忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

深夜に記す

深夜に記す
一。ケーテ・コルヴィッツ教授の版画、中国に入ること。
 地面に紙銭の焼けた灰が山のようにあり、古壁には幾つかの絵が描かれ、通る人がそれに目を向けるとは限らぬが、それはそれぞれある意味が蔵されていて、愛であり、悲哀であり、憤怒、……そしてそれらは往々、叫び声より猛烈である。数人はこの意味が分かるのだ。
 1931年――何月かは忘れたが――創刊後すぐ発禁された「北斗」の第一号に木版画があり、母親が悲しげに眼を閉じ、彼女の子を差し出している。これがケーテ・コルヴィッツの木版連続画「戦争」の一枚目で、題は「犠牲」で彼女の版画が中国に紹介された最初の作品だ。
 この木版は私が寄せたもので、柔石が害された記念であった。彼は私の学生であり、共に外国文芸を紹介し、特に木版が好きで、かつて3冊の欧米作家の作品を編集した。印刷はあまりうまくいかなかったけれど。だがどうした訳か突然逮捕され(上海の刑場)龍華で他の5人の青年作家と共に銃殺された。当時の新聞は一切これを報じず、多分そうする勇気も無く、何も記載されなかったが、多くの人は彼がもうこの世にいないと知っていた。それはよくあることだったから。彼の両眼盲した母だけは、愛する息子はきっと上海で翻訳校正をしていると思っていただろう。偶然ドイツ書店でこの「犠牲」を見、「北斗」に送って私の無言の記念とした。然し後に一部の人が含意に気付いていたと知ったが、彼らは大抵記念しているのは犠牲者全員と思っていた。
 この時、ケーテ・コルヴィッツ教授の版画集はちょうど欧州から中国への途上だったが、上海に着いた時、熱心な紹介者はとうに土中に眠っていて、私はその場所さえ知らない。それならやむなし、私一人で見よう。そこには困窮、疾病、飢餓、死亡…勿論あらがいと闘争もあるが、比較的少ない:これは正しく作者の自画像のように、顔には憎悪を憤怒があるが、それ以上に慈愛と悲しみ、憐憫のあるのと同じだ。これらすべては「辱められ、虐げられた」母の心の図象だ。このような母親は、中国の爪を赤く染めていない田舎にもよくいる。人は往々、彼女を嘲笑って、役立たずの息子を愛すという。彼女たちは役立たずの息子も愛すが、すでに強くたくましい力があれば安心し、「辱められ虐げられている」子供の方に注意を向けるのだ。
 今彼女の作品の復製21枚が証明しており:又中国の芸術を学ぶ青年に次の様なメリットを与えてくれている。
1.この5年来、木刻は大変盛んになった。時に迫害されたが、他の版画は比較的まとまったものとしては、A.Zornに関する物だけだった。今紹介されているのは全て銅刻と石刻で、版画の中にこんな作品があり、油絵の類より普遍的で、なお且つZornとは明確に異なった技法と内容なのが分かる。
2.外国へ行ったことの無い人は、往々白人はすべてキリスト教を説くとか、貿易会社を作り、きれいな服を着、うまい物を食べ、気に障るとすぐ革靴で蹴る連中だと思っている。が、この画集を見れば、世界には実は多くの場所で「辱められ、虐げられている」人がいるのが分かり、我々と同じ仲間で、これらの人々の悲哀のために叫び戦っている芸術家もいることが分かる。
3.今中国の新聞には、大きく口を開いて叫ぶヒットラーの像を好んで載せるのが多いが、それは短い時間に過ぎず、写真で見ると永遠にこの姿勢だと、見る方が疲れてしまう。今、ドイツの芸術家の画集には他の人もいて、見れば見るほど美しいと思わせるものがある。
4.今年は柔石が害されて丸5年。作者の木刻が中国に紹介されて5年目:作者は中国式では70歳。丁度良い記念とすることができる。作者は現在、只沈黙を余儀なくされているが、彼女の作品はさらに多くのものが極東世界に紹介された。そうなのだ。人類の為の芸術は、他の力で阻止することはできない。

