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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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ふと思い到って 十一の4


4.指を切ることと昏倒すること
 またも(抗議のために)指を切ってその場で意識不明になる事態が起こった。
 指を切るのはごく小さな部分の自殺で、昏倒はごく短時間の死亡だ。このような教育が普及しないことを望む。今後このような現象が二度と起きないように。
 
5.文学者は何の役に立つのか
 上海事件発生後、文学者は一人も「狂喊」しないので、ある人、疑問を呈して曰く:
文学者はいったい何の役に立つのか?と。
 敢えて謹んで答える;文学者はいくらかの詩文を作る以外、実に何の役にも立たない。
中国の現在のいわゆる文学者は別のことを言う:たとえ本当の文学の大家でも「詩文大全」
ではないし、一つのテーマごとに必ず文章を書き、一つの案件ごとに、必ず狂喊する訳でもない。彼は万藾無声の時、大いに叫ぶが、金や太鼓が騒がしい時に、沈黙する。レオナルドダヴィンチは、たいへん鋭い感覚の人だが、人間が死に臨むときの恐怖と苦悶の表情を究めんとして、斬首の現場を見に行った。中国の文学者はまだ狂喊していないが、これほどまで冷静にはなれない。ましてや「血花繽紛」という詩をすでに発表したではないか。それが狂喊かどうかは分からないが。
 文学者も多分狂喊すべきだろう。古い例を調べると、事をなすにはまず文を作って名をあげるに如かず、という。上海と漢口の犠牲者の名は、そのうちきれいさっぱり忘れ去られても、詩文は往往にして久しく残り、或いは人人を感動させ、後人を啓発する。
 これが文学者の役目だ。
血の犠牲者が役に立ちたいと思っても、或る面で文学者には及ばない。
 
6.「人民の中へ」
 本当に多くの青年がそこへ帰ろうとしている。
 最近の言論を見ると、旧家庭は青年の新しい生命を呑み込む恐ろしい妖怪のようだ。しかし実際は、最終的には愛すべき所としての位置を失ってはいない。どんなものより吸引力に富む。子供のころに釣りや池で遊んだ所は懐かしい。ましてや大都会と隔絶した故郷で、暫し、半年以上も都会で苦労してきた疲れを癒すことができるなら尚更だ。
 その上これが「人民の中へ」とみなされるに及んでは。
 だが、ここから分かることは、我々の「人民の中」はどのようになっているかで、青年は一人で人民の中へ入るとき、自分の力と心情は北京で仲間と大声でこのスローガンを叫んでいるときとどう違うか?
 この違いをしっかりと覚えておいて、もし将来人民の中から戻って来た時、北京で再び仲間と大声でこのスローガンを叫ぶとき、ふり返って見て、自分が本当に真実を語っているか、嘘でたらめかが分かる。
 それで多分若干の人たちが沈黙する。沈黙して苦しみ、そして新しい生命はこの苦しい沈黙の中から芽を出してくるのだ。
 
7.霊魂と断頭台
 近来、夏は軍閥の戦争の季節で、青年たちの霊魂の断頭台の季節となる。
 夏休みに入ると、卒業生はみないなくなり、新入生はまだ入学していない。それ以外は大半が帰郷する。各種同盟は暫し別れ、喊声も低調、運動も消沈、刊行物も中断となる。炎熱の巨大な剣が天上から降りてきたようだ。神経中枢も突然断たれ、首都も突如として死屍に変じる。独り狐鬼だけが屍の上を往来し、従容として全てを占領した印の大旗を立てる。
 気分爽快な天高い秋が来ると、青年たちは戻ってくるが、すでに新陳代謝したものも少なくない。彼らはまだこの首都が、健忘症にさせる空気を味わっていない状態で、新生活を始める。まさしく卒業生たちが去年の秋に始めたように。
 そこで全ての古い物と廃物が、永遠に新鮮のように見える:もちろん周囲は進歩したか、
退歩したか感じないし、当然ながら会う相手が妖怪は人かも区別できない。不幸にもまた事変が起き、やはりこのような世の中、このような社会の中で、ただ相変わらず、「同胞、同胞よ!」と叫ぶのみだ。
 
8.やはり何もない。
 中国の精神文明は、すでに銃砲に破壊され、多くの経験の後、もう何もない空っぽだということを証明しようとしている。この「何もない」という表現を避けたら、少しは自ら慰めることもできる。もう少し耳触りのよい表現に変えたら、寒天に暖炉の前にいるように、気持ちよく居眠りできよう。しかしその報いとして、治療できる薬は永遠に手に入れられず、全ての犠牲が無駄になってしまう。みんなが居眠りしている間に、狐鬼は犠牲を食べ尽くし、更に肥え太る。
 人はこのことをしっかり覚えておいて、四方を見、八方のことを聞き、これまでのように、すべて自分を欺き、人を欺くようなはかない望みを一掃し、誰もが自分も人も欺むくような仮面を脱いで、誰もが自らも人をも欺く方法を排除し、要するに中華の伝統というあらゆる小賢しいタクラミは全て放擲し、忍耐強く、我々を銃撃してきた毛唐から学ぶ事、
そうしてこそ、初めて新しい希望の芽が出てくる望みがある。
  六月十八日     2010/09/03
 
 
 

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