題記
一両年前、上海に一人の文学家がいて、今はもうここにはいないようだが、当時は
しょっちゅう他人をネタに彼女の所謂「素描」を書いていた。私も赦免されず、それに
依れば、私はとても講演をするのが好きだが、話す言葉はどもる上に、その話しぶりは
南の方言を北のトーンで語る、という。前の二点については驚いたが、後の一点は敬服
した。その通りである。私は柔らかな蘇州の話し言葉はしゃべれないし、ころころと響く
北京語の音も出せぬし、調子も外れ流暢ではなく、実に南の方言を北のトーンで話す。
更にこの数年、この欠点は文章にも伝染する勢いで:「語絲」が休刊となり、自由に
書ける場所が無くなり、雑文の筆も夫々の編集者の立場を考慮せねばならず、文も決まりきったことじゃ飽き足らないので、言うべき点は少し言うが、言えぬ所は放っておく。
例えば映画でも時々、黒ンボ(原文は黒奴で30年代のままとする:訳者)が怒って色をなしている場面を目にするが、同じ黒ンボでも鞭を手にしたのがやってくると、あたふたと
頭を下げるでしょう?私もまた同じで、何も恐れぬというわけにはゆかない。
そうこうしている内に、はや年末となり、近所の家で爆竹を鳴らし、一夜明ければ「天は歳月を重ね、人も寿を加う」のだ。静かで他にすることもないので、この2年に書いた
雑文を取りとめなくめくって並べてみると、すでに一冊分となっている。と同時に上記の
「素描」のことを思い出し、「南腔北調集」と名付け、まだ本になっていない将来の「五講
三嘘集」と対にする準備とする。私塾で勉強していた時、よく対を作ったが、この積習が今も洗い清められない。題は時に「偶成」「漫余」「作文の秘訣」「ごまかしの心伝」などと
玩んだことがあるが、今回は書名にまでそれが及んだわけだ。余り良いことではない。
次に自分も:今年「偽自由書」を印刷し、これも印刷に回すと来年にはすぐ叉一冊でると思った。それで我ながらおかしくなって笑ってしまった。この笑いはちょっと悪意がある。私はその時、梁実秋氏のことを思い出し、彼が北方で教授をしながら副刊を編集し、徒弟の一人がその副刊に、私とアメリカのH.L.Menckenが毎年一冊本を出そうとする点が
似ていると書いている。毎年一冊本を出すことが、毎年一冊本を出すMenckenと似ているというなら、西洋料理を食べて教授をしているのは、真にアメリカのBabbitと同じになれるということになる。低能もどうやら伝授可能の様だ。ただ梁教授は彼のことが原因で、
Babbitを巻き添えにすることを嫌っている。というのも、小人のデマ(魯迅の言ったことを指す:出版者)のせいで、MenckenはまさしくBabbitと全く相反する人物で、私を彼に比すとは、自分の孫弟子の口から出た言葉とはいえ、骨の中はBabbit老夫子の鬼魂が、
祟っているからだ。指先でピンと弾けば、君子はすぐ宙返りをする。
私もまだまだ腕と目は確かだと思う。
が、これはちっぽけなこと。大事なことは去年1月8日に書いた「計した所に非ず」で、
幽霊に取りつかれたように悪夢を見、いい加減な状態のまま、もう2年経った。怪事は
随時襲い来たり、我々もすぐ忘却してしまうから、こうした雑感を重ねて温めないと、自分で短評を書いた私自身も少しも覚えていないことがある。一年に一冊出すのは確かに、
学者たちの頭を横に揺らせることができる。しかし只この一冊が浅薄でもこれで遺聞逸事を留められれば、中国がいかに大きく、世の移り変わりがひどくとも、必ずしも多すぎるということにはならないと思う。
二年来の雑文は「自由談」に載せた物以外はほとんどここに入れた。序や跋は見るべき物のみ数編選んだ。ここに載せたのは当時「十字街頭」「文学月報」「北斗」「現代」「涛声」
「論語」「申報月刊」「文学」等に書いたものだが、大抵は別のペンネームで投稿したが、内一篇は未発表の物がある。
1933年12月31日の夜、上海の寓居の書斎にて記す。
訳者雑感:
1933年の大晦日に近所の家から爆竹の音が聞こえる。天は歳月を重ね、人も寿を加える。
この3年後に魯迅の寿は途絶える訳だが、彼の人を罵る文章はその手を緩めることは無い。
多くの学者先生がそれを見ては頭を横に揺らせ、魯迅を罵り返す。それを徒弟とか仲間に
書かせる。自分で手を汚さずにしようとするが、弟子の文章なんかでは魯迅にかないっこ
ない。魯迅は露骨にも「低能も伝授可能のようだ」と罵る。西洋料理を食べ教授をしているという点だけの共通点で梁氏とBabbitを比すごとくに、毎年一冊の本を出すという点
だけで、魯迅をMenckenと比すなど、まさに低能としか言えない。毎年この学者先生を
罵る雑文の本を出すということが、よほど腹にすえかね、頭に来ているのだろう。
それにしても魯迅の罵りは痛烈極まりない。寿を縮めたのも止むを得ぬことのようだ。
2011/11/27訳
題記
一両年前、上海に一人の文学家がいて、今はもうここにはいないようだが、当時は
