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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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革命時代の文学 


 48日 黄埔軍官学校にて(講演)
 今日の話は「革命時代の文学」です。
本校から何回もお招きを受けましたが、いつも何とか理由をつけ延ばしてきました。何故か?諸君が私を呼ぶのは多分私が小説を書く文学家だから、私の文学の話を聞きたいからだと思ったためです。しかし私は文学家じゃない。何も知らぬのです。最初正式に学んだのは鉱業で石炭採掘なら文学よりうまく話せます。勿論嗜好として文学書はよく見ていますが心得はありません。諸君の役に立つようなことは話せません。かてて加えて、ここ数年の北京での経験から、これまで知っている先人たちの文学論議全てに懐疑を持ちました。それは(3.18事件の)学生を銃殺した時です。文字の禁も非常に厳しくなり、文学、文学というが、実はもっとも役に立たぬもの、力の無い人間のいうことで:力のある人間は口を開かずに人を殺し、圧迫された人は何か口に出し、何か文字を書くが、すぐ殺され:殺されなくとも、一日中吶喊して苦しみを訴え、不満を訴えても、力のある人はやはり圧迫、虐待し、殺戮するのです。彼らに抵抗する手立ても無く、こんな文学は人間のために何の役に立つのかと思いました。
 自然界も同様、鷹が雀を捕える時、一声も出さぬは鷹。チュッチュと鳴くのは雀:猫が鼠を捕える時も、音を立てぬは猫。チュー チューと叫ぶのは鼠:結果、口を開く者が開かぬものに食われる。文学家はなにかうまいこと書いて何冊か作品を出し、その時は称賛され何年かは虚名を博すが、たとえば烈士の追悼会の後、烈士のことはとうに話題に上らず、みんなして誰の挽聯(死者を悼む対句)がうまいかということに話が向かう。これは実に安気なビジネスなのでしょう。
 この革命(震源地)の文学家はおそらく文学と革命は大いに関係があると言うでしょう。例えば革命を宣伝、鼓吹、扇動すれば革命を成就できるという。
だが私はそんなものは無力だと思う。良い文芸作品の多くは、これまで命令を受けたり、利害を考えたりせず、自発的に心から流れ出たもので、もし先にテーマを掲げて文章を書くなら、八股文と何の違いがあろうか。文学として無価値で人を感動させる云々など言うに及ばぬ。革命の為には「革命人」が要るが「革命文学」は急いても仕方のないことで、革命人が書いたものこそ革命文学だから、革命はむしろ文章に関わりがあると思うのです。革命時代の文学と平時の文学は違います。革命が来たら文学は色彩を変える。但し大革命は色彩を変えられるが、小革命はできません。大した革命でないときは文学の色彩まで変えられません。当地では「革命」というのはよく耳にしますが、江浙では革命と聞いただけでたいそう恐がるし、口にしたら大変危険です。「革命」は決して珍しくもないが、ただそれが現れて始めて社会は改革され、人類は進歩でき、アメ―バーから人類に、野蛮から文明になれたのも一刻として革命で無い時はありません。生物学者は、「人類と猿は大した差はなく、人と猿は遠い親戚」という。ただ人類がなぜ人になり、猿はいつまでも猿か?それは変化を肯んじなかったため――四本足歩行に執着したため。多分あるとき一匹の猿が立ち始め、二本足で歩こうとしたが、多くの猿が「我々の先祖はこれまで這って来た。お前が立ち上がるのを許さん!と咬み殺した。彼らは立ち始めるのを肯んじないだけでなく、話すのも肯んじなかった。守旧のためです。
 人類は違う。立ち上がり始め、話し始めた結果、勝った。だがまだ完了していない。従って革命は決して珍奇なものではない。凡そ今日まで滅亡せずに
きた民族は、日夜革命に努めている。往々にして小革命に過ぎないけれど。
 大革命は文学にどんな影響を与えるか。大きく次の3段階に分けられる。
 
1。大革命の前、全ての文学は大抵いろいろな社会状況の不満を訴え、苦痛を感じ苦しみを叫ぶ。世界文学の中でこの類のものは大変多い。だがこうした苦しみや不満を叫ぶ文学は革命に何の影響も無い。苦しみや不満を訴えるのは何の力も無い。圧迫者は何も構わない。鼠がいくら鳴いても、たとえどんな素晴らしい文学を書いても、猫は何の遠慮も無く食べてしまう。だから只苦痛不満を訴える文学しかないとき、その民族は希望が無い。只苦痛不満を叫ぶにとどまるから。訴訟を例にとれば、負けた方が冤罪の判決を受けると、相手側はもはや彼には再訴訟の力が無いと知り、これにて終了となる。だから苦痛や不満を訴える文学は冤罪だと叫ぶに等しい。圧迫者は却って安心する。ある民族は苦痛を叫ぶのも無用だとしてそれもしないで、沈黙の民となり、だんだん衰退する。エジプト、アラブ、ペルシャ、インドは声なき民だ!
 反抗心の旺盛な、力を蓄えた民族は、苦しみを叫んでも無用と悟り、覚悟を決めて哀しい音調から怒りの怒号に変わる。怒号の文学が出現すると、反抗はまもなく始まる:彼らはすでにとんでもなく憤慨しており、従って革命爆発時代が近づいた文学は、常に憤怒の声を帯びており、反抗に立ちあがり仇を討とうとする。ソビエトロシア革命が起こらんとする時、こうした文学が出た。だが例外もあり、ポーランドは早くから仇を討つ文学があったが、再興したのは欧州大戦によってだった。
 
