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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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両地書 32

両地書 32
 前文欠落
 あの詩は意気盛んだが、この種猛烈な攻撃には「雑感」類の散文の方が良く、表現も屈折が必要で、そうでないと反感を買いやすい。詩歌は比較的に永久性があるから、こういうテーマにはあいません。
 上海事件以後、週刊誌にはいつも極めて尖鋭で粛殺するような詩が出ているが、たいして面白くないです。事によって感情も移り、味気なくなります。私は感情が激しい時に詩を作るのは良くないと思う。そうでないと、鋭鋒が露出しすぎて「詩の美しさ」を殺します。この詩はその病があり、私自身は詩を作れないが、ただ考えは以上の通りです。編集者は例により、投稿に対し批評はせず、今来信の求めに対して、何句かを妄説しましたが、投稿者が私の意見を知りたくなければ、知らせないでください。
  迅 6月28日 (広平の28日の手紙 欠落)

訳者雑感:魯迅は現代作家としては結構多くの詩を書いている。死んだ友人や、殺された学生・作家、そして内山など友人にも詩を書いて送っている。
 人に対する感情・哀切などを詩にするのは良いが、上海事件などのテーマを詩にするのは適当でない。やはり雑感文のような散文が良いという。叙事詩というのは、漢詩の伝統的な「基盤」が少ないからかもしれない。物語のような形式の長詩はあるが、作者の感情が根強く残っていて、散文のようには行かないのだろう。
     2016/10/12記

 

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両地書31

両地書31
 この世を如何に生きてゆくか。(魯迅の手紙第2信の内容を引用:割愛)

魯迅師:
 以前頂いた手紙に上記のような文章がありました。私は「一人で食べると太りにくい、友達と分け合って食べたい」(最後の句は広東の諺)と思い、同好の人たちと公にしたいと思います。今上海事件が起き、百折不撓の精神をもつべく、故に、私はこの文章を公開する必要があると考え、写しを奉呈し「莾原」を飾りたいと思います。題は吾師の原文を書きましたが、署名は言うまでも無く、宗主権者に有ります。そして発表するか否かを決めるのは作者です。小鬼は僭越なことは致しかねますので、斟酌願います。(私の愚見を批准くだされば幸いです!)
 楊ばあさんは新平魯11号に大きな事務所を借り、積極的に学生を募集しています。結果、北京在の4人の主任が自ら教育部に行き、一日も早く学校の問題の処理を進めるよう催促し、一方では文書を執政府に提出し、速やかに人選をするように、そして教育部が責任を持って今後の校務を解決するよう要請しています。在京の4人は何とかこうした点をこなせるかどうか不明です。学校維持もばあさんの手紙で妨害され、できるかどうでしょうか。凡そ表に出てきて話をつけようとする人たちは往々、いろいろ苦労しても成果があげられず、頭から泥をかけられてしまうし、宣言した7人の先生の事は、前者の轍で、今後はどうしても誰も敢えて行動を起こさないでしょう。その結果、だれも女師大のことを取りあわなくなってしまったのです。
 しかし主任の先生が言うには、取り合わないのでなく、そうしたくてもできなくなってしまったということです。他の人たちは何とも致し方ない、と。これも取り合えない理由の一つです。それでも取り合おうとする人は、日ごろ意気揚々と盛んな人たちだが、この狼狽状態を利用して、上司にへつらってうまい汁を吸おうとしているのです。聞くところでは、有る人は私がやれば、学校にはすぐ戻れるよと言い、私ができるのは、天津の後ろ盾があるからだ、と。十万の軍隊がおり、ひ弱な書生など恐れるに足りぬ、と。況や更に袁世凱がたたっているのです。これが実現されると、我々学生は死ぬしかないでしょう。この世から「真理」という活字を消すべきでしょう。子供が騙されぬように。今武装した連中が校内にあふれ、文理2予科を解散し、学生18名(或いは12名とも)除籍したとの情報あり。又某氏が端午の節句前日に、教育部長に就任し、これに反対する者は孔方兄(四角い穴の銭の意)を使って拒否するからと、全くお話になりません。彼らの学校に対する最低条件は、少なくとも学生6名と婆さん一人を一緒に犠牲にし、彼我の是非は問わぬ、と。これまた教育破壊の強固さを示しています。もしそれが学校に有益なら、死んでも悔やみませんが、6人も恨まないでしょう。只6人が出て行ったとしても学校に有益だとは限りません。
   小鬼 許広平 6月19晩
 (この後、2-3通欠落あり)
訳者雑感:冒頭部分の広東の諺は面白い。魯迅の文章を引用した後で、
「一人で食べると太りにくい、友達と分け合って食べたい」おいしいものは、一人じゃなく皆で一緒に食べるとより身に着く。栄養になり体に良いということだろう。文章も感銘を受けたものは一人だけで味あうのは身につきにくい。同好の士と一緒に味あうのが一番良い、ということだろう。
 2016/10/11記

