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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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上海文芸の一瞥

上海文芸の一瞥    8月12日社会科学研究会にての講演
 上海の文芸は「申報」に始まります。「申報」を語るには60年前に戻らねばならぬが、私はその頃は知りません。覚えているのは30年前で、当時「申報」は竹の紙に片面印刷していた。文を書いていたのはよそから来た「才子」たちだった。
 その頃読書人は君子と才子があり、君子は四書五経を読み、八股文を書くだけのまじめ人間。一方才子はそれ以外に「紅楼夢」など小説も読み、科挙とは関係の無い古今体の詩などを作った。言ってみれば、才子はおおっぴらに「紅楼夢」を読んだが、君子はこっそり読んでいたか堂か、知るすべもない。上海は租界があり――当時「洋場」又は「夷場」と呼んでいたが、差し障りを恐れ(同音の)「彝場」と書いた――才子たちは上海に来て、才子というのは闊達だからどこにでも出かける:一方の君子は外国の物に嫌悪感を持ち、まっとうな道で名を挙げようと考えていたから、けっして軽率なことはしなかった。孔子曰く:「道が通じないなら、筏に乗って海に出よう」である。才気に富んだ才子の眼にはそれが「迂遠」に見えた。
 才子は元来が多愁多病で、鶏の鳴き声にも腹を立て、月を見て傷心した。それが上海で妓女にであった。登楼すると十人二十人もの若い娘を一処に集めた。
まるで「紅楼夢」のような心地で、自分は賈宝玉のように感じ:自分は才子だから彼女は佳人で、才子佳人小説がうまれた。内容は大半、才子がこのような境遇に淪落した佳人を憐れみ、佳人も失意の才子を愛するようになり、さまざまな苦労を乗越え、結ばれるか、ともに神仙になるという物語。
 彼らは申報社の出版した明清の小品の発売に協力し、自分たちも同好会を作り、提灯に謎を書き、入選者にこれらの本を贈呈して普及させていった。叉、大作の「儒林外史」「三宝太監西洋記」「快心編」等も出した。古書店に時折その第一頁に「上海申報館仿聚珍板印」と押印された小冊子を今も見ることができるが、みなこれである。
 佳人才子の本は何年も流行したが、後には才子の心情も徐々に変化した。
彼らは佳人が「渇する如く才子を愛するがゆえに」妓女になったのではなく、
ただお金の為であることを知った。佳人が金を求めるのは怪しからん事だ。
才子はいろいろ考え、妓女を自分の意のままにできる方法を見つけた。只単に罠にかからないようにするだけでなく、逆に妓女からうまい汁を吸うようになった。この辺りの手管を書いた小説も現れ、広く流行したのは、登楼者向けの教科書として読まれたからだ。
 このての本の主人公はもはや才子+まぬけではなくなり、妓楼で勝を得た英雄豪傑、才子+ヤクザの情夫となった。
 これ以前に画報にはすでにその絵柄があり「点石斎画報」には、呉友如が主筆で神仙人物、内外ニュースなど何でも描いたが、外国事情にはとても疎く、戦艦を画くのに商船の甲板に野戦砲を載せ:決闘の絵は礼服を着た軍人がサローンで大刀を抜いて立ち会い、花瓶を粉々にしてしまう絵など。だが彼の「やり手婆の妓女いじめ」「ヤクザの助こまし」などが大好評だったのは、実例をたくさん見てきたためだろう。今でもしばしば彼の絵とそっくりな男女をみることができることから、この画報の勢力は当時大変なもので、各省にも広がり「時務」を知ろうとする(今でいう「新学」)人にとっては耳目であった。数年前「呉友如墨宝」として翻印されその後の影響も大きく、小説の巻頭口絵は言うに及ばず、教科書の挿絵としてよく目にする子供は帽子を斜に被り、つり上がった目で、凶悪そうな顔つきでまるでヤクザのようであった。
