魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
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両地書 第2集 36
広平兄:
9月1日乗船。2日朝7時出帆。4日午後1時アモイ着。一路無風で船も揺れず。この地の方言は全く分からず、まずホテルへ行くしかなく、林語同に電話したら迎えに来てくれ、その晩から即学校に移り住んだ。
船から後方に一隻の船が見え、ずっと着かず離れずで、「広大」じゃないかと思った。君が船から1隻の船が見えたかどうですか?見えたなら私の推測は間違っていないことになる。
ここは山を背に海に面し風景絶佳、昼は温かとはいえ――華氏87-8度――夜は涼しい。周りに人家は殆どなく、市街地から十里ほど離れ静養に良い。が、買い物には不便だ。使用人は極めて怠惰で、何もせぬし、やろうともしない。郵便局もとても怠慢で土曜午後と日曜は閉じている。
教員宿舎は未完成で(1ヶ月後完成と言うが、確かなことは分からぬ)暫定的に大変大きな3階の部屋におり、上り下りが不便だが眺望は良い。学校は20日開始で、まだ暇な時間がだいぶある。
これを書いている時は、君はまだ船上でしょうか。明日出しますから、君が学校に着いたころは届いているでしょう。到着したら返事をください。その時はもっと詳しい状況を書きます。まだ来たばかり故、何も分かりません。
迅。9月4日夜
訳者雑感:二人は上海から別々の船でアモイと広州に向かったのだろう。魯迅は後ろからついてくる船を広州行きの船で、それに許広平が乗っていると推測している。これから2年間会うことが無いという気持ちが、後ろの船に彼女が乗っていると心を膨らませている。
2016/10/20記
両地書34
広平仁兄大人閣下。
拝啓;大作を寄稿賜り、早速載せますが、或いは作者から蔭で呪詛されるやもしれません。私は題名まで変えたのですから。変えた理由は原題がとてもおっかないと感じたからです。結末は迫力が足りないので数句加えました。ご尊意に背くとは思いませんが:要するに:とくに専断的で、望むらくは是非ともご容赦いただき、貴方の罵りを免れたく、角突きださず、「害馬」の才も暫く停止いただき、またご投稿くだされば幸甚です!
大作が常に載るのは、実際「莾原」が飢饉に陥っているからです。私が載せたいのは評論ですが、どうしても寄稿は小説詩が多いのです。以前はいつわりの「花よ」「愛よ」だったが、今はいつわりの「死よ」「血よ」の詩です。嗚呼、頭が痛いです。従って評論に近いものがあれば、載せやすいのです。これを「子供だまし」と言わんか?そして又新しく文章を書く人は、私の編集するものには、比較的容易に載りやすいが、これが「子供だまし」の嫌疑をうけるのです。だが暫く書き続けたら、必ず進歩の結果が出てくるもので、怠けていい加減に書いていたら猛烈な攻撃を加えますよ。ご注意のほど。
謹んで申し上げる次第。
「おしゃべりがうまくなるよう」祈ります!
「老師」謹訓。7月9日
新聞は章士釘が辞職し、屈映光が後任と報じています。彼は浙江省の有名な「私は元々(宴席に呼ばれて)食事はしません」式人物です。士釘と五十歩百歩で、或いは少し劣るくらい。それゆえ、私はいつも内政を改革せぬ限り、良い状況にはならないと思っていますし、無論どんなデモを行って示威行動を起こしても、何の役にも立ちません。 (この間、5-6通 欠落)
訳者雑感:冒頭から大仰な言い回しで、評論を寄稿してくれる許広平に感謝しているが、題名を変え、結末は迫力不足として補っている。この辺りから二人の間に変化が起き始めているようだ。
2016/10/17記
両地書33
広平兄:
昨夜或いは今朝、一通出したので、もう着いていますか。今、28日の手紙を入手。何か書かねば、と。小鬼はどうして何度も恐れ入って謝罪するのですか?おそらく「某籍」の姐御のデマでも耳にしたのでしょう。デマは否定せねばなりません:
第一、アル中はいるでしょうが、私は違います。もしそうだとしても、自分の事で人とは関係ない。且つまた私はもう50歳に近く、講師もしており、自分の酒量をわきまえもないことがあろうか。若い女の刺激を受けるなどに至っては、全くあり得ない。
第二、私は何の「戒条」も受けていない。母も私の飲酒を禁じていません。これまで本当に酒に酔ったのは1回半で、決してこんなに平穏ではなかった。
然るに、「某籍」の女性は自分の逃走を粉飾するために、きっとどこかから拾った故事か何だか知らぬが(多分太師母あたりからか)それを敷衍して、小鬼すらびっくり驚き、謝罪せねばと思わせたものだろう。だが太師母といえども、現実は必ずしも正しいとは限らぬ。私は自分で分かっているが、あの日は全く酔っていないし、バカなことをして家主を驚かせて逃げ出すような挙に出たことはない。全て覚えている。
だから今後もう二度とお詫びなどするのを許しません。でないと、私は「笈を負って単洋(日本にだけ、西洋には行ってない)に留学し、17年教鞭をとり(楊蔭楡の言葉)、楊蔭楡式の宣言をして、女学生たちの肝が小さい罪状をふれ回りますよ。君たちはそれでも何か言えますか?
原稿は少し書き過ぎの点があり、いくらか手を入れねばなりません。その中の一部の文章は、大体執政府へ請願をだすことへの反対でしょう。要するに今回は学生を攻撃した中心人物の馬良を総指揮にするというのだからお笑いです。
「莾原」十号は「京報」と同時にストをし、原稿を書いたのは水曜で、まだ停刊は考えておらず、だから目次は他の週刊誌に載せました。今まさに交渉中で、彼らに補正印刷の要請をするかどうかに目鼻がつかない。補正できねば、元の原稿は今週金曜に出さねばならない。
「莾原」の投稿は小説が多すぎ、議論が少なかったが、今や小説も少なくなり、皆はもっぱら愛国で「民間の中へ」で、従って文章は書かない。
迅。 6.29晩 (この間、何通か欠落、数は不明)
訳者雑感:魯迅も自身で1回半酒に酔ったことはあるが、泥酔し、家主を驚かせて逃げ出させるようなことは無い、と断言している。1回半とは何だろう?
2016/10/17記
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