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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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導師

 導師
 近来、よく青年と言う言葉が使われる:口を開けば青年、閉じても青年と。
だが、青年 青年と一概に論ずることが可能か?醒めたもの、眠っているもの、
ボーっとしているもの、寝転んでいるもの、遊んでいるの、このほか沢山ある。
しかしもちろん前進しようとしている者もいる。
 前進せんとする青年は、大抵導師を探し求めようとする。しかし私は敢えて言う。彼らは永遠に探し当てることはできない。探し求められないのも幸運だ、と。自らを知る者は辞すし、自らそれに任じるものは、本当に道を知っているだろうか?凡そ道を知るとする者は「而立」の年を過ぎ、灰色も掬い、旧態も掬い、円満で穏和というだけで、自ら錯覚して道を知ると任じるものだ。もし本当に道を知っているなら、自らの目標に向かってとっくに歩を進めており、なにゆえに、導師になろうなどと思うものか。仏法を説く和尚、仙薬を売る道士の将来はいずれも白骨となり、同じ穴の狢である。人々は今彼らに成仏の大法を聞こうとし、昇天の真伝を求めるが、何ともおかしなことだ。
 だが私はこれらの人の一切を抹殺しようとするのではない。彼らと気ままに話しあうのは問題ない。話を聞くのも、話が上手いというだけで、ものを書くのも筆が立つというにすぎない。他の人が彼に拳法を教えて呉れというのは、自ら過つというものだ。彼らがもし拳法が上手いなら、とっくの昔から拳法をやっておるだろう。だがその時、別の人は彼にトンボ返りを教えてくれと頼むことだろう。
 青年の一部の人は、覚悟ができているようで「京報副刊」が青年必読書のアンケートをした時、ある人が色々不平不満を並べたあとで、最後に「やはり自分だけが頼りだ!」と言った。今遠慮なく言わせてもらうなら、冷水をかけるようだが、自分も頼りになるとは限らない、と。
 我々はみな記憶力が弱い。これも怪しむに足りない。人生は苦痛が多すぎ、特に中国はそうだ。記憶力が強いと多分その苦痛の重みに押しつぶされるだろう。ただ、記憶力の弱いものが生存に適し、欣然と生きて行ける。だが我々は、
少しばかりの記憶力があり、回想してはどうして「今は是で昨日は非」なのか、
「口では是で心は非」なのか、どうして「今日の自分は昨日の自分と戦うのか」など、くよくよ悩む。我々は今まさに飢え死にしそうな時に、誰もいない所で他人の飯を見つけたことは無いし、貧乏きわまって死にそうな時、誰もいない所で、他人の金を見つけたことも無い。性欲が旺盛な時に異性に出会い、しかも大変な美人に遭う事もなかった。私は思うに、大きな法螺はあまり早く言わない方がいい。さもなければ、もし記憶力があるなら、将来きっと思いだして、赤面することになるから。
 或いはやはり自分がたいして頼りにならぬということを知れば、そこそこは頼りになるかもしれない。
 青年はまたどうして金看板を掲げた導師を探し求めようとするのか?友達を探すほうがよほどましだ。友達と一緒に生きて行ける方向に歩むが良い。諸君が多く持ち合わせているのは、生気に満ちた力で、深林に入っても切り開いて平地にできるし、荒野にでたら樹木を植えられる。砂漠に入ったら井戸をほることもできる。イバラに閉された古い道を尋ねて、まやかし専門の黒い導師を尋ね求めるのはまったく意味の無いことだ!
      五月十一日 2010.9.8.
 

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議論する言霊(ことだま)


 議論する言霊(ことだま)
 二十年前、夜店で一枚の「鬼画符」(お札の様なもの)を買った。いい加減なことが描いてあるのだが、壁に貼って見ると、いろんな文字が表れて来て、処世訓や立身出世の金言が書いてある。今年、夜店で「鬼画符」を買った。貼って見ると、以前と同じで何の増補も改訂もしていない。今夜表れたのは「議論することだま」で小さな字で注があり「祖先伝来の老中青年が行う“コロリさん”のロジックで、毛唐を必滅する妙法は、太上老君の教えによってむにゃむにゃ」とある。今ここに摘録して同好の士に供す。
 「毛唐の奴隷は毛唐の言葉を話す。お前は洋書を読めというから、毛唐の奴隷で、人格は破滅している!人格の破滅した毛唐の奴隷が崇拝する洋書など、価値はしれたもの!だが私が読む洋書は学校の教科書で政府の法令に基づいており、反対することは政府に反対するものだ。父も君も無い無政府主義党は、誅せねばならぬ」
「お前は、中国はダメだという。お前は外国人か?なぜ外国に行かぬ?と言っても外国人はお前を軽蔑しているだろうが…」
「お前は、甲はカサカキという。甲は中国人だ。お前は、中国人はカサカキだと言うことになる。中国人がカサカキなら、お前は中国人だから、お前もカサカキだ。お前もカサカキならお前は甲と同じだ。しかしお前は甲はカサカキだというだけだ。だから、お前は自分のことを知らない人間であり、そんなお前の言うことに何の価値があるというのか。もしお前がカサカキでないというなら、でまかせを言っているのだ。売国奴はでまかせを言う。だからお前は売国奴だ。私は売国奴を罵るから、私は愛国者だ。愛国者の言う事は最も価値がある。私の話はまちがっていない。私の話が間違っていないから、お前が売国奴なのは疑いない」
「自由結婚は余りに過激だ。私は実際には、決して頑迷ではなく中国で女学校設立を提唱したのは私が最初だ。ただし、彼らは余りにも極端に走り、そんなに極端では亡国の禍をもたらすから、私としては“男女は手渡しでものを授受しては良くない”と主張しているのだ。ましてや、凡そ物事は過激なのは良くない。過激派はそろって共妻主義を唱える。乙は自由結婚を提唱するが、それは即ち共妻主義ではないか?共妻主義というからには、まず手始めに彼の妻を我々の“共有”にしなければだめだ」
 「丙は革命とは利を謀るものだという:利を謀るためでなければ、どうして革命をしようとするのか?私はこの目で、三千七百九十一箱半の現金を門の中に担ぎこんだのを見た。お前はそうじゃないと私に反論するのか?それならお前は彼と同党だ。ああ、同じ目的を持ったものと党派を組み、異端を征伐する気風は、今では以前より激しくなった。欧化を提唱する者たちは、その罪から逃れることはできないのだ!」
「丁は命を犠牲にした。やはりそれはいい加減なことをやらかして、結局は生きてゆけなくなったためだ。今志士気取りでいる諸君、くれぐれも同じ愚を犯さぬように。況や、中国はその結果さらに悪くなったではないか?」
「戊はなんで英雄なのか?爆竹の音にびくびく恐がる男。爆竹が怖いんじゃ、銃砲の音に耐えられるわけがない。銃砲の音が怖いようじゃ、戦争になったら逃げだすんじゃないか?戦争ですぐ逃げ出す男を英雄というから中国はだめだ」
「お前は人間と思っているが、俺はそうは思わない。俺は畜生だが、今俺は、お前を父親と呼ぶ。お前は畜生の父親だから、当然畜生である」
「感嘆符を使うな。それは亡国への道だ。ただし私の使った幾つかは例外だ」
「中庸夫人が筆を取って精神文明の精髄を取り、明哲保身の大吉大利の格言
二句をしたためた。
 中学為体西学用
 (中国の学問は心身を治めるのに用い、西洋の学、技術で世事を処すように)
 不薄今人愛古人(今の人も古人も一視同仁に)
                  2010/09/07
 