 

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両地書30

両地書30
 魯迅先生机下
 6月13日の手紙拝受後、数日経ってしまいましたが、確かに「何もしていない」のに筆をとり、字を書く閑がありませんでした。人はなぜ「無聊」になるのでしょう?原因は外出して散歩しようとせぬからでしょうか?「休息」が取れ人に妨げられぬようにするには、やはり西山に行くのが一番でしょうか。家にいて「何もやりたくないし、見たくもない」と思っていても、誰かがドアーをノックしたら、身を隠そうにも隠せません。「休息」しようとしたらそういう境遇と機会を持たねばなりません:私の様に6人の級友と進退をともにしていると、(要請してきた)兵隊のおじさんたちが来てくれないと、電池を一歩も越えることができず、誠に苦しい状況です。自分自身考えると、長期間このままが続くと、接触する人を発狂させてしまうでしょう。自分の為を考えたら、暫くこの地から離れた方が良いのですが、そうはできません。離れられる境遇と機会があれば、やはりできる限り早くどこかへ去った方が良いのです。
 自分を消滅させる方法を作ると言っても、どうしても私は廃物利用の考えに反し、今この時、このような激しい考えの存在を許さないのです。但し、自分は神経質で、多くの刺激を受けると、反応しない訳にはゆかないのです。
 それで第一歩は、誰かに対して発砲し、第二歩は誰も容赦しない。自分は砂を抱いて水に沈むようなことはしないから、発狂するほか方法はないでしょう。これは神経が骨肉を支配し、感情が理知に勝り如何ともしがたいのです。無論私はこれが「幸福」とは思わないが、恐ろしいとも感じません。もしそういう日が来るなら、望むものは、誰かが一粒の鉄球か、毒薬の一針を打ってくれることです。病院に送られ麻痺した状態で生きてゆくよりましです。しかしこれは体裁よい言葉を弄んでいるだけで、故意に人を驚かすような話ですが、小鬼はやはり飽食したっぷり眠る凡人で、遊びもするし笑いもする。他の人と何ら変わりません。ある人は志を大きく誇張していうが、小鬼もその程度です。
吾師の曰く:私たちの様な若造の話には騙されぬ、と。今回は少し嘘を信じましたね。人より高い所にいる人は、愚を受け入れず、更に仔細に「髪の毛ほどのことも明察」しなければなりませんね。
 今の政府が民意を抑圧しないなどと、私は疑っておりますが、こっそり外国人に頭を下げてあやまりはしたが、いずれ機会を見て、まずは持ち上げておいて、その後抑圧すべく、文言も故意に大袈裟にしているのです。要するに上海の事はきっと拡大しても縮小することはなく、極東の混戦はここから始まりましょう。そうでなければ、自ら損をし、人が死に、更に賠償金を払ってあやまるなど、全くもって万代の恥で、千年の恨みを残します。死んだ方がましです。
「意外なところから、公理が飛んでくる」については多分夢としても望みがたく、洋鬼子(西洋人)は自分では間違っていると認識していても、彼らは実権を握っている人ではなく、丁度中国の今日の立派な人が、耳に聞きよい話はするが、実際の事に当たっては何にもできないのと同じです。先生は後生の若者たちを失望させまいと、話の中に何とかいい方法を見つけ、希望の持てるようなことを言われますが、事実はそんな容易ではありません。ある人たちは慰めの話を聞いても、無論安心などはしませんが、中にはそれを安心の依拠にして、気を緩める人も無いとは限りません。先生どうかご留意をお願いします。
 不易糊ではおかしなことを思い出しました。天津にいたころ、クリームの空き瓶を集めて、不易糊をつめて盤にのせて各所で安く販売しました。コストをかけないのだから損をするはずない、ということでしたが儲かりませんでした。品質が市販品より劣り、買ってくれる人もいませんでした。また石膏型で空洞の蝋の女の子の人形、子犬、獅子など小物のおもちゃをつくり、市販のセルロイドのおもちゃの代替を図ったのですが、とてもかなわず、失敗しました。
 「多くの犠牲を無駄に使い、却ってずるい連中に利を与えることになる」というのは私も常に心配しています。即ち、我が校の騒動も、冬休みに始めた人たちに、別に確かな用意がなかったとは言えませんし、だから私も傍観していたに過ぎず、今でも彼女らに別の用意があるとは言えませんが、学校側は実にぶざまな形で、忍耐しきれず、まずは第一歩の攻撃をし、次に建設的なことを考えたのです。これは私個人の考えですが、攻撃はすでに相手の捕虜にされた形で、建設は何も言えない状態です。従って、我々の目標は楊に対する不満で、このために動いたのですが、却って第3者に漁夫の利を取られ、労せずして捕獲され、それでは我々は連中に「利用」されてしまった。これは社会の暗黒で、バカをみたのです。本当に「少し不満を持ち、反抗し、改善しようとする」人たちにとって気持ち良いものではありません。とりわけ悪いのは:公に誰かを幹事に推挙するときは、一人ひとりは後ろ盾になって支援するからと言い、目の前で火薬を詰めながら、彼女が装備を整え、導火線に点火した時、彼女らはすぐさま遠くにさっさと逃げ出し、その結果、彼女は薬莢のごとく、粉々に粉砕するしかないのです。
 「京副」はやむを得ぬ苦衷があるのでしょうが、実に惜しいことです。没となったものと公表されたものを見て、蜘蛛の糸と馬の跡は固より調べられます。しかしこれで憤慨するには及びません。その実、これも人情(メンツ)の常で、責め過ぎてもしょうがない。吾師は「完全に利用されたことを見つけ」□□に不満を持ち(邪推か否かは知りませんが)何回も「壁にぶつかる」(魯迅の雑文の題名)ことで、義憤に駆られて、利用されたのではないでしょうか?どの道利用されるのだから、一笑に付して、大杯で飲酒されるのも可也です。
     小鬼許広平 6月17日午後6時

