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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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深夜に記す続の続

深夜に記す続の続
4.もう一つの童話
 その朝から21日後、拘留所で尋問開始。陰暗な小部屋の上手に2人の役人が東西に坐っている。東のは馬褂(清朝時代の服装)で西のは洋服。世の中に人を喰うことなど信じない楽天派で、口述を記録す。警官は怒鳴りながら汚れた服で青白い顔の18才の学生を引っぱってきて下手に立たせた。馬褂は名前年齢本籍を訊いた後、また尋ねた。
「お前は木刻研究会の会員か?」
「はい」
「会長は誰だ?」
「Ch…が正で、H…が副です」
「彼らは今どこだ?」
「彼らは退学させられたので知らない」
「学校でなぜ騒ぎを起こしたのか?」
「えー!」青年は驚いて叫んだ。
「ふん!」馬褂は手元の木刻肖像を出して、「これはお前が彫ったのか?」
「はい」
「誰を彫ったのだ?」
「文学者です」
「何て名だ?」
「ルナチャルスキー」
「文学者?――どこの国の?」
「知りません!」青年は命が惜しいので嘘をついた。
「知らないだと。嘘だ!ロシア人じゃないか?ロシアの赤軍の将校じゃないか?ロシア革命史で彼の写真をこの目で見た!貴さま、しらを切る気か!」
「そんな……」青年は頭に鉄鎚を一撃された様に絶望的に叫んだ。
「当たり前だ。お前はプロレタリア芸術家で、彫ったのは赤軍の将校にちがいあるまい」
「そんな馬鹿な、全く違います…」
「強弁するな、お前は‘頑迷で非を悟らぬ’!」お前が拘留所で苦しんでいるのを知っている。お前がほんとの事を言って、裁判所で判決を出して貰えるようにするのだ、――監獄はここより楽だぞ」
青年は何も答えなかった――言っても言わなくても同じなのを知っていた。
「答えろ」馬褂は冷笑して「お前はCPかCYか?」(共産党と共産青年)
「どちらでもない。そんなこと何も知らない!」
「赤軍の将校は彫れるのに、CP、CYを知らぬだと?」若造のくせにこれほどしたたかとは!失せろ!」そこで手をひと振りすると、物分かりの良い警官が慣れた手つきで青年を引っぱって行った。
 ここまで書いてきて、童話の様ではなくなってしまい申し訳ない。だが童話と言わねば何と言うべきか?特別なのは私が話しているのは1932年のことだ。
    
5.真実の手紙
 「敬愛する先生:
 私が拘留所を出た後の事をお尋ねですので、大略下記します――
 その年の最期の月の最終日、三人はXX省政府により高等法院に送られた。着くとすぐ検査が始まった。この検察官の尋問は変わっていて、3つ訊くだけ。
「名は?」――第一句:
「年齢は?」――第2句:
「本籍は?」――第3句:
 この特別な裁判が終わると、軍の監獄へ送られました。もし支配者の芸術的な手口を知りたいなら、軍の監獄へ行きさえすれば分かります。自分と意見の会わぬ者を虐殺し、民の屠殺の手口は残酷でなければすっきりしないのです。時局が険しくなってくると、所謂重大政治犯をひとまとめにして銃殺します。刑期も何もありません。例えば南昌が危急に陥った時、45分間に22人殺し:福建人民政府が成立した時もたくさん銃殺されました。刑場は獄内の5ム―の菜園で、囚人の死体は菜園の土に埋められ、上に野草を植え、肥料としました。
 2ヶ月半もせぬうちに起訴状がきました。法官は3つ尋問しただけで、どうやって起訴状を作ったのでしょうか?できるのです!原文は手元に無いですけれど思いだせます。法律の第何条かは忘れましたが――
「…Ch,…H…の組織する木刻研究会は共産党の指導を受け、プロレタリア芸術を研究する団体也。被告等は皆当該会員で…その彫った物はみな赤軍の将校と労働飢餓者の情景で、以て階級闘争を鼓舞し、プロレタリア階級専政に日が必ず来ると示唆し。…」
 この後すぐ法廷が開かれ、5人の役人が厳めしく一列に坐っていた。我々は何もうろたえませんでした。その時私の脳裏に一枚の絵が浮かんだ。それはDaumier(フランスの画家)の「法官」で、まさに驚きました!
開廷8日目に判決が出、その罪状は起訴状と同じだが、後半は下記の通り―「その所為は正に民国緊急治罪法第X条に危害を及ぼし、刑法第X百X十条第X款により、各々懲役5年とす。…然し被告らは皆若く無知で岐途を誤ったので、それを情状酌量、XX法第X千X百X十条第X款により2年半に減ず。判決書送付後10日内に不服なら控訴を得…」云々。
 私は「控訴」などできるだろうか?「服役するがよい!これは奴らの法律だから」
 要するに、逮捕から釈放まで3か所、人民を虐殺する屠場を遊歴した。今は彼らが私の首を刎ね無かったことに感謝するほか、更に感謝するのは、私の知らなかった沢山の知識を増やしてくれたこと。刑罰面だけでも中国では今:
1.藤の鞭打ち 2.拷問椅子などでこれらは軽い方 3.棒踏み、犯人を跪つかせ、鉄の太い棒を膝の間に入れ、両端に大男を乗らせ、最初2人、段々増やして8人とする 4.火に焼けた鎖に跪つかす。これは真っ赤に焼けた鉄の鎖を地上に置き、犯人に跪つかす 5.「喰らわす」といわれるもの。鼻から唐がらし水を注ぎ、灯油、酢、焼酎を入れる…6.更には犯人を後ろ手にし、細い麻縄で2本の親指を縛り、高所から吊るして殴る。この名前は知らない。
 最も悲惨なのは、拘留所で同房だった若い農民だ。役人は彼を赤軍の軍長だと言ったが、彼はガンとして認めなかった。それでとうとう、彼らは針を爪の間に刺し、金づちで叩きこんだ。一本叩きこんで認めぬと、2本目、まだ認めぬと3本目。…4本、…ついに十本全部に叩きこんだ。今でもその青年の真っさおになった顔、くぼんだ目、血だらけの両手が常に目に浮かび、忘れられず、私を苦しめます!…
 だが、投獄された理由は出所後初めて分かりました。禍根は我々学生の学校に対する不満にあり、特に訓育主任に対してでしたが、彼は省の党政治情報員で、全学生の不満を鎮圧する為、僅かに残っていた3人の木刻研究会員を逮捕して、示威のための犠牲にしたのです。そしてあのルナチャルスキーをむりやり赤軍将校としたのです。馬褂の役人も彼の義兄で何と都合よく仕組んだものです。
 大略を書き終え頭をあげ、窓の外を見ると青白い月が出ていて、ゾクっとしました。私はそれほど臆病にならぬだけの自信はあったが、私の心は氷のようにゾクっと凍りつきました。…
 ご健康を祈ります!
    人凡。4月4日後半夜
(付記:「一つの童話」の後半から本編末まですべて人凡君の手紙と「獄中記」から引用した。4月7日)

訳者雑感:深夜に記す、というのは当時の暗黒を後世に伝える為に、止むにやまれず書いたものだ。拘留所での自白強要の拷問など、20世紀でも中国の各所で行われていたと…。
     2014/10/15記

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