 今、新たなごろつき画家として葉霊鳳氏が出、葉氏の画は英国のBeardsleyからはぎ取って来たもので、Beardsleyは「芸術の為の芸術」派だから、彼の絵は日本の「浮世絵」の影響が極めて強い。浮世絵は民間芸術で、絵柄は妓女と役者で、太った体につり上がったEroticな目をしている。だが、Beardsleyの描く人物は痩せており、それは彼がデカダンス派だからである。デカダンス派は多く痩せてひょろっとしているので、健康な女性に対して後ろめたく感じたから、好きになれなかったようだ。
 葉氏の新しいつり上がった目の絵はまさに呉友如の古い型の目と合流し、長い間流行した。だが彼はヤクザだけでなく、一時期はプロレタリアも画いたが、労働者の目もつりあがり、特大のこぶしを突きだしている。私はプロレタリアを画く時は写実的にすべきと思う。労働者は元来の容貌にし、こぶしも頭より大きく画くべきじゃないと思う。
 今中国映画はやはり「才子+やくざ」式の影響を受け、出てくる英雄は立派だが、どうもずる賢く、上海に長く暮らした結果「ゆすり・たかり・かどわかし」のうまい若者と同じで、見た人をして立派な英雄になるには、ヤクザになるしかないと思わせるほどだ。
 才子+ヤクザの小説はだんだん衰退した。原因の一つはマンネリ化。妓女は金が目当てで、嫖客は手管を云々という筋書きはうまく書き終えることができない。二つ目は、蘇州方言のため倪が我とか、耐が你、阿是が「かどうか」等が多く、上海と江浙人以外には分からないからだ。
 然し才子佳人の小説で、当時一世を風靡したのがあり、英語の訳で「Joan小伝」(Haggard: Joan Haste)だが前半だけで、訳者の説明では原本は古本屋で入手し、大変面白いので訳したが、後半は入手できずやむを得ず前半だけとした由。果たしてこの本は才子佳人たちの心を捕えとても流行した。後に林琴南氏までも乗り出し、題名も元の「Joan小伝」のままで全訳したら、前の訳者から全訳してはだめだと罵倒された。Joanの値打ちを下げてしまい読者を不快にさせるという。それで先に訳出されたのが前半だけだったのは、原本が欠けていたためではないことが判明。Joanが私生児を生んだので故意に訳さなかったのだ。実際そんなに長編でもないので外国でも上下2巻になることは無い。
但しこのことから中国の当時の婚姻に対する考え方が見て取れる。
 この時、新たな才子+佳人の小説が流行し出したが、佳人は良家の子女で、才子と相思相愛、何が起ころうとも離れず、柳の陰、花の下で胡蝶のように、
鴛鴦(オシドリ)の如くだったが、時には厳しい親や薄命のため悲劇に終わるケースもあり、神仙にもなれず――これは実に一大進歩と言うべきだ。最近は白粉にも兼用できる歯磨き粉製造で有名な天虚我生氏の月刊「眉語」が出て、
鴛鴦胡蝶派文学の全盛時代を迎えた。然るに「眉語」は発禁となったが勢力は衰えず「新青年」が出てきてやっと打撃を受けるようになった。
 この頃イプセンの劇本が紹介され、胡適氏の「終身大事」(結婚の意)という別の形式が登場し、故意にというわけじゃなく、鴛鴦胡蝶派の命であった婚姻問題は、この結果ノラのように逃げ出してしまった。
 この後、新才子派たる創造社ができた。創造社は天才を尊び、芸術の為の芸術で、専ら自我を重んじ、創作を崇め翻訳を憎んだ。特に重訳を憎み、上海の文学研究会と対立した。発刊の最初の広告に、ある人たちが文壇を牛耳っていると指摘したのは、文学研究会を指していた。文学研究会は彼らと相反して、
人生の為の芸術を唱え、創作する傍ら翻訳も重視した。それは被圧迫民族の文学紹介に注力したが、それらの国は小さく、彼らの言葉を訳せる人がいないため、殆どすべて重訳だった。それ以前に「新青年」を声援してきた事もあり、
新しい仇が旧仇とあいまって、当時の文学研究会は三方から攻撃された。
 一つは創造社で、天才の芸術ゆえ、人生の為の芸術を唱える文学研究会は、
当然のことながら内容がつまらぬものばかりで「俗」っぽくて、さらには無能だと考えたから、一か所でも誤訳を見つけると、特別な長論文であげつらった。
もう一つは米国留学組の紳士派で、文芸は専ら旦那衆や奥方たちの為にあると考え、文人・学士・芸術家・教授・令嬢などしか登場させず、YesとかNoと
