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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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両地書23

両地書23
 魯迅師:
 5月19日発信早くに拝受したのですが、お会いした時にそのことを申し上げて、今までそのまま返事が出せずにいましたが、やっと整理がつきましたので何句か書きます。
 今日(27日)の新聞発表の宣言を拝見し、「立ち上がって声を出した人がいる:のを知り、それも7人の多さです。力限りの声を出した時に、軍火で加勢していただいて、気力を増大できました。ただ、戦線はますます拡大し――「辰報」はこう見ています――先は長いから、熱心な先生方に面倒をおかけすることになり、うれしい反面、恐ろしくも感じます。
 今日7時間目の文字学の時、沈兼士先生が出席確認時、私の名前が墨刑(黒塗り)を受けていることが分かり、同級生たちはとても不満を持ちましたが、多くの楊党の女学生たちはこれに満足していた様です。3年間の同級の感情は、一筆で取り消し、態度も一変、知らんふり。何と言ったらよいでしょうか!週番の2人が薛のところに行って詰問したら、答えは校長事務室からの通達を奉じたものだ、と。事務室はすでに久しい前から封鎖され、この紙切れがどこから出されたか、問わずとも分かります。臨時事務所からの通達で、太湖飯店から出したもの。きっと姑然として自居している楊氏は、何名かの学生が校内にいるのが我慢できず、双方が共に傷つかねば満足できず、多分このために数日内にひと騒動起こるでしょう。
 先生の「世界は本当にこんなものにすぎないのか…?」を読み、私の血気はすぐ小鬼のごとき青年を起伏させ、即座に氷のように冷たいストーブに石炭をくべて真っ赤に燃え上がらせました。しかしこの句は小鬼に対して言われたものでしょうか?ご自身も同じように思われたのでしょう。しかし別の面からどうも何か「自分が見えなくなってしまう」とか「畳の上で死ぬ」とか念じて死を迎える話はよく耳にします。小鬼はこういう話を聞くのが嫌いです。私の経験から言うのですが、子供のころ30歳くらいの兄が死んだ時、街中で同年代の人を見ると憎んだりしました。なぜ彼は死なないで私の兄だけ死ぬのか、と。60歳近い慈父が亡くなった時、どうして父だけが早く死に、街で白髪白ひげの人が乞食をしながら生きているのか、と憎らしく思いました。この他、自分の関係する人が死ぬたびに、私と関係のない人が生きているのが憎かった。彼らの死で私は死の寂しさを深く感じ、一切すべてを無何有郷(何もない所)に付しました。女師大入学1年目、私は猩紅熱で殆ど死にかけました。しかし自分の身の危険と死の空虚が鞭を打つようにある考えを形作らせました。それは:人は老幼に拘わらず、いつかは死ぬ機会に出会う。しかしまだそれに合わぬ限り、何であれ自身を廃物とみなして、利用できる限り利用する。目に見えるかどうかに拘わりなく、大往生するか否かなど構わない。考えるとしたら、根本から治す方法で、医者の言う通りにし:1.大酒を控え:2.煙草を減らすことです。
 「莾原」がより多くの慷慨激昂の文を載せるのを望みます。読んだ人を「腹いっぱい飲んで」満足させる文です。近来どうもやや綿入りの靴に厚いレンズのメガネをかけているようです。これも私の切に望む点ですが、ついつい要求が厳しくなるのでしょう。私もなんら痛哭流涕の文を書けず、今期は何とか出そうと思っており、ご飯を食べる暇もない師の時間を作りだそうとしているのです。でも自私の気持ちが抜け切れず、他の用事も出てきて、なかなか筆がとれません。けしからぬ奴だとお思いでしょうか?
   5月27晩     (この後、1通の置手紙欠如)

訳者雑感:兄と父を早くに亡くして、街で二人の年齢に近い人たちが暮らしているのを見て、憎いと感じるほど、というのは許広平の特別な感情の起伏の表れだろうか。それにしても根本から治すという箇所で、魯迅の酒とたばこについての忠告は「女房気取り」というか、もうこの頃から魯迅の煙草は体に悪いと本人も自覚してはいたのだろう。
    2016/09/04記

 

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両地書22

両地書22
 広平兄:
 手紙2通共に拝受。一通中に原稿あり、当然例の通り「感激涕零」して拝読。小鬼の「中途半端な話が嫌い」だそうですが、私はどうやら中途半端な話を好む癖があり、本来詳細明解な「朱老夫子論」を送り、指正を仰ごうと思っていましたが、心が乱れ時間もありませんでした。手短に言えば即ち:彼が歴来歩んだ道は最も穏健な道で、小さな冒険もせず、だから彼の偶然の話も責任を負わぬもので、他の人がそのために禍に逢っても、何も声を発しないのです。
 群衆はこんなものなのは昔からのことで、将来もきっとこんなものに過ぎないでしょう。公理と事の成敗は関係ありません。だが女師大の教員は大変かわいそうです。ただ、暗中に活動するのを見、立ち上がって話をする者はいない。近来私は□先生が西山に赴かれたのも些か懐疑的でしたが、丁度タイミングだったのでしょうから、それを疑った私は神経過敏なのでしょう。
 私は今、話す人とものを書く人は役立たずの人だと一層確信するようになり、貴方の話が、如何に理があり、文が人を動かそうともみなうつろに思います。彼らはたとえなんの理がなくとも、事実上は勝利を得る。しかるに世界は本当にこんなことに過ぎないのだろうか?私はあらがい、試してみたい。
 犠牲については、2―3年前の北京大から除籍された馮省三を思いださせる。彼は講義プリント騒動(有料化)を起こした一人で、後にプリント代は撤回され、もう誰も彼のことを提起しなくなった。あの時「晨報副刊」に雑感を書いた意味は:犠牲とは衆の福を祈って、紙に祀られた後、衆は彼の肉を分け、お下がりとして食べてしまう、ということです。
 学校当局は学生の家族に電報で通知したというが、大変悪辣な事だと思う。教員たちは事件の真相を説明するように宣言すべきで、何人かはそれができるのです。だが誰もこの責任を(署名して)取らないなら、たとえ校長が追放され、学生が回復しても、学校を去るに如かずで、全校に人がいなくなったら何を学ぶというのだ。
   魯迅5月18日
訳者雑感:魯迅も最後には覚悟を決めたような強烈な文章で終わっている。
犠牲とは、という段は、私もシンガポールの下宿先の一家の法事(宗家の祀り)に参加させてもらって、神棚の前に供えられた丸ごとの羊を祀りの終了後、祭司が刀を入れ、皆に分け与えて、家に持ち帰って食べたのを覚えている。生贄、犠牲、日本では、尾頭付きの大きな鯛をお供えして、祀りの終了後包丁できれいにさばいて、皆が活き造りの刺身として喜んで食べる。羊と鯛はいずれも同じような意味を持つのだろう。日本人にはびっくりする点が多いが。
   2016/08/31記