訳者雑感:許広平の文章も古典を引用したり、魯迅の作品をうまく取り入れているので、出版社の注をよくみないと、何を告げているのか分からなくなる時がある。
 それにしても、彼女も天津にいた頃、不易糊とかセルロイドの玩具の代替品を作って、輸入品ボイコットへの対応として、汗を流したのであろう。そういう行為をすることが愛国運動として、ジェスチャーだったのかもしれない。中国ではそれをしないと罵られるのだろう。
   2016/10/05記

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両地書29

両地書29
 広平兄:
 6月6日の手紙は拝受後、暫く返事できませんでしたが、今日又12日夕方付の物が届きました。何もしていないのですが、多忙で筆がとれません。偶々何とか週刊にいくつか書いて、お茶を濁すのみでこの数日特にひどい状態です。この原因は大概「無聊」のためで、無聊になるのは何より恐ろしいです。自らそうなってしまうので、対症薬が無いのです。酒を飲むのもいいですが、またとても良くないこともあります。夏休みになって時間ができたら、数日休んで何もせず、何も読まずにいたいが、できるかどうか。
 第一、小鬼は狂人にならぬこと、怒らないこと、人は発狂すると、自己を無くし何もなくなります――ロシアのソログーポは幸せと思ったようだが――他の人から見れば、一切がすべて完結したようです。だから能力の及ぶ限り、自分が発狂することを肯定しません。まだ発狂していませんが、私を精神病だと言う人もいるが、これはどうしようもありません。イライラして怒りやすいが、やはり「イラダチ」の程度をゆるめるのが一番で、さもないと自分が損をします。中国にはいつも陰険な連中が勝利を収めていますから。
 上海の事件も想定外でした。しかし今年の学生の運動は、前の数回より進歩したと思います。しかしこれらの示すものは、所謂「ただこの様なもの」に過ぎません。試みに:北京全体(?)の学生も、一人の章士釘(釗)さえ排除できず、女師大の大多数の学生も一楊蔭楡を排除できぬのに、況や英日をやです。だが学生の側からはこうするしかなく、唯一の希望は意外なところから飛来してくる「公理」を待つことです。現在「公理」も些かは飛来してきており、又英国は間違っているという英国人もでてきました。だから何はともあれ、西洋人(洋鬼子)は中国人より文明的で、貨物は排斥しても、あの品性は学ぶべき点が多いのです。こういう風に自国の間違いを大胆に指摘するのは、中国人にはとても少ない。(バーナード・ショー等の発言を指す)
 所謂「経済断交」は他に思いつくものがない中で、確かに最良の方法の一つだが、付帯条件として、辛抱強く、真面目に取り組むことが必要だ。こうすれば、中国の実業はこれをテコに促進できるという人がいるが、それは自らを欺き、人を欺くことだ。(数年前、日貨排斥の時、皆そういったが、結果は、ただ「不易糊」製造に成功したに過ぎぬ。麦わら帽子とマッチの発達した理由はこのためではない。その頃、この「不易糊」もできなかったので、排斥が起きて3-4人の学生が小さな団体を作って製造し始めた。私は小株主になったが、一瓶8銭で売ったが、コストは10銭で、品質も日本品にかなわなかった。その後、赤字を出し、けんかとなり潰れました。今製造しているのは大変良くなったが、私には無関係です)これで利を得たのは米仏の商人で、我々は英日へ払っていた金を米仏に払った訳で、結局は同じだった。英日は損をしたから、報復できたのだが、これは気分が良いというだけのことだった。