言えてこそ紳士の荘厳が保てるとして、当時呉宓氏は、なぜ一部の連中は下流社会の事を書くのか、全く理解できないという趣旨の文章を発表した。三つめは、先に述べた鴛鴦胡蝶派で、どういう方法を使ったのか知らぬが、書店の社長に「小説月報」を編集している文学研究会のメンバーを更迭させ「小説世界」を発行して彼らの文章を流布させた。この雑誌は去年になってやっと停刊した。
 創造社のこの戦は表面的には勝利した。作品の多くは既に当時才子を自任する人たちの気持ちに合致し、出版社の助けも得て、勢力も雄大となった。勢力が大きくなると、大出版社である商務印書館にも創造社員の翻訳書の出版をするようになり――郭沫若と張資平両氏のものだが、それ以来、創造社も商務印
書館出版の誤訳についてもそれを非難する専門の論文を載せなくなった。
 この辺のことは才子+ヤクザ式のように思います。しかし「新上海」は
「旧上海」には勝てませんで、創造社員は凱歌の一方で自分たちが出版社の商品だということを覚り、いろいろ努力してみても、社長から見れば、メガネ屋のガラスのショーウインドーの紙人形のまばたきする目と同じ「客寄せパンダ」に過ぎぬと覚ったのです。それで独立した出版社を作ろうとしたが、社長から
訴えられ、最終的には独立したが、全ての本を大改訂し、新規印刷のため新版をつくったが、社長の方は旧版を使って、ただ印刷して販売するだけですし、
毎年何とか記念とか言って安売りをしました。
 商品としてやってゆけなくなり、独立しても生計が立てられない創造社の人々の行く先は、当然希望の持てる「革命策源地」の広東でした。広東で「革命文学」という言葉が現れたが、作品は一つもなかった。上海にはまだこの言葉すら無かった。
 一昨年、やっと「革命文学」の名前が盛んに現れ、主唱者は「革命策源地」からやって来た創造社の元老と若干の新人たち。革命文学が盛んになったのは、
勿論社会的背景と一般群衆・青年に要求があったためです。広東から北伐を始めたころ、一般の積極的青年は、実際の任務に向かったので、当時はまだ顕著な革命文学運動はありませんでした。政治環境が突然変わって、革命が挫折し、階級の分化も非常に顕著になって、国民党は「清党」の名のもとに、共産党と革命群衆を大量に殺戮し、その死から逃れた青年たちは、再び圧迫される境遇となり、革命文学は上海で強くて激しい活動を展開したのです。従って革命文学が盛んになったのは、表面的には外国とは違って、革命の高揚に伴ってではなく、挫折によってなのです:その中の一部は、旧文人が指揮刀を手から離して、旧業に戻ったのや、実際の任務から排除されてしまった青年たちが、これで生計を立てるより、すべがなくなってしまったためです。だが彼らは既に社会的な基礎があったため、新人の中にも極めて堅実で正しい人もいた。当時の
革命文学運動は、しっかりした計画もなく、誤りもいくつかあったと思う。
例えば、彼らは中国社会について細密な分析をしていなかったから、ソビエト政権下でしか適用できぬやり方を機械的に運用した。叉彼らは、特に成仿吾氏は革命は一般の人に非常に恐ろしいことだと思わせるような一種の極左的凶悪な面を示して、革命が起こったら、あたかも非革命者はすべて殺されるような
ことをいうので、人々は革命に対して恐怖感を抱いてしまった。その実、革命は人を殺すのではなく、人を活かすのだが、この人々に「革命は大変きびしい物だ」と知らしめ、自分は只痛快がっているという態度は、どうも才子+ヤクザ式の毒にあたったのである。
 激すのが早ければ、冷めるのも早く、ひどいのは堕落するのも早い。文人は自分が変わった理由を弁護するために古典を引用する。例えば人の協力が欲しい時には、クロポトキンの相互扶助論を使い、人と争う時はダーウィンの生存競争説を使う。今も昔も凡そしっかりした理論もなく、或いは主張の変化に何の脈絡も無く、随時各種各派の理論を武器として使うのは皆ヤクザ的と言える。例えば、上海のヤクザは、田舎からきた男女が仲良く歩いていると「おい、お前らそんな風にしていると風俗を乱すから法に触れるぞ!」と脅すが、これは中国法を使ったわけだ。また田舎者が道で立ち小便をすると「おいここで小便するのは違反だ、交番につれて行くぞ」という時は、外国法を使う。いずれにせよ、合法違法の問題じゃなく、何ぼか金を巻き上げようとするに過ぎない。
