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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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沈んだ滓(おり)が浮上する

沈んだ滓(おり)が浮上する
 日本が東三省を占拠した後、上海一帯の新聞に「国難の声の中」でといわれている。この「国難の声の中」を棒でかきまわして、長年池底に沈んでいた古い滓や新しい滓がぶくぶくと浮上してきて、勢いに乗じて自己の存在を顕示しはじめた。
 今戦える自信ある者は、永らく考えてもみなかった洋銃の操練を試みる。戦おうと思わぬ者は、欧州大戦時のドイツ帝国に倣って、「頭を使い」「一国民」として義務を尽くそうとする。ある者は「唐書」を調べ、日本の古名は「倭奴」という:ある者は辞典を調べ、倭は矮小の意味だと言い:ある者は(異民族に抵抗した:訳者注)文天祥、岳飛、林則徐を思い浮かべる。――だがそれより積極的なのは新文芸界だ。
 その前に別件に触れるが、それは「和平の声の中」で、この声の中で、「胡漢民氏」が上海に来、青年に戒告し「力」を養い「気」を費消するなと説いた。それに対応する「霊薬」あり、という。翌日新聞に広告が出:「胡漢民先生は、対日外交は、堅固な原則を確立し、青年は力を養うべきで、気を費消すべきではなく、力を養えば、強身となり、気を費消すれば悲観となるから、強身に励み、悲観を駆逐し、まず心をのびやかにして、愉快に呵々大笑すべし」という。
 だがそんな重宝なものがあるだろうか?アメリカの古い映画の冒険家の滑稽譚で小市民の笑いを博した「親戚揃ってアフリカ漫遊」の如きか?
 本当の「国難の声の中の興奮剤」とは、「愛国歌舞公演」で「民族性の活躍で、歌舞界の
精髄であり、同胞の努力を促し、最後の勝利を達成する」と自ら言う。このたちどころに奇功を実現できる大スターは誰だろう?王人美、薛玲仙、黎莉莉だという。
 「上海文芸界は大団結」を果たした。「草野」(6巻7号)に盛況を報じ「上海文芸界同人は平時は連携が少ないが、大事な時はそれぞれが参加している団体以外に、謝六逸、朱応鵬、徐蔚南三名の発起で…集まって討論した。10月6日の午後3時、陸続と東亜食堂に集まり、…茶菓を進め、討論開始。大変多くの人が力を発揮し…最後にこれを上海文芸救国会と名付けた、という。
我々は何を「発揮」したかは知るすべもないが、眼前のやりかたからすると、「親戚揃ってアフリカ漫遊」を観て、力を養い、「愛国歌舞上演」を観て興奮し、「日本小品文選」と、
「芸術三家言」を観て更に茶菓を勧めて、発揮したのだろう。そんなことで中国は救われようか。
 まさか。そんなことは文学青年はいうに及ばす、文学少年少女も信じはしまい。
やんぬるかな。
 ではもう二つの別の面白いニュースを書こう。即ち、目下愛国文学家主宰の「申報」が発表せしもの――
 10月5日「自由報」で葉華女士は「手の打ちようがない国民に、なんで手の打ちようのある政府がありえようか?国連は絶望的だ。…非常に危険な状態で事ここに至れば一発千鈞皆で力をあわせて、
全国民は志を立て、夫々できる限りを尽くし、意見をだそうではないか、余も菲才ながら、
戦闘犬問題を以て、諸国の人とも相談する。…いろいろな犬の中で、ドイツの警察犬が一番だというから、我国も犬大作戦を取るよう声を大にして訴える…」
 同月25日の「自由談」にも「蘇民が漢口より」として「過日上海の友、王子(複姓)
仲良に文をやり、余の病のため義勇軍に馳せ参じられぬこと遺憾と申せしに、王子は……
霊薬を一包我に寄せ、培生製薬会社の益金草は、結核咳血に功能あり、試服されたし。…
余はすぐさま服してみるに咳も止み、旬日後、体力気力もやっと回復し…一旦国家に事あらば、我も必ず戎列に加わり、平生の壮志を遂げんと、敵を滅ぼすは朝飯前、何日でも行軍できる…」
 これは病人でもすぐ兵隊になれ、警察犬も愛国に協力でき、愛国文芸家の指導下、誠に
楽観できるし「敵を滅ぼすのは朝飯前」となる。
 惜しいかな、文学青年でなくとも、文学少年少女でも読んでゆくうちに、たとえ「広告」と称せずとも、旧貨を売りつけようとの新たな広告に過ぎぬと分かるし、「国難声中」或いは「和平声中」にあって、この機により儲けようとするのが見え見えである。
 またそうしようとするから、この機に乗じ、(水底から)浮かびあがり、スターも文芸家も警察犬も薬も、勢いに乗れれば、労せずして浮かびあがれる。だが浮かびあがったのは、
滓だし滓は滓に過ぎず、ひと浮きはできるが、その本性はすぐ明白となり、最後は元のように沈む運命なのだ。    10月29日

訳者雑感:
 今から80年前の1931年は満州事変など日中両国にとって抜き差しならぬことが始まったわけだが、これから本格的な日米戦争の始まる41年までの10年間は魯迅の指摘するように、水底に沈んでいた滓も浮かびあがり、旧貨も売らんかなという情勢であった。
 31年には青幇の大ボスとして有名な杜月笙の宗家の祠を上海の浦東に建設し、それに
蒋介石を含む全国のあらゆる筋からの祝いが届けられて、盛大に開かれた様が鳳凰テレビで報じられていた。
映画演劇文芸などが都市の夜を華やかにし、魯迅も日記に繁華街の映画館に何度もでかけ、
ワイズ・ミューラー主演のターザン物を喜んで観ている。
 戦争に至るまでの10年は暗いように見えるが、庶民は結構滓のような文芸すらも他に選ぶものがないゆえに、それらに引き寄せられていった。魯迅はこの当時をヤクザに仕切られていた時代と表現するが、国民党政府よりヤクザの方が人情の面ではましだったかもしれない。尚上記の「和平の声の中」というのは、対日不抵抗を指すとみられる。対日不抵抗路線宣言は蒋介石が始めたとされるが、そもそもは張学良が当時の諸般の状況からして、
彼の軍隊では日本に抵抗できないとして彼が考え実行したものだが、それを蒋介石が全国に広めたということだ。
2011/09/29訳

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「民族主義文学」その3

「民族主義文学」その3
4.
 バツ―は死に:アジアの黄色人種の中で現在、当時の蒙古に擬せられるのは
日本のみ。日本の勇士たちもソビエトロシアを非常に憎んでいるが、中華の勇士たちを大事に扱わないで「日支親善」を声高に唱えているが、「友誼」を主張するのと合致はするが、事実は裏腹で、中国の「民族主義文学」の立場からすれば、既に悲哀を覚え、彼を諷喩するのも勢いのしからしむる所で、何も訝ることもない。
 果たして詩人の悲哀の予感は実証されたようで、更に悪化した。「火の鞭を揚げ」「オロシア」を焼きつくせという最初のところは、バツ―の時と結局同じで、
朝鮮人が中国人を乱殺し、日本人は「人間を食って血にまみれた口を大きく開き」東三省を呑みこんだ。まさか彼らはまだ傅彦長氏の薫陶を受けていないので「団結の力」の重要さを知らず「中国の勇士たち」をもアフリアのアラブ人とみなしてしまったのか?!
5.
 実に大打撃だ。軍人作者は勇壮な声で叫んではいないが、今我々が目にするのは「民族主義」の旗を掲げた新聞に載った小勇士たちの憤激と絶望、これも勢いというもので何も不思議じゃない。理想と現実は本来衝突しやすいし、
理想はすでに悲哀を含んでおり、現実は当然ながら絶望なのだ。
 そこで小勇士たちは戦おうとする――
 戦おう、最後の決心をし、
 我らの敵を殺しつくせ、
 みろ!敵の全銃砲がとどろいた、
 早く前へ、我々の肉体で長城を築け、
 雷電が頭上に咆哮し、
 浪涛は脚下に吼叫ぶ(ほえさけぶ)、
 熱血は心中で燃え、
 我々は前線に進む。
(蘇鳳:「戦歌」)(「民国日報」)

 行こう、戦場へ。
 我々の熱血は沸騰し、
 我々の肉体は瘋人のようだ。
 我々は熱血で賊の銃頭を錆びつかせ、
 肉体で敵の砲口を塞ごう。
 行こう、戦場へ、
 我々の勇気で、
 我々の純愛の聖霊で、
 敵を駆逐しよう。
 いや、敵を殺しつくせ。
  (甘豫慶:「戦場へ行こう」)(「申報」)