 だが私の見るところ、一つの悪い結果を防ぐために、沢山の犠牲を無駄に使い、ずるい人間を利する機会を与えた。この種のことは中国ではしょっちゅう起こる。但し学生としてはそんなことは気にせずに、良心に従ってやるしかないが、じっくりと粘り強くやるべきで、性急に猛烈にしてはならない。中国の青年には大変な「性急」病があり(小鬼もその一人だが)持久することが難しく、(始めた時は大変猛烈で、力を使いきってしまいやすい)またすぐ簡単に釘にぶつかってしまい、痛い目にあって、怒りだしてしまう。これは再三言ってきているが、私もこれまで実際にやってきたことだから、言うのです。
 前信で飲酒に反対しながら、今回どうして自ら「微酔」(?)したのかな?
大作中には美辞が多く、些か削ろうと思うが、それで第□号の「莾原」に載せましょう。
 □□の態度には最近特に懐疑している。どうも西瀅とよく連絡しているようだから、反楊の文章も数編載せてはいるが、止むを得ずだと思う。今日「京副」に「猛進」「現代」「語絲」を「兄弟週刊」としたのは、大いに「語絲」を増販して、以て「現代」を味方にしようとの意図が見える。また「京副」の上海事件特集は、他の文章は載せぬが、別の隠された事情がありそうだ(但しこれは私の邪推かもしれぬが)「晨報」にはこういうことは無い。
 何名かで事業をするとき、本当に「天下の為」というのは大変少ないということはよく知っている。但し、人は現状にはいつも不満で、反抗し、改善しようとの意思はある。ただ、この点については共通の目的の為の協力は可能だ。たとえ些か「利用」しようとの私心を持っていてもかまわない。他の人を利用し、他の人のために働くのは良いことで、これを耳障り良く言えば「互助」だ。しかし私はどうも「罪業深く」自分に「禍が及」ぶのではと、いつも「互い」という字のない、純粋な利用しか見たことは無い。利用された後は気力を使いきった自分だけが残る。時として彼はついには罵るようになり:罵らなければ、彼に対する大きな恩に感謝するよう要求される。私がいつも無聊なのは、このせいだ。だが私は一切を忘れることができ、ちょっと休んだら、新たに再起し、たとえその後の運命は過去より良くなるとは限らぬと知っていても。
 本来4枚で終わるはずが、不満が増えて5枚になった。もう夜も更けたのでここらで終わりとしましょう。
    迅 6月13夜
 しかし余白に空話を書いてうずめるとするか。司空蕙は前回告示を載せ、欧州へ行くと言ったが、今は行かないと言っている。近頃手紙を貰い「捏蚊」の名前で「莾原」に参加したいという。多分「雪紋」即ち司空蕙だろう。今回「民衆文芸」には「聶文」の名が出ているが、これも彼女と思う。ちいさな釘にぶつかるとすぐ欧州へ行くと言い、行かないとなると、またこ「琴心」式の古い手を使う。この少しばかりの空白もこれで埋めるとしよう。

訳者雑感:学校騒動から上海事変へこの年は魯迅たちにとっても大きな転換の年となった。英日商品を輸入ボイコットしても、不易糊さえ(これに魯迅も出資したというのも不思議な気がするが、学生に頼まれたのだろうが、採算割れして最後は口論となり閉鎖…というのは中国では今なおよくあることだが)自分たちで作れず、米仏から輸入という図式である。
 李克強首相がテレビで語っていたことを思い出させた。世界最多のボールペンを製造しているのだが、肝心の小さなペン先のボールは全量輸入に頼っている。これは何とかしなければならない、と。こんなものすら製造できないで、自動車のエンジンとか良い品質の物を製造できるわけがない。
    2016/10/02記
 
 


 

