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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「労働問題」への前書き

昨夏北京にいた頃、張我権君(権→軍:出版社)に会った時、こんなことを言われたことを思い出した:「中国人はみな台湾を忘れてしまったようだ。
誰も提起すらしなくなった」と。彼は台湾の青年である。
 私はその時、グサッと痛みを受け苦しんだが、口から出たのは「いや、そんなことはない。本国がメチャクチャで、内憂外患にさらされ自らさえ顧みる暇も無いから、台湾のことにしばらく手が回らない……」
だが、今まさに困苦の中にいる台湾青年は、中国の事はしばしといえども放っておけない。中国の革命が成功することを望み、中国の改革を支援し、なんとか力を尽くして、中国の現在と未来に役に立ちたい。たとえ学生の身分でも。
 張秀哲君には広州で始めて会った。数回話して、彼が「労働問題」を中国語に訳したことを知り、私に簡単な前書きを頼んできた。私は前書きを書くのがへただし、そういうことをするのも賛成しない:まして、労働問題には疎いから、口を挟む資格も無い。ただ言えるのは張君が中日両国語に極めて精通していて、訳も信用が置けるという一点だ。
 ただ、私はできるなら何句かこの翻訳書の前に書きたいと思う。労働問題は詳しくないが、訳者が遊学中に民衆の為に力を尽くしたいという努力と誠意を感ずるためである。
 私は以上の言葉で、私個人の感激を表すのみ。だが、この努力と誠意はきっと読者も感じると信ずる。
これは事実どんな前書きより有力だ。
    19274.11 魯迅 広州中山大学にて
訳者雑感:日清戦争で日本に割譲されて30年後の台湾からの留学生に、北京や広州で魯迅は会っている。彼らが本国人が台湾のことを忘れてしまった、と嘆きつつ、一方で自分たちの祖国がメチャクチャになっているのを放って置けない。そんな努力と誠意に報いたのがこの前書きだ。
 日本が日清戦争までの2千年近い中国からの片貿易的な文化輸入から、膨大なものを取り込み、自分の血肉としてきた。1895年以降、清国及び中華民国の大量の青年が、日本から片貿易的に膨大な数の文物を取り入れ、日本語から大量に翻訳して本国に紹介した。それは一刻も早くメチャクチャの状態から立ちあがるための「努力と誠意」であった。この4文字はそのまま魯迅にもあてはまるものだ。仕事に倦むと藤野先生の写真を見ながら、次の執筆に向かう姿。
    2011/02/01

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