 同胞よ、覚醒しよう。
 弱気の虫をけり出し、
 弱気の脳も追い出せ、
 みろ!みろ!みろ!
 同胞の血の噴出するをみよ。
 同胞の肉が割けるをみよ。
 同胞の屍体が吊るされるをみよ。
  (邵冠華:「覚醒せよ同胞」)(同上)
 これらの詩ではっきりしていることは誰も武器を持っていないから、「肉体」や「純愛の聖霊」や「屍体」を使うしかない。これはまさしく「黄色人の血」を書いた作者の先の悲哀で、バツ―元帥に追随して「友誼」を主張したためである。武器は主のところから購入したもので、無産者は自分たちの敵だから、主がその哀しみを諒とせず「懲膺」を下すなら、残された唯一の路は実際問題、
一個の死しかない――
 
 我々はたった今訓練を受けたばかりの隊であり、
 堅固で卓越した意志を持ち、
 沸騰する熱血で、 
 凶暴な悪を一掃するのだ。
 同胞よ、親愛なる同胞よ、
 早く来て戦に備えよ、
 早く来て奮闘せよ、
 戦死は我らの生きる路だ。
  (沙珊:「学生軍」)(同上)
 天は嘯き
 地は震え
 人は突撃し
 獣は吼える
 宇宙のすべてが咆哮する
 朋友よ、我らの頭蓋が敵に斬られるのに備えよ。
 (徐之津:「偉大な死」)(同上)
  一群は戦意高揚、一群は悲歌慷慨。書くのは自由だが、もし本当にこうしようなどと考えているのなら、「民族主義文学」の精髄の意義を理解していないことになるが、その一方で「民族主義文学」の役割を果たしたことにもなる。
6.
「前峰月刊」には大きな字で「黄色人の血」の作者黄震遐詩人が既に我々の理想の元帥バツ―のことを教えてくれているではないか?詩人は傅彦長氏の薫陶を受け、内外の史伝を調べ、「中世の東欧は三つの理想の衝突した場所だと知っており、まさか趙家(宋の皇帝)の末葉の中国が蒙古人の略奪の場だったことを知らぬことはあるまい。バツ―元帥の祖父ジンギスカンが中国に侵入した時、
婦女を淫掠し、家を焼き、山東曲阜の孔子像を見て、元の兵は指さして罵り、
「夷狄の君あるは、諸夏の無きに及ばず」と言ったのはお前じゃなかったかと。
顔にくっつけんばかりにして矢を射た。これは宋の人の筆記に落涙しながら記述されているが、今新聞でよく見かける流涙の文章と同じだ。黄詩人の描く
「オロシア」のあの「死神は白人娘を捕えて懸命にかき抱き、…」の一節は、
実は当時、中国で起きた情景だ。但し、彼の孫の代には、彼らは手を携えて
「征西」したではないか?今日本兵は東三省を「東征」しまさに「民族主義文学家」の理想の「征西」の第一歩「アジアの勇士の血のついた口を開いた」幕開けだ。まず中国でひと咬みしたにすぎない。当時のジンギスカン皇帝も「オロシア」に同様なことをし、まず中国人を奴隷に仕立てて、然る後、彼らを
戦争に駆り立てたが、それは「友誼」を持ち出し、招聘状で厚く招いたようなことではなかった。従って、今回の瀋陽事件(満州事変)は、単に「民族主義文学」と豪も衝突せぬだけではなく、彼らの理想郷を実現させ、この精髄の意義を知らずに、頭を差し出して「アジアの勇士」を減らしたりするのは、実に惜しいことだ。
 それでは「民族主義文学」は嗚呼、ああ、死ぬのだ、生きるのだというような言葉は使う必要はないのではないか?
 謹んで答える:必要だ。彼らも必ず使う。さもなければ、不抵抗主義、城下の盟(城明け渡し)で、国土割譲させられるハメとなり、静かに音もたてず、更に露骨になってゆく。それに対して痛哭怒号し、拳を摩し、掌をさすり、この擾攘嘈雑(社会の大混乱)に惑乱され、悲歌を聞き、落涙し、壮歌を聞いて
憤りを漏らさせ、それであの「東征」即「征西」の第一歩となり、静かにこっそりと跨ぎ過ぎてゆく。葬儀の行列には悲哀の哭声に、壮大な軍楽がつくが、
その役割は死者を土中に埋めることで、ドンチャンドンチャンで「死」を掩って、人々を「忘却」させるためである。今「民族主義文学」の戦意高揚或いは、
悲歌慷慨の文章はまさにこれと同じ役割を果たしている。
 だが、この後「民族主義文学者」も哀愁に近づいてゆく。それは一つの問題が更に近づいてくるためで、将来主が再びバツ―元帥の轍を踏むことなく、忠勇な奴隷を、いや勇士を本当に信用し、優待するかどうか?実に大変な問題で、怖ろしい問題で、主と奴隷が「共存共栄」できるか否かの鍵である。
 歴史はそれはできないと告げている。まさに「民族主義文学者」も同じく、そんなことはあり得ないということを知っている。彼らは只、葬送の役割を果たし、主を恋する哀愁を永く抱き、無産階級革命の風涛怒吼が起こり、山河が
洗い清められる時になって初めて、この沈滞し猥雑で劣化腐乱した運命から、
抜け出せるのだ。

訳者雑感:
 御用文学、戦意高揚のために子供たちを巻き込んで、彼ら小勇士に勇ましい
詩をつくらせて、新聞に載せて、戦意高揚を図る。これは戦争中の日本と同じだ。異なるのは、この御用文学が帝国主義の手先として働いてきた軍閥政府と、当時掃共に血道をあげていた国民党政府のなかでも、対日協力派に受け継がれて来た「悲哀」である。主人はその「哀しみ」などを諒とはしない。
 親日で最後の時が来ても、日本人医師を頼みとし、内山にも日本語で絶筆となる1936年10月18日の手紙(メモ)に電話で須藤先生にみてくれるように、
と頼んでいる。それくらい親日家ではあったが、1931年の満州事変での日本軍の東北三省侵略と、それのお先棒を担ぐ「民族主義文学」に対して、痛烈な批判を浴びせている。その例に引いたのが、ジンギスカンにめちゃくちゃにされながら、孫のバツ―元帥に追随して彼の「奴隷的兵隊」となり東欧に攻め込んだことだ。それは決して蒙古と宋の「友誼」からではなく、結局は主と奴隷は
「共存共栄」などできはしない、との歴史の事実を示している。
 2度の元冦も朝鮮族と南宋の軍隊が中心で、元の意図は彼らの軍隊の力を削ぐことにもあったとの説があるが。
 いずれにせよ、異民族の征服者におもねって生きてゆくのが、異民族が侵入してきた時の漢族の何割かが、自ら選択した路であった。金も元も清の時も、
そうであった。そして初めにおもねった人間が出世したのも事実であった。
 1930年代に日本が本格的に侵入を始めたとき、「民族主義文学者」はそれに
おもねり、協力したのであった。
  2011/09/26訳

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「民族主義文学」その2

「民族主義文学」その2
3.
 黄震遐氏はこの様に明確に書いており、書かれた心境も真実に違いないが、彼の小説で示された知識から推測すると、知らぬ間にではなかろうが、故意に
一点を避けている。それは「フランスの安南兵」のことをぼかして「フランスの外人部隊」と改作しており、そのために「実際の描写」から離れてしまい、
上述したような問題を問われる仕儀となったのだ。
 作者は聡明で「友人傅彦長君が平時よく話してくれた…多くのことを包まずにいえば、彼の薫陶を受けた」そうで、内外の史伝を考証した後、「民族主義」
というテーマにふさわしい「詩劇」、今度はフランス人ではなく「黄色人種の血」(「前峰月刊」7号)を書いた。
 この詩劇の内容は、黄色人種の征西で主将はジンギスカンの孫、バツ―元帥、
正真正銘の黄色人。征したのは欧州、といっても専らオロシア――これが作者の目標で:連合軍の構成は漢・韃靼・女真・契丹人――これが作者の計画:
一路勝ち続けるが、残念ながら後に四種族が「友誼」の大切さと「団結の力」を理解せず、互いに殺し合い、白人の武士に乗じられ――これが作者の諷喩であり悲哀。
 だが、我々は黄色軍の猛威と悪辣さを見てみることにしよう――
 ………
 恐ろしや、死体を煎じる煮えたぎった油:
 怖ろしや、地面一杯の腐った死骸のなんとみにくいさま:
 死神は白人の娘を捕え、ぎゅっとかき抱き:
 美人の首はみにくい髑髏となり:
 野獣の如き生番は古い王宮で凶暴に戦い:
 十字軍の戦士の顔は哀愁に満ち:
 千年の棺材から怖ろしい悪臭を漏らし:
 鉄蹄は断骨を踏みこえ、駱駝の鳴き声は怪獣の叫びに重なり:
 上帝はすでに逃げ、悪魔は火の鞭を振り、仇を討つ:
 黄禍が来た!黄禍だぞ!
 アジアの勇士は血にまみれた大きな口を開く:
 