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両地書28

両地書28
 魯迅師:
 6月6日に一通出しましたが、届いたでしょうか。心配です。(出版社注には、
洪喬によって水中に棄てられたという故事を引用、赴任時に百通余の手紙を託され、郵便配達じゃないと、全てを水中に棄てたもの)
 学校の騒ぎは収まらず、上海の波もまた起こり、小鬼は、心は強いようだが力は弱く、何も対応できぬと痛感し、この頃会う人ごとに鬱憤をぶちまけ――酔狂じゃなく――こんな状態が長く続くと、発狂しそうです!幸い諧謔が好きなので、滑稽で苦悶を紛らしています。苦い茶に糖を入れて飲んでいますが本当は「苦みの量はもとのまま」でしょうね。
 今夕「微酔」(?)後、草々と筆をとり、短文を作り景の名で、題を「アル中」としました。久しく上海の騒ぎで「この調べを弾じなかった」ので中々はかどらず、「編集者」ならびに「先生」の尊位で、ばっさりと削除、添削を賜りたく。もしこれが「白光」から脱出でき、17番目に及第しましたら、第□号の「莾原」の赤い掲示板の末席に載せて頂けましたら「光栄至極」に存じます。  
 敬具。
   しっかり罵倒いただきますよう!!!!
      小鬼許広平      6月12夕

訳者雑感:許さんは学生ながら「ほろ酔い」し「アル中」という題で文章を書いたのか。自分の微力ではなにもできないと憤懣やるかたなく、諧謔と滑稽の中にそれを減じようとしている。
 文中の「白光」は魯迅の吶喊の中の小説で、16回も県の試験を受けたが及第できず、「秀才」になれなかった人物を指す。
それで17回目となるわけ。(出版社注)これと前半の「世説新語」の洪喬の故事を引用するなど、彼女の古典に対する造詣もかなりなものである。
  2016/09/20記

 

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両地書27

両地書27
 魯迅師:
 今私はまたもみ合いを始めようとしておりまして、先生が私のこんな混乱した手紙を読んで頂ける閑はないのではと思いますが――やはり書きます――
 上海の事件(5.30)後、続いて「エーテル」の波動が北京に伝わり、万人が巷を空にした監視の下、隊列を作ってデモ行進をし、訳のわかりにくい、役に立たないスローガンを叫び、2時過ぎから第3院を出発し6時過ぎに天安門に至り、終息しました。今回国民大会を開こうとしました。地面に座りこんで休んでいた「連中」は忽然、指導者によって立ち上がらされ:この危急存亡のとき、生命を顧みず、精神を奮い立たせ、一致して外敵になぜ立ち向かわぬか!その通りだ、とすっくと立ち上がり姿勢を正したが、はからずも又芝居を見ることになった。北大と師大のどちらが主席を出し、総指揮を取るかを争い、台の下の両派は大声でわめきだし、殴れ、殴れと叫びだした。舞台では殴り合いが始まったのを見た!我々は憤ってやめろと叫んだ:今は主席を争う時ではなく、これはいったい何だというのだ。各自がそれぞれボスになろうと争っている。しかし、衆寡敵せず、怒ってもただ怒るだけ。大声で叫んでもただそれだけ。騒いでもただ騒ぐだけ。こんな状況は、以前天安門で何とか大会を開いた時もこうだったと思いだした。これ誠に「古(いにしへ)より之あり」で「今は更にひどくなった!」ようだ。で、私はがっかりして帰った。
 少しばかり快心だったのは、大通りに出たら、向こうから楊ばあさんがニコニコして我が大隊を見ているので、むしゃくしゃして大声で打倒楊蔭楡、打倒楊蔭楡、駆逐楊蔭楡と叫んだ。仲間もそれに呼応し、楊の車が離れ去るまで叫び続けた。これは公を借りて私の仇を討ったことになりました。公私混同の様ですが、迎撃一発まことに痛快で、実に午門に遊んだ時より興奮し、快心これに勝るものなしでした。先生この「害群の馬」は、全く収拾不能なほどの暴れようですが、どうしましょうか。
 一旦封した手紙は、話があるならやはり別の封書に書くのが良いでしょう。「多ければ多いほどよい」で小鬼の疑心暗鬼を免れ、禍を東呉に移さずに済みます。(実は東呉は確かに疑うべきところはありますが)前信の1ページ目に確かに「細注あり」、今回の考究で、もやもやは解消しました。良かった。
 酒を「勧める」人は常にいますし、酒の肴はどこにもあります。ただ自分で決し、外部とは我関せずというのが良いのではないでしょうか。
 小問題(校長)は未解決で、大問題(上海事件)が起こり:平時は一番の禁句である前倒し休暇を、現在は自動的に授業ボイコットです。毎日講演があり、募金、宣伝などの活動がありますが、夏休みに入ったので、男女とも学校で仕事する人は、なんとか方法を講じて学生の活動拠点を取り壊して、相次いで学校を離れて行き、電灯もつかず、水道も止まり、食事は外で買うことができるが、他のことはどうしましょう?これは公私(国・学校)に関係した問題で、政治も不安定な状態で、現在「死を救おうにもその暇なきを、おそる」といった今日の状態で、教育上の小問題で、この臭い「便所」を掃除するなどの閑のある人などいましょうか。我々が便所の穴から永久に抜け出せないのも当然です。
 黒幕の中の人たちが続々と散ってゆくのは、確かに「冷却する」「冷やす」…の秘訣です。校長が去り、教務、総務も辞職して、各種の問題を解決するとしていた評議会、教務聯席会議も旗振りや鼓を鳴らせなくなった。最後の一着は学生たちの拠点を壊し、学生が校内にいられなくするのだ。このような極端な破壊主義は、前途はどうなるのだろう?!
 授業ボイコットで!毎週の「苦悶の象徴」を聞く機会も奪われました!今後いつ騒動を解決し、安心して講義を聴くことができるでしょうか?
    小鬼 許広平 6月5夕
 伏園さんは尽力されて「京副」を出された。この時局では困難と見られていたのに、その師ありて、その弟子ありですね。