2。大革命が来ると文学は無くなる。声すらでない。
全員が革命の潮流の疾風怒濤のなかで、叫びから行動に移り、革命に忙しく、
文学空談の閑無し。それにそうなると民生もたいへんで、ひたすらパンを求めるが、入手できないから文学を語る気にもなれない。守旧の人は革命潮流の打撃でボー然自失、所謂彼らの文学を再び歌うこともできない。
 文学は窮乏に苦しむ時にできるという人もいるが、必ずしもさにあらず。
窮乏に苦しむときに文学作品はできない:私が北京にいたとき窮乏し、いろいろなところにお金を借りに行かねばならず、一字たりとも書けなかった。
給料が出てやっと坐って文章を書けるようになった。大革命時代はとても忙しく、同時に大変窮乏するので、こちらの勢力と相手側とが闘争し、まず現在の社会状況を変換せねばならず、文章を書く時間もそんな気持ちもない:大革命時代の文学はしばらく低迷する。
 
3。大革命成功後は社会の状況は落ち着き、人々の生活に余裕が出ると文学が生まれる。この時の文学は二つあり:一つは革命称賛謳歌する物。進歩的文学家は社会の変革前進を願い、旧社会の破壊と新社会の建設に意義を見いだす。一面で旧制度の崩壊を喜び、もう一面で新建設を謳歌する。
 もう一つは旧社会の滅亡を悼む――挽歌で、革命後も残るもので、これを
「反革命文学」とみなす人もいるが、そんな大罪を着せる必要は無いと思う。
革命は進行中だが、社会に旧人間はまだ沢山いて、決してすぐに新人間には変われない。彼らの頭脳は旧思想、古い物が一杯で、環境が徐々に変わり影響が彼ら全体に及びだしたとき、旧時の心地よかったことを回想し、旧社会を懐かしみ、恋しがる。古いことを話し出し、こうした文学を作る。この種の文学はみな悲哀に満ち、彼らの気持ちの淋しさを表現する。一面では新しい建設の勝利を見、一面では旧制度の滅亡を目の当たりにするから挽歌を唄い出す。
只懐旧、挽歌は既に革命がなされたということを示す。もし革命が成らなければ、旧い人物は勢いを盛り返し、挽歌など唄わない。
 