 これは独のウイルヘルム皇帝が「ドイツ、ドイツ、世界に冠たる」を鼓吹するために唱えた「黄禍」で、この「アジアの勇士たちの大きく開いた」「人間を食った血のついた口」を我々の詩人は「オロシア」に、すなわち、今無産者専制政治を行っている初めての国に向けている。以て無産者階級の模範を消滅せんとしている――。
 これが「民族主義文学」の目標:但し、畢竟は植民政策に順応する民の為の
「民族主義文学」だから、我々の詩人が奉じる首領は蒙古人のバツ―であって、
中華人の趙構(南宋皇帝)ではない。また「人間を食った血のついた口」は、
「アジアの勇士たち」で、中国の勇士じゃない。望むのはバツ―の統御の下の
「友誼」であって、各民族間の平等な友愛じゃない。これがあからさまな所謂
「民族主義文学」の特色だが、青年軍人である作者の悲哀でもある。

訳者雑感:
 魯迅の弟である周作人などは日本政府に協力した廉で、戦後「漢奸」とされた。この青年軍人の作者はどうなったであろうか?
 数年前、「もし日本が先の大戦で勝利していたら」という論文が趙無眠氏によって発表された。彼の結論は日本人が東京から北京に首都を移し、日本式の近代化を推進する。其のうちに徐々に漢民族に包摂され、大中華圏を形成して、
米欧と対等な関係を築ける国力をもった国になれた、云々であった。
 というのも、漢民族は歴史的にみても、多くは西の胡族や北の異民族の樹立した政権下でどんどん版図を広げ、隆盛を極めた。モンゴル、清などその良い
例だ。日本人もモンゴル人、満州人と同じ系列の民族で、百年もせぬうちに、
漢族化されるだろうから、何の心配も無用だ、というのだ。
 2011/09/24訳




 

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「民族主義文学」の役割と命運 1

1.
植民政策はヤクザを保護養育する。帝国主義にとって彼らは大事な奴隷で役に
たつ猟犬で、植民地の人間がなすべき役割を全てやってくれる:
一面では帝国主義の暴力に依り、叉一面では中国の伝統の力を使い「群れを害する」分に安んじない「ふとどき者」を除去できる。だからヤクザは植民地の外人ボスの寵児――寵犬で、その地位は主の下ではあるが、他の支配者たちの上にいる。
 勿論上海もその例にもれぬ。巡査は幇(ヤクザの組)に手は出せぬし、商店も自分の小さな資本はあっても、ヤクザに債権者になってもらい、配当をさし出さねばやって行けない。去年、文芸界にもそんな親分を戴く「文学家」が現れた。 
 これは最もひどい例だが、実はたとえ幇(バン)の友人でなくても、所謂「文学家」の多くはこれまで、「寵犬」の職分を尽くそうとし、掲げるスローガンはいろいろ異なっていて、例えば芸術至上主義、国粋主義、民族主義、人類の為の芸術だが、これは丁度、巡査の手中の銃砲が、前込銃、後込銃、ライフル、モーゼルなどそれぞれ違うのと同じで、究極の目的は只一つ:
反帝国主義、即ち反政府、或いは「反革命」とか、少しでも不平を抱く民衆を殺すためだ。
 あの寵犬派文学で最も騒がしいのは「民族主義文学」だ。しかしこれもスパイ、巡査、人殺しの手先たちの顕著な勲功に比べれば見劣りする。この為、彼らはまだ叫んでいるだけで、直接噛みつくほどにはなっていない。かつ大抵はヤクザほど精悍でもなく、フワフワと漂う死体にすぎない。だがこれがまさしく「民族主義文学」の特色で、それゆえにこそ「寵」を保てるのだ。
 彼らの雑誌には、前述したいろいろの主義を標榜する人々の寄せ集めだ。こ
れらを「民族主義」という巨人の手でつかんできたのか?いや、これらはもと
もと、上海のバンドに長い間浮沈していた死体で、色んな所に散見されたが、
風浪に吹き寄せられて一ヶ所に漂着し、堆積したのだ。それぞれの体が腐って
いるので、とても強烈な悪臭を放つ。
 この「叫び」と「悪臭」は遠くにも届くのが特色で、帝国主義にとても役に
たち、「王の露払い」と呼ばれ、浮遊死体文学はヤクザ政治と共存している。
2.
 上述の風浪とは何か?それは無産階級の勃興で巻き起こった小さな風浪だ。
以前の文芸家たちは半意識的、或いは無意識に自身の潰敗に気づき、自分を欺
き、人を欺いて、色んな美名で掩飾し、高逸とか放達(新しい言い方は「頽廃」)
と言い、裸女や静物、死を描き、花、月、聖地、不眠、酒、女をかいた。
旧社会の崩壊が明らかになり、階級闘争が激しさを増すと、自分たちの仇敵を
見、新文化を創造し、旧来の汚れたものを一掃しようとしているのが無産階級
で、その汚れたものというのは自分たちだと覚り、自分の上にいる支配者と、
その命運を共にすると覚り、帝国主義が采配をふるう民族の中で、順応する民
が建てた「民族主義文学」の旗の下に集まり、主人と一緒になって、最後の
あらがいをすることになった。
 従い、雑多でろくでもない浮遊死体だが、目標は同じで:主人と同様、あら
ゆる手段で無産階級を圧迫して自らの延命を図る。だが雑多な寄せ集めにすぎ
ず、これまでのオリをひきずっているので、宣言は発表しても何もそれらしき
作品も無く、宣言そのものもでたらめに寄せ集めただけで、依拠するに足りぬ。
 だが「前峰月報」5号にややはっきりした作品が出た。編者に依れば、これは
「閻馮軍討伐に参加した実際の描写」だそうだ。軍事を描いた小説は奇でもな
いが、奇特なのはこの「青年軍人」の作者が珍しく戦場での心情を吐露した
部分で、これは「民族主義文学」の自画像で、丁重に引用する値打ちがあり、

 『毎夜あのきらめく星の下、手に騎兵銃を持ち、虫のすだく音を聞き、四周
に無数の蚊が飛ぶと、フランスの「外人部隊」がアフリカの砂漠でアラブ人と
流血の戦闘をする光景を思い出させる』(黄遐震「隴海線にて」)
 元来中国の軍閥の混戦は「青年軍人」「民族主義文学」の目からは、同国の
人民が殺しあうのではなく、外国人が別の外国人を攻撃し、二つの国、二つの
民族が、戦地で夜になると、自分は飄々として皮膚は白に変じ、鼻も高いラテ
ン民族の戦士となり、野蛮なアフリカにいることになる。それだから、同国の
民百姓はみな敵に見え、次々に殺さねばならぬことになる。フランス人はアフ
リカのアラブ人に対し、民族主義からして元々何ら愛惜の必要もないから。
短いこの一節だが、大にして言えば、中国の軍閥が帝国主義の手先となって、
中国人民を毒害し屠殺するかを物語っている。なぜなら彼らは自分を「フラン
スの外人部隊」とみなしておる為で、小にして言うと、中国の「民族主義文学
家」はもともと、外国の主人と利害が一致しているのに、なぜ「民族主義」と
称すのか、読者の目をくらまし、自分たちを時にラテンやチュートン民族の様
だと感じているからだ。

訳者雑感:本編は長いので区切りながら載せる。
 植民地政府というのは、ヤクザを保護し育てて、自分の使い勝手の良い奴隷
猟犬にする。傭兵と同じである。モンゴルが元を建国したとき、使ったのが
色目人という目の色が漢民族とことなる胡人たちだった。1930年代の中国は
西欧列強+日本が、軍閥という傭兵とヤクザとを手足として中国を植民地に
した時代の頂点であった、と言える。それが頂点に達し、「民族主義文学」など
という御用文学が出てきて、しまいには日本軍に協力する者たちが現れた。
 ヒットラーに協力したフランス人も多くいたように、日本に協力した中国人
も多くいた。それが4-5年で天地がひっくり返って、中国におれなくなって、
国外に脱出した。文章を書いて生きてゆくことは苛酷なことだった。
   2011/09/23訳

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文芸新聞社の問いに答えて

文芸新聞社の問いに答えて
 ――日本が東三省を占領した意義は
 これは一面では日本帝国主義が彼の手下――中国の軍閥を鷹懲しているということ、即ち中国の民衆を「鷹懲」しているのである。なぜならば、中国の民衆は軍閥の奴隷でもあるのだから:
 もう一つの面でいえば、これはソ連への侵攻のはじまりであり、世界の労働大衆に今後も長く奴隷の苦境を受け入れさせようという方針の第一歩である。
    九月二十一日