訳者あとがき:
 文字の国では、夜店にいろんなものが並ぶ。いろいろな文字の変態を使って、
呪文のようにも見えるし、絵のようにも見える。それがおまじないの護符として売られている。
 魯迅はこれを借りてきて、論敵たちが所謂「三段論法」ででたらめな議論を吹っ掛けてくるのを、撃退しているのが目に見えるようだ。
 辛亥革命で多くの烈士は命を落とした。そのどさくさに「革命党」と名乗る党が有象無象現れた。それらのほとんどは「利を謀る」ためで、阿Qは仲間に入りそこなって、濡れ衣を着せられて処刑されたが、彼らの目的は趙旦那とか金持ちの家に強盗に押し入り、金品財宝を持ち出すためであった。それ以上に不届きなのは、本当の「革命政府」の看板を掲げて、「三千七百九十一半箱の現金を門の中に担ぎこむ」連中だ。
 21世紀の今日、革命党たる共産党に入党しているのが七千万人以上と言う。
十三億の20人に一人が党員である。
数名の党員に訊ねたことがある。彼らは大抵、個人で大きな会社を経営していたり、地方政府と共同で事業を展開していたりする。いずれも正直に言う。「利を謀るためさ」と。またも言う「党員にならなければ会社などいつ何時つぶされても文句も言えない」明哲保身は三千年のDNAであると痛感した。
 

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夏三虫


  夏三虫
 夏が近づき、三種の虫が出てくる:蚤、蚊、蝿。
 もしこの三つから何が好きか、どれも好きではないとは言わせない、どうしても言えといわれたら、そして「青年必読書」のような白紙回答は許さぬというのなら、あのぴょんと跳ねる蚤と答えるほかない。
 蚤は血を吸い憎むべき虫だが、音も立てず吸うのは、さっぱりしたものだ。蚊はこうは行かない。皮膚に一刺しし、中まで針を刺し込む。刺す前にブーンブーンとひとくさり議論をぶつ音がうるさい。もしブーンブーンという音が血を与えて彼らの飢えをしのがせるべきだ、との理由を説明しようとしているのなら、余計うるさく感じるだろうが、私には何を言っているか分からない。
 雀や鹿は、人に捕まると、必死に人の手から逃れようとする。だが、山林の中にいる鷹やハヤブサ或いは虎や狼に比べたら、人に捕らわれているのが安全
ではなかろうか。なぜ、最初から人間のところに逃げてこないで、鷹やハヤブサ、或いは虎や狼のいる方へ逃げようとするのか?
 或いは、鷹やハヤブサ、虎狼は彼らにとって、ちょうど蚤にとっての人間のようなものかも知れない。腹が減ったら、捕まえて一口に食べるが、道理を説くことなど決してしないし、詭弁も弄さない。食われるものは、食われる前に、
自分が食われる理由を承認することもない。悦んで心服しますとか、二心なく死を誓いますとか言う必要もない。
 人類はしかし、ぶつぶつ理屈をこねまわすことに頗る長じていて、できるだけ穏便に運ぼうとするが、雀や鹿がこれを避けて、一刻も早く逃げようとするのは、聡明そのものだからである。
 蝿はぶんぶん長い間さわいでから、止まって脂汗をひとなめするだけだが、もし傷やできものがあると、彼らにとって好都合:どんなに良い物でも美しいものでも、そして清潔なものでも全てにたかって糞をする。だが脂汗をひとなめするだけなので、ちょっと汚いものを付けるだけだから、人々は皮膚を切られる痛みも感じず、それを放っておく。中国人はまだ蝿が病原菌を伝播することを知らないし、蝿取り運動もまだあまり活発ではない。蝿たちの命運は長久で:今後更に繁殖してゆくことだろう。
 ただ、蝿はいい物、美しいもの、清潔なものに糞を付けた後、糞をつけたものに向かって、欣然とした態度で、嘲笑ったりはしない:それなりの道徳感は持ち合わせていると言えよう。
 古今の君子は、禽獣に譬えて他人を排斥してきたが、昆虫には見習うべき点の多いことを余り知らない。
  四月四日       201096
 
訳者雑感:
 この小文は難解である。
 古来中国の隠者、隠遁者は山中に入って、栄養も不足しがちなのに大きな腹を抱え、着物に住みつく蚤の数を調整するかのごとく、日なたで蚤取りをする絵が残されている。阿Qの仇も、阿Qより良い音を立てて次から次へと蚤を潰すのに、阿Qは腹をたてて、ケンカを始めさせている。この辺は現代日本人とは、感覚的にも大きな差がある。まともに蚤さえ養えない阿Qの悲劇。
 雀や鹿は、人に捕まると必死に逃げようとする。この挿話はどう解釈すれば良いのだろうか。人の檻のなかで囚われて生きるより、虎や狼はいるけど、自由に生きられる場所に逃れるのが動物の本能。一方、当時の中国人は奴隷のように自由を奪われて、囚われの生活をしそれに不平不満も言わない。
 蝿は何にでも糞をつけて飛び去るが、戻って来て糞を付けた対象を嘲笑はしない、とは何を言うのであろうか。1925年ごろの中国の状況をよく知らないと何も分からない。論敵の顔に泥をかぶせたり、罪を着せたりして嘲ることが、しばしばなされたのだろうか。古今の君子は、そのようにして相手を罵り、排斥して自分の地位を保ってきたと言うのか。
 

