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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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天乳(ノーブラ)を憂う

「順天時報」(日本人が北京で発行していた中国語新聞:出版社注)が、北京の
辟才胡同女子附属高校主任欧陽暁瀾女士が、断髪した女学生の受験を認めぬと報じていた。断髪した女学生は大変落胆している由。やはり情勢がここまで来ると、彼女もそうせざるを得ぬようだ。但し纏足をしていない女学生は受験できるのはまだ助かる。しかし余りにも「新しもの」拒否の嫌いがある。
 男も女も前世からの冤罪である髪の苦労を嘗めさせられるとは。明末以来の記録を見れば分かる。私は清末に辮髪を切った為、大変な苦しみを味わったから、女学生の断髪には賛成しない。北京の辮髪は袁世凱の命令で切られたが、ことはそう単純ではなく、背後には「刀」があったのだ。さもなくば、今でも街中に辮髪がはびこっているだろう。女子も同様で、皇帝(或いは別の名も可)
が命令して初めて断髪が実施されよう。勿論そうなっても、多くの人は面白くないと思うだろうが、切らざるを得まい。一年、半年も経つともうその理由も忘れ:二年後には髪を伸ばすべきじゃないと思うようになる。そうなると長髪の女学生は「大変落胆」せざるを得ぬ。一部の人が色んな理屈をつけて改変しようと試みても、歴来成功したためしは無い。
 現在の有力者の中にも女子の断髪を主張する人がおるが、残念ながらその立場は堅固ではない。一つの地域に、甲が来て乙が追い出され、丙が来て甲が追い出される。甲は断髪といい、丙は長髪という。長い髪は切られるが、短いのは首を切られる。ここ数年青年は災難続きで、特に女性は大変。新聞に有るところでは断髪を鼓吹したが、後に軍が攻め入り、断髪の女子を見つけると、一本一本髪を抜き、両の乳房を割去までし……。この刑は男子の短髪はすでに全国に公認されているが、女子には許さないとの証だ。両の乳房を取るのは、男のようにすることにより、男のやり方をいたづらに真似させぬようにするためだ。これに比べたら、欧陽暁瀾女士のやり方はそれほど厳しいとは言えないかもしれない。
 今年広州で女学生のブラジャー(旧時は金太郎の前だれ状の布で締め付けた)
着用を禁じ、違反者に50洋銀の罰金を科した。報道では「天乳(ノーブラ)運動」と称した。(清末の)樊増祥のような名文の法令でないのは遺憾だとするものもいた。公文書には「鶏頭肉(水生植物の名で乳首を指す:出版社)などといった洒落た文字は無い。蓋し文人学士たちは飽き足らぬようだ。それ以外には、冷やかしや滑稽な論のみ。こんなことばかりでは、いつまでもこのままらちがあかぬと思う。
 私もかつて「杞憂」したことがある。将来中国の学校出の女性は哺乳能力を失い、乳母を雇わねばならぬ、と。しかし今、ブラだけを責めるのは片手落ちだ。第一に社会思想改良。乳房に対しておおらかになること:第二に衣裳改良。
上衣をスカートの中に入れるようにすること。旗袍と中国の短上衣は乳房の解放には適さない。胸部の下がふくれてしまって不便で、見た目もよくない。
 それに大きな問題は、乳房が大きいことが犯罪とみなされ、受験できなくなることだ。我中国は民国成立前、「(士農工商)の四民の列に入らぬ者」のみが受験できなかった。(賎民とされた者以外は誰でも受験可:出版社注)理屈から言えば、女子の断髪は男女の別を失い、有罪である。ならばノーブラは男女の別を付けることに功があるということになる。しかし世の中の多くは、口舌の争いをしていても方は付かない。要は上諭(皇帝の命令)とか、実際には刀でもって、命じねば誰も言う事を聞かないのである。
 さもなくば、既に「短髪犯」ができた上に、「ノーブラ犯」も増え、或いは
「天足犯(纏足しない)」も出て来よう。嗚呼、女性の身に起こる問題は、特別多いから、人生もこのために苦労が尽きない。
 我々が革新とか進化などの問題とはしないで、もっぱら身の安全だけを考えれば、女学生は長髪で胸を締め、半纏足(纏足した足を途中から自然に戻す;
当時は一名文明足と呼ばれた)が良いと思う。それは私が北から南まで通過した所では、看板や旗幟などはことごとく違っていたが、ことこのような女性に対して、悪口や敵視するようなことは聞かなかったから。
     九月四日。
訳者雑感;
 魯迅の辮髪に対する思いは鬱屈したものがあるようだ。自分は東京で日本式の学生服に断髪の写真を撮り、友人に贈った。しかしその一方で阿Qについては、初めは滑稽な作品として書き出しながら、だんだん書き進む内に社会情勢を映しだす深刻な文章に変じて行った。訳者も不明を恥じるのだが、譚璐美さんの説に依ると、阿QQは英語のQueuekju:)から来ていて、辮髪の意。
Qの字は象形文字で教育された中国人から見ると正に辮髪を後ろから描いたものに見える。
 阿Qが革命に参加しようとした1911年前後は殆どの中国人漢民族が後生大事に辮髪を守っており、魯迅が指摘するように断髪した者は蔑視された。それが無くなったのは、袁世凱が政権を握った後だというから数年は辮髪が街中にあふれていたことだろう。
 本文が書かれた1927年当時は、女子の解放が叫ばれ、纏足禁止(天足運動)
と並んで、四角い金太郎の前だれ状の布で乳房を締めつけるのを廃止(天乳)
しようとの動きがあった。しかし魯迅は、自ら舐めた苦渋にかんがみ、民間からの運動や一部の提唱者の口舌だけで、断髪したりノーブラにするのは、賛成しないと言っている。袁世凱や皇帝が命令を出して、従わなければ「殺す」と
言わなければ、この国の人びとは改変しないのだ、と。それが発令されるまでに新しい動きをとるのは、受験資格を失うし、別の軍閥が来たら、髪の毛を
一本一本抜かれ、乳房を取られてしまうことまであると引用している。           
 
 香港の鳳凰テレビの春節特番で、東アジアで春節廃止に成功したのは日本だけだと報じていた。中国韓国ベトナムは廃止を試みたが成功しなかったという。中国は辛亥革命の後と文革の時に二度廃止したが、数年経って民衆の強い要求により元に戻してしまった。春節で一家が団欒できる休暇でなくなったことが最大の不満であった由。その点、唯一日本だけが廃止できたのは、不思議だという何か東方文化を棄てた国という響きであった。だが、と同時にそれは
日本が異質なのだというニュアンスでもあった。西洋人の価値観から来たと言われる夜の一番短い冬至の後をクリスマスとし、それから1週間後に新年という発想と、それを一年の始めとは認めないという牢とした信念は、明治までの日本を含めた東アジアの生活パターン、農事中心に暮らしてきた東アジアの気候風土に根差したものなのだろう。こればかりは袁世凱が刀で以て命令しても、
毛沢東が破旧立新を命じても、暫くは面従しているが、腹の中で背いたものが
わだかまっていて、時が来たら元に戻すのが一番と心得ているようだ。
 マルクスが唱えた主義も、何十年かは従ってきたが、やはりそれは東方にはそぐわないとして、放擲してしまった。孔子に戻るのは春節に戻ったこととどこか似ている。
   2011/02/18
 

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