訳者雑感;これは9月18日の満州事変勃発についての新聞社への答えである。
 日露戦争を日本の仙台から見ていた魯迅が、この満州事変を日本帝国主義が
中国の軍閥を鷹懲している、という表現は、日本語の新聞を欠かさず見ていたから出てきた言葉だろう。言うことを聞かないから懲らしめるというのだ。
この言葉はベトナムが言うことを聞かないからという理由で、中越戦争が起こった時にも中国側が発している。中国は大国でありその庇護の下にあると思ってきたベトナムが中国に反旗を翻したのだから懲らしめねばならぬ論理だ。
 今香港の報道ではベトナムやフィリピンなどの「小国」が南海問題をめぐって中国に歯向かってきているのは怪しからん、という論調である。
 一方、これは日本がソ連に侵攻するための第一歩だと認識している。日本は結局ソ連と戦って大敗し、四万人の戦死者と将官の切腹で北進を諦め、南進政策に転じることになったわけだ。もしもソ連との戦いに勝って、石油資源などを確保できていれば、南進や真珠湾攻撃は更に先送りになっていたやも知れぬ。
 魯迅の答えは、日本の新聞の論調をよく分析した上でのものだったろうから、
日本が満州事変で満州を占領しないと、ソ連が南下してきて鞍山大連旅順などの権益が脅かされると(本当に)心配していたに違いない。世論をそちらの方に向けることで、関東軍の増強を図り、5万から20万人に拡大したのだ。
 しかし司馬遼太郎が指摘するように、大平原を大量の戦車で攻めてくるソ連軍に対抗するような最新鋭の戦車の無い日本は、ソ連に大敗した結果、自分より弱い南方へ転進する。それが戦線の無制限の拡大となりオーストラリアからビルマ(ミャンマー)まで伸びた風船は、一気に破裂してしまった。
   2011/09/21訳