 

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両地書21

両地書21
 お腹いっぱいに溜まった懐疑はどこへも訴えるすべがありません:「編集後記」を読んで、覚えず何か申し上げたくなり、忙中閑を偸んで書き始めました。我が師が「感激涕零」してお読みいただけるかわかりませんが。
 群衆は浮躁かつ性急で待つことができません。忍耐もできず、衆寡敵せず、おのずと日が経つにつれ変化は免れません。激発するともう収拾できなくなり、かつ又孤立無援で、考えの単純な学生は確かにお金を持っている相手に対抗できません。後ろ盾を持つ「凶獣のような羊(楊氏を指す)」にはかないません。6人の退学は惜しんでもしょうがありません。学校は今後どうなるのでしょう? 
 今日の教訓は衆の頼むに足りぬこと、利口な人ばかりが多くて、公理はついに強権にかなわず、「手を緩めぬ」秘訣が「凶獣のような羊」に重用されたこと。
 犠牲はどんな人にも勧められません。「凶獣のような羊」を放ったままで駆逐しないのは、血気のある人々には耐えられません。
 果たして本当に駆逐できるでしょうか?無益な犠牲しか残らないのを恐れます。
 呪うべき自分自身!
 呪うべき万悪の環境!
    小鬼 許広平   十七・五。

編集後記:衆は頼むに足らず。この当時も考えの単純な学生は、お金(ポスト)を持った強権に対して、何の反抗もできぬくらい、体制派に取り込まれてきたのだろう。
   2016/08/29記

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両地書20

両地書20
 魯迅師:
 5月3日、8日付貴信と「莾原」3号拝受。今やっと返事を書き始めたのですが、この数日大小さまざまなことがあり、寂悶の気分に火花を添えました。
 薪の山にマッチを放れば、燃え上がるに決まっています。5・7の日、章宅
の事情は、我が校とはるか離れてはいますが、やはり呼応しているのです。同じように、この「学風整頓」の下で、命の犠牲、学業放棄は、まことにこれ以上小さくしようのない小事です。これが何だというのでしょう!どうしたって高圧時代の必然の結果です。
 教育当局も大変なお笑い草です。いろいろな新奇な省令は、章宅への攻撃を刺激し、死ぬものは死に、逮捕されるものは逮捕され、失踪者は失踪し、恐れるものはとうに身をかくし、意趣に迎合し学生圧迫を歓迎するものは、喜びながらこれを鼓舞し始めました!今日(5・9)学校は6人の退学を公示しましたが、私はこうなるだろうと思っていました。5・7の日、講堂に楊氏が警察を呼んだ時、私は心中で思いました。捕まったらそれはみんなの命を請うた罪とされたのだ、と。個人としては終始なんら威に屈せず、利に惑わされず、私の不屈な気性は持って生まれた態度を保持できているので、これで私は師長や親友に合わす顔を持つことができるのです。師長親友が私を喜んで受け入れてくれるところです。この一枚の空虚な公示、退学除籍はあの地面いっぱいの漆黒の染料甕だと悟らせ、それを打ち壊す運動を緩めてはならぬと悟らせました。現在の教育部の要人のいる所と、本校はみな次々に発火し、きっと焚焼し始めるが、消防隊の力が大きいと、消されてしまうだろう。だが、こういう芝居は常に演じられてきたが、今後はどうなるだろう。
 「莽原」に非心の名が出ました。この仮名は以前なら少し意味もあったようですが、今は時代が違い、「心」という文字のある文学家の旗の下で、私はみだりに竿を差すに値しませんし、また本物に見せかけようとか、流行に乗るような恐れもあり、前回先生に「ご自由に」とお任せしたのですから、勿論黙認ですが、以後は改めるかもしれません。この意志薄弱、すぐ動揺するのは実におかしいと思われるでしょうね。
「莽原」は確かに勃勃と生気がありますが、やはりまだ激烈に深くは浸透しておらず――とりわけ第2号はさらに穏重な感じがします。平明なのは意味深長とは思われず、含蓄も観衆はなかなか十分理解するのは難しい。一つの刊行物をいろんな人の口に合わせるのは容易なことじゃないですね。
原稿を募り「感激涕零」更には「……に堪えない」とおっしゃるのはハハハ。元来殿方たちの涕泗滂沱というのは、娘たちの「さめざめ」と泣くより何万倍も甚だしいのですね。「即ち、この涙有りても進化はない」、「…を泣いても…一切無用」と認められながら、なぜまた「涕零」されるのですか?まさか「涕零」は傷風の一種じゃないでしょうし、「涙」と「泣く」は無関係ですか?先生私はほんとに分かりません。
「髭の長い」は「哀れむ」べきですか?これは人を殺しても瞬き一つせぬ精神と相反しませんか?敬老とはそもそも老いを憐れむことですか?私には欠点があり、中途半端な話を聞くのが嫌いで、気がふさぎます。だから「もっと長くきっぱり罵倒する」のを聞きたく、どうか「顧忌」せずに私に一杯のアイスクリームを飲ませてください!
 小鬼 許広平  5.9晩

