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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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ふと思い到って五、六

五.
 私は早く生まれ過ぎた。康有為たちが「公車上書」(日清戦争後、1895年に和平条約を締結したが、当時康有為たちが北京で会試という最終試験中で、全国から選抜された挙人という省試験合格者、1,200余人が、光緒帝に“和平調印拒否、遷都、変法”を要求)を出した時、もういい年齢になっていた。政変の後、親類の年長者が私に諭して、康有為は王位簒奪しようとしており、だから名を有為と言うのだ、と言う。
“有”は“富は天下に有り”“為”は“貴いこと天子に為る”也と。不軌(条理に会わぬこと)を謀っているに相違ない?と。私は本当にその通りと思った。とんでもない奴だ、と。
 年長者の訓戒は私にかくも大きな影響を与えた。私は読書人家庭の教育を遵守した。息をひそめ、頭を低くし、決して軽挙妄動しない。年長者の前では、目はうつぶせにする。上を向くのは傲慢で、顔はまるで死相みたいに神妙にし、口応えしたり笑ったりするのは、不作法とされた。私は確かにそうすべきとは思いながらも、心中では少し反抗心が芽生えていた。心の中での反抗はなんら罪とはみなされていなかった。思想犯を罰する法律は、現在ほど厳しくはなかったようだ。
 だがこの心の反抗も、やはり大人たちがそうさせたようで、彼らは、自分たちはいつも好き勝手に、大いにしゃべり笑っていながら、子供にだけ禁じていたのだ。民は秦の始皇帝の威勢のよさを見て、反旗をあげた項羽は「彼、取って代わるべし!」と言った。頭角を現す前の劉邦は「大丈夫はこうでなきゃ」と。私も頭角を出す前の口だが、彼らが好き勝手にしゃべるのが羨ましく、一刻も早く大人になりたかった。もちろんそれ以外に別の要因もあったが、大丈夫はこうでなきゃというのは、ただ死んだようにおとなしいふりをしていたくないというだけで、欲望は彼ら二人のように大きくなかった。
 今私は大人になって、これはどんな論理を持ってきても誰も否定できない。私は死んだような仮面を棄て、大いに談じ笑い始めたが、不意に真面目な人たちの釘に打たれ、彼らを“失望”させたと詰られた。私も昔は老人の世界で、現在は青年の世界だということは知っている。だが、治世者が異なっても、言動や笑いを禁じるのは奇しくも同じだ。それで私は死んだふりを続けねばならず、死して後やむのか? 何と痛ましいことよ!
 私は一方で生まれたのが遅すぎたと恨む。二十年早く生まれていたら、大人が好き勝手にしゃべり笑えた時代に間に会っただろうか。私は生まれた時が実に悪かった。呪詛すべき時、呪詛すべき場所で生きているのだ。
 J.S.Millは言った。専制は人を冷嘲させる。我々は天下太平で冷嘲者すらいない。思うに、暴君の専制は人を冷嘲させるが、愚者の専制は人を死んだようにさせるのだ。人はだんだん死んでゆくが、自分はそれは却って道を守るのに有効だと思う。こうしてこそ、初めてまっとうな人間に近づくのだ。
 世に、もしまっとうに生きてゆこうとしている人がいるなら、第一に思い切って発言し、思うさま笑い、好きなだけ泣き、あえて怒り、自在に罵り、なんでも思い切りやることだ。
この呪詛すべき所、呪詛すべき時代を撃退しよう!
                  四月十四日
六.
 外国の考古学者が続々とやって来る。
 中国の学者たちも口々に“古物保存”を唱えて久しい。
 だが、革新できない人間は古物保存もできない。だから外国の考古学者が続々と来ることになるのだ。長城は廃物となって久しい。弱水(伝説上の川で、鴻毛も浮くことを得ず、誰も渡れぬので、外敵は侵入できないという:出版社注)も空想に過ぎない。老大国の国民はことごとく硬直な伝統の中に埋もれ、変革を肯んぜず、一片の精力も無いほど衰え、更には互いに殺し合っている。それゆえ、外部からの新生軍はいとも容易に進入してきた。
真に“それは今に始まったことではなく、昔からこうであった”彼ら外国の歴史はもちろん我々のように古くは無い。
