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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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学生と玉仏


 1月28日「申報」号外が28日北平専電で曰く:「故宮の古物は即刻搬出し、北寧平漢両路は既に命を奉じ、有事に備え団城の玉仏も亦南運」と。
 29日の号外にまた28日中央社電で、教育部電として、北平の各大学への通知を概略して
曰く:「各紙が山海関の緊張報道の際、北平各大学の中に、試験逃れと休暇くりあげの情報が頻発した。いずれも調査の結果確認された。大学生は国民の中堅であり、みだりに驚き騒ぎ、校則を破り、学校当局もこれまで報告もせず、なぜ放任してきたのか?ありうべからざること也。そもそも該当の学校は迅速に学生の試験逃れと休暇くりあげの状況を詳細に報告し、調査処理して後期の始業日を報告のこと」
 30日「堕落文人」(魯迅への罵言)周動軒氏(魯迅)これを見て詩あり、嘆じて曰く:
  寂寞たる空城在り、倉皇として古董遷出す、
  一方では大きな口をたたきながら、面子は中堅頼み。
  驚き騒ぐをいずくんぞ妄と云うや、奔逃、ただ自ら憐れむ、
  嗟嘆すべきは玉仏に非ず、一文の価値すらない。
 
訳者雑感:
 これは日付が無い。出版社注に2月16日上海「論語」第11期に動軒の名で、とある。
団城は北京の北海公園南門の小丘に円形の城壁が築かれ、白い玉仏が承光殿に安置されていて、それは真っ白な玉の彫り物で、高さ約5尺で芸術価値も高い珍宝だとの注がある。 日本軍が山海関を1月3日に陥落したとの報道にうろたえ、驚き騒いだ国民党政府は故宮の古物を南京に搬出するのを決めた。
 これに敏感に反応した、というか便乗したのは学生で、これを口実に試験逃れはするは、
休暇も繰り上げ、故郷に帰ってしまった。国民党政府が日本軍に盗られたら大変だとして、
故宮の宝物を当時の首都たる南京に搬出した。それほどあわて騒いだのは何故だろうか?
 フランスはドイツにパリを落とされたとき、ルーブルなどの美術品をパリから搬出しようと考えた人がいただろうか?この辺りが中国人の民族性を理解する手助けになりそうだ。
結局この宝物はその後武漢重慶を経て、今台北にある。皇帝の封建時代なら、日本の天皇のように三種の神器を持ちださないといけないのだが、故宮の宝物にそうした効力があったのか、それとも単に価値の高い珍宝だから自分の手元に置いておこうとする「欲」からなのか。それを所有していることが、「正統」の証とでも考えているのだろうか。
 魯迅が一文の価値も無いといって玉仏は今どこにあるのだろうか?
 もう一つの疑問は、故宮の宝物の多くは清末に宦官が持ちだして、その代替として贋物にすり替えられた可能性が高いというものだが、贋物も本物のごとく珍品なのだそうだ。
皇帝もその取り巻きたちも贋物とは見抜けなかったほどだから。
    2012/01/12訳
 

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