訳者雑感:この書簡の往復された時期に、教育省のトップ章士釗の家に北京の各校の学生たちが国恥記念と孫文哀悼のデモに集結した。それが学生たちの愛国運動と軍閥政府の弾圧が激しさを増していった。それが5・7女師大事件となってゆくのだ。五四運動といい、この5・7、それに最近の6・4とか、北京ではこのころに学生運動が活発化するのは、気候にも関係するのだろうか。
 2016/08/28記

 

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両地書19

両地書19
 広平兄
 4月30日付貴信拝受。なにはともあれ、まず朱老夫子の「匿名論」を攻めましょう。
 さて朱老夫子は私の古い同級生で、彼の骨身を惜しまぬ研究と、長期間にわたるたゆまぬ態度は真に敬服しますが、それは只古学の一端だけで、世事を論評するのはすこぶる迂遠だと思います。仮名に対する非難はその最たる偏見の一部です。これで人を貶め傷つけるのは、それこそ「無責任で、人のせいにするものです」人権がまだ確実に保証されていない時、両方の力関係の衆寡強弱が極めて大きくかけ離れているときは、別途論ずべきです。例えば、子房が韓の仇を討つ如く、君子の目から見れば、蓋し秦の始皇帝に手紙を書き、両人が素手で決闘するよう求めるべきで、それこそ理にかなうとするが、博浪の一撃で、その後十日探しても見つからず、後世に亦「無責任」だと思われないのは、公私が異なることを知っており、強弱の勢いもまた異なり、一匹夫では如何ともしがたいのを理解しているからです。況や、今の権力者はいかなる輩か?彼らは責任の何たるかを知っておりましょうや?「民国日報」の件も故意に一カ月以上引き延ばし、やっと裁判でこんなに思い罰を下し、何日も大声で叫んだ人は、一方的に責任を取らされ、子供を裸で虎穴に放り込むようなとんでもないことじゃありませんか?朱老夫子は平安に暮らしているのは「蕭梁旧史考」で責任を負うかは問題じゃなく、なんら関係も無いからです。彼の侃侃の談は、将来、共和が実現した後の参考に供すまでに過ぎない。今言うならば私は目的が正しければ――ここでいう正しいか否かは当人の判断によるが――どんな手を用いてもよく、細かな仮名か本名かは小事です。これが私の窓の下(書斎)を指し、そこで生きている人の墳墓だと呼ぶ所以で、人々に中国の本は多く読む必要はないと言う所以です!
 元々もっと長く、はっきりと罵倒の文句を考えていましたが、些か顧忌する所あり、またあの長い髭を哀れみ、ここらでやめましょう。それで話は一転し、「小鬼の仮名問題」。あの2つの「魚と熊掌」は貴方の好物とはいえ、論述に使うのは宜しくないと思う。本名は無聊な煩わしさを招くので、固よりダメだが、滑稽に近すぎるのも論文の重さを減じるから良くない。貴方の多くの候補の中から「非心」はまだ使ったことないということで、「編集」兼「教師」の権威でこれにしましょう。もし不満なら、急いで抗議してください。まだ間に合いますので火曜夜までに連絡ください。痛哭流涙の抗議が無ければ、即黙認とみなしますので、そうなったら速馬を跳ばしても追い付きがたいでしょう。そして今後の文章には細心の署名をしてください。「忙しいので」」一任しますは許しません!
 試験問題がやさし過ぎたのは固より、私の失策ですが、まだそれを救う手が無いわけじゃない。その方法は即ち「若旦那」と呼び、「細心」に風刺することで、その効き目の大きさは罰点2回に相当します。現在果たして慷慨激昂して「全力で争う」ということで、七行の文を書き、それに費やした力は大変だったでしょう。私の報復計画もどうやら一部は達成できたとし、「若旦那」の呼称は暫くひっこめましょう。
 歴来の「婦週」は殆ど一種の文芸雑誌で、議論が少なく、偶々あっても大して良いものではなく、前回の一篇もお笑いです。彼ら諸公に「他と比べてみては」というのも悪くないでしょう。が、我らの「莾原」もとても貧弱で、寄稿の多くは小説と詩で、評論は大変少なく、注意しないとすぐ文芸雑誌になってしまいます。私は「編集者」と呼ばれていい気になっていますが、毎週文章を書かねばならず、大変苦痛です。これは昔の学生時代の週間試験みたいです。もし論文ができたらどしどし投稿してくれたら大変幸いで、感謝感涙します。
 裁縫先生は来なくなったそうです。裁縫のうまい人を探すなら、北京にはたくさんいますから、電報で招かなくとも、波のごとく押し寄せるでしょうが。今回の人は聡明なのでしょう。後任者は今のところやはり奥さん方の類でしょう。でもそれは大した問題ではなく、モーゼル銃を使うまでもないでしょう。「女性が女学校の長になる」のは社会の通念で、章士釗も社会と争うなどあり得ないことだし、でないと章士釗が章士釗でなくなってしまうでしょう。旦那衆たちには適任者はいないし、有名人も来ないし、来ても必ずしもうまくやれるとは限りません。思うに:校長というのは、余り有名でなく、本当に仕事ができる人に任せるべきですが、目下のところ誰もいません。私も「打たれる前に白状」できます:東の架上の箱には確か本があります。だが私はもう廃止された試験方法は使いません。報復しなければならぬ時は、「若旦那」の尊称をつければ十分です。  魯迅 5月3日  (5月8日分、欠如)

