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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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天津のコンプラドール その9 つづき

9.

それから40年経て、魯迅の作品は教科書から削られてしまった。その代わりに、任侠小説で著名な金庸の作品が取り上げられている。ある人は新聞に、今や魯迅の作品は「鶏のあばら骨」になってしまったのかと嘆いている。食べられる肉がひとつもついてないという意味だ。

日本でも漱石鷗外の作品が教科書から消えた。しかし中国に於ける魯迅の影響は、現代日本に於ける漱石鷗外とは比較にならないほど、政治的意味合いが強い。彼は清朝晩年に生まれた。科挙廃止により、洋学が提唱され、学費の要らない官立の学校が建てられた。その南京の水師学堂に入学した。出立の朝に母から、厳しい家計の中から捻出してくれた路銀をもらった、と記されている。だが、その学校は清朝の水兵養成のための学校と知って、路鉱学堂に転校したのだが、結局、これではだめだと日本に留学した。

日本から帰国後、中国をこんなにメチャクチャにしてしまった「礼教」すなわち儒教という「人が人を食う」社会、官僚地主が庶民小作農の血を吸い上げる仕組みを壊さねばならないと立ち上がった。

「孔子を神に祭り上げて、国人の魂をがんじがらめにしばってきた礼教」を徹底的に否定し、孔子の店を打倒せよと叫び、青年に古い書物は読むな、と訴えた。この世から、人々の頭の中から、孔子を叩き出してしまわねば、中国に救いは無いと主張し、作品の中の大テーマとした。

毛沢東は彼のこうした一面を高く評価し、旧体制を打倒するためにもっとも硬い骨を持った戦士だとして讃えた。しかし、魯迅の作品の中には、そうでないものも沢山あり、純文学として読者を感動させるものも多い。

私なぞも、何の先入観もなしに読んだ「故郷」とか「藤野先生」という作品から受けた感動を大切にして、中国文学に親しみを持ってきた。

しかし、その後の「雑文」という形式で、旧体制、封建的、軍閥的体制、それを支えようとする文章家たちを容赦なく、木っ端微塵に叩き潰す、鋭い匕首のような文章の数々が、中国の多くの革命的青年たちの拠り所として、読まれてきたと思う。

只 彼は自分が国葬されることなど、思いもよらなかったろうし、毛沢東に彼の文章の中の一部を引用されて、公園の花壇の中に看板の如くに立てられようとは、想像すらしなかっただろう。

文革から30年以上経た今、彼の作品は書店に並んではいるが、現代の青少年に与える影響は、少なくなってしまったようだ。「狂人日記」や「阿Q正伝」などは、1980年代以降の一人っ子政策導入後の子供たちには、遠い存在のように感じられるのだろう。

彼の作品の役割は、文革を境にして終わってしまったのだろう。文革で持ち上げられた反動もあるかもしれない。私たちは、文革が中国と周辺国に与えた影響、投げかけた問題を、30年経った今、吟味再考することが、必要だと思う。なぜなら、あれほど魯迅が攻撃否定した「孔子を神に祭り上げて、国民を縛ってきた儒教」の古典が、ぞくぞくと復活、現代訳と解説をつけて、出版され、ベストセラーにさえなっているからだ。

10.

1949年から文革開始までの20年間は、共産主義という西洋から輸入した思想を掲げて、国づくりをしてきたのだが、やはり旧社会の伝統が、むくむくと息を吹き返してきた。党と政府の官僚たちは、特権を握り、エリートとして、旧社会の役人のような暮らしをするようになっていった。立派な家に住み、外国訪問なども、はでに行っていた。有産階級がより多くの富を手中にした。

首都北京から全国の津々浦々まで、毛沢東思想を宣伝し、共産主義の理想実現のために、「人民公社」に代表される「無産階級」社会は、人々の生産意欲を減衰させ、成り立たなくなってしまった。

文革中に中国を訪問したとき、我々を接待してくれた党の幹部は、当時、唯一の友好国であったアルバニア産のタバコを差し出して、私に勧めた。当時欧州の品物はアルバニア産以外、殆ど無かったほど、孤立していた。ソ連でも既に、フルシチョフの修正主義でないと、社会が回らなくなっていた。

毛沢東とその取り巻きたちは、「無産階級文化大革命」を起こして、無産階級者の手に、ふたたび中国の大地を取り戻そうとした。動物から進化した人間の生活は、穀物を植えたり、家畜を飼ったりして食糧を生産し、進化してきた。先に述べたように、鉄で生産手段を改善し、より多くの生産をあげて、それをテコに農耕地域を広げて、個々の種族が「財産」を私有するという欲望が引き金となって、より豊かな社会に発展してきた。そうした財産を「無産階級」の手に取り戻そうと試みたのが、文化大革命の一面であった。その裏には、どろどろとした権力闘争やら、怨念やらが一杯つまっていたのだが。

全国の有産者から、家産をすべて取り上げた。天津の大邸宅に住んでいた、梁さんのような有産階級は、産を私有していることを「自己批判」させられた。そして、辺境の農場に送られ、罪名をかぶせられて牢に繋がれた。

「無産階級文化大革命」とは、まさしくこの中国の大地を、またぞろ復活してきた、旧社会を支配してきた有産者たちの手から、取り戻すことだ。更に言えば、彼らの蓄えてきた財産をすべて取り上げて、無産者に配分することであった。梁さんの家も、数家族に配分され、彼が牢から戻ってきたとき、唯一残されていた、狭い離れのような小部屋に姉と二人で住むことを許された。

11.

