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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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記録に残す4

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 近年の雑誌に「越風」があり、選者は全員越人とは限らぬし、談じるのも全て越の事じゃない故、命名の由縁は分からない。勿論今年は弐臣(二君に仕えた臣)と漢奸を痛罵せねばならぬ状況だから、17号に高越天氏の「弐臣漢奸の丑(醜い)史と悪い結末」があり、第一節末に云う:
 『明朝は節操を頗る崇敬したので、亡国の際、忠臣義烈、節に殉じた不屈の人は枚挙にいとまがないが、実に我が漢族の栄光となった。が同時に漢奸弐臣も多く、最大の漢奸は呉三桂、弐臣は洪承畴で、この二人の破廉恥漢は今なお其の名を聞くと鼻をつままねばならぬ。その実彼等はその時は良心を殺し、清廷に取り入ろうと努めたが、結果はやはり「鳥尽き弓は蔵され、兎死して狗烹らる」となり正に愚の骨頂、大漢奸の末路はかくの如しで、多くの二等の漢奸の結末は惨憺たるもので……』
 その後又「雪庵絮墨」には、清朝は建国の功臣に対しては皆祖廟に祀ったが、漢人の耿精忠、尚可喜、呉三桂、洪承畴の4名は無く、洪且は乾隆が「弐臣伝」の首に列し、誡(いましめ)て曰く:
 『このような恥じ知らずの事は泉下で怒りを含む洪経略すらも大仰天すると思うのだが、凡そ恩を仇で返し、銃口を内に向ける狼鼠の輩は、これを読んで、まさに然りと悟るべし』
 この訓戒に反問はできない。もし時務を知らぬ者が訊ねて:『その時「鳥尽き弓は蔵され、兎死して狗烹らる」ようなことではなかったら、漢人も又祖廟に祀られ、洪承畴も「弐臣伝」に列せられなかったら、どうなったでしょう?』私は唇と舌の浪費だと感じた。
 国を防衛することと、商売とは全く別のものだから、それに値するか否かなどはけっして第一着になることはない。(暁角の名で1936年5月に「中流」に掲載:出版社注)
訳者雑感:
 明末に明朝に仕えて、清の建国後に清廷に取り入って清朝の役人・臣となった者は、建国後清朝の政府が安定してきたら「鳥尽き弓は蔵され、兎死して狗烹らる」で、棄てられたのみでなく、「弐臣伝」に名を残して訓戒された。
 明治維新後も徳川の重臣だった勝海舟を福沢諭吉が厳しく批判している。日本では同じ民族でも徳川と薩長政府に仕えるというのは潔くなしとして野に下った人が多かった。野に下っても是非新政府を支援してくれと頼まれて、産業振興に大いに尽力した渋沢栄一は例外中の例外だろう。しかし異民族に征服された漢族では事情は違う。国を防衛することと商売とは別物である。だが、弐臣たちはビジネスをするように身を翻したのだ、と罵っている。そういう手合いがこの当時沢山いたのだ。     2015/01/24記

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