訳者雑感:原文に「此我所以指窓下為活人之墳墓、而勧人們不必多読中国之書者也!」とあり、この窓の下で生きている人の墳墓だとして、そんな人たちのあれこれ言うことを気にするな、とペンネームを非難する老人を罵倒している。
 窓の下で生きている人、というのは古い本ばかり読んでいる所謂「読書人」なのだろう。それで、「これが私の窓の下(書斎)を指し、そこで生きている人の墳墓だと呼ぶ所以で、人々に中国の本は多く読む必要はないと言う所以です!」となるわけ。しかし魯迅も子供のころから大量の古書を読み、読まされてきて彼の文章には大量の古典からの引用があるのも事実だ。違いは何か?やはり古典を読んでなければ、人を納得させるだけの力量は生まれないだろう。
   2016/08/25記

 

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両地書18

両地書18
 魯迅師:
 忙しくて原稿に名前を「捏造」する間もなかった為、3つの「且また」を頂戴し、最後に「なお且つ」「許さぬ」の一句まで添えられて誠に、「師厳然とし、道尊し」の句の通りとなりました。
 先に「晨報副刊」で「愛情の法則」を討論した時、私は「非心」の名を付けましたが、編集者は「維心」と訂正してくれました。こうした先生方の「細心」を知り、本当に小さなことではないと悟りました。今先生は署名を忘れた結果、このように「細心」に注意してくださり、編者というのは本当に大変な仕事ですね。これ以外に「帰真」「寒潭」「君平」…などの名も使った後、多くはすぐ棄ててしまいました。多分投稿で売名する人の心理の可笑しさに鑑み、それを矯正しようなどとした、迂遠で陳腐なことをしました。今週火曜に朱希祖先生の文学史で、人が仮名を使うのは責任を取らずに人のせいにする為だという説を聞きました。これも一理あるでしょう。思い切って事に当たるというのも不可欠の心構えです。それだと発表するなら許広平の3字でしょう。なぜか分かりませんが、この3字を好きではありませんから、たくさんの名を「捏造」する癖もあり(以後はこれを改めようとも思っていますが)今回は「西瓜の皮」とします。(クラスメートたちは略皆あだ名があり)この3字はとても滑稽です、「小鬼」も斬新で、これは今とても気に入っています。魚にするか熊の掌にするか、取捨が難しく、やはり「先生の御随意にお願い」します。「スマートに収める」というのは、用途も広く、特に「網に穴をあける」とき、先生はなんら制限する必要はありません。
 前段は確かに意味がなく、現在正式に「この一段の削除」を求めます。それに、他に良い原稿があれば、どうか拙作を「差し押さえ」たら読者の佳作を読む機会が減るのは、私の良心としては遺憾ですから。
 現在確かに「力で争う」時です!「兄」と尊称され、年も「耳順」のいい年で、何はともあれ、奇妙なロジックで、「授業をサボろうとする少年」に唐突に「若旦那」という2字をつけたのでしょう?「お嬢さん」と呼ぶのは固よりその清潔さを汚し辱めますし、「若旦那」と尊称するのも光栄とは思われません。こういう文字は消すのが良いのです。赤い靴、緑の靴下、顔中にクリームをつけたモボの服を着た「若旦那」など、私は「大嫌い」ですから、どうぞもう人を困惑させないでください。人をそういう連中のなかに入れないでください!
 司空蕙は「婦女週刊」の権利を放棄し、陸晶清に交代を要請したのは明らかです。ただ、晶清は数日前に雲南から「父死す、すぐ帰れ」の電報を受け取っていたのです。彼女の実家は13歳の若い弟と継母だけなので、帰郷して生死の問題を処理せねばならず、何と不幸なことでしょう!こんな時にこんなことになろうとは。我々は彼女に速く戻って来るように勧めたが、「明日のことは誰も分からぬ」で「婦週」本体にも何らかの影響が及ぶのは必至です。晶清は本人もまだ身の丈ほど多くの著作は無いが、新詩のほかは、論述や抒情小説は性格的にあわないようだが、交遊は広く、いろんな所に材料を提供してくれる人も多いから、「婦週」は、この後何号かは支持されるでしょう。今は彼女がいなくなり、多分純陽性な作品が(波微一人を除き)「婦週」を占領するでしょう。
これは北京の女性界としては感慨深いことです――といっても、実は何も感慨すべき点もないのですが。
 裁縫の先生が来て校長になるから、我々は女紅(女子工)専攻になれる!!!これからは、龍や鳳を描き刺繍し、それはまた別の美術教育、徳育でしょう。しかし、この夢が実現するかどうか知りません。どうなろうとも女性が女学校の長となるという成見は、モーゼル銃で一発くらわすべきです。にっくき限り!
「何たる老嫗、これを生みしは…」!
 試験の問題は間違えました。もし「書架の上の小箱は何ですか」なら多分白紙答案でしょう。幸い試験期は過ぎたのでもう「打たれる前に自白する」のを防げません。回答するなら私は劉伯温が焼餅で占うような聡明さは無いので、書籍だと答えるしかありません。これでは零点ですか?
   小鬼 許広平  4月30晩