こうして一旦は有産階級を追い出して、無産階級の手に戻ったかのように見えた中国の大地は、林彪や四人組などが、支配権を巡って、さらに泥沼に陥ってしまった。71年に林彪が毛沢東暗殺に失敗し、ソ連への脱出を謀ったが、墜落死し、72年にニクソンと田中角栄が訪中して、中国は孤立から脱却した。

1976年に、周恩来、朱徳、毛沢東などが、相次いで他界し、四人組も逮捕され、文革で政界から追放されていた、旧幹部たちが呼び戻された。といっても、ことはそう簡単には運ばなかった。

私は周恩来の死後、北京に出張する機会があった。北京飯店の東、王府井の「人民日報」のガラスケースに展示された周恩来の葬儀の写真を見たとき、鄧小平の姿が、数名の幹部の中にあった。翌日、友人を誘って見に出かけたときには、彼の姿はすっぽりと消えていた。それから半年ほどして四人組が逮捕されて、彼は本当に復活した。

「白い猫も黒い猫も、ネズミをとる猫はよい猫だ。」という四川の俗諺は、振り返ってみると、文化大革命の起こる前の1962年に,もうすでに言われていた。ということは、1949年に建国して10年ほどで、請負生産でないと、中国の農民は飢え死にしてしまうという現実に直面していたのだ。黒が資本主義、白が社会主義とすると、資本主義でも社会主義でも、農民の穀物生産がなければ、民は飢え死にしてしまう。社会主義の思想面からは、合法的でないものも、合法的にして、経済発展を目指す。さもなければ、多くの民が飢えてしまうほどの飢饉に見舞われていた。飲食男女は人の性だという欲望が進歩と発展の原動力だという、漢民族の伝統を一方で否定しておいて、増産に励めというのは農民たちにはとてもついていけない、大きな矛盾であった。

新中国になって、国民党時代の大地主を兼ねていた官僚から農地を取り上げて、国有とし、合作社とか人民公社という組織にその任用を委ねた。だが、農民の戸別には何の私有財産も与えなかった。このことが理想と現実で大きなギャップを生んだ。

12.

もし、62年の時点で、人民公社でなく、請負制が本格的に導入されていたら、10年の災厄から免れたかもしれない。10年間の文革で有産階級の財産をすべて取り上げ、そして戸別の請負制にしたのは、戦後日本の農地解放に準じるかもしれない。中国の大地には「所有権」は無い。「使用権」だけが農民や生産企業に付与されている。

ただ、改革解放後、農民に分けたはずの土地を、召し上げて、開発区とし、工業団地とし、住宅団地として、役人の息のかかったデヴェロッパーに払い下げて、莫大な不動産と富が一部の人間に偏在するようになった。

彼等は、自分で製造業を起こして、その販売で収益をあげることよりも、国の土地使用権を、コネや賄賂を使って廉価で入手し、そこにマンションや商業施設を作らせて、そこから出る上がりで稼ぐことの方が、性分に合っているようだ。製造業よりもずっと得意の分野のようだ。

今日ではマルクスの資本論は、欧州の資本主義の発展の次の段階としての「空想」的理論で、資本主義社会を経ていない ロシアや中国での適用は無理があった、という発言が力を得ている。今、西欧はEUとして国境が消されつつある。ある面で、社会主義の方向に向かっている。バンカーの年収制限を打ち出している。アメリカも皆保険という社会主義的方向も模索しており、日本も自民党のやり方が否定された。

中国では国民の多くが、今までの政府の経済政策は、資本主義に近い市場経済だったが、これからは保険、年金などの社会主義的制度を取り入れてゆかねば、貧富の差が益々拡大して、社会不安が起こるという。

中国には、イスラムやチベット仏教などの信仰に篤い人たちは2億人で、残りの11億人は無信仰者という。全世界の12億人の無信仰者の殆どが中国人だと。だから儒教のようなものが必要で、さもないと善悪を判断する基準を持たない国民ばかりとなる。

魯迅が否定しようとした儒教を肯定しようとしている。

孔子の生誕祝いが9月末に世界中から孔子の末裔が集まって、曲阜で行われた。だが、台湾に逃げた直系の一族は、中国の招きに一切応じていない。

2009.9.30.大連にて 

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