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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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両地書七

両地書七
 昨25日午前に先生のお手紙拝受。午後哲学教育系の演芸会の手伝いをし、今ようやくペンを取り思ったことを書けるようになりました。
 昨晩「愛情と世の仇」(ロミオとジュリエット)をやる前の9時過ぎに、先生は帰られたそうですね。誰かに言われたのでは?と思いました。帰られて良かったです。その実演技も下手で、出演者もいつも一緒に練習できず、一部の人は1-2度しか練習しておらず、ある人は多いですが、批評する人も脚本を予めよく研究しておらず――本番になっても十分理解しておらず――劇の状況について、当時の風俗習慣衣裳など概して門外漢です。更に出演者は多くが各班からの要請で充当したので、一緒に練習する時間に制限があり、予想通り失敗し、一言でいえば、広場で子供たちに見世物を見せて数銭だまし取るようなものでした。見に来た人も少なく、目的は達成困難だったでしょう。――本当に何も気にせずにみっともないところを見せたら、お笑い草です。
 近来、お腹一杯にたまった不満は――多くは学校問題です。年末休暇中とその前、校長の進退を要求する人は、それぞれが複雑な背景を持っていると思います。だから私は高みの見物と決めました。学期が始まってから、楊を擁護する者と、楊本人の行動を目にしたら、本当に怒髪天を衝くばかりで、総攻撃をかけるのです。私も一面では、反楊の人たちがある色彩を帯びていると言う事は否定しませんが。ただ私は一人で個人的に楊の駆逐運動をするのは良いと思います。それで前号の「婦女週刊」に「持平」の名で「北京女子世界の一部の問題」として投稿したほかに、後の15期の「現代評論」に「一女性読者」の名で「女師大の学潮」が出ました。彼女は本校の牧羊者でしょうが、本人は「部外者」と言っており、私は「子の矛で子の盾を攻めてみよ」と、彼女を駁斥し、「正言」の名で(これまでの投稿は、一つの名を使うのが好きではないので、自分の文が大変卑浅なのを知っておりますから、その採用権は編者に任せ、何とか女士のようにはしませんし、妄りに主筆者の特別な好意を求めず、だから私の原稿はいつも心血を注いでもゴミ箱に捨てられますが、決まった筆名を使いたくないという癖は改められません)こう書いてきて、この文はひょっとして「塹壕戦」にふさわしくないと思いましたが、はやる気持ちは抑えられず、まず先生に批閲してもらってからと思いましたが、時間が経つと明日の菊花(しおれてしまう)になってしまうと思い、急いで郵送し、喉につかえた骨を吐き出して、少しすかっとしましたが、その実、実際には何の役にも立ちません。
 私は世間的な経験は少ないですが、これまで遭ってきた南北の人士も心意気のある人で、頭脳明晰です、大勢に明るいる人は少なく、数人集まると、着物の話でなければ、パーティや劇場へ行ったなどの話です。仕事に熱心な人は学力が劣り、粋を学び、功の深い人は、枯れ木のようで、心は灰の如く、足で蹴ってもびくとも動きません。問題が起き皆で討論すると、何かにかこつけてこっそりその場を去ってしまいます。或いは挙手になるとどちらが多いかを見て挙手し、賛成反対に対し何の定見もありません。功績はすべて自分に帰し、誤りはすべて人のせいにする。やる気の無いこと甚だ哀れで、彼らについてなお何を望まんや!私が小学生の頃、辛亥革命が起こり、長兄は笈を負って南京に行き、種族思想を鼓吹する最も力を注いだ人で、若い私らに常々大義を講じてくれましたが、幼かったため国事に力を尽くすことができず良機を失したのが悔しかったです。文字が読めるようになり、国民党発行の「平民報」を熱心に読み、新しい本を渇望していたので、後に妹と一緒に十余里歩いて城外まで買いに行きましたが、買えなくて残念に思いました。加えて父も性格が剛直でして、私も粗野を免れません。そして又、朱家郭解(後漢時代の遊侠)のように、屋根の上、壁の上を跳びまわって、弱気を助け強気をくじく本を読むのが好きで、剣術を学んで天下の悪者を悉く退治しようと幻想しました。(袁世凱のやろうとした)洪憲盗国の時は、この時を失すべきではないと、当に国のために命を捧げるときで、ひそかに女性革命家の荘君に手紙を出そうとし、それが家族にばれて、家人に阻止され、躓いた結果、これまで気力を失っています。近来年齢とともに社会の内幕が多少分かるようになり、同級生との付き合いも大抵はうわべだけで機械的に対応するだけで、一緒に何かするのも難しく、楽しく話すのもできません。先生が手紙に書いておられるように「今、破壊する準備をしている人もいるようで」とは本当ですか?彼等はどういう人たちでどのように結合しようとしているか知りません。先生の言われる「土匪になる」のですか? 私は度量も無く、才も浅く、力不足で、大事をなすには物足りませんが、どのような事があろうと「馬前の卒」になりたいと思い、あまり大した役には立たないでしょうが、子分として旗振りの役でもさせていただき、何かを造り出すために努力したいというのが、私が先生に仰ぎ望むところです。先生ご理解いただけますでしょうか。
 先生から毎回お手紙を頂くことは、「子鬼(自分の事)」にとって、ちょうど盂蘭盆会の時のようで、お腹一杯食べて袋にも沢山いただき、未曾有の事です。
謹んで「循循とよろしくご指導くださる」ことに感謝申し上げます。
   学生 許広平    3月26晩

訳者雑感:辛亥革命の前後の魯迅と小学生だった許とのそれぞれの経験が良く分かる。許は広東でそんな幼いころから革命に参加したいと考えたという。周りがそんな雰囲気だったのだろう。
広東から武漢の湖北湖南、そして浙江省の3角形一帯が革命の震源地だったのだ。   2016/06/08記

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