訳者雑感:魯迅は大変多くのペンネームを使った。これは官憲に逮捕されるような危険から身を守るためでもあったが、一つ一つ心をこめた意味を持っている。魯迅というペンネームが最終的なものになったが、辞書には、4つの項目があり、①粗野、細心でない②遅鈍、魯鈍 ③旧国名(山東)④姓 (彼の母方)
があり、迅には迅速など機敏な意味がある。この魯と迅を合成したのだ。この辺は漱石など日本の作家のペンネームを参考にした可能性もある。
 許がペンネームについていささか「いい加減」なのをたしなめているのは、やはり名は体を表すから、心をこめて自分でペンネームを考えなさいと諭している。
     2016/08/21記


 

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両地書17

両地書17
 広平兄:
 貴信受領。今日原稿も入手拝読、後の3段は良いと思います。冒頭の1段はちょっと厄介で、紙面がどうなるかにより、この1段は削除となるかも。只、第2号にはもう間に合いません。「小鬼」がどういう意図で署名をしていないのか分かりません。何か一つひねって連絡ください。且つまた来週水曜午前までに連絡のこと。但し、「先生一つ自由に付けてください」というずるいのはダメです。
 現在小週刊誌の目次は必ず角にあるのは、合冊後、読者が検索するときの便宜のためで、それだと全てを見る必要もなく、毎号の細目が分かります。だが確かに読者の注意をそぐ弊があり、私は他の方式を考え、第一版の上段を下図のようにするのです: (図 略)
 目次は辺に来て、検索も容易で、本文を中断することもありません。残念ながら「莽原」第1号は印刷終わり、すぐの変更は無理で、第20号から「試したい」と思う。末尾に記すのは書籍なら可能だが、定期刊行物にはあいません。1版の中央に置くのは不便で、こういう「心理」を抱くのは大きい間違い2回分と覚えておいてください。
 「莽原」第1号の作者と性質は来信の言われる通りです:長虹は確かに私じゃなく、私が今年新たに知った人で、意見は私と一部会うところもあるが、アナーキストの様です。文はうまいが、多分にニーチェの作品の影響のためか、晦渋で難解な所も多く、第2号のCHの名のも彼のです。「綿入れの世界」の中の「略奪」については、余計な心配不要です。私は貴校に教えに行っており、
確かに毎月定額の「給料13元5角正をもらっており」13元5角」それも「正」とある以上、何の「略奪」がありましょうか!
 舌を抜く罪は早くから私の考えにありましたが、それほど感じてはいませんでした。近来、終日人と話していると、苦しく感じるようになり、舌を抜かれたら、一つは授業を免れ、二つ目は客の相手を免れ、三つ目は役人であることから免れ、四つ目はおあいそを免れ、五つ目は演説を免れ、以後は文章や文字を書くのに専心できる。何と気分の良いことか。だから君たちは私が舌を抜かれる前に「苦悶の象徴」を聞き終わらねばなりません。前回聴講をサボって、午門に上るように迫ったのは、大きな過ち数回分と記すべきです。私が60点なら、きっと疑いないでしょう。「限界を明確に区分」しているからです。私は
どの学生に対しても「包囲を突破」するような方法はとらないからです。それに、仄聞するところでは、お嬢さんたちはすぐ涙をこぼすので、私が拳を振り上げて打って出たら、諸君は後で泣きながら、見送ることになりましょう。そうなると、この一篇の文の点数は零点になるでしょう。現在は違います。きっと60点は取れるでしょう。それも遠慮しての点数です。
 しかし今回の試験は失敗と認めます。私は余りに粗雑で、広平若旦那がこんなに「細心」だとは思わず、出題が容易過ぎました。今はただ八卦とおみくじに任せるほかなく、再抗弁することはせず、舌はもう抜かれてしまったかっこうをするしかありません。ただ、お返しの問題にも時間的に間に合わないから答えません。あの手紙は月曜午前に入手、午後は授業に出ねばならず、その間に答える時間は無く、授業に出てからでは如何に正しい答えでも「カンニング」を免れず、それなら出さぬに如かず、白紙答案の方が良いでしょう。
 中国の現今の文壇は実にひどいものです。とはいえ、詩や小説を書く人はまだおります。最も欠けているのは「文明批評」と「社会批評」で私が「莽原」で声を大にして訴えている大半は、これで新しい批評家が出てくることを願ってで、舌を抜かれた後でも、他の人が話し、継続して旧社会の仮面を引っ剥がしてもらいたいからです。惜しいかな、これまでの所、受け取っている現行はやはり小説が多いのです。
    魯迅  4月28日

訳者雑感:魯迅はこの手紙で、彼が一番求めているのは、批評家(日本語としては評論家というべきか)で、あの時代はまだ「文明批評」と「社会批評」をする人が少なく、またそれを受け入れる下地(読者)も余り無かったのだろう。
 中国は詩や小説を書くことを大切にしてきたし、その読者も多かったが、評論家というか解読・解説する人を余り重視してこなかったのだろう。
今は、テレビや新聞・雑誌が大量にメディアの評論員という肩書で読者・視聴者にコメントしているが、反政府的コメントをするとすぐ身柄が拘束され、行方不明になって、遺体がどこかの川に浮かぶということもある。評論というのは、娯楽作品などに対してしか許されていないのだ。
 2016/08/12記

 