 中国では去年の革命文学者は一昨年に比べると大きく変化した。これは固より境遇が変わったためだが、一部の「革命文学者」の身体には犯しやすい病根が内蔵されているからだ。「革命」と「文学」は不離不即の関係で、丁度2隻の舟が寄り添い、一隻は「革命」一隻は「文学」で作家は2隻の舟に足を広げている形だ。環境がちょっといい時は、革命の舟に重点を置き、明らかに革命家だが、ちょっと圧迫されるとすぐ文学の方に重点を換え、一文学者になる。だから一昨年の主張は大変激烈で、すべて革命文学でないものは一掃せよとされたが、去年になるとレーニンの好んで読んだゴンチャロフの作品も革命的ではなかったことを思い出し、革命文学ではなくても深い意義があると言いだした。
また最も徹底的な革命文学者の葉霊鳳氏は革命家を描くのにとても徹底して
いて、厠へ行く時はいつも私の「吶喊」で尻をふく由で、なんとも奇妙なことに、今では所謂民族主義文学家の尻の後ろにくっついているのです。
 似た例として向培良氏がいる。革命が漸く高揚してきた時は大変革命的で:
以前、青年はただ叫んでいてはだめで、狼の牙を露出すべきだと唱えた。それも悪くないが注意せねばならぬのは、狼は犬の祖先で、一旦飼いならされたら、犬に変わるということだ。向培良氏は今人類の芸術を提唱し、階級的芸術に反対し、人類には善人と悪人がおり、芸術は「善と悪の闘争」のための武器だという。犬も人を2種類に分け、彼を養ってくれる人は善人で。それ以外の貧乏人や乞食は彼にとっては悪人で、吠えるか噛みつくようになる。だがこれも悪いとは言えない。それというのもまだ少し野性があるからで、更に変わってしまうと狆になり、余計なことはしなくなるが、実は主人のために職責を全うし、正に今、俗事には一向構わず、芸術の為の芸術をという自称名人たちと同様、
大学の教室のお飾りとなる他ない。
 このように宙返りするプチブルはたとえ革命文学家になり、革命文学を書いても、革命をいとも簡単に歪曲してしまう:歪曲してしまうと革命にとっては
有害だから、彼らの変転は少しも惜しいことではない。革命文学運動の勃興時、
多くのプチブル文学家は忽然と変転した。その時この現象を説明するのに使ったのは突然変異説だ。しかし私の知る限り、所謂突然変異とはAがBに変わることで、幾つかの条件が備わっていて、一つだけ欠けている時、これが現れるとBに変わる。例えば、水は零度にならねば氷らないが、同時に空気の振動が必要だ。それが無いと零度になっても氷らない。空気が揺れると突然氷る。
従って、外面的には突然変異のように見えても、実は突然の事ではない。
もしこの条件が無いと、自分はすでに変わったといっても、実際は変わってはおらず、だから忽然ある晩突然変異したと自称するプチブルの革命文学家は暫くするとすぐまた突然変異して戻ってしまう。
 去年左翼作家連盟が上海にできたのは、一つの重要な事実だ。このとき既に
プレハーノフとルナチャルスキー等の理論が輸入され、皆で相互に切磋し、更に堅実に力をつけさせたが、正に堅実と実力をつけた結果、世界でも古今稀な圧迫と破壊を受け、この圧迫と破壊の結果、当時の左翼文学は、いよいよこれから大いに頭角を現し、労働者の献上するバター付きパンを食べられるようになると夢見ていた所謂革命文学家は、すぐ正体を表し、懺悔書を出し、反転して左聨攻撃に出、彼らは今年になって更に一歩進んだ見解を出すようになった。これは左聯が直接動いたからではないが、一種の掃討で、これらの作家は、変わろうが変わるまいが良い作品は書けないのだが。
 しかし現存の左聯作家は良い無産階級文学を書けるだろうか?私はとても難しいと思う。今の左聯作家はみな読書人―知識階級だから、革命の実際を書こうとしても容易なことではない。日本の厨川白村がある問題を提起している:
作家の書くものは必ず自ら体験したものでなければならぬか?自答して、必ずしもそうではない、という。彼は体験を通して推察できるという。だから泥棒も書くに自分で泥棒になる必要はなく、姦通を書くに、自ら私通する必要はない。だがこれは作家が旧社会で育ったから、旧社会の状況は熟知しており、旧社会の人間を見慣れているから、体験から推察できるが:それまで全く関係の無い無産階級の状況と人物について彼は書けないし、間違ったことを書いてしまうだろう。従って革命文学家は少なくとも革命と生命を共にしなければならぬし、或いは革命のいぶきを深く感受せねばなりません。(左聯の最近出した
「作家の無産階級化」のスローガンはこの点誠に正しい認識です)
 今の中国のこのような社会で一番望み易いのは叛逆的プチブルの反抗的或いは暴露的な作品です。彼は今まさに滅ぼうとしている階級の中で成長してきたから、大変深く理解しており、とても憎んでいるので、彼の振り下ろした刀は致命傷を与えるほど有力だろう。顔つきだけ革命的な作品もプチブルや資産階級を引っくり返そうとは固より考えもせず、却って彼らが改良できないので、
もう長くはその地位を保全できないと怨み失望するから、無産階級的見地からすれば、「兄弟墻に閲(せめ)ぐ」に過ぎない。両方とも同様に敵対している。
だが結果は革命の潮流の中の一つの泡沫にすぎぬ。これらの作品を、無産階級文学と称すべきではない。実際作者も将来の名誉の為に無産階級作家と自称すべきではない。
 しかし旧社会をちょっと攻撃するにしても、その欠陥をしっかり認識せず、病根を見極めねば、革命に有害で、今の作家は革命的作家と評論家も往往、社会を正視できないか、しようともしない。またその底の実態、特に敵とみなす相手の実態を知らないし、知ろうとしない。例を挙げると、以前の「レーニン青年」誌に中国文学界を論評して、三派に分け、まず創造社を無産階級文学派とし、大変な長文で紹介し、次は語絲社でプチブル文学派とし、論評も短い。
第三は新月社で資産階級文学派とし一ページにもならぬ短さ。これはまさしく:
この青年評論家は敵のことは何も言うことはないし、注意してみる必要も無いと表明しているのだ。本を読む時、反対者の物は同じ派の物を読むような心地よさ、爽快さ、有益さは当然無い:だが、一戦闘者としては、革命と敵を理解するために、面前の敵を更にもっと多く解剖せねばならぬと思う。
 文学作品を書くのも同じで、ただ単に革命の実際を知るだけでなく、敵の状況を深く知るべきだし、各方面の現況を知り、一歩進んで革命の前途を判断すべきだ。ただ古い事を知っているだけでなく、新しい物を見、過去を理解し、未来を推断してこそ我々の文学的発展の希望が見える。これは今の環境にいる作家は努力しさえすれば、できると思う。
 これまで話した様に、文芸はめったにないほどの圧迫と破壊を受け、飢饉の状態が広がっている。文芸はただ革命的のみならず、不平気味なもの、現状の問題を指摘するのみならず、旧弊を攻撃するものまで、往往迫害されている。
この状況はこれまでの支配階級の革命は、古い椅子の争奪に過ぎぬ事を説明している。排除した時、その古い椅子はたいへん憎むべき対象だったが、一旦手に入れると、とても大切なものに思え、と同時に自分はまさにこの古い物と、
気脈が通じていると感じる。二十数年前、朱元璋(明太祖)のことを民族の革命者だと皆が言ったが、実はさにあらず、皇帝になるや蒙古朝を「大元」と称し、漢民族を殺すことにかけては蒙古人よりすさまじかった。奴隷が主人になると「旦那」と呼ばせるのをやめさせようとはせず、偉そうな格好をするのは、
元の主人そのままで、ちゃんちゃらおかしいほどである。
 ちょうど、上海の奉公人が少し金を貯めて町工場を始めると、労働者の扱いが更にきつくなるのと同じだ。
 古い筆記小説(随筆的小品)に――名を失念したが――こんな話があった。
明代にある武官が、講釈師を呼んで故事を語らせたところ、晋朝時代の将軍、檀道済の物語をした。話し終わった時、その武官は、彼を叩くように命じたので、なぜですかと部下が問うた。答えは「彼は私に檀道済のことを語ったから、