 しかし我々の古物保存は難しい。なぜなら土地が危険で、安全でないから。土地を他人に与えてしまったら、“国宝”がいかに多くとも、陳列する場所も無いと思う。だが古物保存家は革新を罵り、古物保存に懸命で、ガラス板で宋版の書を印刷し、一部数十元、数百元で、(これを読めば)“涅槃へ行ける”“涅槃へ””涅槃へ“と売り出した。仏教は漢代に伝来したが、その古色古香をなんとせん。古書や金石を買い集め、古代文化を研究する愛国の士は、粗略な考証をし、大急ぎで目録を刷り、すぐ学者になったり、高尚な人間となる。そして外国人が手に入れる骨董は、いつもこの高尚な人の高尚な袖の下から、清風と共に流出する。そうでないと言うなら、帰安(今の呉興)の陸氏の宋版の蔵書や、濰県(今の濰坊)の陳氏の古代楽器は、その子孫の手で保存できているだろうか?(両者とも日本の好事家に売られた:出版社注)
 今外国の考古学者が続々とやって来た。彼らの活動は余力があり、考古の名目で単に考古するだけなら可とすべきだが、同好の士を援助し、古物保存をしようとすると、これは大変なことだ。一部の外国人は中国が永遠に一大骨董品であり続け、彼らに賞翫を供してくれるのを望んでいる。これは憎むべきだが、奇とすることはできない。彼らはひっきょう外国人だから。しかし中国はついに、自分だけでなく、青年や赤子まで引き連れて、ともに一大骨董品となり、彼らの賞翫物になろうとしている。どんな心臓の持ち主なのか、まったく理解しがたい。
 中国は儒教の経典を読むのを廃止したが、儒教の学校はまだ腐儒を師として迎え、学生に“四書”を教えているではないか。民国は跪拝を廃止したが、(上海にできた)ユダヤ学校ではまだ遺老(清末の学者、王国維を指す:出版社注)を教師にし、学生に頭を地に付け、寿を拝す儀礼をさせているではないか。外国人が中国人向けに発行する新聞は、五四運動以来の小改革に最も反対したではないか。そして外国人の編集長は中国人執筆者に、道学(即理学、朱子などの儒教思想で“天理を存し、人欲を滅せ”と主張:出版社注)を崇拝し、国粋を保存せよ!と言っているではないか。
 だが、何がどうであれ、革新しないなら生存すら困難になる。現状が鉄の証で、古物保存家の万言の書より数倍も有力である。
 我々の目下の急務は、一に生存、二に衣食、三に発展だ。いやしくもこの前途を阻むものは、古い物も、今の物も、人であれ鬼であれ、「三墳」「五典」(三皇五帝の遺書)、百宋千元の古書、天球河図のような美しい玉や図、金人玉仏、祖伝の丸薬散薬、秘製膏丹などすべてを踏み倒して進むことだ。
 古物保存家は古書を読んでいるだろう。“林回(人名)は千金の璧を棄てて、赤子を負うて走った”の譬えは、禽獣の行為とは言えない、とは正にそのとおりである。
では、赤子を棄てて千金の璧を抱くとは、一体全体なんなのだ?
    四月十八日
訳者あとがき:
1.過激な古物保存家攻撃。赤子を取るか千金の璧をとるか?
千金の璧を大切に保存せよ、という裏では、外国人に勝手に売り飛ばして儲けている
古物保存家。さらに悪いのは青年、赤子を自分の思うままに押し付けて改革を阻止しようとする考えに凝り固まった儒教体制への徹底攻撃の宣言である。
2.近年、中国各地の書店に平積みされたおびただしい量の儒教関連の書物。特に目に
つくのは、きれいな装丁と挿し絵がふんだんに入った、児童向けの清朝時代に隆盛を
極めた儒教関連の暗唱用の語録「三字経」とか「千字文」、子供向けの「論語」等。
3.さすがにもう儒教の学校はなくなったし、魯迅が糾弾している腐儒は姿を消した。
だが、テレビ放送の中で、「論語」とか「国学」などの講義が始められ視聴率の高さを誇っていた。願わくは、魯迅の攻撃した「人をがんじがらめに縛りつけてしまうような体制」に後戻りする方向で、論語が利用されないことを!
私は魯迅も引用している論語の中身、例えば「学びて時に之を習う、亦たのしからずや」はその通りで、非常にいいことが書かれていると思う。それを統治の手段として、
人の脳細胞をがんじがらめにしてしまう伝統復活が、一番の問題だと懸念する。
 
 
 
 
 
 
 
 

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