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両地書16

両地書16
 魯迅師:
 お手紙と「莽原」前後して拝受。寂寞な私の気持ちを覚えず微笑ませてもらいました。この他「猛進」「孤軍」「語絲」「現代評論」など、次々にあらわれて、大局に関心ある人が突如増えました!毎週こんなに為になるものを得て快活です。
 この種の小週刊の多くは3段に組み、表紙の上段は名前を記し、下段の終わりに目次を記しています。「莽原」の形式もこのようです。これは何か特別な意味があるかどうか、他の方法がないかどうでしょう。私の考えは、もし目次と名前を同じ面に記すなら下図のようになります。
 「2つのタイプを図で示すが翻訳では(割愛)」
 このような四角紙面の上段に名を書けば、読者は3ページまでめくらずに、目次が出てきて、当該作品への注意力が分散するのを防げます。あるいは、この四角を版の中央に置くのも良いかと思います。さもなければ、名はそのままにして、目次は「交椅」(8版の末)に記すのもどうでしょうか。これは私が只こうしたらと思っただけで、明確な理由はありません。ご参考まで。
 「莽原」はやはり現代への不満が多いが、範囲は「猛進」「孤軍」等の政治偏重のものより広く、それゆえ「語絲」に非常に似ていて、その委曲宛転と弦外の音をめぐらす態度もあり、他の週刊より特別で、この点は先生の特色で、何の憚りもないです。第1号の「冥昭」は先生のだと思います。この他「綿入れの世界」も中身は先生の作風があふれていると思いますが、断定できません。他に「檳榔集」の作者は向さんという人も幾分先生に似ています。全号中、先生のものは2篇だけですね。
 「綿入れの世界」で、作者は友人を捕えて裁判を始め、彼の「思想」「友誼」を取り上げ、「自分を一つの機器として君たちに使わせようと思う」と言っています。その時私はとても恥じ、反省して私もそうではないか、「多くの面で略奪をしている者」の一人ではないか?私は友人になどなれもしないし、学生が先生を「略奪」するなぞとんでもないことです!!!これは人心が軽薄になった所以です。志ある人はなぜ防がないのか!?
 第2号には文章勉強のため書こうと思いますが、元来粗雑ですから、細やかで生き生きとした文章は書けませんから、お役に立てないのではと心配です。その時は情け容赦なく破棄し、屑かごに放ってください。書けるかどうか問題です。
 「因果応報」はどうも「人の文章のテーマ」にされるよりひどいようです。先生は「猛進」の第8号に、ある人が先生に向かって「誠に舌を抜くべし」と言っているではありませんか!――反語でしょうが。閻魔大王十殿中の一殿は舌を抜く所で、罪名は生前に嘘をついた罰だと。今「国民の醜態を全て暴露」したのです。「醜態」だと認めた以上、それは嘘でないのを知るべきで、「舌を抜く」罪だというのは、まさにこの世の地獄で、現実社会は地獄よりひどいところがあります!
 試験はまだその時期ではないので、本来提出しませんと抗議するのも可ですが、先生が早めに出せとおっしゃるなら、今出します。夏休みの試験は免除していただけましょうか。――不合格なら当然追試に甘んじますが。答えは:
     お部屋の屋根は平らで、黒い色で国粋的な感じの旧式建築です。内部は神秘的な苦悶の象徴で、南に門があるが、通路に部屋があり暗くてその左右は明るくは無い。ただ前方――北――に大きなガラスがラッパの口のようで、これは何と解釈すればよいのか?八卦をならべ、斎戒沐浴して占ってみるとしよう。
 卦に曰く:世運衰退し、君子道は消えるが、凶に逢いても吉と化し、言を発して癒えるあり。解に曰く:ラッパの口は声帯の門、勢利に因りて導き、時その後に言あり。夫れ、人言せず、言すれば必ず中(あた)り、これ南無阿弥陀仏が苦難の現世を救う観世音菩薩が親(みずから)あらたかなおみくじを下すものなり。余文はなお多く、本案の回答の範囲外ゆえ、略す。
 このほかに、小鬼も「敢えてお尋ね」したき点あり――しかしこれは報復の試験ではありません。「報復(仇討)は春秋の大義」ですが、学生がどうして先生を仇とし報復しようなど、更に試験をというのは罪深いことで、単に一笑を博さんとするだけです。問い:我々の教室の天井の中央に何がありますか?電灯という答えでは6点もあげられません。月曜まで待って、その後というのはカンニングの罰点です。このテーマは平常から熟知のはずで、探検のように不慣れなものでなく、そんなに難しくないでしょう。明日回答ください!
 午門の遊から帰ってくると、勝利の微笑みが車の中にいるときから学校まで長く続きました:更に思い出して、階下にいるときと、雨天体操場でのお転婆ぶりは、得意満面でした。皆は銘々に満足を求め、それで困る人のことは考えません。その実、困らされた人はあの日、心理試験をしっかり行い、皆に起立を命じ、是非の多寡を占い、更に階下に降りるのを遅らせて、誠意があるかどうかを試されました。そしてついに「扇動」されました。最新の採点計算では全て正解なら満点、50:50なら相殺で1点も無し。全部不正解なら言うまでもなく零点です。「60点」?とは寛大すぎでしょう。実はあの日、なぜ「迫られ」て「失敗」し、帰結もやはり「体を揺らし一変」する技術がうまくなかった。さもなければ、女の教師に変じ、「引率」するも問題なし。(私のこの話も、「そんなバカなことあるか」で、男の教師が「引率」するに何の奇がありましょうか)或いは、女に変じ……たら、包囲も突破できた。しかしついに「迫られ」てしまわれました。これは限界が鮮明に分けられているせいでしょうか。やはり世俗的習性を打破するのは容易じゃないからでしょう。
 現世も実に暗黒で、女が何かやろうとすると、いろんな所で困難にぶつかります。私は臆病じゃないですが、面倒を避けようとしますから、まず人に聞くのです。何と知識社会の出版社もこっそりと人を欺くのですね――それは申請の宛先すらありません、それが疑わしい点――という具合です。これは本当に猛進する人にいろんな所で多くの阻害と躊躇を感じさせる点です。「誰が女に産んだのか?」という句に対し、旦那方や奥方たちに答える言葉もありません。
   小鬼 許広平   4月25晩