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往復書簡二

二.
 旭生様
 貴信拝誦。瑣事にかまけて今日やっと返事が書けるようになりました。
 文学思想の専門月刊誌ができれば確かに大変素晴らしいことです。字数の多寡は何ら問題ないでしょう。第一に難しいのは執筆者で、数名でやれば結果は某週刊誌の拡大版か、
各週刊誌の合併版の類になるでしょう。筆者が増えると、内容を統一させようとの狙いから、互いに折り合う事を余儀なくされ、穏健中正で奥歯に物が挟まったようなものになり、何も取り柄の無いものになってしまうでしょう。今の各種の週刊誌は量も少なく、微力ですが、小集団で単騎白兵戦で、暗闇に時に匕口がきらりと光り、同類者が自分の他にも、誰かがこの固陋堅固な砦を襲撃していることを知らしめることができ、これに比べてバカでかい灰色の軍容を目にして、或いは逆に会心の笑みを浮かべることでしょう。
 今私はこうした小刊行物が増えるのを希望します。目指す方向が大同小異ならば、将来自然に聯合戦線を組めば、効力は大きくなるでしょう。しかし今もし私の知らない新しい作家が出てくれば、それは当然別の話です。
 通俗的な小新聞はもちろん緊急に必要ですが、これは簡単に見えてやり始めると大変難しい。我々は「第一小報」と「群強報」の類を比べるだけで、実際は民意とかけ離れていることが分かります。これで収穫を得ようとするときっと失敗するでしょう。民衆は皇帝がどこにいるのか?太妃の安否はどうかを知りたがっており、「第一小報」が彼らに「常識」
を説くのは、理にかなっていません。教師を長らくやると、一般社会からかけ離れ、いかに熱心でも、何かやりだすとどうしたわけか失敗する。もし必ずやるというのなら、学者の良心を持ちながら、商売できる人でないと、但しこのような人材は教員中にはいないでしょう。私はいまどうしようもないから、知識階級――といっても中国にはロシアの所謂それはいないのですが、これを言い出すと長くなるのでまずは一般論に従ってこう言っておきますが――から始めて、民衆の方は将来また話しましょう。そして且つ彼らも何行かの文字だけで改革できるわけでもありません。歴史が我々に教えてくれるのは、清軍の兵隊が、山海関から侵入してきたとき、纏足を禁じ、辮髪を強制したが、前者に関しては、文字だけの告示だったため、現在に至るもなお、まだそれを止められずにいます。後者は、
別の方法(辮髪の無い人間は首が無くなる:訳者注)を用いたので今も続いています。
 単に在学の青年向けにも読むべき本や新聞はとても欠乏しています。少なくとも通俗の科学雑誌の、分かりやすくて面白いのがあると良いです。中国の今の科学者は文章が余り上手でなく、書けても高級すぎて、専門的すぎ、無味乾燥なものしかないのは残念です。
今はブレーヘンの動物の生活やファーブルの昆虫記のように面白く、そしてたくさん挿し絵の入った物が必要です:但しこれは大書店でないと請け負えません。文章については科学者がレベルを少し下げることに同意し、そして文芸関係の本を読んでくれれば、それでゆけます。
 三四年前、ある派の思潮がこのあたりのことを大変無茶苦茶に壊してしまいました。学者は研究室に身を引きこむように勧め、文人は芸術の宮殿に入るのが一番いいとし、そのため今に至るも、そこから出て来ません。彼らはそこでどうなっているのか、知りません。
これは自分たちの願望でしょうが、大半の人は新思想とは思いながら「昔の古いやり方」の、奸計に嵌められています。私はこのことに最近気づきました。あの「青年必読書」事件以来、多くの賛同と嘲罵の手紙をもらいました。凡そ賛同者はみな率直で何のお世辞もありません。もし冒頭に私のことを「なんとか学者」「文学者」と書いてあれば、続く文章は必ず謾罵です。それでやっと分かりました。これは彼らのよく使う手で、精神的な枷をはめて、故意に相手を「大衆より抜きんでた」者と定め、それで相手の言動を縛り、彼らのこれまで続いてきた生活から危険を除去するのです。ところが多くの人は自ら何とか室とか何とか宮殿に閉じこもって行くのはとても残念なことです。この種の尊称を放擲し、体を一揺すりして変化し、無頼と化し、相罵り、殴り合って(世論は学者はただ手をこまねいて講義するだけだと思っているが)ゆけば、世間も日々に向上し、月刊誌もできるでしょう。
 貴方の手紙に、惰性の表れ方は一つではない。最も一般的なのは第一に天命に任し、第二は中庸とありました。この二つの根底には、只単に惰性というだけで済ますわけにはゆきません。それは実は卑怯だと思います。強者に遭うと反抗しようとせず「中庸」で以てごまかし、しばし自らを慰める。だから中国人は権力を持って、他人が彼をいかんともできないとみれば、或いは、「多数」が彼の護符だというときは、大抵の場合、凶暴で横暴になり、暴君となって、事を為すに決して中庸ではありません。「中庸」を口にする時は、すでに勢力を失い、とっくに「中庸」でないとやってゆけなくなったときです。一旦、全敗しだすと、今度は「運命」を言い訳にし、たとえ奴隷になっても泰然としていますが、もうほかに行き先も無く、聖道にも合致しません。こうした現象は実に中国人を敗亡させるのです。外敵の有無にかかわらず、こうしたことから救い正そうとするなら、いろいろな欠点を明確にし、見栄えばかりの仮面を剥ぎ取ることです。
   魯迅  三月二十九日
 
