魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
名は体を表す――靖国神社は招魂社に戻すべし。
1.
日本語では米ソなどがドイツ軍に勝利した日を「対独勝利記念日」としていたが、英語の辞書にはV-G というのは無く、V-Dayが1946年12月31日とあり、V-E Dayが
Victory in Europe Dayとして1945年5月8日とあり、V-J-Dayが米国では1945年8月14日又は9月2日、英国では同8月15日とある。以上は英語圏としての両国ですら差があることを示している。ちなみにV-JとはVictory over Japanの由。
2.
アメリカではベトナム戦争というが、ベトナムではアメリカ戦争という。
英国の歴史には聞こえの悪いアヘン戦争という表記が無い。アメリカではアヘン戦争と呼ぶ。イギリスがアメリカ植民地などからの収入を失って、起こした不名誉な戦争として。
中国はKorea Warを「抗米援朝戦争」と呼んできたが、今年から「朝鮮戦争」と改めた。
これだと北朝鮮が仕掛けた戦争のように聞こえる。北朝鮮への距離を置いた表現だ。
3.
中国共産党は、主に国民党軍と戦ってきたが、日本に戦勝した時点で中国を支配していたのは蒋介石の国民党政府であって、彼らは当初V-J Dayを祝っていた。内戦で毛沢東の共産党軍に負けて台湾に逃げてから、共産党政府は、米国との戦いの為に、日本の国民の支持を取り付けようとして、戦争を仕掛けた日本軍部と一般の日本国民を明確に分けて、
日本国民はファシズムの犠牲者である、として何とか日米の分断を図ろうとした。
4.
1960-70年代の日本は、反米、反ベトナム戦争を唱えて、アイゼンハウアーの訪日を阻止したほどの反米気運が盛り上がり、岸首相も退陣に追い込まれた。
そして、1972年に田中首相が、アメリカに先んじて周恩来と国交回復し、それをアメリカはけしからんとして「ロッキード事件」をリークして田中を退陣させた、という説も流された。(流したのはアメリカ筋とか?)
5.
最近の世論調査では、日中両国とも、相手側を「嫌いだ」とする割合が9割を超えた。
一方では日本の安部内閣の支持率が7割くらいあり、その政権の閣僚と多くの議員が靖国神社に参拝するのに対して、どう対応してゆくのが得策か、と考え始めた中国人もいる。
「これは日本人としての神道信仰の情緒的なものもあり、A級戦犯のことばかり批難しても
埒があかぬから、別の方法を考えねば…」と。
6.
ロンドンのセントポール寺院にはおびただしい数の戦争で死んだ「英雄」「将軍」たちの墓碑と髑髏があり、多くの人がお参りとか(観光)見学に来ている。
碑文をよくみれば、アジアアフリカ植民地獲得戦争や、仏独西などとの戦争での戦死者だ。
彼らは、結局勝者であって、敗者は祭られていない。
京都の本願寺の大谷廟には日清日露と第2次大戦の最初のころ(勝っていた)の戦死者の墓碑が沢山残っている。オベリスクのような尖塔形とか。青山などにも多くある。
7.
アメリカのメモリアルデーも初めのころは、南北戦争で戦死した南軍の戦死者は対象に
なっていなかった。彼らの戦死者は北軍の戦死者とは別の所で祭られていた。
その後、第一次世界大戦で戦死した南部出身者たちが一緒に祭られるようになって、
全米挙げての記念日となった
靖国神社には、戊辰戦争で戦死した官軍兵士が招魂されていたが、幕府軍の死者はもちろん、西南の役で死んだ西郷たちは招魂されていない。戦場で死んでいない退役軍人も招魂
されていない。本来国の為に戦死した兵の魂を招いて、祭るための神社が招魂社であって、
全国にそれがある。それを東京に集めて、国を靖らかに保つことができなかった「敗北した戦争指導者たち」の魂を招く事は、大きな矛盾がある。名は体を表す。日本を亡国の淵に追いやった戦争指導者の魂は別の場所で、たとえば、別の墓地や寺院で、その人を祭りたいという人達が祭ればよいと思う。上野の西郷さんのように。
2013/08/19記
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