訳者雑感:当時の女学生を引率して故宮(紫禁城)の午門の上に登ったという情景が浮かんでくる。お転婆たちが大勢で魯迅を困らせている図だ。中国の女性は昔から勇敢で大胆だったようだ。肺炎に罹った男を気管支炎、気管炎というが、大抵の男は「気管炎」ですという。「妻管厳」(中国語の発音は同音で、妻の管理が厳格の意)
 魯迅はこの後、彼女と一緒になるのだが、もうこの時点でそれが分かる。
2016/08/10記


 

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両地書15

両地書15
 広平兄:
 16日と20日の貴信拝受。返事が遅くなってごめんなさい。今やっと一緒に返事します。この数日実に多忙で、瑣事のほかに、例の奇妙な「□□週刊」の件はまだ計画段階なのですが、ある学生が邵飄萍に話してしまい、彼は広告を載せ、とても誇大に書いたので、翌日私は代わりに他の広告を出そうとし、絶対載せるように、そして修正も許さないと言ったのだが、なんと彼はつまらぬ編者の言葉を付け加えた。何か事をやろうとする時、意思の疎通を欠くと、実に小さなことまで壁にぶつかるのですね。私には百数枚の原稿以外、何もないのですが、広告のムチの強迫で、無理やり走りださねばならず、人にも催促し、自分も書き、今までに何とかとりまとめ、今日原稿を渡す日です。原稿を通して見たが、実際余りいい出来栄えでもなく、それほど期待しないがいいです。期待が大き過ぎると、失望も更に大きくなってしまいます。でも将来多少良くなると望んでいます。原稿があれば送ってください。論じる問題の大小はこだわりません。あなたは「京報」を購読していますか?購読してなければ、彼らから「莽原」すなわち所謂「□□週刊」――を送らせましょう。
 しかし金曜には学校できっと「京報」を見るでしょう。例の「莽原」の2字は8歳の子が書いたもので、名前には何の意味もなく、「語絲」と同じですが、「昿野」に近い意味です。寄稿者の名は皆本名ですが、末尾の4つは皆私が代って書いたもので、将来やはり文章から分かるでしょう。文体を改変するのは実に容易ではありません。この人たちの多くは小説を書き、翻訳はしますが、評論を書ける人は何人もいません:実に大きな欠点です。
 薛氏はすでに復職したようで、もちろん結構なことだが、出たり入ったりと大変な苦労を免れまい。今の教育当局の人は知りません。但し彼が孫中山追悼の対聯を自ら誇るのと、全く「道を異にする」段祺瑞と親密なのは、人間として推して知るべし。聞くところでは、歴来の言行も蓋し大言壮語で実なく、善を欺き、悪を恐れる輩に過ぎぬ。要はこの混濁した政局に高官でいる訳だから、清流はたいていこんな手段はとても取れない。私の見るところ、王九齢の方がずっとましです。校長の件は教育部内で何も聞きません。この人が来て教育を整頓しようと自命しているのだが、従来のやりかたをひっくり返す一切の新法(彼は今の学校騒動に不満で)を実行すると言いますが、それも大言壮語かどうか知りません。今はびくびくしている人が多く、話すすべもありません。
 私はかつて小説や評論を書き、いろいろ描写し、人を批評しましたが、今はどうしたわけか、因果応報となって、自分の身に及んできたようです。自分も人の文章のテーマになってしまいました。張王氏の両篇も見たけど、ほめすぎだし、私自身は決してそんな「冷静」とは思わない、もしそうできたら「小鬼」たちが来ても、16日の手紙を見るまで、すでに「探検」されたとは知らず、もし張君の言うように、第一から第三に至るまで全て「冷静」ならとうに見破っていたことでしょう。但し、君たちの研究はそれほど精細ではないようで、今試験しますが:私のいたガラス窓の部屋の屋根はどんな具合でしたか?後園の方にも行っていたなら、これを見たはずで即答できるでしょう。
 月曜の「靭性」の競争は確かに失敗でしたが、何とか1時間は抵抗でき、成績は60点以上取れました。だが衆寡敵せず、ついに午門にのぼらされ、その後公園に遁走し、「引率」の厄に近づくのを避けられました。私は常に兵を帯び、銃撃するのはもとより憚りませんが、もしそれが一変して女学生を引き連れて、遊歴するとなると、テーマから離れすぎ、真っ先に逃げ出したのは、「困らせよるとする」のや「ハメをはずす」のを恐れてではなく、実は引率者になる事から逃げたにすぎません。
 琴心の問題は全て明白になりました。以前、ある人は司空蕙と言い、ある人は陸晶清とし、そして孫伏園はみな違うと否定し、新人の女性だとした。蓋し投稿は自筆ではなく別の筆跡で、伏園は見分けるのがうまいと自負しており、あにはからんや、ペテンにあった。2つ目は使った赤い封筒と緑の用紙で、とうに伏園の筆跡鑑定の目をくらませ、ついに疑いは司空蕙の身に至らなかった。更に書かれた詩文もとても女性的で、彼の名を署名した文を見ても、同じトーンで本来なら見破れるはずだが、誰がこんな細かなことで無聊な名声を得るために、そんな苦心した手段を思い至るでしょうか。彼の「千人掃蕩」の大作は今日の「京報副刊」にもその端緒が露呈されたようで:掃蕩の対象の一人は、寥仲潜の小説中の芳子ですが、私は、芳子は即ち寥仲潜だと思います。実はそんな人はおらず、琴心と同じだと思います。第二は向培良で、彼の認識力が確かで、琴心の掃蕩は軟弱を免れないでしょう。しかし培良はもう河南に行って新聞をやっているから、返事は無いでしょう。残念ながら、面白い議論を見ることはできないでしょう。
 「民国公報」の実情は知らないので、聞いて返します。一般的に所謂編集者試験の多くは同じで、大抵は推薦が多くて対応しきれず、体裁をつくろって、公募の形をとり、推薦者が怪しむのを免れ、実はとうに裏で決めていて、他の受験者は彼に陪席する芝居に過ぎません。だが「民国公報」はどうか難しいが(十中八九はこうだと思う)、要はまず聞いてみよう。私の意見は編集者になるのは何の進歩もなく、近来常に週刊の類と関係があるが、本を見てばかりで、休息の時間がとれず、選んだ原稿も常に手を入れ、開削せねばならず、そのまま出したら笑止千万になる。やはり「人の患い」であれば落ち着いて暮せるし、たとえ時に午門に登らされても、2-3時間費やすだけです。
    魯迅  4月22夜
訳者雑感:魯迅が教育関係当局の人(章士釗)は知りません、とこの25年の時点で述べているが、彼を評して: 
   『孫中山追悼の対聯を自ら誇るのと、全く「道を異にする」段祺瑞と親密なのは、人間として推して知るべし。聞くところでは、歴来の言行も蓋し大言壮語で実なく、善を欺き、悪を恐れる輩に過ぎぬ。要はこの混濁した政局に高官でいる
訳だから、清流はたいていこんな手段はとても取れない』
 としているのは、その翌年の3.18事件で愛国群衆や学生たちを惨殺したのは段祺瑞が北洋軍政府の長であった時である。
    2016/08/04記