 魯迅様
 「研究室に引っ込め」とか「芸術の宮殿に移れ」とかは全て「ある種の奸計」と見抜いたのは、本当に重大な発見です。本当のことを言うと、私も最近自らをgentlemanとめいずる人たちは、大変恐ろしいことだと思う次第です。(銭)玄同先生のgentlemanを皮肉った話は、炎暑にアイスクリームを食べたようにとても痛快でした。要するに、こうした文字はすべて奸計で、みなで戒めあって彼らの奸計にはまらないようにせねばいけません。
 通俗科学雑誌は、決して容易ではないと感じますが、今までこの問題について全く考えて来ませんでしたから、それについては暫時、何も言えません。
 通俗的小新聞については言いたいことが沢山ありますが、紙幅が限られていますので、しばらく置いておきます。次回、小さな物を書いて、この件を専門的に論じます。その折には、また御指教ください。
 徐炳昶 三月三十一日      2010/09/05
 
訳者あとがき:
 挿し絵入り科学雑誌の創刊を提唱した魯迅は、若いころから「挿し絵」が大好きだったようだ。日本留学時代に目にしたドイツ フランスなどの動物記や昆虫記の印象が強烈であったのだろう。ジュールヴェルヌの地底旅行などのSFに近いような科学小説など、
おびただしい量の翻訳を中国に紹介した。中国語で書いた著作量より多いかもしれない。
南京や仙台で正式な学校教育として学んだのは鉱山など理工系や医学だったから、彼はもともと理系的頭脳の持ち主だったと言えよう。
 その一方で、古典の経書の塾では、授業をそっちのけで、中国の伝統的挿し絵入り読本のなかの登場人物の挿し絵を何十枚何百枚も書きうつして、本に仕立て、それを買いたいという金持ちの同級生に売ったと自ら書いているほど好きだった。(「三味書屋」)
 また仙台で藤野先生に添削を受けた解剖図の筋と血管の絵でも、実態は先生の指摘通りと首肯しつつも、自分の解剖図の方が上手く描けていると書いている。そして晩年には
版画の普及に大変な情熱を傾けている。
 こうしてみると彼のスケッチのうまさと文章表現の鋭さは同じ根から出ているようだ。
永井荷風のスケッチと描写に感心したことだが、両人の世間を見る目は相通じるものがあると思う。

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往復書簡 一

往復書簡
一.
 旭生様 (徐炳昶 週刊「猛進」主編:訳者注)
 一昨日、「猛進」第一期拝受。貴方が送ってくれたか、或いは玄白さんか、いずれにせよ
どうもありがとう。
 その中の市政を論ずる話が、私にふと関係のない話を思い起こさせました。私は今小さな胡同(北京の横丁)に住んでいますが、ここにいわゆる土車というものがあり、毎月少額の銅銭をもらって、石炭ガラの類を搬出しています。搬出してからどうするか?街の道端に積み上げておくのです。それで毎日高く積み増してゆきます。数軒の古い家は、壁の下半分がそれに埋もれています。それが近所の家の将来を予告しています。どうしてこんなことになるのか知りません。この人たちを見ていると、中国人の歴史を見るような気がします。
 今、名前を思い出せませんが、明末の遺民で、彼は自分の書斎を「活埋庵」と名づけました。北京の人たちは、今みんなして「活埋庵」を建造しているのです。それも自分で建造費を出してです。
 新聞の論壇には「反革命」の空気が濃厚なのが見てとれます。車いっぱいの「祖先伝来」
「古いしきたり」「国粋」等々、みな道路に積み上げて、全ての人たちを完全に生き埋めにしてしまおうとしているのです。
 「何度も言いつづける」のも一つの方法でしょうが、私の見るところ、ある種の人々の――青年すらも――論調は、まったく「戊戌の政変」時、改革に反対した人たちの論調と同じです。27年経っても、こんな具合では、どうしようもない。国民がこんな風だから、良い政府があり得る筈が無い:良い政府はいとも簡単に倒れてしまう。良い議員もいるはずが無い:議員たちは収賄に励み、節操が無く、権勢におもねり、私利私欲に走る、と国民は罵っています。だが、これは大多数の国民もまさにそうなのではないでしょうか?この議員たちは、確かに国民の代表なのです。
 今取り得る方法は、数年前の「新青年」で提唱された「思想革命」です。やはりこの一言しかなく、悲しむべきことながら、これ以外の方法は無いと思います。そして「思想革命」に備える戦士たちは、目下の社会とは無関係の人たちです。戦士が養成されるのを待って、勝負に打って出るのです。私のこのような迂遠な渺茫とした意見は、我ながら嘆かわしく思いますが、雑誌「猛進」への希望は最終的には、やはり「思想革命」です。
       魯迅  三月十二日
 
訳者雑感:北京の変貌ぶりはすさまじい。長安街の南北の平屋はすべて取り壊され、超高層ビルに変じた。しかしつい10年ほど前まで、取り壊される前の胡同に入ると、魯迅の指摘した通り、石炭ガラで壁が半分活埋めされていた。それが耐えられないほどに積み上がると、市政からトラックが回されて、どこかに運び去られる。80年も不変だったのだ。
 魯迅様
 貴方の言われる「27年、相も変わらず」は誠に大変「恐ろしい」ことです。人類の思想には、本来的に惰性がありますが、我々中国人のそれは、より濃厚なのです。惰性の表れ方は一つではなく、ごく普通には、第一は天命に任せ、第二は中庸です。天命に任すとか中庸の空気を打破せねば、我々中国人の思想が進歩するという望みは永遠に無いでしょう。
 貴方の言われる「講演するのと文章を書くのは、どうも失敗者の烙印のようだ。今まさに運命と悪戦苦闘している人は、そんなことを顧みる暇さえない」というのは、実に心痛む話です。しかし私は別の面からみて、まだ多くの人が講演し、文章を書くのはまだ人心が全死に至ってはいないことを証明していると思います。だがここで分別せねばなりません。それには、不平不満の吐露、それが嘲りであれ罵倒であれ、それでこそ人心は未だ
全死に至っていない証明なのです。もしそうでなければ、言いかえると、もしその文章に“!”ばかり使っているのでなければ、そして言うことと書くことがどんなに耳触りのよい物であろうが、それはもはや人心の全死を意味します。亡国か否かは第二の問題です。
 「思想革命」は現在最も重要な問題ですが、私はいつも「語絲」(雑誌)や「現代評論」と我々の「猛進」が一緒になっても、この使命は負えないと思います。二つの希望があり、一つは皆が集まって文学思想専門の月刊誌を作る。中身はレベルを高すぎないようにし、旧悪を暴くのを6-7割、新しいことを紹介するのを3-4割にする。こうすれば大学や中学高校の学生も時間のある時の良友になり、思想の進歩面で、きっと有益になることでしょう。私は今、胡適さんとちょっと話をしましたが、彼は今我々が月刊誌を出すのは大変困難だと言いました。多分毎月八万字なら可能だが、もし十一二万字出そうとすると、ほとんど不可能だと言います。私はどうして十一二万字にどうしてこだわるのか、七八万字あればそれで出し、たとえそれより少なくてもダメだと言う事は無い。要するに、ある方が無いよりずっと良い。これが私の第一の希望。第二は一種の通俗的小新聞です。
現在の「第一小報」はこれに近いようです。この新聞は二三期分しか見ていませんので、評価する手立てもないのですが、印象としては:まず紙幅が極めて小さい。少なくとも
あと半分ほど増やせば良いと思う。次にこの種の小新聞は常に対象を民衆と小学生向けと明確にする。思想は極めて新しい物を必要とするが、話の中身はとても浅く明瞭に書く必要がある。専門用語と新名詞はできるだけ使わない。「第一小報」はこの二点にあまり注意を払っていないようです。このような良質の通俗小新聞が私の第二の希望です。
 いろいろ乱筆で長々と書きましたが、貴方のお考えはいかがでしょうか?
  徐炳昶 三月十六日      2010/09/04
 