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上海文芸の一瞥

上海文芸の一瞥    8月12日社会科学研究会にての講演
 上海の文芸は「申報」に始まります。「申報」を語るには60年前に戻らねばならぬが、私はその頃は知りません。覚えているのは30年前で、当時「申報」は竹の紙に片面印刷していた。文を書いていたのはよそから来た「才子」たちだった。
 その頃読書人は君子と才子があり、君子は四書五経を読み、八股文を書くだけのまじめ人間。一方才子はそれ以外に「紅楼夢」など小説も読み、科挙とは関係の無い古今体の詩などを作った。言ってみれば、才子はおおっぴらに「紅楼夢」を読んだが、君子はこっそり読んでいたか堂か、知るすべもない。上海は租界があり――当時「洋場」又は「夷場」と呼んでいたが、差し障りを恐れ(同音の)「彝場」と書いた――才子たちは上海に来て、才子というのは闊達だからどこにでも出かける:一方の君子は外国の物に嫌悪感を持ち、まっとうな道で名を挙げようと考えていたから、けっして軽率なことはしなかった。孔子曰く:「道が通じないなら、筏に乗って海に出よう」である。才気に富んだ才子の眼にはそれが「迂遠」に見えた。
 才子は元来が多愁多病で、鶏の鳴き声にも腹を立て、月を見て傷心した。それが上海で妓女にであった。登楼すると十人二十人もの若い娘を一処に集めた。
まるで「紅楼夢」のような心地で、自分は賈宝玉のように感じ:自分は才子だから彼女は佳人で、才子佳人小説がうまれた。内容は大半、才子がこのような境遇に淪落した佳人を憐れみ、佳人も失意の才子を愛するようになり、さまざまな苦労を乗越え、結ばれるか、ともに神仙になるという物語。
 彼らは申報社の出版した明清の小品の発売に協力し、自分たちも同好会を作り、提灯に謎を書き、入選者にこれらの本を贈呈して普及させていった。叉、大作の「儒林外史」「三宝太監西洋記」「快心編」等も出した。古書店に時折その第一頁に「上海申報館仿聚珍板印」と押印された小冊子を今も見ることができるが、みなこれである。
 佳人才子の本は何年も流行したが、後には才子の心情も徐々に変化した。
彼らは佳人が「渇する如く才子を愛するがゆえに」妓女になったのではなく、
ただお金の為であることを知った。佳人が金を求めるのは怪しからん事だ。
才子はいろいろ考え、妓女を自分の意のままにできる方法を見つけた。只単に罠にかからないようにするだけでなく、逆に妓女からうまい汁を吸うようになった。この辺りの手管を書いた小説も現れ、広く流行したのは、登楼者向けの教科書として読まれたからだ。
 このての本の主人公はもはや才子+まぬけではなくなり、妓楼で勝を得た英雄豪傑、才子+ヤクザの情夫となった。
 これ以前に画報にはすでにその絵柄があり「点石斎画報」には、呉友如が主筆で神仙人物、内外ニュースなど何でも描いたが、外国事情にはとても疎く、戦艦を画くのに商船の甲板に野戦砲を載せ:決闘の絵は礼服を着た軍人がサローンで大刀を抜いて立ち会い、花瓶を粉々にしてしまう絵など。だが彼の「やり手婆の妓女いじめ」「ヤクザの助こまし」などが大好評だったのは、実例をたくさん見てきたためだろう。今でもしばしば彼の絵とそっくりな男女をみることができることから、この画報の勢力は当時大変なもので、各省にも広がり「時務」を知ろうとする(今でいう「新学」)人にとっては耳目であった。数年前「呉友如墨宝」として翻印されその後の影響も大きく、小説の巻頭口絵は言うに及ばず、教科書の挿絵としてよく目にする子供は帽子を斜に被り、つり上がった目で、凶悪そうな顔つきでまるでヤクザのようであった。
 今、新たなごろつき画家として葉霊鳳氏が出、葉氏の画は英国のBeardsleyからはぎ取って来たもので、Beardsleyは「芸術の為の芸術」派だから、彼の絵は日本の「浮世絵」の影響が極めて強い。浮世絵は民間芸術で、絵柄は妓女と役者で、太った体につり上がったEroticな目をしている。だが、Beardsleyの描く人物は痩せており、それは彼がデカダンス派だからである。デカダンス派は多く痩せてひょろっとしているので、健康な女性に対して後ろめたく感じたから、好きになれなかったようだ。
 葉氏の新しいつり上がった目の絵はまさに呉友如の古い型の目と合流し、長い間流行した。だが彼はヤクザだけでなく、一時期はプロレタリアも画いたが、労働者の目もつりあがり、特大のこぶしを突きだしている。私はプロレタリアを画く時は写実的にすべきと思う。労働者は元来の容貌にし、こぶしも頭より大きく画くべきじゃないと思う。
 今中国映画はやはり「才子+やくざ」式の影響を受け、出てくる英雄は立派だが、どうもずる賢く、上海に長く暮らした結果「ゆすり・たかり・かどわかし」のうまい若者と同じで、見た人をして立派な英雄になるには、ヤクザになるしかないと思わせるほどだ。
 才子+ヤクザの小説はだんだん衰退した。原因の一つはマンネリ化。妓女は金が目当てで、嫖客は手管を云々という筋書きはうまく書き終えることができない。二つ目は、蘇州方言のため倪が我とか、耐が你、阿是が「かどうか」等が多く、上海と江浙人以外には分からないからだ。
 然し才子佳人の小説で、当時一世を風靡したのがあり、英語の訳で「Joan小伝」(Haggard: Joan Haste)だが前半だけで、訳者の説明では原本は古本屋で入手し、大変面白いので訳したが、後半は入手できずやむを得ず前半だけとした由。果たしてこの本は才子佳人たちの心を捕えとても流行した。後に林琴南氏までも乗り出し、題名も元の「Joan小伝」のままで全訳したら、前の訳者から全訳してはだめだと罵倒された。Joanの値打ちを下げてしまい読者を不快にさせるという。それで先に訳出されたのが前半だけだったのは、原本が欠けていたためではないことが判明。Joanが私生児を生んだので故意に訳さなかったのだ。実際そんなに長編でもないので外国でも上下2巻になることは無い。
但しこのことから中国の当時の婚姻に対する考え方が見て取れる。
 この時、新たな才子+佳人の小説が流行し出したが、佳人は良家の子女で、才子と相思相愛、何が起ころうとも離れず、柳の陰、花の下で胡蝶のように、
鴛鴦(オシドリ)の如くだったが、時には厳しい親や薄命のため悲劇に終わるケースもあり、神仙にもなれず――これは実に一大進歩と言うべきだ。最近は白粉にも兼用できる歯磨き粉製造で有名な天虚我生氏の月刊「眉語」が出て、
鴛鴦胡蝶派文学の全盛時代を迎えた。然るに「眉語」は発禁となったが勢力は衰えず「新青年」が出てきてやっと打撃を受けるようになった。
 この頃イプセンの劇本が紹介され、胡適氏の「終身大事」(結婚の意)という別の形式が登場し、故意にというわけじゃなく、鴛鴦胡蝶派の命であった婚姻問題は、この結果ノラのように逃げ出してしまった。
 この後、新才子派たる創造社ができた。創造社は天才を尊び、芸術の為の芸術で、専ら自我を重んじ、創作を崇め翻訳を憎んだ。特に重訳を憎み、上海の文学研究会と対立した。発刊の最初の広告に、ある人たちが文壇を牛耳っていると指摘したのは、文学研究会を指していた。文学研究会は彼らと相反して、
人生の為の芸術を唱え、創作する傍ら翻訳も重視した。それは被圧迫民族の文学紹介に注力したが、それらの国は小さく、彼らの言葉を訳せる人がいないため、殆どすべて重訳だった。それ以前に「新青年」を声援してきた事もあり、
新しい仇が旧仇とあいまって、当時の文学研究会は三方から攻撃された。
 一つは創造社で、天才の芸術ゆえ、人生の為の芸術を唱える文学研究会は、
当然のことながら内容がつまらぬものばかりで「俗」っぽくて、さらには無能だと考えたから、一か所でも誤訳を見つけると、特別な長論文であげつらった。
もう一つは米国留学組の紳士派で、文芸は専ら旦那衆や奥方たちの為にあると考え、文人・学士・芸術家・教授・令嬢などしか登場させず、YesとかNoと
言えてこそ紳士の荘厳が保てるとして、当時呉宓氏は、なぜ一部の連中は下流社会の事を書くのか、全く理解できないという趣旨の文章を発表した。三つめは、先に述べた鴛鴦胡蝶派で、どういう方法を使ったのか知らぬが、書店の社長に「小説月報」を編集している文学研究会のメンバーを更迭させ「小説世界」を発行して彼らの文章を流布させた。この雑誌は去年になってやっと停刊した。
 創造社のこの戦は表面的には勝利した。作品の多くは既に当時才子を自任する人たちの気持ちに合致し、出版社の助けも得て、勢力も雄大となった。勢力が大きくなると、大出版社である商務印書館にも創造社員の翻訳書の出版をするようになり――郭沫若と張資平両氏のものだが、それ以来、創造社も商務印
書館出版の誤訳についてもそれを非難する専門の論文を載せなくなった。
 この辺のことは才子+ヤクザ式のように思います。しかし「新上海」は
「旧上海」には勝てませんで、創造社員は凱歌の一方で自分たちが出版社の商品だということを覚り、いろいろ努力してみても、社長から見れば、メガネ屋のガラスのショーウインドーの紙人形のまばたきする目と同じ「客寄せパンダ」に過ぎぬと覚ったのです。それで独立した出版社を作ろうとしたが、社長から
訴えられ、最終的には独立したが、全ての本を大改訂し、新規印刷のため新版をつくったが、社長の方は旧版を使って、ただ印刷して販売するだけですし、
毎年何とか記念とか言って安売りをしました。
 商品としてやってゆけなくなり、独立しても生計が立てられない創造社の人々の行く先は、当然希望の持てる「革命策源地」の広東でした。広東で「革命文学」という言葉が現れたが、作品は一つもなかった。上海にはまだこの言葉すら無かった。
 一昨年、やっと「革命文学」の名前が盛んに現れ、主唱者は「革命策源地」からやって来た創造社の元老と若干の新人たち。革命文学が盛んになったのは、
勿論社会的背景と一般群衆・青年に要求があったためです。広東から北伐を始めたころ、一般の積極的青年は、実際の任務に向かったので、当時はまだ顕著な革命文学運動はありませんでした。政治環境が突然変わって、革命が挫折し、階級の分化も非常に顕著になって、国民党は「清党」の名のもとに、共産党と革命群衆を大量に殺戮し、その死から逃れた青年たちは、再び圧迫される境遇となり、革命文学は上海で強くて激しい活動を展開したのです。従って革命文学が盛んになったのは、表面的には外国とは違って、革命の高揚に伴ってではなく、挫折によってなのです:その中の一部は、旧文人が指揮刀を手から離して、旧業に戻ったのや、実際の任務から排除されてしまった青年たちが、これで生計を立てるより、すべがなくなってしまったためです。だが彼らは既に社会的な基礎があったため、新人の中にも極めて堅実で正しい人もいた。当時の
革命文学運動は、しっかりした計画もなく、誤りもいくつかあったと思う。
例えば、彼らは中国社会について細密な分析をしていなかったから、ソビエト政権下でしか適用できぬやり方を機械的に運用した。叉彼らは、特に成仿吾氏は革命は一般の人に非常に恐ろしいことだと思わせるような一種の極左的凶悪な面を示して、革命が起こったら、あたかも非革命者はすべて殺されるような
ことをいうので、人々は革命に対して恐怖感を抱いてしまった。その実、革命は人を殺すのではなく、人を活かすのだが、この人々に「革命は大変きびしい物だ」と知らしめ、自分は只痛快がっているという態度は、どうも才子+ヤクザ式の毒にあたったのである。
 激すのが早ければ、冷めるのも早く、ひどいのは堕落するのも早い。文人は自分が変わった理由を弁護するために古典を引用する。例えば人の協力が欲しい時には、クロポトキンの相互扶助論を使い、人と争う時はダーウィンの生存競争説を使う。今も昔も凡そしっかりした理論もなく、或いは主張の変化に何の脈絡も無く、随時各種各派の理論を武器として使うのは皆ヤクザ的と言える。例えば、上海のヤクザは、田舎からきた男女が仲良く歩いていると「おい、お前らそんな風にしていると風俗を乱すから法に触れるぞ!」と脅すが、これは中国法を使ったわけだ。また田舎者が道で立ち小便をすると「おいここで小便するのは違反だ、交番につれて行くぞ」という時は、外国法を使う。いずれにせよ、合法違法の問題じゃなく、何ぼか金を巻き上げようとするに過ぎない。
 中国では去年の革命文学者は一昨年に比べると大きく変化した。これは固より境遇が変わったためだが、一部の「革命文学者」の身体には犯しやすい病根が内蔵されているからだ。「革命」と「文学」は不離不即の関係で、丁度2隻の舟が寄り添い、一隻は「革命」一隻は「文学」で作家は2隻の舟に足を広げている形だ。環境がちょっといい時は、革命の舟に重点を置き、明らかに革命家だが、ちょっと圧迫されるとすぐ文学の方に重点を換え、一文学者になる。だから一昨年の主張は大変激烈で、すべて革命文学でないものは一掃せよとされたが、去年になるとレーニンの好んで読んだゴンチャロフの作品も革命的ではなかったことを思い出し、革命文学ではなくても深い意義があると言いだした。
また最も徹底的な革命文学者の葉霊鳳氏は革命家を描くのにとても徹底して
いて、厠へ行く時はいつも私の「吶喊」で尻をふく由で、なんとも奇妙なことに、今では所謂民族主義文学家の尻の後ろにくっついているのです。
 似た例として向培良氏がいる。革命が漸く高揚してきた時は大変革命的で:
以前、青年はただ叫んでいてはだめで、狼の牙を露出すべきだと唱えた。それも悪くないが注意せねばならぬのは、狼は犬の祖先で、一旦飼いならされたら、犬に変わるということだ。向培良氏は今人類の芸術を提唱し、階級的芸術に反対し、人類には善人と悪人がおり、芸術は「善と悪の闘争」のための武器だという。犬も人を2種類に分け、彼を養ってくれる人は善人で。それ以外の貧乏人や乞食は彼にとっては悪人で、吠えるか噛みつくようになる。だがこれも悪いとは言えない。それというのもまだ少し野性があるからで、更に変わってしまうと狆になり、余計なことはしなくなるが、実は主人のために職責を全うし、正に今、俗事には一向構わず、芸術の為の芸術をという自称名人たちと同様、
大学の教室のお飾りとなる他ない。
 このように宙返りするプチブルはたとえ革命文学家になり、革命文学を書いても、革命をいとも簡単に歪曲してしまう:歪曲してしまうと革命にとっては
有害だから、彼らの変転は少しも惜しいことではない。革命文学運動の勃興時、
多くのプチブル文学家は忽然と変転した。その時この現象を説明するのに使ったのは突然変異説だ。しかし私の知る限り、所謂突然変異とはAがBに変わることで、幾つかの条件が備わっていて、一つだけ欠けている時、これが現れるとBに変わる。例えば、水は零度にならねば氷らないが、同時に空気の振動が必要だ。それが無いと零度になっても氷らない。空気が揺れると突然氷る。
従って、外面的には突然変異のように見えても、実は突然の事ではない。
もしこの条件が無いと、自分はすでに変わったといっても、実際は変わってはおらず、だから忽然ある晩突然変異したと自称するプチブルの革命文学家は暫くするとすぐまた突然変異して戻ってしまう。
 去年左翼作家連盟が上海にできたのは、一つの重要な事実だ。このとき既に
プレハーノフとルナチャルスキー等の理論が輸入され、皆で相互に切磋し、更に堅実に力をつけさせたが、正に堅実と実力をつけた結果、世界でも古今稀な圧迫と破壊を受け、この圧迫と破壊の結果、当時の左翼文学は、いよいよこれから大いに頭角を現し、労働者の献上するバター付きパンを食べられるようになると夢見ていた所謂革命文学家は、すぐ正体を表し、懺悔書を出し、反転して左聨攻撃に出、彼らは今年になって更に一歩進んだ見解を出すようになった。これは左聯が直接動いたからではないが、一種の掃討で、これらの作家は、変わろうが変わるまいが良い作品は書けないのだが。
 しかし現存の左聯作家は良い無産階級文学を書けるだろうか?私はとても難しいと思う。今の左聯作家はみな読書人―知識階級だから、革命の実際を書こうとしても容易なことではない。日本の厨川白村がある問題を提起している:
作家の書くものは必ず自ら体験したものでなければならぬか?自答して、必ずしもそうではない、という。彼は体験を通して推察できるという。だから泥棒も書くに自分で泥棒になる必要はなく、姦通を書くに、自ら私通する必要はない。だがこれは作家が旧社会で育ったから、旧社会の状況は熟知しており、旧社会の人間を見慣れているから、体験から推察できるが:それまで全く関係の無い無産階級の状況と人物について彼は書けないし、間違ったことを書いてしまうだろう。従って革命文学家は少なくとも革命と生命を共にしなければならぬし、或いは革命のいぶきを深く感受せねばなりません。(左聯の最近出した
「作家の無産階級化」のスローガンはこの点誠に正しい認識です)
 今の中国のこのような社会で一番望み易いのは叛逆的プチブルの反抗的或いは暴露的な作品です。彼は今まさに滅ぼうとしている階級の中で成長してきたから、大変深く理解しており、とても憎んでいるので、彼の振り下ろした刀は致命傷を与えるほど有力だろう。顔つきだけ革命的な作品もプチブルや資産階級を引っくり返そうとは固より考えもせず、却って彼らが改良できないので、
もう長くはその地位を保全できないと怨み失望するから、無産階級的見地からすれば、「兄弟墻に閲(せめ)ぐ」に過ぎない。両方とも同様に敵対している。
だが結果は革命の潮流の中の一つの泡沫にすぎぬ。これらの作品を、無産階級文学と称すべきではない。実際作者も将来の名誉の為に無産階級作家と自称すべきではない。
 しかし旧社会をちょっと攻撃するにしても、その欠陥をしっかり認識せず、病根を見極めねば、革命に有害で、今の作家は革命的作家と評論家も往往、社会を正視できないか、しようともしない。またその底の実態、特に敵とみなす相手の実態を知らないし、知ろうとしない。例を挙げると、以前の「レーニン青年」誌に中国文学界を論評して、三派に分け、まず創造社を無産階級文学派とし、大変な長文で紹介し、次は語絲社でプチブル文学派とし、論評も短い。
第三は新月社で資産階級文学派とし一ページにもならぬ短さ。これはまさしく:
この青年評論家は敵のことは何も言うことはないし、注意してみる必要も無いと表明しているのだ。本を読む時、反対者の物は同じ派の物を読むような心地よさ、爽快さ、有益さは当然無い:だが、一戦闘者としては、革命と敵を理解するために、面前の敵を更にもっと多く解剖せねばならぬと思う。
 文学作品を書くのも同じで、ただ単に革命の実際を知るだけでなく、敵の状況を深く知るべきだし、各方面の現況を知り、一歩進んで革命の前途を判断すべきだ。ただ古い事を知っているだけでなく、新しい物を見、過去を理解し、未来を推断してこそ我々の文学的発展の希望が見える。これは今の環境にいる作家は努力しさえすれば、できると思う。
 これまで話した様に、文芸はめったにないほどの圧迫と破壊を受け、飢饉の状態が広がっている。文芸はただ革命的のみならず、不平気味なもの、現状の問題を指摘するのみならず、旧弊を攻撃するものまで、往往迫害されている。
この状況はこれまでの支配階級の革命は、古い椅子の争奪に過ぎぬ事を説明している。排除した時、その古い椅子はたいへん憎むべき対象だったが、一旦手に入れると、とても大切なものに思え、と同時に自分はまさにこの古い物と、
気脈が通じていると感じる。二十数年前、朱元璋(明太祖)のことを民族の革命者だと皆が言ったが、実はさにあらず、皇帝になるや蒙古朝を「大元」と称し、漢民族を殺すことにかけては蒙古人よりすさまじかった。奴隷が主人になると「旦那」と呼ばせるのをやめさせようとはせず、偉そうな格好をするのは、
元の主人そのままで、ちゃんちゃらおかしいほどである。
 ちょうど、上海の奉公人が少し金を貯めて町工場を始めると、労働者の扱いが更にきつくなるのと同じだ。
 古い筆記小説(随筆的小品)に――名を失念したが――こんな話があった。
明代にある武官が、講釈師を呼んで故事を語らせたところ、晋朝時代の将軍、檀道済の物語をした。話し終わった時、その武官は、彼を叩くように命じたので、なぜですかと部下が問うた。答えは「彼は私に檀道済のことを語ったから、
きっと彼に私のことを言うに違いない」という。
 今の支配者の神経衰弱さもこの武官と同じで、なんでもすべて心配する。それで出版界もさらに進歩したヤクザを配し、人にはヤクザと見破られぬやり方で、実に凄まじいヤクザ方式;広告を使い、誣陥(ぶかん:誣告で罪に陥れる)
脅しを使う;それでひどいのになると、文学者の何名かは、安穏と利益のために、そうしたヤクザを師や義父と担ぎあげている始末。
 それゆえ、革命的文学者は眼前の敵に注意するのみならず、自分たちの仲間にも何回も寝返ったスパイに備えねばならず、すぐ簡単に文芸闘争の形をとってくるので、大変なエネルギーを費やし、その結果文芸にも影響を受ける。
 今上海には多くの文芸雑誌があるが、実際は無いに等しい。営利目的の書店は、災禍に遭わぬよう極力痛痒に関わりの無いのを選び、例えば「命は固より革さなければならぬが、余り革しすぎるのも良くない」式で、その特色は初めから終わりまで、見ても見ないと同じ。官製のや役所に調子を合わせる雑誌は、
作者は烏合の衆で共通の目的は原稿料で「英国ビクトリア王朝の文学」や、「ルイスのノーベル文学賞受賞」とか、自分でも信じていない論文、自ら重要とも思わぬ文章だ。だから今上海の文芸雑誌はすべて空虚だと思う。革命者の文芸は固より圧迫されており、圧迫する側の文芸雑誌は見るべきものもない。だが圧迫者は本当に文芸がないだろうか?あることはあるが、それは電報、告示、ニュース、民族主義的「文学」裁判官の判定文等がある。例えば数日前「申報」
に、女が夫を告訴し、ホモ(アナル)を強要され殴打されて青あざができたという。裁判官は法的に夫がホモ(アナル)を妻に禁ずるとの明文は無く、皮膚に青あざができるほど殴られたとしても生理的機能を損傷するとは言えず、として告訴を却下した。現在男は女を「誣告」で逆控訴中。法律は分からぬが、
生理学は少し勉強したからいうと、青あざができるほど殴られたら、肺、肝或いは胃腸の生理機能に損傷は無くとも、青くなった皮膚の生理機能は損傷を受けている。これは現在の中国で常に見られることで、奇異なこととも言えぬが、
社会の一現象を理解できる点で、平凡な小説や長い詩に勝る。
 この外、所謂民族主義文学と、もうだいぶ前から話題になっている武侠小説の類は、より詳細に解剖すべきだが、今回は時間の都合で次の機会とし、本日はこれまでとする。