訳者雑感:北京大と師範大の学生がどちらが主導権を握るかで、乱闘を始め、むちゃくちゃになってしまった。文化大革命のころにも、純粋無垢な学生と思われていたのに、各地で械闘(武器を手にした乱闘)が起こって膨大な数の犠牲者が出た。上層部たる毛沢東たちと劉少奇たちが権力闘争をやっているわけだから、下部の学生たちが武力闘争するのは至極当然だ。その当時、世界各地で学生運動が起こり、パリのカルチェラタン、東京など各地で、中核・革マル……などのセクト間の角棒や火炎瓶などの事件が頻繁に起こった。ワクチンの無い伝染病に罹った。
    2016/09/19記

 


 

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両地書26 追加

訳者雑感で「連中が壁紙を」云々と書いたが、先輩の話では、この本社あての文章が開封されて
検閲で「文化大革命に懸命に活動している学生たちを (連中)と呼ぶのは見下している」と
判断されて、それが軟禁の理由の一つだったから、君たちも今後(連中)という漢字は使わないように、と注意された。
   2016.9.16記

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両地書26

両地書26
 広平兄:
 開封の件は、連中は冤罪かもしれません。実は31日分は私が開封したかもしれません。あの時すでに夜遅く、手紙を沢山書いたので、記憶が不確かですが、一つは(下の方を)開いて、1枚目に細かい注を入れたのです。君の受け取った1枚目に注があれば、私が開いたものです。
 他の手紙については連中の弁護はできません。実は郵便を開くのは、中国の慣習的技で、早くから私も気付いていました。但し、この種技量は苦心しても徒労に終わります。明の方孝孺は永楽帝に十族を滅ぼされたが、(九族の次)の一つは「師」だった由。とはいっても余りあてにはなりません。この件の真偽のほどは調べていません。しかし西瀅の文からすると、こういう輩は一度志を得たら、滅族だけでなく「系(学部)も滅し」「籍も滅す」だろう。
 明明白白に学生を除籍しておきながら、布告には「出校」と書くとは、私はその時、中国文字の巧妙さをとても嘆かわしいと思った。今上海で学生を逮捕し、殺し始めたが、ロイター電では「華人は人事不省」となったとあるのを見て、異曲同工というべく、ただしこれは中国紙の訳文で、原文はどうなっているか知らない。
 実は私は余り酒を飲まぬし、飲酒の害もよく知っています。今は飲まない時の方が多い。人が勧めぬ限り。しばらく待ってみるのも悪くは無いし、短刀も持ってはいるが、夜間の賊を防ぐためで、偶に目にした人は、ちょっと見ただけで怪しむので、「流言」は皆信ずるに足りません。
 汪懋祖氏の宣言が発表され、「某女士」の言を引いて重要だとしたのはおかしい。連中はよく「某」の字を愛用するが、何のためか分からない。その意をみると、どうやら「某籍某系」は学校を解体しようとのことで、一種の奇談である。黒幕の男がようやく出てきたのは見ものだが、残念ながら彼自身また「南に帰る」と言っている。隠れたり現れたり、隠れたり現れたり、というもの黒幕なる故か。ははは!
   迅    6月2日