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ふと思い到って 十一の4


4.指を切ることと昏倒すること
 またも(抗議のために)指を切ってその場で意識不明になる事態が起こった。
 指を切るのはごく小さな部分の自殺で、昏倒はごく短時間の死亡だ。このような教育が普及しないことを望む。今後このような現象が二度と起きないように。
 
5.文学者は何の役に立つのか
 上海事件発生後、文学者は一人も「狂喊」しないので、ある人、疑問を呈して曰く:
文学者はいったい何の役に立つのか?と。
 敢えて謹んで答える;文学者はいくらかの詩文を作る以外、実に何の役にも立たない。
中国の現在のいわゆる文学者は別のことを言う:たとえ本当の文学の大家でも「詩文大全」
ではないし、一つのテーマごとに必ず文章を書き、一つの案件ごとに、必ず狂喊する訳でもない。彼は万藾無声の時、大いに叫ぶが、金や太鼓が騒がしい時に、沈黙する。レオナルドダヴィンチは、たいへん鋭い感覚の人だが、人間が死に臨むときの恐怖と苦悶の表情を究めんとして、斬首の現場を見に行った。中国の文学者はまだ狂喊していないが、これほどまで冷静にはなれない。ましてや「血花繽紛」という詩をすでに発表したではないか。それが狂喊かどうかは分からないが。
 文学者も多分狂喊すべきだろう。古い例を調べると、事をなすにはまず文を作って名をあげるに如かず、という。上海と漢口の犠牲者の名は、そのうちきれいさっぱり忘れ去られても、詩文は往往にして久しく残り、或いは人人を感動させ、後人を啓発する。
 これが文学者の役目だ。
血の犠牲者が役に立ちたいと思っても、或る面で文学者には及ばない。
 
6.「人民の中へ」
 本当に多くの青年がそこへ帰ろうとしている。
 最近の言論を見ると、旧家庭は青年の新しい生命を呑み込む恐ろしい妖怪のようだ。しかし実際は、最終的には愛すべき所としての位置を失ってはいない。どんなものより吸引力に富む。子供のころに釣りや池で遊んだ所は懐かしい。ましてや大都会と隔絶した故郷で、暫し、半年以上も都会で苦労してきた疲れを癒すことができるなら尚更だ。
 その上これが「人民の中へ」とみなされるに及んでは。
 だが、ここから分かることは、我々の「人民の中」はどのようになっているかで、青年は一人で人民の中へ入るとき、自分の力と心情は北京で仲間と大声でこのスローガンを叫んでいるときとどう違うか?
 この違いをしっかりと覚えておいて、もし将来人民の中から戻って来た時、北京で再び仲間と大声でこのスローガンを叫ぶとき、ふり返って見て、自分が本当に真実を語っているか、嘘でたらめかが分かる。
 それで多分若干の人たちが沈黙する。沈黙して苦しみ、そして新しい生命はこの苦しい沈黙の中から芽を出してくるのだ。
 
7.霊魂と断頭台
 近来、夏は軍閥の戦争の季節で、青年たちの霊魂の断頭台の季節となる。
 夏休みに入ると、卒業生はみないなくなり、新入生はまだ入学していない。それ以外は大半が帰郷する。各種同盟は暫し別れ、喊声も低調、運動も消沈、刊行物も中断となる。炎熱の巨大な剣が天上から降りてきたようだ。神経中枢も突然断たれ、首都も突如として死屍に変じる。独り狐鬼だけが屍の上を往来し、従容として全てを占領した印の大旗を立てる。
 気分爽快な天高い秋が来ると、青年たちは戻ってくるが、すでに新陳代謝したものも少なくない。彼らはまだこの首都が、健忘症にさせる空気を味わっていない状態で、新生活を始める。まさしく卒業生たちが去年の秋に始めたように。
 そこで全ての古い物と廃物が、永遠に新鮮のように見える:もちろん周囲は進歩したか、
退歩したか感じないし、当然ながら会う相手が妖怪は人かも区別できない。不幸にもまた事変が起き、やはりこのような世の中、このような社会の中で、ただ相変わらず、「同胞、同胞よ!」と叫ぶのみだ。
 
8.やはり何もない。
 中国の精神文明は、すでに銃砲に破壊され、多くの経験の後、もう何もない空っぽだということを証明しようとしている。この「何もない」という表現を避けたら、少しは自ら慰めることもできる。もう少し耳触りのよい表現に変えたら、寒天に暖炉の前にいるように、気持ちよく居眠りできよう。しかしその報いとして、治療できる薬は永遠に手に入れられず、全ての犠牲が無駄になってしまう。みんなが居眠りしている間に、狐鬼は犠牲を食べ尽くし、更に肥え太る。
 人はこのことをしっかり覚えておいて、四方を見、八方のことを聞き、これまでのように、すべて自分を欺き、人を欺くようなはかない望みを一掃し、誰もが自分も人も欺むくような仮面を脱いで、誰もが自らも人をも欺く方法を排除し、要するに中華の伝統というあらゆる小賢しいタクラミは全て放擲し、忍耐強く、我々を銃撃してきた毛唐から学ぶ事、
そうしてこそ、初めて新しい希望の芽が出てくる望みがある。
  六月十八日     2010/09/03
 