訳者雑感:訳者が学んだ学校に中国からやってきた先生が二人いた。
一人は金先生といい、満州族出身で巨漢だった。本物の北京官話を使い、巻き舌もきれいだった。彼が幼少のころはやはり八股文的なものを作るための教育が残っていて、学校に行くようになっても「紅楼夢」などをおおっぴらに読むのは憚かられていたそうだ。そんなものを読むのは「できそこない」だといわれるので、親や先生に見つからぬように注意して読んだ由。それゆえにとても面白くスリルもあったのだろう。
 日本で高校の古文の授業を教えてくれた石川先生は、古文の授業といっても
先生は何もしゃべらず、わら半紙を配って、「源氏物語」を口語に訳して半紙に
書いたものを提出するだけだった。教科書の注と古語辞典を使って自分たちのしゃべっている言葉に置き換える作業だった。
 最近の中国の高校の教科書から魯迅が消えて、金庸氏の「武侠小説」が取って代わったという。「紅楼夢」はどうであろうか。
 日本では、源氏物語や近松の作品など男女関係の物語が教科書に取り入れられ、それに興味を持った学生はさらに自分の嗜好にあった作品を図書館や書店で買って読むのが一般的だ。
 中国では、金庸氏の作品が話題になるようではあるが、男女関係の物語が、日本のようになることがあるだろうか。今の中国の高校は有名大学へ入るための昔の八股文を作ることに精神を費やした書生たちと同じように思われる。
 救いはテレビや漫画だろうが、文芸作品としての古典ではないようだ。未だに中国で高校生が「紅楼夢」迷になるのは公にはできないことだ。
  2011/09/20訳





