魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
V-G Day & V-J Day
1.
8月16日、香港のPhoenix TVの鄭浩氏等が、日本が8月15日を戦没者追悼記念日として盛大な行事をするのに、中国がこの日に何もしないのはおかしいとコメントしていた。
韓国や北朝鮮が「光復」(植民地から解放され、独立)として記念するのに、中国が対日戦争に、8年間、降参せずに抵抗したことが、最終的に米ソなどの参戦で日本打倒に繋がったのだ、との趣旨である。もし、フランスがドイツに降参したように、蒋介石が日本に降参してしまっていたら、日本は東南アジアなどへ戦線拡大しないで、アメリカやイギリスとの戦争に踏み込まなかった可能性があったとの意見だ。(米国が石油禁輸などしなければ、
との前提付きだが、真珠湾攻撃に追い込まれることにはならなかったのでは…)
2.
1945年の8月15日に日本が降伏したことを一番喜んだのは米国だろう。中国は日本が降伏して、蒋介石と毛沢東の両勢力が内戦に突入したから、V-J Dayなどを喜べるような状態にはなかったのだと思う。それで台湾は辛亥革命後の中華民国の建国記念日10月10日を祝うし、北京では中華人民共和国の建国記念日10月1日を盛大に祝う。
香港のTV コメンテイタ―は、8.15に何もしないのは、政府の怠慢である、と主張する。
日本が8.15を全国挙げて、先の戦争で中国人及びアジア諸国の人を殺した軍人たちの死を追悼するのに対し中国がこの日に何もしないのは「邪を認める」ことになるという。
しかし現実には、外務省が日本大使を呼んで抗議するくらいで、中国としては対日勝利をこれまで国民的に祝う式典をしたことは無い。
3.
アメリカやソ連(ロシア)などが V-G Dayを国民的に祝うのに対して、占領され、戦争に強制的に協力させられたフランスやポーランドはどうであろうか?彼らは戦時下、大変屈辱的な立場に置かれながら、生き延びて来た。ドイツが負けてほっとしただろうが、ドイツに勝ったという気持ちにはなれなかっただろう。
中国でも、満州初め、華北、華南地区で日本占領下、フランスやポーランドと同じように日本に支配され、強制的に協力させられてきたから、似たような状況だったろう。
対独協力政府、対日協力政府の下で暮らしてきた人々には、屈折した感情があっただろう。
4.
ドイツはナチスを徹底的に否定し、周辺諸国に「明確なお詫び」をして、今やフランスに、ドイツの軍隊が相互乗り入れの形で、駐留するまでになった。
一方の日本は、68年経っても、「明確なお詫び」をしていないとして、近隣国からクレームされている。日本はドイツのように徹底的に戦前の体制を否定していないと見られている。国民の多くは平和憲法の継続を望んでいるが、今の政府はそれを変えようとしている。
「不戦」という言葉は消えてしまった。これは、ことと次第によっては、一戦を辞さないということを意味する、ととらえられても構わない、ということだ。
首相が毎年交替してしまうのは、国力低下も甚だしく、望まないことだが、「戦争放棄」を否定しようとする首相が、4年もやるとなると、本当に「平和憲法」を変えてしまいかねないことを怖れる。
後藤田さんのような人が、体をはってでも自衛隊の海外派遣を阻止したから、これまで戦争に行かずに済んだが、一度戦争に参加してしまったら、軍というのはもう止められないことになる。戦争をするために存在しているのだから。
ことと次第によっては戦争で、相手をねじ伏せるほかない、ということになるのだろう。
2013/08/17記
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