訳者雑感:九族に累が及ぶ、というのは中国の古くからの「厳罰」で、21世紀の今日もこの数年、腐敗幹部が逮捕されると、その罪九族に及び、膨大な数の親族が牢に送られている。
 明の方氏の場合は永楽帝にその「師」まで殺され、罪は十族に及んだという説もある。親族でもない師(ここでは許の罪が魯迅に及ぶという意)
 開封は常にあるということで、今回から魯迅とは署名せず、迅の1字としている。北京駐在時、どうも開封された形跡があり、これは、国外郵便はすべてスパイの恐れありとして、開封されているということを先輩たちから聞いたことを思い出した。先輩たちは文革中に、本社への報告に、「連中は至る所で壁新聞を張り始めた、云々」と記述し、新僑飯店に長いこと軟禁された。明らかに開封されていたからとしか考えられない。80年代に入って、公安当局から「お詫びしたい」と北京に招かれたが、一部の人は当時のことを思い出したくないから、と断った由。当時から飯店で働いていた服務員は、「おおー、驚き、あの人はよく知っている」と感激しながら私に告げた。
   2016/09/15記

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両地書25

両地書25
 31日来信拝受し、開封の前に不愉快になりました。連中が何と検閲しているのです!以前もありましたが、今回2通とも背面下で開かれてから閉じていて原状の痕跡が無くなっています。当然クレームすべきですが、何の益もありません!誰かに託せばこれは免れると思いますが、連中を避けることもない。どうせなら手紙の中に連中をがんと一発罵って読ませてやろうとも思いますが、我が師が何の罪でこんな目に逢わねばならぬか。以前なら九族誅滅、妻子にもおよび、今回それを復活させようとしているから、その責めが師にも及ぶとは、何と憎むべきことでしょう。
 昨日(日曜)西瀅の「閑語」を見、「6人の学生は怪しからん」を書き、元々怪しからん連中をコテンパテンに批判しようと書いた後、頭痛がして横になってしまいました。今朝これを「婦週」の評梅の求めに応じようとしたのですが、彼女は来ません。それで先生に見てもらい伏園旦那にも問題なく、原稿がよければ、「京副」に投稿できますか。只、中身の多くは前人が何回か触れたものもあり、これもそれだけのことです。
 思いますに、世界はこんなものだと知り、だから苦悶し自らを廃物とみて、それを使おうとするものがいれば、屍を医学解剖に供し、この世のささやかな役に立とうと願いました。光明については実のところ私はそんな年寄りになるまで生きたいと望んだこともありません。私個人としては、誰かに買収される方が、外で「人の患い」となるより気楽でしょう。反抗しないのは反抗するより危険は少ないが、他の人のことを考えると、私は絶対そうできません。だから私は仏者が苦海に沈むのを悲しみ、先儒が月日が迅速に過ぎるのを恐れ、「死」に安んじず、急に立って追うのは俗を免れないと思うからです。小鬼も俗な鬼で旧観念を打破できず、偶々考えが先生と合致し、偶然転じて卦を変じ、廃物利用も又なんぞ「生命消磨」の術でないということがありましょうか。しかし多分、「酒びたり」になるよりはやや勝るかと。当然、先生の見解は私より高度で、したがって多くの面で「違い」ますが、たとえ「もみ合っても」やはり何とか方法を講じて待ってみてもよい。綿入れの中にキラっとする鋼刀をかくし、それで敵に勝ち、身を守るのは妙と言えます。しかし…で以て…をというのは小鬼としては心配です。
 小鬼 許広平 6月1日

訳者雑感:許広平も魯迅との書簡往復を通して、徐々に「反抗」すること、もみ合うことへ傾斜してゆくようだ。というか、元来彼女もそういう性格を持ち合わせていたのだというのが、この文章から見てとれる。
   2016/09/13記


 