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温首相「権力集中、変えるべき」

温首相「権力集中、変えるべき」 政治改革を訴え

 中国の温家宝首相
 【北京共同】中国の温家宝首相は14日、遼寧省大連市で開幕した世界経済フォーラムの会合で「(中国共産)党が政治を代表し、権力が絶対化され、(党に)権力が過度に集中していることを変える必要がある」と述べ、政治改革に取り組むべきだと訴えた。新華社が伝えた。温首相はこれまでも政治改革を訴えてきたが、共産党の絶対的な権力抑制の必要性にまで踏み込んだのは異例。
 中国では経済発展で市民の権利意識が高まっており、温首相は改革の必要性は「いま差し迫っている」と指摘。「党や国家の指導体制を改革すべきだ」として、党内民主化を促した。

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温首相は共産党を改革できるか

9月14日の大連ダボス会議で、温首相は過去10年の中国の経済的国力の発展を自信をもって
発表した。5-7位くらいであったいろいろな指標が、10年で飛躍的に伸びて2位とか1位に近くなった。
そんな急激な発展の陰で、国内問題は深刻さを増しており、それは権力が共産党一党に集中していること
から来ているとの認識をしめした。今年の初めにも同様のことを述べており、これは彼と彼を支える国務院の
持論であろう。
国務院を日本の行政をする内閣にたとえるなら、ねじれ国会の参院にたとえられるのは何だろうか?
それが共産党だというのは 乱暴過ぎよう。なぜなら共産党で選出したのが温首相以下の国務院だからだ。
しからば、彼が権力集中を改革せねばならぬ、という対象は誰か?
それは他でもない、解放軍をバックにした勢力に違いない。
解放軍と言う名前は中国人を外国と国内の圧政から解放するために作られた、共産党のための軍隊で、
いまだにその名を変えていないのは、これはあくまでそれを基盤としてきた一大勢力が、手放さないからだ。
首相の手には解放軍の指揮権は無い。指揮権は軍事委員会が離さないのだ。トウ小平はそれをしっかり
握っていた。朱、温両首相はたいへん優れた首相だと尊敬しているが、彼らが推進してきた改革にブレーキを
かける勢力が隠然としてあるのだ。それは既得権益という甘い汁を絶対手放したくないグループである。
朱、温両首相が中国では珍しい「清官」であるといわれているが、「清官」の周囲で伝統中国の「官」の位に
就くことで、巨額の賄賂をむさぼっている連中が、次から次へと生まれているのだ。
7月の鉄道事故の際、すぐに来れなかったのは病気で伏せっていたからと説明したが、真相はどうか。
地震や洪水に対してはすぐさま見舞いに駆けつける彼が、遅れたのは病気だけではないだろう。

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暗黒下の中国文芸界の現状


暗黒下の中国文芸界の現状
   ――米国の「新しい群衆」誌への寄稿―
 今中国では無産階級革命文芸が唯一の文芸活動です。だがこれも荒野に芽を出したばかり、これ以外に文芸はありません。支配階級に属す「文芸家」はとうに腐敗し、所謂「芸術の為の芸術」と「頽廃」文学すらもうありません。
 今左翼文芸を抑圧するには、侮蔑・圧迫・拘禁・殺戮などを使い、左翼作家に対しては、ヤクザ、スパイ、走狗、首切り役人を使います。
 これは過去2年間の事実が証明しています。一昨年、プレハーノフとルナチャルスキーの文芸理論が中国に入って来た時、バビットの門徒で感覚の鋭い「学者先生」が憤慨した。彼は、文芸はもともと無産階級の物ではないとし、無産者は創作とか文芸鑑賞しようと思うなら、まず苦心して金を貯め、資産階級になるべきで、ボロ着の輩が花園に来て騒いではならぬ、との由。またデマを飛ばし、無産階級文学を唱える者はソ連からルーブルをもらっているという。この手口は一定の効果があり、上海の新聞記者たちは、ニュースを捏造し、具体的な金額まで記事にのせた。が、賢明な読者はそれを信じない。この種のニュースよりもっと切実な問題は、帝国主義国から無産者を殺すための武器銃砲が持ち込まれている事実です。
 支配階級の役人は学者先生より感覚は鈍いが、去年から日増しに圧迫を強めた。雑誌と本の発禁は内容が少し革命的なもの、表紙に赤い字を使った物、
作者がロシア人で、セラフィモヴィッチ、イワノフ、オグネフ等は言うまでも無く、チェホフやアンドレーエフの小説すら発禁状態。それで書店は数学の教科書や童話、例えばMr. CatとMiss Roseのおしゃべり、春は気持ちいいねなどの類を出すよりなく、――Zur Muhlenの童話の翻訳すら禁じられたから、春を賞賛するしかなくなってしまった。それでも将軍が怒りだし、動物がなぜ話ができるのか、動物をMrと称すのは人類の尊厳を損なう云々と。
 単なる禁止ではやはり根本的な処置はできないとして、今年に入って5人の左翼作家が行方不明となり、家族の捜索で警備司令部にいることが判明したが、
面会できず、半月後、再び尋ねたときはすでに「解放」――これは「死刑」を嘲弄する意――されたと言われたが、上海の中文・欧文の全ての新聞にも一切載らなかった。
 次いで、かつて新事物の本を出版したり取り次いだりした書店は、多い時には、一日5軒封鎖されたが、今は再開し、理由はなぜだか分からないが、広告には極力英漢対照で、例えば斯蒂文生(Stevenson)槐尓特(Oscar Wilde)等と印刷している。
 しかし支配階級は文芸を積極的に育てようとしないわけではない。一面では
何軒かの書店の社長や従業員を追い出し、自分の言いなりになる連中に後釜に押し込んだ。だがこれもすぐ失敗。というのも連中はすべて走狗だから書店はなんだか役所みたいになり、中国の役所は民衆が一番恐れ嫌う所で、当然誰も寄り付かない。そんなところへ喜んで足を運ぶのは暇を持て余している走狗だけとなり、こんな具合ではどうして活気が取り戻せようか?
 だが、もう一面では文章を書き、雑誌を出すのは、発禁された左翼的なものに代わって、十種ほど出たが、これもみな失敗した。一番の障害はこれら「文芸」の主催者、すなわち上海市政府委員と警備司令部の捜査隊長はらは「創作」より「解放」(死刑の意)の方がうまいとの評判が高いからだ。彼らが「殺しのテクニック」や「スパイの妙手」を書けば読む人はいようが、おしいかな絵画や詩の本を出そうとしている。これはアメリカのヘンリー・フォード氏が自動車を語らずに、歌を歌って聞かせるようなもので、聞く人は奇異に感じる。
 役人がやっている書店には誰も来ないし、雑誌を読む人もいない。その救済法として、有名な作家で左傾してない人を強制的に文章を書かせ、彼らの雑誌の流布を手伝わせた。その結果一二のいい加減な者がその計画に動員されたが、
多くの人は今なお書いてない。ある者は脅されてどこかへ身を隠してしまった。
 今彼らの中で一番貴重な文芸家は、左翼文芸が始まったころ、迫害を受けず、
革命青年に擁護されている時は左翼と自称しながら、今では彼らの指揮刀の下にはいつくばって転向し、今度は左翼作家を害している数人だ。なぜ貴重か?
彼らがかつて左翼だったから、彼らの何種類かの雑誌の一部は赤に通じるところがあるからだ。 しかしその中の労農大衆の図はBeardsley描くところの病人の絵に替ってしまった。
 こうした状況では、読者は凡そ旧式の盗賊小説や愛欲小説を愛読する者には何ら不都合はないが、進歩的青年は読むべき代物じゃないと感じ、やむをえず
空虚な話しばかりで極めて貧弱な内容の――こうしたものだけが発禁を免れている――本を読むほかない。暫し飢渇をしのぐというのみ。というのも官製の吐き気をもよおす毒のようなものより、空杯でも飲んだ格好するに如かずで、
少なくとも害はないから。ただ大部分の革命的青年は、今は何はさておき、非常に熱い心で左翼文芸を求め、擁護し、発展させようとしている。
 だから官製とその走狗の雑誌以外の他の書店の雑誌は何とか方法を講じ、いくつかの比較的急進的な作品を入れざるをえない。彼らも空杯だけでは長くは続かないことを知っているから。左翼文芸は革命的な読者大衆の支持があり、
「将来」はまさにこの方面に属しているのだ。
 こうして左翼文芸は成長を続ける。だが勿論巨石に押しつぶされた萌芽と同じで、折れ曲がりながらの成長である。
 残念だが左翼作家の中に、労農大衆出身者はまだいない。一つには労農大衆は暦来ただ圧迫され搾取され、教育を受ける機会が全く無かったこと:二つには、中国の象形文字―今ではとっくに形すらも変わって、似てもいないが――
という四角い文字は、労農大衆に十年二十年勉強させても、自分の意見を自由に書けるようにはならない。この状況は刀を持つ「文芸家」を大変喜ばせている。彼らは教育を受けてこそ文章が書けると考えており、少なくともそれは、
プチブルであり、プチブルは小さくとも自分の資産を守ろうとするだろうし、
今無産者の方に傾いているのは「いつわりの姿」に違いないと考えている。
それで無産階級文芸に反対しているプチブル作家こそ「真」の心から出ており、
「真」は「いつわり」より良いものだと考えている。彼らの左翼作家への侮蔑・圧迫・囚禁・殺戮はもっといい文芸だという始末だ。
 だが、刀を使った「もっと良い文芸」というのは事実上、左翼作家が正しく、
同じく圧迫・殺戮されている無産者と同じ運命をおっていることの証明であり、
左翼文芸のみが無産者と一緒になって苦難(Passion)を受け、将来は当然、
無産者と共に立ち上がる。只単純に人を殺すのは文芸ではないし、彼らは却ってそのために自分たちには何も持っていないことを宣告しているだけなのだ。
 
