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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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比喩ひとつ

 私の故郷では余り羊を食べないから、市内で一日数頭しか山羊を殺さない。北京は正に人口も多く状況はまるで違う。羊肉だけを売る店もたくさん目にする。(回教徒が多いため豚と一緒に売れないし、生きたまま店で屠殺するからと訳者は思うが)真っ白い羊の群れが街中の通りをしばしば道いっぱいに歩いて通るが、全て胡羊で我故郷では綿羊と呼ぶ。
 山羊はなかなか見かけない。北京ではとても名が貴く、胡羊より賢く群れを率い、歩を止めさせることもできる。だから牧畜家も数匹飼ってはいるが、胡羊のリーダーとして飼うのであって、殺したりはしない。
 そういう山羊を一回だけ見たことがある。一群の羊の前を歩き、首に鈴をかけ、知識階級の徽章のようだ。通常、先頭は大抵牧人で、羊はじゅじゅつなぎに連なって、つぎからつぎへと柔和で従順な目をして、彼の後をぞろぞろ進む。私はこういう真面目にピタッとついて進む羊たちを見て、心の中で愚にもつかぬことを羊たちに問いかけたい衝動にかられた。
 「君たち どこへ行くんだい?」
 人の群れにもこのような山羊が結構いて、群衆を率いて、平静穏便に群衆が向かうべき所まで連れてゆく。袁世凱はこの辺のことを少しは心得ていたが、上手にこなせなかった。多分彼は本を読まなかったせいか、こうした奥妙な秘訣を熟知運用することができなかった。彼以後の軍人たちはそれに輪をかけたように愚かで、自分で乱打乱割(国を割って軍閥統治したこと)に明け暮れ、乱の果てに哀号の声が国中に響き、民を残虐に扱うだけにとどまらず、学問を軽視し、教育を荒廃させたという悪名を残す結果となった。
 だが「一事を経ると一智に長じる」で、20世紀も四分の一過ぎ、首に鈴をかけた賢人は、きっと幸運にめぐり合えるだろう、といっても今現在は表面的な小さな挫折は免れないが。
 その時が来たら、人々は、特に青年はみな敷かれた軌道に沿って、騒いだりせず、動揺もせず、一心に「正道」を歩み前進するに違いない、もし誰も
 「君たち どこへ行くんだい?」と尋ねなければ。
 
 君子は言うかもしれない「羊は羊、数珠つなぎで従順に歩かなければ、他にどんな方法があるのか?
豚を見てごらん。ひっぱっても逃げようとし、わめき猪突し、終には捕まって行かねばならぬ所へ連れてかれる。その前に暴れもがいたって無駄なことよ」と。
 これは:どうせ死ぬなら羊の如くに死ぬべきで、それで天下太平、互いに省力と言う事。
このスキームはもちろん大変立派で感心もするが、イノシシを見たまえ。二本の牙で狩りの名手すらも退避させる。この牙は豚小屋を脱出して山野に入りさえすれば、暫くすると生えてくるのだ。
 Schopenhauerはかつて紳士をヤマアラシに譬えた。私はそれはいささか体裁が悪いと思ったが、彼には何の悪意もなく、単なる比喩として使ったに過ぎぬ。
 
「Parerga und Paralipomena」にこんな面白い話がある:
 ヤマアラシの群れが冬に互いの体温で防寒しようとピッタリ集まったが、トゲがとても痛いので
離れてしまった。しかしどうにも寒いので皆が寄り集まったが、やはり痛い。
この二つの苦難の中から、終に互いの適宜な間隔を発見した。その間隔を保つことで一番平穏に過ごせた。
 人は社交の必要から一ヶ所に集まり、夫々が互いの嫌な性質と耐えられぬ欠陥のため、再び離れさせる。
彼らは最後に発見した間隔――彼らが一ヶ所に集まっても程良い間隔が即ち「礼譲」と「上流の風習」である。この間隔を守らぬと英国では「Keep your distance!」と注意する。
 だがたとえ注意しても、多分ヤマアラシとヤマアラシの間だけに有効で、
彼らがこの間隔を守るのは痛いからであって、そう注意されたからではない。例えばヤマアラシの
間に別のものを挟んだら、トゲは痛くないからどんなに注意しても、体を寄せ合うだろう。
孔子は:礼は庶人に下らずと説いた。(礼は庶民には適用されない)
今日の状況に照らすと、庶人はヤマアラシ(紳士の意)に近づくわけにはいかぬ。
ヤマアラシは任意に庶人を刺して、暖をとることができるから。それで傷を受けることに
なるのは当然だが、それは自分だけがトゲの無いことを怨む他ない。相手に適当な間隔を
守らせられないのだから。
 孔子はまたこうも説く:「刑は大夫に上せず」。どうりで人は紳士になりたがる訳だ。
(刑罰は上流階級には適用されない)
 このヤマアラシたちには、勿論牙や角あるいは棍棒で防御はできるが、ヤマアラシらの
社会で決められた「下流」または「無礼」という罪名は必ず背負わされる。
              1月25日
 
訳者雑感:
上海やその周辺で羊専門の店を見つけるのは難しい。だが北京には「東来順」という王府井の有名な羊のしゃぶしゃぶ専門店がある。それ以外にも市内の至る所で、「回民」という看板をかけた「羊肉」を専らとする料理店がある。顔付きは漢族と同じでまったく見分けがつかぬほど同化した回民。それに漢族でも回教に帰依している人口がとても多いという。清真寺と呼ばれる回教寺院が、仏教の寺の格好とあまり変わらない雰囲気で立っている。
 
1925年当時の北京の街路を山羊に引率されて数珠つなぎに歩んで行く食用羊。それを見た魯迅の連想は、袁世凱とその後の軍閥による出鱈目な陣盗り合戦。軍閥の下で身にヤマアラシのようなトゲをつけた紳士たちが、庶民を残虐に扱い、血税を吸い上げる。
その軍閥政府から睨まれて、筆で書くより、足で逃げ回るのに忙しかった魯迅は、外国の病院などに退避したが、とうとう北京にはいられなくなって、アモイに去る。そんな時代背景を思い浮かべながら、この比喩を読む。「礼」も「刑」も儒教の説くものは紳士たちの統治のために都合よくできているのであって、庶民とは無関係なものだということが実感できる。     2010/11/02訳

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