 
 

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ふと思い到って 十一

十一
    急いては言を択ばず
「急いては言を択ばす」ということの原因は、考える暇が無いことに起因するのではなく、時間があるときによく考えないことにある。
 上海の英国巡査が市民を惨殺したあと、我々は非常に憤慨し叫んだ。「偽文明人の正体が暴露された!」と。ということは、それまでは彼らに何がしかの真文明があると思っていたということだ。然るに中国の銃を持った軍閥は、平民を略奪し屠殺しているのに、一向に抗議する人は出てこない。まさか手を下したのが「国貨」だから、惨殺も歓迎するというのではあるまい。やはり我々はもともと本当に野蛮人だから、自分で自分の家人を殺すのは奇とするに足りないとでもいうのか。
 自分たちが殺し合うのと、異民族に殺されるのはもちろん同日には論じられない。たとえば、自分で自分の頬を打つのは、気持ちとしては落ち着いたものだが、他人に殴られたら、非常に憤慨する。だが、人は自分で頬をぶつようなていたらくに陥ったら、他人に殴られるのも免れない。世の中に「殴る」という事実が無くならない限りは。
 我々は確かに少し急いてあわててしまった。反キリスト教の叫喊の尾声がまだ消えやらぬうちに、多くの人はキリスト教宣教師の上海事件に関する(デモに同情的な)証言に対して、大変敬服している。更にはローマ法王に(電報で同情と支持を)訴えてもいる。
一度流血を見ると、気風はかくも変わるものか。(以前は反キリスト一色だった:訳者注)
 
2.一致対外
 甲:「乙さん!あなたはどうして私がこんな忙しい時をみすかして、私の物を持ち去るの?さあ今返してよ!」
 乙:「我々は今、一致団結して外国に向かわねばならない!こんな危急なときに、自分のことしか考えないの? 売国奴め!」
 
3.「同胞よ、同胞よ!」
 私は自分の罪名を書いて自首したい。今回、強制的な寄付以外に、別途ごく少額を寄付したが、本意はこれで救国に協力しようというのではなく、あの真面目な学生たちが熱心に奔走しているのを見て、感ずるものがあり、彼らが釘にぶつかるのをすまなく思うからだ。
 学生たちは演説のたびに「同胞よ、同胞よ!」というが、同胞とはどんな同胞なのか、どんな心を持っているか知っているだろうか?
 知らないなら、たとえば私の心意も自ら言い出さねば、募金集めの人たちも多分知るまい。
 我が家の近くに小学生が何人かいて、いつも何枚かの紙に幼稚な宣伝文を書き、彼らの細腕で電柱や壁に貼っている。翌日には多くは剥がされている。剥がしたのは誰か知らない。だが、英国人や日本人とは限らない。
「同胞よ、同胞よ!」学生たちは言う。
 私はあえて言うが、中国人の中にいる、あの真摯な青年たちを敵視する目は、英国人や日本人より陰険だ。「外貨排斥」のために復讐するのは必ずしも外国人ではない!
 中国を良くしようとするなら、他の仕事もやらねばならない。
 今回北京の演説と募金の後、学生たちと社会のいろいろな人々が接する機会が非常に多くなり、各方面に注意する若干の人たちが、見たこと感じたことを書き始め、良いことも悪いことも、模範的なものも顔向けできないことも、恥ずべきこと、悲しむべきこと、全て発表し、我々が結局どんな同胞を持っているか、皆に見てもらおう。
 それが分かったら、次に別の仕事を計画できる。
 決してごまかさないこと。たとえ発見したのがいわゆる同胞でなくとも、最初から作り始めるのもいい。発見したのが全くの暗黒でも、暗黒と闘う事ができる。
 けっしてごまかさないこと。外国人が我々のことを知っているのは、我々が自らを知っていることより、しばしばより明確だ。ごく卑近な例が、中国人の編集した「北京ガイド」より日本人の書いた「北京」の方が精確だ!
 
 