 だが今の中国はこの二つとも、即ち旧制度への挽歌も新制度への謳歌も無い。中国の革命はいまだ成っておらず、正に交錯状態で革命に忙しいためである。しかし旧文学は依然として多く、新聞の文章は殆どすべて旧式だ。これは中国の革命が社会に対して大きな変革を与えていないし、守旧の人も大して影響を受けていないから、旧人も依然として世俗の外に悠然としていられるのだと思う。広東の新聞に載る文学は全て旧式で新しいのは大変少ない。これは広東の社会が革命の影響を受けていないことの証明:新しいものへの謳歌も、
古い物への挽歌も無く広東は十年前の広東のままだ。そればかりか、苦しみも叫ばず、不満も訴えていない:ただ組合のデモに参加するのを見るだけ:だがこれは政府の許可したもので圧迫への反抗じゃなく革命奉賛にすぎない。中国社会が変わっていないから懐旧の哀詞も斬新な行進曲も無い。ただソビエトロシアにはこの二種の文学が生まれた。彼らの旧文学者は国外逃亡し、滅亡せしものを悼み、旧きを挽歌する哀しいことばを書いた。新文学は今まさに前進せんとしているが、偉大な作品はまだ無いが、新作はたくさんあり、彼らはすでに怒号の時代を過ぎ、謳歌の時期に入ろうとしている。建設を賛美するのは、
革命が進行した後の影響で、今後どうなるか今は分からぬが、推測するに多分平民の文学だろう。平民の世界というのが革命の結果である。
 今の中国には勿論平民の文学は無いし、世界にもない。全ての文学、歌や詩は大抵、上等人に見せるもの:彼らはお腹がいっぱいになりソファーに横になって読むのだ。才子が佳人に会い、二人が愛し合い、才子でない男がひっかきまわし間違いが起こるが、ついにはめでたく団円で終る。こうしたものを読むのはなんと心地よいことか。あるいは、上等人がどれほどすばらしく、快楽か、下等人がどれほどおかしいかを説く。数年前「新青年」に数篇の小説が出た。罪人が寒冷地で暮らす描写を見て、大学教授はなにも面白くも無い、と言った。こんな下等人を見たくも無いからである。もし詩歌が好きな車夫を描いたら下流の詩歌になり:戯曲の中に犯罪人が出たら下流の戯曲になる。劇の配役もただ才子と佳人のみ。かつ才子は状元(科挙の再優秀合格者)で、佳人は一品夫人に封ぜられ、才子佳人の当人はたいそう喜び、観客もそれをみて喜ぶ。下等人は如何ともしがたい。只彼らと一緒に喜ぶしかない。今、平民
――労働者農民――を材料に小説や詩を書く人がいれば、これを平民文学と称すが、実はそれはまだない。平民はまだ口を開いていないからだ。これは他の人が平民の生活を見て平民の口吻に仮託して書いたものだ。眼前の文人は窮乏してはいるが、労働者農民より豊かで、それだから金を払って本も読み、文も書ける:ちょっと見た限りでは平民が話しているように見えるが、そうではない:これは本当の平民小説ではない。平民の歌う山歌や野の曲は、ある人たちが書いたものを、大衆のみんなが歌っているから平民の音だという。だが彼らは間接的に古い書物の影響を受けており、郷紳が三千畝(ム―)もの田畑を有すのを、とっても敬服しており、郷紳の考えを自分の考えとしてしまっており、
彼らの吟じ憧れているのは五言詩、七言詩だから、彼らの歌う山歌、野の曲も大半は五言か七言だ。これ即ち格律に従ってつくり、構造(しくみ)から意味を取ろうとする、とても陳腐なもので、真の平民文学とは言えない。
 現在、中国の小説と詩は外国に比べるほどのものは無い。如何ともしがたく、
只文学と称すのみ:革命時代の文学はおろか、平民文学などと口はばったいことは言えぬ。現在の文学家はみな読書人で、もし労働者農民が解放されず、労働者農民の考えが読書人と同じなら、労働者農民が本当の解放を得た後、はじめて真の平民文学ができる。一部の人は「中国にはすでに平民文学がある」というが、実際には無い。
 諸君は実際の戦闘者であり、革命の戦士ですから、当分は文学を敬服せぬ方がよろしい。文学を学ぶことは戦争には何の益もない。よくてせいぜい戦歌をつくるに過ぎない。もし上手く書ければ、戦いの合間に、休憩のときに読むのは良いだろう。少し格好よく言うなら、柳を植え成長したら枝が木陰をつくり、
農夫が昼まで耕作した後、木陰で昼飯を食べ休む。中国の今の社会情勢は実際の革命戦争あるのみで、一首の詩で(北洋軍閥の)孫伝芳を脅かすことはできぬが、一発の砲弾は孫を駆逐できる。もちろん文学は革命に対して偉大な力がある、と考える人もいるが、私個人としては懐疑的である。文学はどうしても余裕の産物で、民族の文化を表すというのが本当のところだ。
 人間は大概自分の今やっていることに不満で、これまで何篇かの文章を書くことができただけで、やっていていやになるが、鉄砲をにぎる諸君は文学の話を聞きたがる。私は当然、大砲の音を聞きたいし、大砲の音は文学のそれより、
気分が良いように感じるからかも知れない。
 以上、最後まで聞いてくれて諸君に感謝します!
 
訳者雑感:これを訳している時、エジプトの民衆がムバラク打倒に立ちあがった。魯迅がここで声なき民の筆頭に挙げているのがエジプトだ。かつて世界でも最も華やかな文明国だった国。魯迅が指摘するように今まさに30年のただ苦しみを叫び、不満を訴えていただけでは何の革命も起きない、と認識して怒号に代え、実力行動に移りつつある。だが小革命に過ぎぬ。大革命はこうした各地の小革命が積み重なって、ムバラク政権を打倒し、彼を国外に追い出し、新しい指導者が出現することだ。誰がムバラク後のエジプトを統治できるか?
パーレビ後のイランのような宗教的カリスマが出なければ、エルバラダイ氏には任が重いようだ。
 中国の戯曲は悲劇も多いが、観客が繰り返し観劇にくるのはやはり魯迅が述べているように、才子が佳人に出会い、大団円で幕が下り、その幕がまた上がり、主演者がお辞儀し、ヒロインや主要な役者をつぎつぎ招き入れて観客の拍手を受け、スタンディング オベーションで余韻が続くというのが通例だ。
 欧州のオペラも、中らずといえども遠からず。文学も戯曲も余裕の産物であり、パンにありつけない時はだれもそんな余裕はない。見るのもやはりお金を出して自分の大切な時間を費消するのだから、見たあとの余韻がいつまでも残る名作を見に行くのが一番安心である。 安気なビジネスが一番安全である。
しかし魯迅の作品に、そういう戯曲になりそうなものは無い。深刻な物が多い。
   2011/01/31
 

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