しょっちゅう他人をネタに彼女の所謂「素描」を書いていた。私も赦免されず、それに
依れば、私はとても講演をするのが好きだが、話す言葉はどもる上に、その話しぶりは
南の方言を北のトーンで語る、という。前の二点については驚いたが、後の一点は敬服
した。その通りである。私は柔らかな蘇州の話し言葉はしゃべれないし、ころころと響く
北京語の音も出せぬし、調子も外れ流暢ではなく、実に南の方言を北のトーンで話す。
更にこの数年、この欠点は文章にも伝染する勢いで:「語絲」が休刊となり、自由に
書ける場所が無くなり、雑文の筆も夫々の編集者の立場を考慮せねばならず、文も決まりきったことじゃ飽き足らないので、言うべき点は少し言うが、言えぬ所は放っておく。
例えば映画でも時々、黒ンボ(原文は黒奴で30年代のままとする:訳者)が怒って色をなしている場面を目にするが、同じ黒ンボでも鞭を手にしたのがやってくると、あたふたと
頭を下げるでしょう?私もまた同じで、何も恐れぬというわけにはゆかない。
そうこうしている内に、はや年末となり、近所の家で爆竹を鳴らし、一夜明ければ「天は歳月を重ね、人も寿を加う」のだ。静かで他にすることもないので、この2年に書いた
雑文を取りとめなくめくって並べてみると、すでに一冊分となっている。と同時に上記の
「素描」のことを思い出し、「南腔北調集」と名付け、まだ本になっていない将来の「五講
三嘘集」と対にする準備とする。私塾で勉強していた時、よく対を作ったが、この積習が今も洗い清められない。題は時に「偶成」「漫余」「作文の秘訣」「ごまかしの心伝」などと
玩んだことがあるが、今回は書名にまでそれが及んだわけだ。余り良いことではない。
次に自分も:今年「偽自由書」を印刷し、これも印刷に回すと来年にはすぐ叉一冊でると思った。それで我ながらおかしくなって笑ってしまった。この笑いはちょっと悪意がある。私はその時、梁実秋氏のことを思い出し、彼が北方で教授をしながら副刊を編集し、徒弟の一人がその副刊に、私とアメリカのH.L.Menckenが毎年一冊本を出そうとする点が
似ていると書いている。毎年一冊本を出すことが、毎年一冊本を出すMenckenと似ているというなら、西洋料理を食べて教授をしているのは、真にアメリカのBabbitと同じになれるということになる。低能もどうやら伝授可能の様だ。ただ梁教授は彼のことが原因で、
Babbitを巻き添えにすることを嫌っている。というのも、小人のデマ(魯迅の言ったことを指す:出版者)のせいで、MenckenはまさしくBabbitと全く相反する人物で、私を彼に比すとは、自分の孫弟子の口から出た言葉とはいえ、骨の中はBabbit老夫子の鬼魂が、
祟っているからだ。指先でピンと弾けば、君子はすぐ宙返りをする。
私もまだまだ腕と目は確かだと思う。
が、これはちっぽけなこと。大事なことは去年1月8日に書いた「計した所に非ず」で、
幽霊に取りつかれたように悪夢を見、いい加減な状態のまま、もう2年経った。怪事は
随時襲い来たり、我々もすぐ忘却してしまうから、こうした雑感を重ねて温めないと、自分で短評を書いた私自身も少しも覚えていないことがある。一年に一冊出すのは確かに、
学者たちの頭を横に揺らせることができる。しかし只この一冊が浅薄でもこれで遺聞逸事を留められれば、中国がいかに大きく、世の移り変わりがひどくとも、必ずしも多すぎるということにはならないと思う。
二年来の雑文は「自由談」に載せた物以外はほとんどここに入れた。序や跋は見るべき物のみ数編選んだ。ここに載せたのは当時「十字街頭」「文学月報」「北斗」「現代」「涛声」
「論語」「申報月刊」「文学」等に書いたものだが、大抵は別のペンネームで投稿したが、内一篇は未発表の物がある。
1933年12月31日の夜、上海の寓居の書斎にて記す。
訳者雑感:
1933年の大晦日に近所の家から爆竹の音が聞こえる。天は歳月を重ね、人も寿を加える。
この3年後に魯迅の寿は途絶える訳だが、彼の人を罵る文章はその手を緩めることは無い。
多くの学者先生がそれを見ては頭を横に揺らせ、魯迅を罵り返す。それを徒弟とか仲間に
書かせる。自分で手を汚さずにしようとするが、弟子の文章なんかでは魯迅にかないっこ
ない。魯迅は露骨にも「低能も伝授可能のようだ」と罵る。西洋料理を食べ教授をしているという点だけの共通点で梁氏とBabbitを比すごとくに、毎年一冊の本を出すという点
だけで、魯迅をMenckenと比すなど、まさに低能としか言えない。毎年この学者先生を
罵る雑文の本を出すということが、よほど腹にすえかね、頭に来ているのだろう。
それにしても魯迅の罵りは痛烈極まりない。寿を縮めたのも止むを得ぬことのようだ。
2011/11/27訳
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