魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
旅順の桜 旅順の龍王塘に桜を見に出かけた。26日から桜祭りなのだが、今年は例年より早く咲き始め、初日にはもう一部で葉桜になっていた。 数年前にも来たのだが、その時の印象に比べて、大連の人たちが家族づれや、恋人同士、或は仲間とともに、春の楽しみ方のひとつとして花見が定着しつつあるように見受けた。日本の花見と異なるのは、酒を飲んで歌を歌ったりするのではなく、4-5人でトランプをしたり、羽けりをしたりして、健康的な春風浴をしている点だ。 1920年に造り始めて4年で完成した龍王塘ダムの石造りの見事な景観は、今日、見るものに畏敬の念を抱かせる。堤の中央に記念碑があり、長さや費用や貯水量などが記されている。もうひとつの碑には それに従事した人たちの名が連なる。それらの碑を眺めながら、満々と水を蓄えた湖面から渡ってくる風が心地よかった。6年前は旱害で湖水は干上がり、地肌をむき出しにしていた。が昨年は雨が多く、岸の木立が、水面下に沈んでいた。 技師の一人の名は山田亀之助とあり、通り過ぎる大連の人たちが、彼の名前だけ、声に出して面白そうに相手に向かって笑っている。何組かが、同じように彼の名だけを声に出すので、なぜだろうと考えた。 山田という姓は田中と同様、日本人とすぐ分かる姓で、このダムを作ったのは、その名の示すとおり、亀の助けを得て完成したのだとの、 寓意をおかしがっているのかと思ったことだ。干天の慈雨は天の助け、中国の歴史的建造物の基礎には、亀が据えられている。ダムの建造には間違いなく、亀の助けが欠かせないのだ。 88年前に彼の後輩たちが植えた桜の古木が花を咲かせ、辛夷や銀杏などの古木に銘板が付けられていた。 周恩来や朱徳たちもこの桜の花を見たと書いてある。 戦後の混乱や、文革などの路線闘争などで多くの日本人の名の刻まれた碑は削られたり、倒されたりしただろうが、旅順の市民に水を供給してくれるこのダムを造った人たちの名はこうして元のまま残されている。彼らが日本から持ち来たった古木とともに。 只、変電所の正面にあった昔の印は剥ぎ取られた形跡があった。 2008年4月 |
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