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両地書14

両地書14
 魯迅師:
 数日前に出しました手紙届いていましょうか?
 「□□週刊」は日ごろからまとめ様とされていた例のネタを編集されたのですか?時間が速く過ぎて、金曜が早く来て、真っ先に読みたいと思っています。
 今日,講堂でむりやり博物館に連れていって欲しいとお頼みしたのは、実にGentleman的ではありませんでした。しかし大衆の動機は「授業をサボる」のや「先生を困らせる」こととは確かに違いまして、若い学生の無邪気さから、少し野蛮にハメをはずした点は否めません。思い出すと、笑止千万ですが、我々は先生以外の人には絶対こんなことは致しません。
 最近突然「何者も眼中になく、千人を掃蕩する」琴心女士は、学校内の人は固より疑い、外部の人もこの不可解なことを尋ねる人が多いです。今はっきりしたことは:元来彼女の躯体はS妹で、魂は司空蕙です。ははは、道理で彼女が何度も司空を弁護したのです。同じ穴の狢です。私は彼女がこの「三位一体」――琴心――雪紋――司空蕙――の名をつけた最大目的は、「琴心の名で最近の文壇の新しく発表した多くの文芸作品に厳格な批評をし、自らは非凡な蛇のような芸術家を任じている連中に、人を見下させない」ことにあると思います。道理で、培良君が不倶戴天なのも分かるし、それは「玉君」を持ち上げる為で、それで多分自己保身の話をするわけです。こんなことは皆小さな芝居で、元々大した関係はなく、現在それについて言えば、お笑い草を提供したに過ぎず、文壇にこういう新しい手品があることを知っただけです。
 今日「京報」に「民国公報」の編集者公募の広告があり、どうもこの種新聞も「民国日報」の同流と聞いていましたが、確かですか、ご存知でしょうか?その宗旨はどの派の政見に拠っているでしょうか?応募の宛先は?規則などはどうでしょうか?先生は外部のことを私より詳しいから、一、二教えて頂き、進むべきか止めるべきか、アドヴァイス頂けますか?小鬼は学識も浅薄で、編集者には向いていない、特に新聞学はまだ勉強したこともないのですが、受験してみようと思うのは、実はこれが「人の患い」となるよりは、進歩だと考え、学識面でも助けになるのではと思うからです。いかがでしょうか?
 小鬼 許広平 4月20晩


訳者雑感:授業中に魯迅に対して、博物館に連れて行って欲しいと言い出したのは、当時、教育部が歴史博物館建設を準備していて、魯迅がその担当科長だったことに関係ある、と出版社の注にある。魯迅は「中国小説誌略」とか「漢文学史綱要」など書いており、その後政権が安定して継続し、この歴史博物館に彼が本格的に参与していたら、どんな博物館になっただろう。鴎外も晩年は江戸時代の歴史を渉猟し多くの作品を残し、政権が安定していたから、奈良の正倉院の館長にもなって、毎年奈良に赴いている。医学を学びながら、片や途中で文学に転じた魯迅と、医学の勉強のためにドイツに留学し、軍医として上位まで上りつめたが、やはり文学に転じ、博物館長になった鴎外と、共通点は面白い。2人とも自国語以外にドイツ語を学んで多くの翻訳も残している。
   2016/07/28記

 

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