二。 誰にも知られず死ぬことについて
 この数日で悟ったのだが、誰にも知られずに死ぬことは人間にとって極めて惨苦なことだ。
 中国では革命前、死刑囚は刑に臨んで、見せしめでまず大通りを引き回され、彼は冤罪だと叫び、役人を罵り、自らの英雄的行為を自慢し、死など怖れないと声に出した。それが悲壮になると見物人は大声で喝采し、その後、人々の口で伝わって広まる。私が若い頃、こうしたことをよく聞き、そういうやり方は野蛮で残酷だと思った。
    最近、林語堂博士編集の「宇宙風」で銖堂氏の文章を見たら、違った見解を述べていた。彼はこのような死刑囚への喝采は、失敗せる英雄への崇拝で、弱きを助け「理想としては嵩高でないとは言えぬが、人々を組織していく上で、止むを得ない。強きを抑え、弱きを助く、とうのは永遠に強者を望まぬという事で、失敗せる英雄を崇拝するのは、成功せる英雄を認めないという事だ」だから「凡そ、古来成功した帝王は、数百年も威力を保持することを欲するが、何万何十万の無辜の民を残害して、一時の服従を得たかもしれぬ」
    何万何十万人を残害して、やっと「一時の服従」を得て「成功した帝王」になるとの考えは実に悲しむべきだが:それより良い方法は無いのだろう。だが私は彼らの為に別に良い方法が無いかなど考えようとは思わない。この事から悟ったのは、死刑囚が処刑の前に群衆に話す事が出来るのは「成功した帝王」の恩恵だという事で、彼がまだ力があると自信を持っている証拠だ。だから彼は豪胆に死刑囚にもしゃべらせ、死に臨んで、自分の誇りをしゃべって陶酔を得させ、皆も彼の最期を知ることができる。私が以前「残酷」だと思っていたのは、的確な判断ではなく、そこには些かの恩恵を含んでいたのだ。友人や学生の死に際して、その日時・場所・処刑の方法を知らないのは、それを知っているより更に悲しく心が動顛する。ここからもう一つ推想すると、密室内で数人の屠夫の手で命を終えるのは、群衆の前で死ぬよりきっと寂莫だと思う。
 然し、「成功した帝王」は秘密裏に人を殺したりしない。彼の秘密は:妻妾との戯れだけだ。だが失敗しそうになると、次の秘密が増える:彼の財産目録と隠し場所だ:更に旗色が悪くなると、第3の秘密に到る:秘密裏に人を殺すのだ。この時彼も銖堂氏と同様、民衆は彼ら自身の好き嫌いがあり、成功・失敗などどうでもいいほど、激しくなるからだ。
 従って、第3の秘密法はだとえ策士の献策が無くとも、いつかは採用しようとし、多分ある所ではすでに採用されている。この時、町内は治まり、民衆は静かになるが、我々は試みに死者の気持ちを推測すると、きっと公開された死よりも惨苦なものとなろう。私は以前ダンテの「神曲」の「地獄」篇まで読んで、作者の想定した残酷さに驚いたが、これまで更に読んでみて、彼はまだ仁に厚いと分かった。彼は現在すでに平常の惨苦となっている誰にも知られずに、殺されると言う地獄を思いつかなかったから。

訳者雑感:文化大革命のころ、北京の大通りをトラックに乗せられ、三角帽子を被らされた「反革命・右派」の人々が「みせしめ」にされていた。あの頃はまだ「力」に自信があって、大衆の前に引き回して処刑したのだろう。最近でも凄まじい汚職事件を起こした首長の処刑がテレビで放映された。こうして公開で処刑される方が、誰も知らない所で秘密裏に処刑されるより「仁」があるというのだろう。魯迅の多くの友人・学生が「力」に「自信の無くなった」政権によって秘密裏に殺された暗黒の時代。嗚呼。
     2014/10/08記

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R