きっと彼に私のことを言うに違いない」という。
 今の支配者の神経衰弱さもこの武官と同じで、なんでもすべて心配する。それで出版界もさらに進歩したヤクザを配し、人にはヤクザと見破られぬやり方で、実に凄まじいヤクザ方式;広告を使い、誣陥(ぶかん:誣告で罪に陥れる)
脅しを使う;それでひどいのになると、文学者の何名かは、安穏と利益のために、そうしたヤクザを師や義父と担ぎあげている始末。
 それゆえ、革命的文学者は眼前の敵に注意するのみならず、自分たちの仲間にも何回も寝返ったスパイに備えねばならず、すぐ簡単に文芸闘争の形をとってくるので、大変なエネルギーを費やし、その結果文芸にも影響を受ける。
 今上海には多くの文芸雑誌があるが、実際は無いに等しい。営利目的の書店は、災禍に遭わぬよう極力痛痒に関わりの無いのを選び、例えば「命は固より革さなければならぬが、余り革しすぎるのも良くない」式で、その特色は初めから終わりまで、見ても見ないと同じ。官製のや役所に調子を合わせる雑誌は、
作者は烏合の衆で共通の目的は原稿料で「英国ビクトリア王朝の文学」や、「ルイスのノーベル文学賞受賞」とか、自分でも信じていない論文、自ら重要とも思わぬ文章だ。だから今上海の文芸雑誌はすべて空虚だと思う。革命者の文芸は固より圧迫されており、圧迫する側の文芸雑誌は見るべきものもない。だが圧迫者は本当に文芸がないだろうか?あることはあるが、それは電報、告示、ニュース、民族主義的「文学」裁判官の判定文等がある。例えば数日前「申報」
に、女が夫を告訴し、ホモ(アナル)を強要され殴打されて青あざができたという。裁判官は法的に夫がホモ(アナル)を妻に禁ずるとの明文は無く、皮膚に青あざができるほど殴られたとしても生理的機能を損傷するとは言えず、として告訴を却下した。現在男は女を「誣告」で逆控訴中。法律は分からぬが、
生理学は少し勉強したからいうと、青あざができるほど殴られたら、肺、肝或いは胃腸の生理機能に損傷は無くとも、青くなった皮膚の生理機能は損傷を受けている。これは現在の中国で常に見られることで、奇異なこととも言えぬが、
社会の一現象を理解できる点で、平凡な小説や長い詩に勝る。
 この外、所謂民族主義文学と、もうだいぶ前から話題になっている武侠小説の類は、より詳細に解剖すべきだが、今回は時間の都合で次の機会とし、本日はこれまでとする。

訳者雑感:訳者が学んだ学校に中国からやってきた先生が二人いた。
一人は金先生といい、満州族出身で巨漢だった。本物の北京官話を使い、巻き舌もきれいだった。彼が幼少のころはやはり八股文的なものを作るための教育が残っていて、学校に行くようになっても「紅楼夢」などをおおっぴらに読むのは憚かられていたそうだ。そんなものを読むのは「できそこない」だといわれるので、親や先生に見つからぬように注意して読んだ由。それゆえにとても面白くスリルもあったのだろう。
 日本で高校の古文の授業を教えてくれた石川先生は、古文の授業といっても
先生は何もしゃべらず、わら半紙を配って、「源氏物語」を口語に訳して半紙に
書いたものを提出するだけだった。教科書の注と古語辞典を使って自分たちのしゃべっている言葉に置き換える作業だった。
 最近の中国の高校の教科書から魯迅が消えて、金庸氏の「武侠小説」が取って代わったという。「紅楼夢」はどうであろうか。
 日本では、源氏物語や近松の作品など男女関係の物語が教科書に取り入れられ、それに興味を持った学生はさらに自分の嗜好にあった作品を図書館や書店で買って読むのが一般的だ。
 中国では、金庸氏の作品が話題になるようではあるが、男女関係の物語が、日本のようになることがあるだろうか。今の中国の高校は有名大学へ入るための昔の八股文を作ることに精神を費やした書生たちと同じように思われる。
 救いはテレビや漫画だろうが、文芸作品としての古典ではないようだ。未だに中国で高校生が「紅楼夢」迷になるのは公にはできないことだ。
  2011/09/20訳





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