できもしないこと、と信じない事
中国の「愚民」――学問の無い下等人は、人が彼に関心を寄せるのを怖れた。もし、君が何の理由も無くお年は?ご意見は、兄弟は何人?家の状況はなどと訊くと、彼はきっともぞもぞ言った後、どこかへ行ってしまう。学識のある大物は彼らのこうした気質を嫌う。だがこの気質は簡単には治らない。それは彼らの経験に基づくものだから。
誰かに関心をもたれたら、気を付けないとだまされてしまう。例:中国は改革したから、子供たちはとっくに「孟宗、竹に哭す」や「王祥、氷に臥す」(「二十四孝」の故事の句)
の教訓からは抜けだしたが、はからずもまた新たな「児童年」なるものが現れ、愛国の士はそれで「小朋友」を思いつき、筆や舌でもって、労苦をいとわず教訓を垂れる。一人は勉強を勧める時、昔は「蛍を袋に入れて読書した」とか「壁を穿って光を偸む」等した志士がいた云々:一人は愛国を説く時、昔は十数歳で包囲網を突破し、救援を求めたとか、14歳で出陣して敵を倒した奇童がいた云々。こうした故事は閑談として聞くのは悪くはないが、もし誰かが信じて、その通りにやろうとなると、乳臭いドンキホーテとなる。
毎日ひと袋で4号活字を読めるだけの蛍を捉えるのは容易なことではない。これは容易なことではないだけでなく、壁を穿ったら、大変な騒ぎになり、どこであろうと、怒鳴りこまれて、両親はお詫びに参上してすぐ修理するはめになる。
救援を求めたり、敵を倒すとなると、もっと大ごとで、外国では30-40歳のすること。
彼らの児童は食べ、遊び、字を覚え、ごく普通のことと重要なことを学ぶのに重点を置く。
中国の児童が特に褒められるのは、もちろんとても良いことだが、一方で出て来る課題はこの為、常に難題ばかりで、今もなお飛剣(剣を空に飛ばす術)の如しで、武当山に上って、師を尋ね、道を学んでからでないと、まったく手が出ないのである。20世紀になって古人の空想した潜水艦や飛行機は実際に成功したが「龍文鞭影」や「幼学瓊林」(いずれも児童向けの故事出典の本)に出て来る模範的故事を学ぶのは難しい。教えている人も信じているとは限らぬと思う。
だから聞いている人も信じない。千余年の間に、剣の仙人や侠客の話しを聞いてきたが、去年武当山に上ったのはたった3人で、全人口の五百兆分の一(四億人x千余年?)ということが分かる。昔は多かったかもしれぬが、今では経験もあり、余り信じないし、その通りやる人も減った。但しこれは私個人の推測にすぎぬが。
無責任な、その通りにはできもしない教訓が多いと、信じる人は減り:利己的で人に害を与える教訓が多くなれば、信用する人は減る。「信じない」ことは「愚民」が害を避けるための塹壕で、彼らをバラバラの砂にさせる毒だ。だがこうした気質は単に「愚民」だけでなく、説教する士大夫と雖も、自分と他人を信じている人は何人もいない。例をあげれば、孔子を尊敬しながら、その一方で活仏を拝むのは、丁度、彼の財産をいろいろな株に投資し、多くの銀行に分散して預けるのと同じで、実はそのいずれも信じていないのだ。
7月1日
訳者雑感:
中国の物語は奇想天外、できもしないことを大げさに取り上げ、まるで本当にできたかのようにして、人を驚かし、惹きつける。それを読んだり、芝居で観たりする愚民達も、経験を積んでいるから、心から信じる人はいない。それでも、事実は小説より奇なりで、
重慶のトップだった薄氏の裁判をみていると、彼の収賄汚職や権力乱用を証明する為に登場させられた、彼の妻谷氏(英国人毒殺で死刑を無期懲役に猶予)や、彼の右腕だった王氏の証言などの「VTR」を見ると、奇想天外なことが起こるものだと、空いた口を閉じられない。
2013/08/25記
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