのか、知りません。
これは自分たちの願望でしょうが、大半の人は新思想とは思いながら「昔の古いやり方」の、奸計に嵌められています。私はこのことに最近気づきました。あの「青年必読書」事件以来、多くの賛同と嘲罵の手紙をもらいました。凡そ賛同者はみな率直で何のお世辞もありません。もし冒頭に私のことを「なんとか学者」「文学者」と書いてあれば、続く文章は必ず謾罵です。それでやっと分かりました。これは彼らのよく使う手で、精神的な枷をはめて、故意に相手を「大衆より抜きんでた」者と定め、それで相手の言動を縛り、彼らのこれまで続いてきた生活から危険を除去するのです。ところが多くの人は自ら何とか室とか何とか宮殿に閉じこもって行くのはとても残念なことです。この種の尊称を放擲し、体を一揺すりして変化し、無頼と化し、相罵り、殴り合って(世論は学者はただ手をこまねいて講義するだけだと思っているが)ゆけば、世間も日々に向上し、月刊誌もできるでしょう。
 貴方の手紙に、惰性の表れ方は一つではない。最も一般的なのは第一に天命に任し、第二は中庸とありました。この二つの根底には、只単に惰性というだけで済ますわけにはゆきません。それは実は卑怯だと思います。強者に遭うと反抗しようとせず「中庸」で以てごまかし、しばし自らを慰める。だから中国人は権力を持って、他人が彼をいかんともできないとみれば、或いは、「多数」が彼の護符だというときは、大抵の場合、凶暴で横暴になり、暴君となって、事を為すに決して中庸ではありません。「中庸」を口にする時は、すでに勢力を失い、とっくに「中庸」でないとやってゆけなくなったときです。一旦、全敗しだすと、今度は「運命」を言い訳にし、たとえ奴隷になっても泰然としていますが、もうほかに行き先も無く、聖道にも合致しません。こうした現象は実に中国人を敗亡させるのです。外敵の有無にかかわらず、こうしたことから救い正そうとするなら、いろいろな欠点を明確にし、見栄えばかりの仮面を剥ぎ取ることです。
   魯迅  三月二十九日
 
 魯迅様
 「研究室に引っ込め」とか「芸術の宮殿に移れ」とかは全て「ある種の奸計」と見抜いたのは、本当に重大な発見です。本当のことを言うと、私も最近自らをgentlemanとめいずる人たちは、大変恐ろしいことだと思う次第です。(銭)玄同先生のgentlemanを皮肉った話は、炎暑にアイスクリームを食べたようにとても痛快でした。要するに、こうした文字はすべて奸計で、みなで戒めあって彼らの奸計にはまらないようにせねばいけません。
 通俗科学雑誌は、決して容易ではないと感じますが、今までこの問題について全く考えて来ませんでしたから、それについては暫時、何も言えません。
 通俗的小新聞については言いたいことが沢山ありますが、紙幅が限られていますので、しばらく置いておきます。次回、小さな物を書いて、この件を専門的に論じます。その折には、また御指教ください。
 徐炳昶 三月三十一日      2010/09/05
 
訳者あとがき:
 挿し絵入り科学雑誌の創刊を提唱した魯迅は、若いころから「挿し絵」が大好きだったようだ。日本留学時代に目にしたドイツ フランスなどの動物記や昆虫記の印象が強烈であったのだろう。ジュールヴェルヌの地底旅行などのSFに近いような科学小説など、
おびただしい量の翻訳を中国に紹介した。中国語で書いた著作量より多いかもしれない。
南京や仙台で正式な学校教育として学んだのは鉱山など理工系や医学だったから、彼はもともと理系的頭脳の持ち主だったと言えよう。
 その一方で、古典の経書の塾では、授業をそっちのけで、中国の伝統的挿し絵入り読本のなかの登場人物の挿し絵を何十枚何百枚も書きうつして、本に仕立て、それを買いたいという金持ちの同級生に売ったと自ら書いているほど好きだった。(「三味書屋」)
 また仙台で藤野先生に添削を受けた解剖図の筋と血管の絵でも、実態は先生の指摘通りと首肯しつつも、自分の解剖図の方が上手く描けていると書いている。そして晩年には
版画の普及に大変な情熱を傾けている。
 こうしてみると彼のスケッチのうまさと文章表現の鋭さは同じ根から出ているようだ。
永井荷風のスケッチと描写に感心したことだが、両人の世間を見る目は相通じるものがあると思う。

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