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ふと思い到って十


 十.
 なんぴとであれ、無実を証明する立場に立たされたら、白か否かにかかわらず、いずれもすでに屈辱である。ましてや実際に大きな被害をこうむってから、冤罪を証明せねばならぬときては、何をかいわんやである。
 我市民が、上海租界の英国巡査に銃撃され殺されたのに、我々は反撃しないで、まっさきに犠牲者の濡れ衣をすすごうとした。我々は決して「赤化」していない。他国の扇動を受けてやったのではないとか;「暴徒」ではない。皆素手で武器を持っていなかったとか。私にはどうしても分からない。なぜ中国人がもし本当に赤化していたり、国内で暴動したら、英国巡査のいうがままに、死刑に処さなければならないのか?たしか新しいギリシャの人たちが、自国内のトルコ人に武器ではむかった時、暴徒とは呼ばれなかったし、ロシア人は赤化して確かに何年か経ったが、外国人の銃撃で征伐されたことは無いと記憶する。それなのになぜ中国人だけが、市民が殺された後、なんでまたビクビクしながら冤罪の弁護をせねばならぬか。冤罪をすすぎたいという目で、世界に公正な道理を探し求めようとするのか?
 実はこの理由は非常に明白だ。我々は決して暴徒でもなく、赤化していないからである。
 それで我々は冤罪と感じ、偽文明の破綻だと大声で叫ぶ。しかし文明は昔からこうであって、今になって仮面を脱いだわけではない。ただこんな被害をこうむったから分かったのであって、以前は他民族がこうむっていても、我々は知らなかったか、何回もこうむってきたが、すべて忘れてしまっていたからだ。公正な道理と武力が合体した文明など、まだこの世に出現していない。その萌芽は或いは数人の先駆者と被圧迫民族の何人かの頭の中にのみ存在していた。ただ、自分が力を持つと、二つに分かれてしまうのだ。
 しかし英国には本当の文明人がいる。今日、我々は各国の無党派知識階級労働者が組織した国際労働者後援会が、中国に大いに同情して書いた「中国国民への宣言」を見ることができる。
その中に、英国ではバーナード ショーがおり、世界の文学に関心のある人なら大抵知っているだろう。フランスにはバルビュスがおり、その作品は中国にも翻訳されている。彼の母は英国人で、或いは彼が実行力に富むのはそのせいかもしれない。仏作家に多い享楽の気分は彼の作品にはほとんどない。今、みんな出できて中国の為に発言している。だから私は英国人の品性は学ぶべき所がまだまだ大変多いと思う。もちろんあの巡査と商人、それに学生たちのデモを屋上から拍手しながら、嘲笑していた娘たちは除くが。
 我々は「敵を友の如く愛す」人間になるべしとは言わない。目下のところ、我々の敵は誰なのか、実は見極め切れていない。近頃の文章に、「敵がはっきりした」というが、それはまだ文字だけが先行し過ぎている嫌いがある。もし敵がいたら、我々はすぐにも刀を抜いて起ちあがり「血で血を償う」よう要求せねばならぬ。それなのに我々が今要求しているのは、何だ?無実を証明して後、軽微な補償を求めているに過ぎない。その方法も十数条あるが、要するに単に「相互往来を止め」「あかの他人になる」だけだ。本来極めて親密な友人に対しても、これくらいにしかできないのだろうか。
 しかるに実態は、公正な道理と実力はまだ合体していないから、我々は道理だけしかつかんでいないので、会う人はすべてが友であるが、それはたとえ彼が勝手に人を殺してもそうなのである。
 もし我々の手には永遠に道理しかないならば、無実を証明することに永遠にやらねばならず、一生を無駄にじたばたするだけだ。ここ数日、壁にビラが貼られ、「順天日報」
(日系中国語新聞)を読む勿れ、と訴えている。従来この新聞をあまり見ていないが、
決して「排外」しているのではない。実は彼らの好悪がいつも私と大いに異なるためだ。
だが中には確かなことも書いてあり、中国人が自分では言わない話もある。二三年前、丁度愛国運動が盛んなころ、偶々彼らの社説を見た。大意は、国家が衰退する際にはきまって2種の違った意見に分かれる。一つは民気(精神)論者で、国民の気概に重きを置く。もう一方は、民力論者で、国民の実力に専ら重点を置く。前者が多いと国はだんだん弱くなり、後者が多いと強くなる。私はその通りだと思う。そして我々はこの事をしっかり覚えておかなければならない。
 残念ながら、中国は歴来、民気論者ばかりが多くて、今に至るもこのていたらくだ。もしこのまま改めねば、「再び衰え、三度目には竭(つ)きてしまう」ことになり、将来無実を証明する精力さえ無くなってしまう。だから止むを得ず民気を鼓舞するときも、同時に何とかして国民の実力を増大せねばならぬ。ずっとこうしてゆかねばだめだ。
 中国の青年の任務はとても重大で、他国の青年の数倍だ。我々の古人は心や力を、これまでは玄虚、漂渺、平穏、円滑の方に使ってきて、本当に難儀なことは、保留し先送りにしてきたので、一人が、二三人分、四五人分、十人百人分やらねばならず、今まさに試練の時である。相手は屈強な英国人、まさに他山の好石、大いにこれを借りて磨かねばならぬ。仮に今覚悟のできた青年の平均年齢を20歳とし、又仮に中国人は早く老い易いことを計算に入れても、少なくとも一致協力して抵抗し、改革に三十年を使えることになる。もし足りなければ次代、次々代とつなげばよい。この数字は個人から見るとおそろしいほど長いようだが、そんなことをおそれていたら、救いようがない。ただ滅亡に甘んじるのみ。民族の歴史上、これは極めて短い時間に過ぎず、これ以外により早い道は無い。
遅疑している暇などない。ただ自己を鍛錬し、自ら生存を求め、誰に対しても悪意を抱かずやって行く。
 しかし、この運動持続の破滅するリスクは三つある。
一つは、日夜表面上の宣伝に明け暮れ、他のことを見下して放置すること。
二つ目は、仲間に対し性急すぎ、ちょっとでもあわないと国賊よばわりすること。
三つ目は、多くのずるがしこいのが、この機を逆用して、自己の目先の利益をかすめ取ろうとすること。
 六月十一日    2010.8.28.
 
訳者の読後感:
 これは上海の内外紡という日系企業で、首切りに抗議したストライキを機に起こった
所謂5.30運動で、学生二千余名を含むデモ隊に対して英国警官の銃撃で数十名が死傷したことについて書かれたもの。1925年に中国の青年の平均年齢20歳で、早く老い易い中国人でも30年は、力をつけるためにしゃにむにやれば何とかなると檄を飛ばしたもの。
 魯迅の檄に刺激されてかどうかは分からないが、30年もかけずに力を自分のものにした。
その後の30年は、鎖国状態で内部闘争に多くの精力を費やした。魯迅の言う個人的には大変恐ろしいような長い時間をかけたが、次々代の1980年代から公正な道理と実力を合体させる政権がなんとか出来上がったように見られる。
 しかし魯迅が最後に揚げた三つのリスクは、21世紀の今も残っている。
 

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ふと思い到って九


 ある人の言うには、追憶ばかりしている人は先が暗い。なぜなら過去のことに拘泥ばかりして、勇猛に進取することを望めないから。だが、追憶はもっとも喜ばしいという人もいる。前者は誰が言ったか忘れたが、後者は多分A.Franceだと思う。両方とも彼かもしれない。が、二つとも道理があり、整理し研究するなら、結構いい暇つぶしになる。だがこれは学者たちに任せておこう。私はこうした高尚な事業に立ち入ろうとは思わない。結果を少しも出せないうちに、母屋で天寿を全うしてしまうだろうから。(本当に天寿を全うできるかどうかは、もちろん分からぬことだが、ここでは少し見栄え良く書いたまで)。私は、文芸研究の宴席は謝絶できるし、学生を退学させるための会食も避けることはできるが、閻羅大王の招待状はこれを「謹んで謝す」訳にはいかんだろう。どんな格好をつけても無駄だ。さあ今はもう過去に恋々とするなどせず、将来のことに思いを致しても、ともにお先が暗いのは同じだが、そんなことは構わず、書いてゆこう。
 ものを書かないのは、自己保身のためだということを、今頃になってやっと分かったのだが、ものを書くのは、99%自己弁護のためというのは、とうに知っていた。少なくとも私自身はそうだ。だから今から書きだすのは自分のための手紙だ。
 