訳者雑感:
 これを訳している時、9月8日の日経新聞にエマニュエル・トッド氏の見方が出ていた。氏は1951年生まれ、76年に人口学の視点からソ連の崩壊を予見。2002年の著書「帝国以後」では米国の衰退を指摘、云々との紹介があり。
大意は、人口動態から世界の動向を分析するフランスの歴史人口学者として、中東・北アフリカの民主化運動「アラブの春」について、識字率の上昇などから必然的に発生した社会の変革との見方を示している。
 『背景にあるのは社会の変革であり、イスラム教とは関係ない。チュニジア・
エジプトなど多くの国で識字率の上昇と女性が生涯に生む子供の数(出生率)の低下という現象が表れ、社会の成熟を示していた。識字率上昇と出生率の低下に伴い社会では個人の自立性や政治への意識が高まる。(中略)民主化についてはフランスでも百年かかった』と述べ、記者が民主化は普遍的な流れなのか?
との問いに『その答えは中国が進む道が示すことになる。共産主義は“過渡期
の危機“と位置づけられる。毛沢東時代と比べれば、今の中国は民主化が進んだとみることもできる』と語っている。
 
 本編は、魯迅がスメドレーの求めに応じてアメリカの雑誌に寄稿したものだが、1930年代の中国には政府の弾圧によって、まともな文芸は無くなってしまったこと、そして革命文学だけが希望の光だが、これも漢字という支配階級の統治のための道具として、非常に習得が困難な煩雑な煩雑な文字のまま保たれて来たために、労農大衆は殆ど文盲で、意識改革を進めようとしても、まず文字の学習から始めねばならず、識字率の向上が先決だと考えている。
 1945年に日本が破れ、中国から撤退した後も、殆どの中国人は漢字を読めず、
文盲率は大変高かった(一説には70-80%)。それを大胆な簡略化により
更にはローマ字表記の徹底も図り、労農大衆も徐々に漢字を読めるようになっていった。
 訳者が1968年夏、3週間ほど広州から北京天津上海長沙南昌井岡山などを回ったとき、あらゆる場所で、紅い小冊子「毛主席語録」を声張り上げて50-60人の単位で読んでいる光景に出くわした。これが後の人たちが気づくことになるのだが、識字率の向上とともに、発音の同一化、即ち北京音を中心にした所謂「普通語」という共通語の普及に大きな役割を果たしたことになったと思う。
 上海の商店名の看板の漢字の下には、必ずローマ字で普通語の音が付け加えられ、上海語しか話せない上海人たちもその普通語の音を学習した。
魯迅が切望して止まなかった労農大衆の識字率向上問題は、林彪が解放軍兵士の学習の便宜を図るためにまとめたと言われる「毛主席語録」が10億人以上もの中国人の一人一人の手にわたり、それを毎朝、毎晩、何回も繰り返し声に出して読むことで、徐々に労農大衆の血と肉になったのだ。この点だけに関していうなら、文化大革命は識字率向上と共通の発音を広めたと言える。
 チュニジアから端を発したアラブの春は、識字率と出生率がもたらしたというエマニュエル氏の説に依れば、過渡期にある中国の民主化もチュニジアの
人々にならうことになろうか。チュニジアは出生率2人とアラブ世界で最小だった由。中国は30年間の一人っ子政策で、出生率は2人を大幅に下回っている。
同氏の説が正しければ、中国の春も遠からじ、である。
 フランスも革命後百年かかって民主化に成功したというが、中国は辛亥革命から百年経っているが、あれは王政を倒しただけで、その後の40年はナポレオンのフランスとは比較にならぬから、1949年の革命から百年必要かと思うと、
さびしいが、犬の年で進んできたここ数年を考えると、その何分の一かに短縮
できるかと期待する。
      2011/09/10訳
 
 

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中国無産階級革命文学と先駆者の血


 中国の無産階級革命文学は今日と明日の交わるところで生まれ、侮蔑と圧迫の下で成長し、最も暗黒なる所(秘密の処刑場)で、我々の同志の鮮血で以て
その第一章を書いた。
 我々の労働大衆はこれまで激烈な圧迫を受けて搾取されてきており、漢字習得の機会もなく、黙々と身を引き裂かれ、滅亡への道を歩まされている。難しい象形文字は、自力での習得を阻む。知識青年は先駆としての使命を感じ、真っ先におたけびをあげた。このおたけびは労働大衆の反逆の叫びと同様、支配者たちを震えさせ、走狗の文人たちは集団となって反撃に出、デマを飛ばし、スパイ行為をし、名を秘して闇の中で攻撃を始めた。だがそれは彼らが暗黒の中で生きる動物だということを証明したに過ぎない。
 支配者も走狗の文人たちが無産階級文学に太刀打ちできぬことを知り、発禁や出版社閉鎖という改悪した出版法をつくり、作家たちに通達を出し、更には叉最後の手段として、左翼作家を逮捕拘禁し、秘密の処刑場で殺し、今に至るも何の公表もしない。この点では彼らが滅亡しつつある暗黒の世界の動物だということを証明している。また別の面では中国無産階級革命文学陣営の力を実証しており、(5名の刑死者の)略伝が示す通り、我々の殺された数名の同志の年齢と勇気、なかんずく日ごろの作品の成績は、走狗どもが狂って吠えるのをしり込みさせるに十分の力がある。
 しかし、我々の数名の同志は暗殺されてしまった。これは無産階級文学にとっては大きな痛手であり損失で、大変悲痛なことだ。だが無産階級革命文学はそれでも成長してゆく。なぜならそれは多くの革命的な労働大衆の物であり、
大衆が一日ごとに成長するのと同様、無産階級革命文学も共に成長するからだ。我々の同志の血は無産階級革命文学と革命的な労働大衆が同じように圧迫され、惨殺されたが、共に闘う共通の運命にあり、革命的労働大衆の文学だからだ。
 今軍閥の報告によると、60歳の老婆すらも「邪説」に毒されており、租界の警官も小学児童に対しても、時に検査する由:帝国主義から得た銃砲と走狗以外に、彼らのところには何も無い。すべての老人子供も――青年は言うに及ばず――彼らの敵なのである。彼らにとってのこうした敵は我々の側なのだ。
 我々は心より哀悼し我々の戦死者を肝に銘じて記念する。中国無産階級文学の歴史にはっきりとした第一頁をしるす。同志の鮮血で記録されたものは永遠に敵の卑劣さ、凶暴さを示し、我々のたゆまぬ闘争を啓示する。
 
訳者雑感:本編は出版社の注に、雑誌「前哨」の「戦死者記念特別号」にL.S.という署名で発表されたものという。この特別号が中国プロレタリア革命文学の重要な第一章になることを確信しているとの「檄」である。
 魯迅が指摘するのは、左翼作家を暗殺してでも自分たちの権益を守ろうとする支配者たちは、暗黒の世界で動き回っている動物に過ぎず、彼らに明るい未来などあり得ない。彼らに抑圧され搾取されてきた労働大衆の側にこそ、明るい将来があるのだ、と決して悲観してはいない。魯迅の書いたものは悲観的だと指摘する人もいるが、この文章で見る限り、彼は楽観しているように見受ける。なぜなら、軍閥政府の報告によると、60歳の老婆や小学児童ですら軍閥政府にとっては敵とみなさねばならぬ程、彼ら自身が暗黒の世界にいるからであり、老婆や小学児童は労働大衆の側にいるからで、これは彼にとって大きな救いであり希望である。軍閥政府と走狗たちに明日は無い。今日と明日の交わるところで、労働大衆の未来が生まれる、と確信している。
2011,9,7.

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