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両地書24

両地書24
 広平兄:
 昼に戻り置手紙拝見。現在の現象はどこも暗黒で、この状況は根本から治すにはどこから始めるべきかのみならず、応急手当の方法も無く、只時局と共に移りゆくしかありません。「京報」は、話では秦さんだけでなく、たくさんの人が運動したが、結果2紙とも載せぬと決めたが、時間が経ったら、連中もあの人たちを支援するかもしれない。新聞をやっている連中はこの程度です。その実、新聞の宣伝も実際は大した影響は無いですが。
 今日「現代評論」に所謂西瀅(魯迅の論敵:出版社注)が、我々の宣言に対しコメントを出し、部外の人間を装い茶番を打ってきた。私も「京副」に寄稿し、彼らに釘をさした。伏園の飯椀の安危がどうなるかわからない。連中は為さざるなしでなんでもやるから。口を開けば仁義と言いながら、実際の行動は犬畜生にも劣る。筆が何の役にも立たぬ事は、承知しているが、今はこれしかない。これすらも魑魅魍魎に妨害されています。だが発表する場所さえあれば、私は筆を放さず:或いは「莽原」を独立させるかもまだわからない。独立するなら独立、完結なら完結で構わない。要は、筆舌のある限りこれを使い、東瀅も西瀅も構いはしない。
西瀅の文章は「流言」に託し、今回の騒動は「某学科の某籍の教員が鼓動」したとし、それは明らかに「国文科の浙江籍の教員」を意味し、人は知らず、私が楊蔭楡を罵倒し、騒動の後になんと「楊家将」が現れて真逆のでたらめを飛ばし、卑劣極まりないことだ。しかし浙籍でも夷籍でも既に罵倒した以上、罵倒し続け、楊蔭楡は舌を抜く力は無いから、あと数回は罵倒されよう。
 さて真面目な話、本当に「世界はかくあるにすぎぬか?」については、確かに「小鬼に対して言った」ものです。私の話は常に考えていることと異なり、どうしてそうなるのか、私はすでに「吶喊」の序に書いたが:自分の思っていることを他の人に伝染させたくないのです。なぜか?私の考えは暗すぎるからだし、自分の考えが正しいかどうか分からないからです。「さらに反抗しよう」というのは本当だが、私はこれが「反抗の所以のため」であり、小鬼の反抗とは明確に違います。君の反抗は光明の到来を望むためでしょうか?私の反抗は暗黒ともみあうに過ぎません。私の考えに小鬼はどこか釈然としないでしょう。これは年齢や経歴、環境などが違うからで、奇とするに足りません。例えば私は「人間社会の苦」を呪詛しますが、「死」を嫌悪せず、「苦」は何とか方法を講じて減らせるが、「死」は必然のことで、「終焉」も、悲哀することはないのです。君はこういう話を聞きたくない――でしょうが、なぜけなげに生きている人を「廃物」と思うのですか?これは「痛哭流涕の文」を書くより「けしからん」!のです。来信のように、凡そ自分に関係ある人が死んだとき、自分に関係ない人が生きているのを憎む…」という点は私と反対で、私と関係ある人が生きている間は、私は安心できず、死ぬと安心します。この意味は「過客」でも書いたが、小鬼と違います。確かに私の考えは、すぐ理解はできないでしょう。実は多くの矛盾を抱えているからで、私自身に言わせれば、或いは、人道主義と個人主義の2種の思想の消長が起伏しているからでしょう。だから私は忽然人を愛し、また憎みます:物事をするとき、時には人のため、時には自分の楽しみのため、時には今を早く消磨することを望んでです。それゆえ故意に一生懸命にやるのです。この外に、或いは何か道理があるのでしょうが、私にも余りはっきり分かりません。但し人に話すときは、光明の方を選びますが、偶に気をつけないで、閻魔大王には反対されないが、「小鬼」には耳障りな話をしてしまう。要は自分と人のために考えていることは違うのです。だから私の考えはとても暗く、しかし畢竟は正しいかどうか分かりません。したがって、只自ら試すのみで、他の人を呼び込まないのです。その実、小鬼は父兄の長命を望み、自らを「廃物」とみなす。かたくなに「大衆のために命を請う」ことの大半はこのためです。
 「莾原」は些か綿靴を履いて何も騒ぎ立てもせず、しかたありません。自分はというと晦渋な文を書きなれて、容易には改められない。書くときは志を立て、明瞭にと思いながら、後には往々にして晦渋な始末で、実に腹が立ちます!今回「京報」を郵送分以外に1,500部販売し、読んだ人は少なくありません。
「騒動」が一段落ついたら、君も「害群の馬」として議論を沢山寄稿下さい。
    魯迅  5月30日

訳者雑感:魯迅は本文で彼が反抗するのは、暗黒(の社会・連中)ともみ合うためで、許のように光明を求めてという明るさは無い。見いだせていないのだ。
ただ、暗黒(旧社会・旧制度・礼教など)ともみあい、抗うことそのものが彼の反抗の原点なのだ。
 別居している母や婚礼をあげた妻など家族への仕送りのために「お金」は稼がねばならぬが、金儲けのために出版などの事業を大きくしたり、役人として出世して(教育部の役人ではあったが)云々の前に、もみ合うことが先であった。
    2016/09/11記


 

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