 F.D君へ:
 一二年前、手紙に私の「阿Q正伝」で、たった一人の無聊な阿Qを捕えるのに、機関銃を使うのは、ものの道理から外れているとのご指摘ありました。当時君に返事を出さなかったのは、差出人の住所がなかったことと、阿Qはもう捕まってしまっていて、貴君といっしょに騒ぎを見に出かけて、検分できなくなってしまったからです。
 数日前、新聞を見ていて君のことを思い出しました。記事の大意は、学生たちが執政府に請願に行ったが、事前にこれを知った政府は東門に軍を増派し、西門には二台の機関銃を据え付けた。学生は入ることもできず、何の結果もなく雲散した。君がまだ北京にいるなら、遠くからでいいから、遠いほどいいから一度見てください。もし本当に二台あるなら、私は「ほんとうにひとこと言いたい」のです。
 学生デモと請願はこれまで何回もありました。彼らはみな節度をもって正しく行ってきて、爆弾やピストルは絶対使わないし、九節(に折れ曲がる)ハガネのムチやさす叉の両刃の剣も無い。まして丈八の蛇矛(じゃぼこ)や青龍掩月刀も無い。せいぜい「懐中に一枚の紙」のみ。それゆえこれまで反乱分子として騒いだ経歴もない。にもかかわらず、機関銃を二台も据え付けたのだ!
 阿Qの事件は大きかった。城下に物を窃盗しに行き、未荘でも強盗を働いた。その時は民国元年で、官吏たちも今よりづっと奇妙な対応をしていた。先生!これは13年も前のことですよ。あの時のことはたとえ「阿Q正伝」の中で、更に一混成旅団と八台の山砲を添えても、言い過ぎにはならないでしょう。
 一般的な視線で中国を見てはいけません。私の友人がインドから帰って来て、ほんとうに奇怪な所で、ガンジス河の畔を歩くたび、捕まって殺された揚句、祭られないように用心せねばならぬと痛感した、と言いました。中国にいても時々、このような恐怖に陥ることがあります。普通、ロマンティック(不可思議、幻想的)と思われていることが、中国では平常のことであり、機関銃が土地神の祠の外に据えられなければ、他にどこに置けばよいのでしょう?
     1925年5月14日 魯迅上    2010/08/27
 
 

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ふと思い到って 八

八.
 五月十二日「京報」の“顕微鏡”に下記の一文が載っていた。
“某学究が某紙に教育総長‘章士釘’の五・七事件関係の上奏文を見て、憂えて曰く;
‘名字がかくも怪僻なるは、儒教聖人の徒に非ず。豈に吾が仲間の古文の道を衛る者ならんや!’”と。
 これを見て。中国のいくつかの字は、口語文中だけでなく、たとえ文語文の中でも殆ど使わぬことを思い出した。そのひとつが、この誤植の“釘”の字で、もうひとつは‘淦’の字で、大抵はただ人名に残るのみ。今、手元に「説文解字」が無いので、釗の字の解釈は全く覚えていないが、淦は船底漏水の意味のようだ。我々は今、船底の漏水を述べるとき、いかに古びた奥妙な文章を使う時も‘淦矣’までは至らない。だから張国淦、或いは
孫嘉淦とか新淦県という地名などを印刷する以外、この一粒の鉛字は全くの廃物だ。
 ‘釗’に至っては、釘に化けるのは笑い話にすぎない。ある人がこのために害をこうむったそうだ。曹錕が総統時代、(その頃はこう書くのも犯罪だったが)李大釗先生を処罰しようとして、国務会議の席上、一人の閣員が言った:彼の名を見れば彼が分に安んじる人間でないことが知れる。よりによってなんでこんな字をつけたのか。李大剣などと。そこで決まった。この‘大剣’先生は自ら‘大刀王五(用心棒)’流の人間だと証明している。
 私はN市の学校で学生だった頃、この剣の字で何回か釘を打たれた。これも自分自身が分に安んじなかったためだが。新任の幹部が来て、威勢がことのほか強くて、学者風を吹かし、傲然としていた。不幸にも同級生に‘沈釗’という者がおり、まずいことが起こった。彼は‘沈鈞’と呼んで自分の識字水準の低さを露呈してしまった。それで我々は彼を見るとちゃかして、‘沈鈞’と呼んだ。嘲りから互いに罵るまでになった。二日もすると、十数名の同級生が次々と二つの小さなバッテンと大きなバッテンをつけられ、退学となった。退学は我々の学校ではたいした事件ではなかった。本部の正庁には軍令がいて、学生の首を切ったりもした。そこの校長となれば、大変な威力を持っていた。当時は‘総弁’といい、資格としても道員候補(清朝の官吏の身分)でなければならなかった。仮にあのころ、現在のように高圧的手段をとれば、我々はとっくに‘正法’で仕置きされ、私も今頃「ふと思い到って」など書けないことになっていただろう。なぜだか知らないが、近頃
‘懐古’傾向が強くなってきたようだ。今回はたった一つの文字で遺老のように昔に思いをはせる口吻になってしまった。
  五月十三日   2010/08/26
訳者メモ:
出版社の注に、魯迅は1898年夏から1902年初めまで江南水師学堂と江南陸師学堂の附属鉱務鉄路学堂に学んだ、とある。上記の退学はどちらの方をさすのだろう?大事件では無いというのからすると、最初の方で、そちらを退学処分になっても後の方に転入できたのか。以前読んだ伝記(署名失念)には、自分の意志で辞めて、日本に留学したとの印象が残っているが、双方とも海軍とか陸軍の建てた学校のようで、それに嫌気がさしたという記憶もある。日本に負けて、洋務運動と軍隊再建が急務であった時代。日清日露の戦争が魯迅を古来からの経書中心の学問から洋学へと向かわせた要因に違いない。

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